歌劇「タンホイザー」より
(Tannhauser und der Sengerkrieg auf Wartburg)

作曲:Richard Wagner

編曲:福永陽一郎


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子、藤田雅

独唱:大川隆子



・大行進曲

・巡礼の合唱

・エリザベートの祈り

・夕星の歌

・フィナーレ


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−タンホイザーと中世伝説−

 歌劇「タンホイザー」は正式な名称を「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」といい全3幕からなるロマン的歌劇である。「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」の初演を次々と成功させ、勢いにのるリヒャルト・ワーグナーは1842年、この「タンホイザー」の制作にとりかかった。1845年10月にドレスデンの宮廷歌劇場にてワーグナー自身の指揮により初演された。
 この歌劇「タンホイザー」は主に2つの伝説に取材している。1つはタンホイザー伝説であり、もう1つはヴァルトブルグの歌合戦の伝説である。
 タンホイザーは実在の人物であった。13世紀にミンネゼンガーとして各地を咆哮し、ウィーンのバーベンベルク王朝フリードリッヒ2世に遣えたという記録が残っている。あまり司祭があるでもなく、放蕩三昧な生活をしていたようである。しかし、この人物は伝説のなかで語られるようになってから急にその名を馳せるようになる。今日残るのは15世紀に作られた伝説であるが、それによるとタンホイザーは恋の快楽を知ろうとヴェーヌスの洞窟に1年間こもり、のちに聖母マリアに助けを求め、悔改の生活に入ろうとしてローマ教皇に懺悔する。しかし教皇は自分のもつ枯れ木の杖に葉が生えぬ限り救済はない、と宣告したため、タンホイザーは悲しみつつ聖母マリアに別れを告げ、再びヴェーヌスの下へ帰っていく。ところが3日後に教皇の杖に緑の芽が吹いたので、教皇は手を尽くしてタンホイザーを探したがみつからなかった、というものである。
 ワーグナーは若い頃すでにチィークの「忠実なるエルカットとタンホイザー」を読んでこの物語についての知識を得ていたが、このカトリック賛美的な語り口には納得できなかったようである。しかしその後ウーラントの「ドイツ古民謡集」によってこの物語の古い譚詩を知ると、非常な魅力を感じた。その譚詩の作者は恋の耽溺を非難しているものの、一方で禁欲的なドミニクス的な教皇が、厳格のあまり、神の慈悲を遮るような態度をとることをなじっているのである。
 一方ヴァルトブルクの歌合戦の伝説は13世紀のある伝説の中で歌われている、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハやヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデのパトロンとして有名なチューリンゲン方伯ヘルマン侯の宮殿において行われたという歌合戦である。1207年に行われたというが、こちらの方は記録に残っておらず中世詩人の創作との見方もある。しかし、実在の人物が登場する。負けたものは命を失うという歌合戦において、ハインリッヒ・フォン・オフテル・ディンゲンという詩人はオーストリア公爵の徳を讃えて歌うがチューリンゲン方伯を賛美するラインマン、ヴォルフラム、ビーデロルフ、ヴァルターらの歌に圧倒されてしまう。窮地に立ったハインリッヒは方伯夫人ゾフィーの情にすがって命乞いをし、ハンガリーの詩人であり魔術師であるクリンゲゾールを呼んできて審判をさせ、魔法の力で勝利を得ようとするが、クリンゲゾールの相手となったヴォルフラムが魔法の謎をあばいて彼をしりぞける。
 なおこのクリンゲゾールは伝説によると方伯のもとに滞在中星占いによってハンガリーのエリザベート姫の誕生を予言している。この姫は後に方伯の公子と結婚し、「聖なるエリザベート」と呼ばれるが、ワーグナーは方伯夫人をこのエリザベートの役と振り替えたと思われる。
 これら2つの伝説の間には元来何の関係もなく、ワーグナーによりまったく独創的に結合された。またG・L・T・ルーカスがタンホイザーとハインリッヒ・フォン・オフテル・ディンゲンが同一人物であるという仮説を立てたが、あるいはこれを参考にしたのかもしれない。そのほか、E・T・A・ホフマンの「歌手たちの戦い」、グリム兄弟の「ドイツ伝説集」、ベビシュタインの「チューリンゲン地方の伝説」、アムニムの「児童の不思議な角笛」などが参考にされたであろうことが、内容からうかがえる。


