男声合唱とピアノのための「祈りの虹」

作詩:峠三吉、金子光晴、津田定雄

作曲:新実徳英


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子



1."炎"

2."業火"より

3.(Vocalise)

4."ヒロシマにかける虹"




−平和への祈りと決意−

−−怒りとは、殺戮のための道具でしかないあまたの核兵器・通常兵器等に対する怒り、またそれらを作らしむる人の人を信ずることのできぬ心への怒りである。そして願いとは平和への願い、人類の浄化への願いである。
 選ばれた3篇の詩は、いずれも第2次大戦とその結末となった原爆投下を経て書かれたものである。人間世界に絶望し怒り、また消え行かんとする自が命を見つめつつこれらの詩が書かれた。詩人たちの強靱な精神、慈愛と汚れない祈りの心が私の作曲を見守ってくれた。(新実徳英・『ライナーノート』より)−−
 今年、ヨーロッパでは、欧州戦終戦50周年の記念式典が各地で行われ、日本でも8月15日に向けて記念行事が数多く開かれた。1945年8月15日、第二次世界大戦はたしかに終結した。しかし、戦争が人々に与えた苦しみは、終戦によって終わりはしなかった。数え切れぬ犠牲者の数、測りしれず傷ついた心、そして、冷戦、核、各地で起こる戦争やゲリラ…。
 今や、ドイツ統一・ソ連崩壊を経て、「戦後50周年」は、ますます特別なものとなっている。しかし、私達の「祈り」は時代とともに流されてはならない。ローマ法王はかつてこう語ったという。−−過去を振り返ることは、将来を見つめることである−−
 平和に対する「祈り」と「決意」が、今宵の演奏を通じて1人でも多くの方の共感を呼ぶことを願っている。


−「祈りの虹に寄せて」−  畑中良輔

 私にとって50年という重さ −−−
 あの夏の日。白い雲がゆっくりと流れ、よく晴れた日だった。白楊樹のみどりが風に光っていた。1945年8月6日。この日私は上海地区、中支派遣軍隼飛行第222大隊の暗号解読室で勤務についていた。通常定例の暗号作業に取りかかった時、緊急暗号電文が入って来た。何はともあれ≪陸四≫と呼ばれる赤い暗号書と乱数表を開き、解読を始めた。
 「テキハヒロシマニシンガタバクダンヲトウカセリ。ゼンシカイメツノモヨウ。ジゴクウシュウニサイシテハ シロノイルイヲチャクヨウセヨ。」
 戦局が日に日に絶望的状況に陥っていくのは、相手方の暗号傍受で判ってはいたものの、この日の新型爆弾が何であるかは、次の暗号の来る迄見当もつかないまま、不安な一日となった。そして8月15日。私は内務班の当番だったが、「日本が敗けたぞォー」という声に驚いて兵舎を飛び出した。「やっぱりー」と思う心と、何かの間違いでは、と祈る心が交錯した。玉音放送は雑音のため、何のことやらわからなかったのだ。
 その日からちょうど50年。忘れようもないその日がまたやって来る。
*          *
 以上は今年の「四連」のメッセージに書いた文章だが、その後、世界の状況は刻々と深刻の様相を呈して来はじめた。ヒューマニズムと優れた芸術文化を持つフランスの核実験は、一体何なのであろうか。フランスの文化とは何だったのだろうか。世界の反対を押し切って核実験を強行するシラク大統領の“人間性”とは何なのだろうか。
 疑いもなく“地球の滅亡”へ盲進している現状を、地球人は黙って見ているだけでよいのだろうか。
 ヒロシマだけの問題ではない。世界最初の被爆者だけの問題ではない。にんげんすべての痛切な“現実”として、われわれはヒロシマを感傷的に捉えてはならない。直視有るのみ。今夕のこの四曲は、四連の時とまた異なった精神のあり方が問われなければならない。


−第120回定期演奏会プログラムより−



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