喜歌劇「ジプシー男爵」より
(Der Zigeunerbaron)

作曲:Johann Strauss 2

編曲:北村協一


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子

独唱:大川隆子



・Ensemble
 (アンサンブル)

・Werberlied
 (徴兵の歌)

・Zigeunerlied
 (ジプシーの歌)

・Valse
 (ワルツ)

・Marsch
 (行進曲)

・Liebeslied
 (愛の歌)

・Nach Wien!
 (ウィーンへ!)

・Einzugsmarsch und Valse
 (入場行進曲とワルツ)




−ヨハン・シュトラウス2世と「ジプシー男爵」−

 ヨハン・シュトラウス2世は、自作のオペレッタ≪愉快な戦争≫を初演するため、ペストへ出かけた。その際に同行したのは、やがて彼の3番目の妻となる26歳の未亡人アデーレであった。ヨハンがオペラの作曲を意欲していることを知っていたアデーレは、彼に、モーリス・ヨーカイというハンガリーの作家を紹介した。ヨーカイは「ハンガリーのパールザック」と呼ばれた人で、この国の歴史や古譯をたくさん知っていた。ヨーカイは、ヨハンに10通りものテーマを提案したが、その中でも彼が特に推薦したものと、ヨハンが最も気に入ったものとは一致した。それが、小説≪ザッフィ≫である。亡命、略奪された土地、埋められた宝、ジプシー…。当時、ジプシーの音楽に夢中であったヨハンにとって、この小説は、必要なあらゆる要素を備えていた。しかし、ヨーカイは自分で台本を制作することはなく、ウィーンに住むイグナッツ・シュニッツァーにその仕事を委ねた。以前、ヨハンから台本の出来の良さを認められたことのある彼は、喜んでこの仕事を引き受けた。
 作曲にとりかかる際、ヨハンとシュニッツァーは、ある取り決めをした。台本作家が台本を作ってから作曲家が音楽を付ける、という通常の形式をひっくり返し、粗筋をもとにヨハンが作った曲にシュニッツァーが言葉を付ける、という方法を採ることにしたのである。これによって、台本の選考力に自身のなかったヨハンも心置きなく作曲することができ、名作を誕生させることになった。
 ヨハンは、当初、本格的な”オペラ”の制作を意図していたため、この作品には特に力を入れていた。”オペレッタ”は、イタリア語で「小さなオペラ」を意味していて、”オペラ”よりも庶民性・娯楽性が強い。そのため、”オペレッタ”は芸術でない、とする音楽家、愛好家が多かった。ヨハンは、したがって、本格的な”オペラ”として≪ジプシー男爵≫を作曲するつもりであった。曲を作る際に、何度もシュニッツァーと相談し、病気や、指揮者としての多忙さなどの障害にもかかわらず、いつも傍らで≪ジプシー男爵≫の作曲を続けたことがその証拠である。また、初演についても、ヨハンは、演技や演奏に自ら身を乗り出して注文を付け、歌い手も当時の大人気歌手ジラルディをはじめとして一流の歌手を集めた。
 1885年10月24日、ヨハン60歳の誕生日の晩、オペレッタとして完成された≪ジプシー男爵≫は、アン・デア・ウィーン劇場で初演された。そして、この公演は、フランツ・ヤウナーの演出の素晴らしさも手伝って大喝采を博した。
 「何十世紀も創作を通して音楽愛好家たちを喜ばせてきた男は、今や創作力の頂点に達している」とまで評されたこの初演は、87回の連続公演となり、ヨハンの存命中に世界中で140回も上演されることとなったのである。

 ≪ジプシー男爵≫は、ヨハン・シュトラウスの作った16曲のオペレッタの中で、≪こうもり≫と並ぶ傑作とされる。しかも、台本のまとまりという点において、 ≪ジプシー男爵≫は≪こうもり≫よりも一段と優れている。
 それにもかかわらず、≪ジプシー男爵≫が≪こうもり≫よりも上演される機会が少ないのは、このオペレッタが、当時の政情(フランツ・ヨーゼフ皇帝によるオーストリア=ハンガリー二重支配)を反映しているからであろう。1867年、オーストリア皇帝がハンガリー国王をかねることになり、ハンガリーは、属国ではなくなった。しかし、完全な自立を許されなかったため、ハンガリーの国民の間では不満が多かった。このような状況の中で、ヨハンは、ウィーンの民衆との一体感を与えようと、事物を設定したのである。しかし、そのことが、今日では「時代にそぐわない」ものとして、上演される機会を減らすことにつながってしまった。
 しかし、何よりも、このオペレッタに溢れるワルツや旋律の素晴らしさは、時代の流れに流されない普遍性を持ち、その素晴らしさは≪こうもり≫やその他の作品と比べても特筆されるべきものである。中でも「宝のワルツ」(今宵演奏する組曲では第4曲目)は有名で、たとえ「ワルツ王」ヨハン・シュトラウスといえどもこれほど表情豊かなワルツはほかにいくつも書いていないであろう。
 イギリスのオペレッタ研究家ジェルヴェーズ・ヒューの言うように、この作品は「本質的に最上のオペレッタ」なのである。