−ワーグナーの音楽−  畑中良輔

 ワーグナーの音楽の根本理念の一つに、「救済の思想」というものがある。「タンホイザー」にしても「さまよえるオランダ人」にしても「魂の救済」という点にワーグナーの全てが賭けられているといっても良い。「さまよえるオランダ人」は、清純な乙女ゼンダの貞潔なる心と献身より救済がなされ、タンホイザーはエリザベートの犠牲死によってその魂を解放できるのである。
 ワーグナーの信じた「愛」の尊厳と絶対は肉体を超越して、神の世界を啓示する。「愛」とは、人間を官能の渦に引き込んで、盲目にすることではなく、常に人間を浄化し、昇華させるものでなければならない。このワーグナーの理念が「タンホイザー」の巡礼の合唱を唄う時、これは言葉でなく、音楽として如実に体験できることではあるまいか。
 「巡礼の合唱」には、人間の精神のたゆまざる苦行の果ての喜びが、崇高に歌われている。この巡礼たちは、今、苦行を終えて、ローマからの長い旅路を一歩一歩ふみしめながら、贖罪を念じつつ帰ってきたのである。この故郷Heimatは、彼等のみならず、我々人間全ての心の帰るべきHeimatであり、この合唱のテーマが、冒頭の序曲から既に、ハッキリ打ち出されているのである。
 精神と肉体との闘いは、人間にとって永遠に解決し難い問題なのかもしれない。しかし、この「タンホイザー」の序曲における「巡礼の合唱」のテーマと、官能の世界「ヴェヌスベルク」のテーマとの対立の呈示、そしてこの「歓楽の動機」や「ヴェヌスの賛歌」はいつしか巡礼の合唱によって消されてしまう。ユリウス・カップは次のように書いている。「巡礼者の合唱が贖罪によって得る救済を予告する。合唱が終わるとヴェーヌスベルクが展開する。タンホイザーが愛の歌をうたう。彼をめぐって魅惑の輪舞がつづけられ、しだいにはなやかになる。ヴェーヌスが現れ、彼をとりこにする。バッカス的狂宴が始まり、タンホイザーは女の女神の腕に沈む。嵐が起こり、妖気が流れていく。これが遠くでは嘆きの歌のように聞こえる。遠くから巡礼の合唱がきこえはじめ、初めの空気のおののきもしだいに喜びをおびてくる。巡礼の合唱はたかまり、力強くなる。」(渡辺 護 訳)
 そしてこの巡礼の合唱がでてくるのは第三幕の初め。秋も深まった頃、ヴァルトブルグ山麓のマリアの像の前でエリザベートは跪いて祈っている。そこへヴォルフラムが現れて、エリザベートをみつけ、彼女の真心に深くうたれ「ここで彼女が祈りをささげているだろうと思った」としずかにモノローグ風な歌を歌いはじめる。そしてやがてかすかに巡礼の合唱が遠くからひびいてくる。しかしその巡礼の合唱には、エリザベートの待つタンホイザーはいないのである。タンホイザーの中核をなす、この「巡礼の合唱」は異名同音的転調の連続で高度の歌唱技術を要求している。
[第38回東西四大学合唱演奏会プログラムより転載]


−タンホイザー物語−

 ドイツの中世では、騎士たちも吟遊詩人としてうたう習慣があったが、そうした騎士の1人であるタンホイザーは、ヴァルトブルクの領主の姪であるエリザベートと清い愛で結ばれていた。しかし、ふとしたことから官能の愛を望むようになり、愛欲の女神ヴェーヌスの支配するヴェーヌスベルクに赴き、そこで肉欲の世界に溺れていた。

第1幕

 ヴェーヌスベルクで快楽の日々を送っていたタンホイザーは、ある時夢の中に故郷を見、強い懐郷の念を抱く。こうした思いに堪えかねたタンホイザーは、ヴェーヌスから離れようと決心し、引き止めるヴェーヌスに対して「わが救済は聖母マリアにこそ!」と叫ぶ。するとヴェーヌスベルクは崩壊し消滅する。場面は、ヴァルトブルクの城を見渡す春の陽ざしに輝く静かな谷に変わる。タンホイザーはいつの間にかこの谷にいることに気付く。羊飼いが牧笛を吹いては春の女神ボルダを讃える歌をうたい、また巡礼の行列が近づいては遠ざかってゆくさまを見つめていたタンホイザーは、感動のあまり地に頭を垂れ涙を流す。そこへ、ヴァルトブルクの領主が多くの騎士たちを連れてやって来る。そのなかにはタンホイザーの親友ヴォルフラムもいた。騎士たちはタンホイザーの帰郷を喜び仲間に入ってくれと懇願するが、官能の世界に溺れた罪の重さを思ったタンホイザーはそれを受け入れることが出来ない。しかしヴォルフラムがタンホイザーを待つ貞淑なエリザベートのことを語ると、タンホイザーはやっと心の安らぎを覚え、「彼女のもとへ!」と叫んで一行に加わり、ヴァルトブルクに帰る。

