原作:Victor Leon ・ Leo Stein
作曲:Franz Lehar
編曲:北村協一
指揮:畑中良輔
ピアノ:谷池重紬子
独唱:小泉恵子
ヴァイオリン:本庄篤子
マンドリン:ジュネス・ミュジカル・マンドリン・オーケストラ有志
1.Lied der Hanna und Ensemble
(ハンナの歌とアンサンブル)
2.Auftrittslied
(登場の歌 〜もう仕事はたくさんだ!)
3.Marsch
(行進曲 〜女とは、げに)
4.Romanze
(ロマンス)
5.Tanz und vilja-lied
(踊りとヴィリアの歌)
6.Finale und Duett Valse
(フィナーレとワルツ)
※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。
フランツ・レハール (1870-1948)
1870年4月30日、ハンガリーとチェコの国境に近いコマコンで生まれた。しかし彼の家系は純粋のドイツ人である。
彼はホルン奏者だった父から音楽の才を受け継ぎ、母からは不屈の意志を受け継いだといわれる。そして彼の音楽における情熱はハンガリーの土壌から得たものであるし、柔軟な音楽的感覚は彼の第2の故郷となったウィーンの与えたものであろう。だから、レハールは全く当時のオーストリア・ハンガリー帝国の複雑な姿を象徴したようなものであった。
チェコの首都プラハの音楽院に学び、フェルスターから理論を、ベネヴィッツからヴァイオリンを学び、1888年に音楽院を卒業した。その間にチェコの作曲家フィービッヒに見いだされて、作曲の指導を受け、ピアノ・ソナタなどを書いている。
1902年に、アン・デア・ウィーン劇場に入り、彼は自作のオペレッタ「ウィーンの女たち」をここで上演して相当の成功を収めた。ハンガリーの情熱とウィーンの繊細さと楽しさを併せ持ったレハールのオペレッタは、実に新鮮でオペレッタ好きのウィーンっ子を魅了した。
その後、彼は次々とオペレッタを書き、オーストリアのバド・イシュルに山荘を構え創作にいそしんだ。第二次大戦末期にレハールは妻とともにスイスのチューリヒに転居しようとしたが、ウィーン市がレハールから徴収する税金が莫大な金額であったため、断念させようと努力したといわれる。1947年彼の妻が死んでから、翌年バド・イシュルに帰り、1948年10月24日に世を去った。
ヴィクトル・レオン (1870-1940)
本姓をヒルシフェルトというユダヤ人で、多数のオペレッタの台本を書いた。ヨハン・シュトラウスの音楽を集めて作られた「ウィーンかたぎ」の台本で最初の成功を収め、ここでレオ・シュタインと共同執筆している。
レハールは処女作の「ウィーンの女たち」ののち、レオンに台本を書いてもらおうとして拒否されたが、レオンの娘リッツィとスケート場で知り合い、彼女が父親レオンを口説いて、レハールのために「鋳賭屋」の台本を書いた、というエピソードがある。
レオ・シュタイン (1861-1921)
彼も本姓はローゼンシュタインというユダヤ人で、レオンとともに「ウィーンかたぎ」を書いたほか、カール・リンダウとともにシュトラウスの「千一夜」や、ラインハルトの「かわいい娘」、ネドバルの「ポーランドの血」、カールマンの「チャルダーシュ姫」などの台本を書いている。
このオペレッタの題材はヘンリ・メイヤック(1803-1870)の書いた戯曲「大使館付随員」から得ている。メイヤックはオッフェンバックのために多数の台本を書いており、ビゼーの「カルメン」、シュトラウスの「こうもり」などにも台本を提供している。