−あらすじ−

 ハンガリーを統治していたトルコの最後の総督は、1717年のベオグラードの戦いでオーストリア軍に追われ逃亡したが、その際莫大な軍用金をこの地方に埋めていった。また、彼は、生まれたばかりの娘をジプシーの女占い師ツィプラにあずけて行った。ザッフィと名付けられたこの女の子は、ツィプラによって育てられた。また、大地主バリンカイは、トルコ人と気脈を通じていたという嫌疑をうけて亡命したが、その後この土地に勢力をふるうようになった豚使いジュパンは、亡命中に死んだバリンカイには嗣子がないと言いふらして、遺産や土地を自分のものにしようと企んでいる。
 ところがバリンカイの遺児シャンドール・バリンカイは今は成人となって、皇帝の特赦により父の遺産を正式に相続することとなり、ハンガリーにやってきた。一緒に来た皇帝特使カルネロは父親の遺産を正式に彼に譲渡する役である。

第1幕 ハンガリーの寒村、テメーゼ・バナード

 ジュパンは娘アルゼナとバリンカイを結婚させようとするが、アルゼナはそれを避けるため、「男爵の位を持っている人とでなければ結婚しない」と公言する。人々が引き上げた後に残されたバリンカイに、ザッフィの歌声が聞こえてくる。(第3曲:≪ジプシーの歌≫
 ツィプラはジプシーたちに、新しく地主となったバリンカイを自分たちの領主だといって紹介し、バリンカイは自分を「ジプシーの男爵」だと名乗る。そして、ザッフイこそバリンカイ家の花嫁だという。

第2幕 バリンカイの屋敷近くのジプシー部落

 ツィプラは「私は昼も夜もご主人様の財宝を見張っていた」と静かに語る。バリンカイが「君こそ私の愛する妻」と喜びを歌うと、ザッフィも「なんという幸せ」と応え、情熱的な2重唱となる。(第6曲:≪愛の歌≫〜導入部
 ツィプラは、夢の中でバリンカイの父親が宝の隠し場所を教えてくれたという。半信半疑のバリンカイが、ためしにその場所の石を叩くと、うつろな音がするところがあり、そこから貨幣や宝石が出て来る。3人は喜びのワルツを歌う。(第4曲:「おやおや、彼は笑っている」〜≪宝のワルツ≫
 すると、ドラの音とともに朝が来て、パリ(呼び男)の呼び声につられてジプシーたちが仕事を始める。(第1曲:アンサンブル
 「誰が保証人になって結婚したか」と詰問されたザッフィは「うそ鳥が牧師の代りをつとめ、頭上を飛ぶ2羽のこうのとりが証人である」と答えて、人々を呆れさせる。(第6曲:≪愛の歌≫〜中間部から終わり「結婚の証人は」
 そこへ1隊の軽騎兵を率いてホモナイ伯爵が登場する。この司令官はバリンカイの旧友だが、スペインの戦争に従軍する兵士を募集するために来たのである。ホモナイ伯爵は勇ましく祖国愛に満ちた歌を歌う。(第2曲:≪徴兵の歌≫
 徴兵の酒を飲んだ者は募兵に応募したと認められるわけだが、酒好きのジュパンとオットカールはうっかりそれを飲み干してしまい、たちまち軍帽をかぶせられてしまう。(第7曲:「ウィーンへ!」
 ジュパン家の人々がザッフィを侮辱するので、ツィプラは、ザッフィがハンガリーにいたトルコ総督の実の娘であり、しかもオーストリア皇帝の血統を受けていることを説明する。バリンカイは、身分の違いから、彼女を妻にすることができなくなったと感じ、父の遺産全てを国家に奉納して従軍する。

第3幕 ウィーンのケルントナートール劇場前の広場

 スペインに遠征したオーストリアの軍隊が続々と凱旋してくる。ジュパンは、意気揚々として先頭に立ち、戦利品を携えて自分の見当違いな勇敢な戦い振りを述べ立てる。(第5曲:≪ターヨ海岸の歌≫
 軍隊の主戦部隊が到着。ホモナイ伯爵、バリンカイを先頭に威風堂々の行進が繰り広げられる。(第8曲:入場行進曲とワルツ〜導入部
 ホモナイ伯爵はバリンカイの功績をたたえ、彼が国家に寄付した財産を改めて返却し、彼を貴族に列して、ザッフィとの結婚を許す。その時、従者を従えたザッフィが現れ、2人は相抱き、めでたく結ばれる。バリンカイが「男が一度決意したら、不可能なことはない」と歌うと、群衆の歓喜の大合唱が、ウィーンの澄みきった青空に響きわたる。(第8曲:入場行進曲とワルツ〜中間部から終わり


−第120回定期演奏会プログラムより−



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