第2幕

 ヴァルトブルク城内にある歌の殿堂の広間でエリザベートはタンホイザーが久し振りに歌合戦に参加する喜びを歌う。そこへヴォルフラムがタンホイザーを連れて現れる。エリザベートとタンホイザーは再会を心から祝福し合う。一方、ひそかにエリザベートに思いを寄せていたヴォルフラムは、親友のために苦しい諦めに至らねばならない。2人の騎士が去ったあと、領主が現れ、やがて歌合戦を見に来た騎士や貴婦人たちが次々と入場してくる。ここで歌われるのが第1曲の華麗な「大行進曲」である。一同が勢ぞろいすると、領主ヘルマンは騎士たちに対し、「愛の本質について」という課題を与える。最初にヴォルフラムは「愛とは清らかなる泉であり、恥知らぬ情欲をもって汚してはならない。」と歌って人々を感動させる。しかしタンホイザーは「その歓楽の泉を飲み干すのだ。」と歓楽を讃える。これに対し、次に歌人ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデが「その泉とは徳であり、それが人間を豊かにするのだ。」と反対のうたを歌うと、タンホイザーはむきになり、「肉欲こそ愛だ。」と歌い出し、ついには快楽の女神ヴェーヌスを讃えてしまう。騎士たちは激昂 し、剣を抜いてタンホイザーに迫る。するとエリザベートは身を投げ出し、彼の命乞いをする。罪のあがないをさせて、敬虔な人間に生まれかわらせるべきだと主張する。われに返ったタンホイザーは、全てが失われたことを知って、悔恨にくれる。領主は、このような大罰の許しを乞うにはローマに行くよりほかはないと言い、教皇の許しが得られねば、再びヴァルトブルクに帰ってきてはならぬと宣告する。タンホイザーはローマへの巡礼の一行に加わるべく去ってゆく。

第3幕

 再び、ヴァルトブルクの城が見える谷。エリザベートは今日も聖母マリアの像の前に跪き、愛するタンホイザーが許しを得て戻ってくるように祈り続ける。そこへヴォルフラムが現れ、エリザベートに同情して歌い始める。遠くからローマから帰ってきた巡礼者たちの合唱が聞こえてくる。これが第2曲「巡礼の合唱」である。エリザベートは巡礼の行列の中にタンホイザーの姿を求め、1人1人の顔を覗き込むが彼はいない。絶望したエリザベートは、自らの死をもってタンホイザーを救うことを決意し、再び聖母マリアの像に向かい、熱烈な祈りの歌を歌う。(第3曲「エリザベートの祈り」)日夜の祈りでやつれ果てたエリザベートを見かねて、ヴォルフラムは彼女を送って行こうとするが、彼女は静かにそれを拒絶し、1人で去ってゆく。
 夕闇が迫り、1人残されたヴォルフラムはエリザベートの死を予感し、彼女を憂いながら、「夕星よ、エリザベートの道を照らせ」と第4曲「夕星の歌」を歌う。そこへタンホイザーが疲れ切った様子で現れ、ヴェーヌスベルクへの道をヴォルフラムに尋ねようとする。驚くヴォルフラムに対し、タンホイザーは苦しいローマへの巡礼の旅について語り始める。苦難の末にローマに辿り着き教皇に許しを請うたタンホイザーであったが、教皇は「ヴェーヌスベルクでの邪悪な快楽は永劫の罪であり、手にする枯れた杖に緑の芽がふかぬ限り、お前を許すことはできない。」と言い、彼を許さなかったのである。もはやタンホイザーには快楽を求めるしかなくなってしまった。ヴェーヌスがあらわれ、タンホイザーを迎え入れようとするが、それをヴォルフラムは必死に止めようとする。そこへ、エリザベートの葬列がやってくる。ヴォルフラムがエリザベートの名を呼ぶと、タンホイザーは狂気より目覚め、ヴェーヌスの姿は忽然と消える。エリザベートの魂を讃える男声合唱が天から聞こえてくる。ここから第5曲「フィナーレ」が始まる。タンホイザーはエリザベートの傍らで息絶える。そ こへ、若き巡礼たちが教皇の元から緑の芽をふいた杖を持ってやってくる。タンホイザーはエリザベートの死によって救済されたのである。居合わせた人々がハレルヤを声高らかに歌い、恩寵を讃えて幕が降りる。


−第121回定期演奏会プログラムより−



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