この「大使館付随員」に目をつけたウィーンの台本作家レオンとシュタインはさっそくこれをオペレッタ台本に翻訳した。当時における金権の威力、その前には恋愛も夫婦の貞操も喜劇になってしまう金の力をテーマとしていることが、時勢に適っていたからである。
この台本は当初リヒャルト・ホイベルガーに委嘱された。できあがった最初の数曲をレオンが聞いたとき、ひどく失望し、劇場の支配人たちはホイベルガーとの契約を破棄し、当時35歳だったレハールに作曲させることにした。
1905年12月30日の初演は大成功だった。しかしその後の上演はあまりふるわなかったが、ベルリンでの上演をきっかけに、ロンドンやパリで世界的な成功を収めた。
レハールは作品についてこう語っている。「この作品によって私は自分のスタイルを見つけた。私がオペラ的な、悲劇的な、感傷的なオペレッタを書くという非難に私はまったく迷っていない。茶番的で滑稽なオペレッタが今日の徴集の趣味に合うと私には思えない。あらゆる美や崇高を笑いものにしたり、茶化すことがオペレッタの目的ではない。私にとってそれは、オペレッタを上品にすることにある。」
元来ウィーンにはジングシュピールといわれる民俗的音楽喜劇の形式があった。ウィーンのオペレッタはパリのオッフェンバックのオペレッタを移入したものであるものの、このジングシュピールの民俗的雰囲気を多分に継承している。
シュトラウスの「こうもり」はこれを高い領域までに持ち上げた。そして20世紀に入って、レハールはウィーン情緒を失うことなしに、「国際的な」オペレッタを書いたのである。しかも彼はオペレッタに悲劇的な要素を取り入れており、しばしば彼の作品は「短調のオペレッタ」と呼ばれる。この特徴はこの作品ではあまり顕著ではないが、シュトラウスとは異なった官能的な旋律や半音階を豊かに駆使した和声などによって、世紀末的な美しさをよく発揮している。
このオペレッタでは「ポンテヴェドロ」という仮想の国が出てくる。これはモンテヴィデオをもじったと考えられるが、バルカンのスラヴ系小国である。ツェータ、ダニロヴィッチなどという登場人物の名前はユーゴスラヴィア系であり、セリフの中にもスラヴ語が使われている。音楽でも、たとえば第5曲目の最初に登場するハンナの家で踊るコロなどもまったくスラヴ系で、対話がウィーンの方言をスラヴ系のなまりでしゃべるところが喜劇的な効果を上げている。「こうもり」に出てくるオルロフスキー以来スラヴ的色彩は、ハンガリー的色彩とともにウィーン・オペレッタの大きな魅力になっている。
第1幕
陽気な序奏で幕があがると、『金と銀』の流麗典雅なワルツが起こり、華麗な舞踏会が繰り広げられる。
20世紀初め、パリにあるポンテヴェドロ公国大使館の美しい庭園。今夜は、ポンテヴェドロ君主の生誕祝賀の夜会。各国外交団、パリの社交界の人々が大勢招かれていて、庭園は、花の絨毯を敷きつめたよう。紳士淑女の集まったこの会での話題の中心は、億万長者だったグラヴァリ氏の未亡人ハンナであった。彼女はもと借金で首が回らなくなったポンテヴェドロの地主の娘だが、巨万の富を持つ老銀行家グラヴァリ氏と結婚した。しかし結婚8日にして夫は死に、彼女はその遺産を受け継いだのである。彼女に対しては、所有する遺産2000万フランの国外流出を国家の面目にかけて阻止すべし、特に、色事に関しては世界一のパリジャンは油断ならない、と在仏公使は国家指令を受けているのだった。
そんな折り、男達の「グラヴァリ夫人」という興奮の声とともに陽気な未亡人ハンナが登場し歌い、伊達男ブリオッシらも感嘆し歌い出す(第1曲)。
