男声合唱組曲「雪明りの路」

作詩:伊藤整

作曲:多田武彦


指揮:北村協一



1.春を待つ

2.梅ちゃん

3.月夜を歩く

4.白い障子

5.夜まはり

6.雪夜




−『雪明りの路』と伊藤整−

 大正15年12月、整が21歳のときに出版された詩集『雪明りの路』は、その序で整が「此の詩集の大部分を色付けてゐるのは北海道の自然である」と強調しているように、塩谷や小樽近郊の自然や風土を詠った詩である。だが、同時に、恋愛に対して、鋭敏すぎるほどに鋭敏であった若き日の整の女性観や、彼自身の恋愛体験に基づいて書かれた「恋愛詩」ということも可能である。後に書かれた自伝的小説『若い詩人の肖像』の中で整は述べている。「あらわに恋愛感情を描いた何編もの詩がその中にあった。夜、宿直室のストーヴのそばに据えたテーブルでそれを校正しながら、私は中学校教師の出す本にしてはまずいな、と思った。しかし、それ等幾編かの恋愛詩を抹殺するのは、その一冊の詩集の命を消し去るようなことであった。そして250頁ほどの再校のゲラ刷がかなりの厚さとなってそのテーブルの上に置かれた時、私はこの詩集の著者となる責任を負わねばならないと覚悟した。それは、やがて学校を辞めるつもりで同僚や生徒達の目に自分の恋愛を曝すことであった。」『雪明りの路』が自己の恋愛感情を綴った紙片を抜きにしては成り立たず、そしてそれを出版するには己の職さえ危ぶんで いたことを窺わせるものである。事実、友人の強い出版の勧めがなければ、とうていこの詩集を出す事など整は考えもしなかったという。
 さて、整の体験した恋愛とはどのようなものであったのだろうか。この詩集を出版する2年前、整は重田根見子という一人の女性と恋愛関係に入った。その一方で、整は決して自分には振り向いてくれない別の女性を密かに愛していた。友人と一緒に彼女の住む村がある忍路湾に小舟を用いてこっそり乗り入れたりする傍ら、重田根見子との仲は深まっていく。海岸での散歩、接吻、そしてある時は草原で、またある時は岬の見える林の空地で、彼等は熱っぽいまなざしをもって抱擁を繰り返した。しかし、整にとって初めてであったこうした体験を結婚や家庭といった現実的な問題と結び付けて考えるには、彼はあまりにも詩人的で繊細な感性を持っていたといえる。「私は根見子を全人格的な恋愛で愛していたのではなく、感覚的に愛していたのだった。その愛の内容は、自分の存在が根見子に魅力的に見えることを信じ、根見子のその容貌や姿の魅力的なところを愛している、ということであった。結婚や家庭という考えをそれに結び付けると壊れるような形で私は彼女を愛していたのだった。」(『若い詩人の肖像』より)
 彼は、時が経つにつれて北国の自然の変化を、恋を失うような感傷をもって意識するようになった。二人が初めて触れあったの戦くような新鮮さが失われ、倦怠感と自分に対する厭わしさが整の心を覆いはじめたのである。そして、冬になるにつれ互いに忍び逢う場所がなくなったという現実的な状況もあいまって、二人の恋愛は一年と経たずに破局に至る。だが別れの安堵感はすぐに未練へと変わり、昔の思いに耽りながら海岸線をさまよったり、根見子の住む町を夜陰に乗じて徘徊したりした。整はこの恋愛で、憧れ、性の目覚め、耽溺、未練、そして倒錯と、恋愛によって起こりうる諸々の内面的現象を体験したことになった。
 北海道の自然。そして整自身の恋愛体験。『雪明りの路』は、この二つが平明でやさしい言葉によって綾をなす極めて繊細な叙情詩である。四季の移り変わりの中で恋愛をはじめとする自己の心の揺らぎを祈り込んであり、若い我々の共感を呼び起こさずにはおかない。


−曲目解説−

1.春を待つ

 冬の日の、つかの間の晴れ間を思わせるあたたかなサウンドが、終始曲を彩る。「ま白い雪の山越えて」来る春に寄り添うようにして咲く整の「夢」とは、一体何なのだろうか。

2.梅ちゃん

 幼友達であった梅ちゃんの家が焼け、酌婦として身を売られた彼女の痛ましい運命を、吹き上げる炎が象徴する。若い整にとってはあまりにも鮮烈な出来事であったに違いない。

3.月夜を歩く−ティチアノー筆「白衣の女」の裏に−

 「白衣の女」は、盛期ルネサンスのイタリアの画家Tizianoによる「ラ・フローラ」の原題で知られている名画である。整はその絵に似た女性に方恋をしており、夜陰にまぎれて彼女の住む忍路村に接近した。切り通しの上からその村を見下ろし、月の光を浴びて微笑む整の倒錯した心境が窺える。

4.白い障子

 前曲とは一転して、外は冷たい秋の雨の中、暖かい家庭の団欒の様子を描写している。この組曲においては間奏曲的な役割を果たす。

5.夜まはり

 夜まはりをしながら、春の様々な性夢を覗き見ている爺さんに、整は正に自分自身の姿を見い出している。生々しい夢を覗き込んで赤くただれてしまった目の奥には、狂気じみ、犯罪じみた錯乱の気配すら漂わせる。

6.雪夜

 荒れ狂う吹雪、そしてそれが去ったあとの静かな青い雪明かり。こうした自然の動きは、整の、精神的な混乱から安らぎへの移り変わりと綾をなすように織り込められている。ここにおいて、厳しい自然と整の繊細な心は一つの主体となり、我々を感動させて止まない。


−第122回定期演奏会プログラムより−



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