「プーランク歌曲集」

作詩:Guillaume Apollinaire 他

作曲:Francis Poulenc

編曲:佐藤正浩


指揮:佐藤正浩

ピアノ:藤田雅



・Voyage a Paris
 (パリへの旅)

・Hotel
 (ホテル)

・"C"
 (「セー」の橋)

・Les chemins de l'amour
 (愛の小径)

・Toreador
 (闘牛士)


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−作曲者プーランクについて−

 フランシス・ジャン・マルセル・プーランクは、1899年、パリにて、裕福な商人である父と、古くから続く職人の家の出である母との間に生まれた。幼い頃のプーランクに、父は音楽家としての基礎的な教育を許さなかったが、母がアマチュアのピアニストであったため、その母の弾くロマン派の小品を聴きながら成長し、彼自身もピアニストとしての才能に恵まれ、音楽理論の教養や知識に囚われることなく自由に音楽とつきあうことができた。彼は地元にあるパリ音楽院に入学することもなかったが、16歳でラヴェルの親友で非常に教養が高く、新時代の作品紹介に熱心であったリッカルド・ヴィニェスにピアノを、22歳でシャルル・ケクランに対位法を学んだ。特にヴィニェスからは、演奏技術だけでなく、ピアノの持つ性能について深く習得し、極めて効果的に作曲に役立てた。
 このように、富裕な家庭に育ち、「常に社交的な世界の中で」成長した彼が、のびのびとした自由な肌ざわりの心地よい音楽を書いているのは極めて自然なことである。彼の作品は、独自のスタイルを持ち、また彼は、言葉の抑揚、韻律のパターン、韻律と楽音との関係についての鋭い聴覚を持っていた。さらに、とりわけ新鮮で独創的なメロディーの泉を持っており、メロディーを創り出すことにかけては、単なる職人の域を超える卓抜な才能の持ち主だった。晩年まで大規模な音楽の作曲に自身のなかったプーランクは、歌曲やピアノ曲といった抒情的な形式が、自分の強烈だが間口の狭い才能に一番適していることを知っていた。やがてプーランクの歌曲は、通常のレパートリーの中で確固たる地位を占めるようになった。
 プーランクは、ケクランに師事する前の20歳の時、アポリネールの詩による歌曲集「動物小話集」を作曲した。プーランク自身、その作曲は実にプーランク的であると認めているが、以来40年間で145曲もの歌曲を残すこととなった。特にアポリネール、エリュアール、ヴィルモランの詩に魅せられ、また、ソプラノのドゥニーズ・デゥヴァル、バリトンのピエール・ベルナックのために多くの歌曲を書いている。気心の知れた詩人と歌い手を相手に心置きなく仕事をし、それを自分で伴奏するのが常であった。ピアノ・パートは、ある時は情景を描写し、ある時は主旋律を歌い、ある時は抒情的な流れを持つ。また、歌い手はピアノが描く情景を目にしながら歌い、ピアノの旋律を下で支え、友に抒情にひたり、そして詩句を観客に伝える。歌とピアノは主従関係を捨て去り、観客はどこまでが歌の仕事でどこまでがピアノの仕事であるのか判断に苦しみ、最後には心地よい音の流れとイメージ溢れる詩句に包まれてしまう。それがプーランクの歌曲の魅力である。


−曲目解説−

1.パリへの旅

 詩はギヨーム・アポリネールのもの。歌曲集『平凡な話』の第4曲として、1940年に作曲された。プーランクは自分のコンサート・ツアーのためでもパリを離れるのを嫌っていたと言われる程、パリを愛した作曲家であり、彼はアポリネールのこの詩を知って、パリを愛する詩人の精神に自分との共通性を見出したと言われている。この作品においてプーランクとアポリネールの心はまさに1つとなっている。

2.ホテル

 「パリへの旅」同様、詩はアポリネールのもの。歌曲集『平凡な話』の第2曲として1940年に作曲された。場末の小さなホテルのアンニュイな男がするただ1つの仕事、それは太陽の光をレンズで集めて煙草に火をつけること。音楽は、非常にゆっくりとしたワルツのリズムに乗って、欠伸をしたり、煙草の煙を螺旋状に上昇させたりしている。ピアノ・パートはいかにもプーランク的である。

3.「セー」の橋

 詩はルイ・アラゴンのもの。マルクス主義の作家である彼のテキストにより、1943年に作曲された『ルイ・アラゴンの詩による2つの歌曲』の第1曲である。フランスがドイツの手に落ちる瞬間をまざまざと見たアラゴンが”C”と題した不思議な名前のこの曲は、静かな世界を表現する一方、「見捨てられたフランス」のための心疼く悲歌の性格をも帯びている。”C”とは名もないとある街を意味している。文字の上では激しさや怒りが感じられるが、プーランクがこの詩の中に見出したのは、むしろ「傷心」であろう。

4.愛の小径

 詩はジャン・アヌイのもの。彼の戯曲『レオカディア』のために1940年に作曲された舞台音楽の一部である。このウィーン風のワルツ音楽は今日、リサイタルのアンコールで非常によく歌われており、とりわけ人気の高い曲である。

5.闘牛士

 詩はジャン・コクトーのもので、1918年に作曲された。詩の内容はヴェネチアを舞台に、スペインの伝統行事である闘牛が催される情景を描いたものである。作曲当時まだ19歳であったプーランクは幼時から耳に親しんできたモーリス・シュヴァリエのシャンソンから霊感を得て、拍手(韻律)により即興でこの曲を作ったと言われている。円熟期に至ると彼はより繊細、且つ巧妙な表現を可能にするが、この曲は生の材料をそのまま表現した初期の作品である。


−第121回定期演奏会プログラムより−



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