ハンナが、明晩、パリ在留のポンテヴェドロの人々を招きたい、という申し出に一同大喜びし去るが、フランスの青年ロッションはハンナに佳いより、美しい「2重唱」を歌い上げ、連れだって立ち去る。そこへ大使と書記官が登場、ダニロ・ダニロヴィッチ伯爵はどこにいると問答が繰り広げられ、2人が立ち去った後、黒づくめ、長い白のスカーフをなびかせて酔ったダニロが登場して歌う(第2曲)。
舞台上、すっかり酔って寝入ってしまったダニロのまわりに様々な人々が現れ、また立ち去っていく。ハンナが登場し旧知の仲でありかつて愛し合っていたダニロと再会する。皆が私のお金目当てで言い寄ってくる、というハンナに対してダニロは、絶対に君を好きだと言わない、といい、2人の意地の張り合いが始まる。
大使から、2000万防衛のため、グラヴァリ未亡人と結婚するよう要請されるダニロは、『多くの恋を、されど結婚せず』と自分のモットーを語る。
舞台は、真夜中の12時になると淑女の方から一度だけ、好きな踊り相手を選ぶことができる『ダーメンヴァール』を迎える。紳士達は皆、相手は自分、とハンナに言い寄るが、ハンナの選んだ相手はダニロ、お互いに意地を張り合いながらも、ダニロの誘いがワルツとなってハンナの心に忍び寄り心を蕩かす。いつしか『メリーウィドウワルツ』が全体を包む。今回の演奏のフィナーレには第1幕のフィナーレの合唱が導入部分として使われる(第6曲導入部)。
第2幕
バルカンの民族色濃いポロネーズで幕があがる。前幕の翌晩、ポンテヴェドロ公国大使館の庭園。今夜は陽気な未亡人ハンナ・グラヴァリの主催する夜会。
民族衣装を身に飾ったハンナと、同じく民族衣装をまとったバレエ団が民族舞踏コロを激しく踊り、ヴォカリーズの合唱が郷愁に満ちた曲調を歌い、ついで「ミヴェリモ・ダーゼ」の合唱に高まる。これに続き、ハンナが「ヴィリアの歌」を歌う(第5曲)。
夜会で繰り広げられる華やかな人々の踊り、歌、誘惑、おしゃべり、舞台上では、ダニロ、ツェータ、カスタータ、ブリオッシ、クロモウ、ボクダノヴィッチ、プリチッチュの7人の紳士たちによる、「女を射止めるには?」という痛快無比な「マーチ(7重唱行進曲)」がはじまる(第3曲)。
ハンナとダニロのやりとり、このオペレッタの主題歌「閉ざした唇に愛が」のメロディーが2人を解きほぐすかに見えるがハンナはいたたまれず走り去る。
ロッションとヴァランシェンヌが登場し、甘美な愛の歌「ロマンス」をロッションが歌う(第4曲)。
ヴァランシェンヌは実は大使ツェータの妻、不倫漂う中、舞台は騒然、波乱を含んだフィナーレを迎える。
ハンナは、ロッションと婚約したと発表し、いたたまれないダニロは「王子と王女の物語」を歌う。実はこれは、「ヴィリアの歌」を逆の立場で歌ったものでハンナを愛する気持ちを暗示させている。それを悟ったハンナはダニロの怒りの中に自分への深い愛を知り喜び歌い出し、それが合唱となって第2幕が閉じる。
第3幕
「ヴィリアの歌」の間奏曲が流れて幕があがる。
ハンナがダニロのために施した「マキシム風」の舞台でカンカン踊りなどが繰り広げられる。ハンナは、ロッションとの婚約をダニロからの祖国の話によって破るが心はすでにダニロにあり、2人は意地の張り合いをやめ、第6曲中間部から歌われるこのオペレッタの主題ともいえるワルツに乗って2重唱を歌い上げる。
2人は抱き合い、口づけを交わす。全ては、幸福な流れにゆだねられ、明るく楽しいフィナーレの合唱、カンカン踊り、そして「メリーウィドウワルツ」で全幕がおりる。
−第122回定期演奏会プログラムより−