男声合唱組曲「東京景物詩」

作詩:北原白秋

作曲:多田武彦


指揮:畑中良輔



1.あらせいとう

2.カステラ

3.八月のあひびき

4.初秋の夜

5.冬の夜の物語

6.夜ふる雪




−北原白秋と『東京景物詩』−

 明治37年、19歳の時に上京した白秋は明治41年に木下杢太郎、上田敏らと文芸懇話会「パン(ギリシャ神話の牧畜、狩猟の神の意)の会」を起こし、隅田川河畔で日夜芸術論を戦わすなど、正に白秋にとって青春の花期にあたる時期を送った。処女詩集『邪宗門』(明治42年刊)、『思ひ出』(明治44年刊)、『東京景物詩』(大正2年刊)には、「パンの会」時代に書かれた東京を中心とした官能的、唯美的傾向の詩が収められている。
 第2詩集『思ひ出』が、郷土や幼少への愛着が基底となっていたのに対し、『東京景物詩』は、表題どおりに都会や青春に対する情緒が中心となっており、享楽的な面も多い。しかし、その享楽は『邪宗門』ほどには濃厚でもどぎつくもなくて、よりやわらかく軽く、ダンディなものである。近代的な東京風物をモチーフとしたり、一時代前の江戸情緒的要素を加味して下町的な気分を表現したりすることにより生まれたもので、白秋が多用した新俗謡体は、民謡、歌謡のスタイルでより情緒的に都会を描写するのに適していた。「片恋」の詩の<ちるぞえな>や組曲に収められている「カステラ」の<ほんに、何とせう、>のような江戸時代の言葉を思わせるゆるやかな語感とひらがなの表記が、やわらかい情緒をおぼえさせる。この「片恋」について、<わが詩風に一大革命を惹き起こした−私の後来の新俗謡体はすべてこの一篇に萌芽して、広く且つ複雑に進展して居つたのである>と白秋自身、書いている。
 またこの詩集では、1人の人妻と恋に落ちたことも題材になっている。明治43年9月原宿へ転居した白秋は、隣家の人妻松下俊子と知り合い、不幸な結婚生活を送る俊子への同情の気持ちも相俟って恋に落ちる。その秘恋への悩みは切々と詩に綴られている。苦悩して居を転々と移す白秋のもとに、明治45年離婚を宣言されたと俊子が訪れるが、彼女の夫は法的に離婚は未だ成立せずと白秋を姦通罪で告訴。白秋と俊子は市ヶ谷未決監に2週間拘束される。これにより白秋の盛名は一時に失墜した。しかし、世間の指弾以上に白秋は罪の意識に苦しみ、しばらくは狂気寸前の錯乱状態となり、8月飄然と木更津に渡ることになる。大正2年、俊子と正式に結婚し、新生を求め三崎へ移住。そして7月『東京景物詩及其他』の刊行となった。
 白秋自身、<この詩集は種々雑多の異風の綜合詩集であり、何ら統一はない>と言っている。しかしそこには白秋の東京への深い思い入れが感じられる。


−曲目解説−

1.あらせいとう

 1人であらせいとうのたねを取る子どもに、俊子を幸福にできない苦しみに涙を流す自分の姿を託している。2人でよく行った植物園に、赤い夕日が沈む情景がさらに哀しみを誘う。

2.カステラ

 当時あまり口にすることのできなかったカステラの甘さとふちのしぶさ、そして、カステラを食べる嬉しさとほろほろとこぼれる粉から連想する眼からこぼれ落ちる涙の対比が、恋することの喜びとそれに付き物の恋の苦さを物語っている。

3.八月のあひびき

 不幸な人妻俊子に恋をしてしまった白秋は、転居を繰り返したが、その思いを振り切ることができず、傾斜面を滑り落ちるように、深みにはまってゆく。俊子への同情の思いと許されない恋愛関係への迷いで、万物がすすり泣いているような幻想に襲われる。

4.初秋の夜

 嵐が去った夜。その名残で、稲妻がまだ幽かに聞こえ、海は轟いてはいるものの、空には星、綿雲、そして十六夜の月。そして一面の虫の音が聞こえてくる。遠近の対比と視覚的、聴覚的描写が、やや肌寒い初秋の夜を想像させる。

5.冬の夜の物語

 寄り添うようにして男の話を聞く女。そして、一時の偽りとは知りながら、女の愛に応える男。寒い雪の夜の白秋と俊子を映画のように視点を近づけたり遠ざけたりして物語的に描写することが、同情から生まれた煮え切ることのない愛を暗示する。

6.夜ふる雪

 「邪宗門」の系譜から一転した俗謡調の詩。七五調のフレーズが4分の5拍子のリズムに乗って、津々と降りしきる雪を表している。そして、その雪降る夜の闇の中へ「見えぬあなた」を思いつつ1人寂しく白秋は遠ざかってゆく。


−第121回定期演奏会プログラムより−



戻る