オペラ「ポーギーとベス」より

作曲:George Gershwin

編曲:福永陽一郎


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子

独唱:大島洋子



・Summertime
 (サマータイム)

・A Woman Is A Sometime Thing
 (女はあてにならないぜ)

・My Man's Gone Now
 (うちの人は死んだ)

・Oh, I Got Plenty O' Nuttin'
 (ああ、俺にはないものばかり)

・Bess, You Is My Woman Now
 (ベス、お前は俺の女だ)

・There's A Boat Dat's Leavin' Soon For New York
 (もうすぐニューヨーク行きの船が出る)

・Oh, Bess, Oh, Where's My Bess
 (俺のベスはどこだ)

・Oh, Lawd, I'm On My Way
 (ああ、神様、俺は行く)




−作曲者ジョージ・ガーシュインについて−

 偉大なる指揮者トスカニーニはかつて「ガーシュインこそ唯一、真のアメリカ音楽だ」と言った。ガーシュインは、ミュージカル、映画、ラジオなどのポピュラー音楽だけではなく、コンサートホールやオペラハウスを通じた音楽でも人々の心を掴んだ音楽家であり、わずか38年の短い生涯にアメリカのほかの作曲家の誰よりも輝かしい業績を残した。
 ガーシュインは1898年9月26日、ニューヨークのブルックリンで4人兄弟の次男として生まれた。後に作詞家としてよき協力者となる兄・アイラと共に堅実な家庭で育ったが、幼い頃には全く音楽に興味を示さなかった。しかし、友達が奏でる音楽の美しさに次第に魅せられ、知人にピアノを教わるようになり、音楽的才能を高めていった。
 彼は最初、ニューヨークのある楽譜出版社に、宣伝員を兼ねたピアニストとして就職したが、曲をただ弾くことだけでは飽きたらず、本格的に曲を作る方へ転向しようと決心し、自分自身の曲を書き始めた。そして、21歳にならないうちに彼の歌曲は『ラ・ラ・ルシル』その他のミュージカル・コメディに使われるまでにいたった。間もなく彼の名を一躍有名にしたヒット・ソング『スワニー』を発表し、1920年代には彼はブロードウェイのミュージカルにはなくてはならない売れっ子作曲家となった。
 また、ジャズエイジと呼ばれる1920年代には、彼はポピュラーソングの垣根を越え、アメリカ独自の音楽であるジャズの世界にも目を向けるようになる。若い頃にハーレムのナイトクラブで聴いたジャズの音楽が体の中に残っていた彼は、とくにブルースを聴き、いわゆるブルーノートというジャズ特有の旋律を研究した。1924年2月にはジャズ・ピアノを独奏楽器とする一種のコンチェルト『ラプソデイ・イン・ブルー』が初演され、好評を博した。その後、シリアス・ミュージックの分野でも、1928年に『パリのアメリカ人』を発表、続いて『ピアノのための5つのプレリュード』『キューバ序曲』などを作曲した。
 そして、1935年に、彼の音楽人生の集大成とも言えるオペラ『ポーギーとベス』が初演されることになる。このオペラはアメリカの作家デュボーズ・ヘイワードが1925年に書いたベストセラー小説『ポーギー』を下敷きにしたもので、構想から約10年を経て初演にいたった。彼は構想にあたり、実際に小説の舞台であるチャールストンに赴き南部の黒人音楽、ブルース、ジャズをはじめ黒人芸能や黒人のガラ英語までを研究したといわれている。初演から半世紀を経た現在において、『ポーギーとベス』は世界のあらゆる国で上演されており、またオペラに含まれている15曲の歌曲はアメリカ音楽のスタンダード・ナンバーとして人々に受け入れられている。このオペラが真のアメリカ・オペラとしての地位を占めていることは疑いないであろう。
 ガーシュインは、このオペラの完成後わずか2年足らずのうちに、脳腫瘍のために、ハリウッドで38歳という短い生涯を終えた。


−物語の筋と聞きどころ−

第1幕

 舞台はサウス・カロライナ州チャールストンの河岸、かつては上流階級のマンションだったが、現在では黒人たちの集団住宅となっているキャットフィッシュ・ロウ(鯰長屋)。ピアノのブルース(Jasbo Brown Blues)にのって鯰長屋の夜の生活から始まる。クララは赤ん坊に子守歌を歌い(Summertime)、ポーギーを含めた男達はクラップ・ゲームに興じている。(A Woman Is A Sometime Thing) そこへ粗野で大酒のみのクラウンが情婦ベスを連れて現れ、ゲームに加わる。ポーギーはかねてからベスに密かな思いを寄せていた。洒に酔って乱暴になったクラウンは諍いの弾みでロビンズを刺殺してしまう。クラウンはその場から逃げ、一人残されたベスはポーギーの部屋に身を寄せることになる。夫を失ったセリーナは悲痛な歌を歌い(My Man's Gone Now)、人々と共に冥福を祈る。

第2幕

 1ヶ月後、2人は親密な関係となり、ポーギーは満足げに自分の境遇を歌にする。(Oh, I Got Plenty O' Nuttin') そして、2人は愛を誓い合い、美しい愛の二重唱を歌う。(Bess, You Is My Woman Now) その後、ベスは鯰長屋の人々と連れ立って島へピクニックに赴くが、ひとり帰途の船に乗り遅れてしまう。そこへ身を隠していたクラウンが現れ、ベスの前に立ちはだかる。ベスはクラウンの手から逃れようとするが、彼の力には抵抗できず、無理矢理に連れ去られてしまう。その1週間後、ベスはマリアの手により島から連れ戻されるが、熱にうなされている。ベスはポーギーにクラウンと再び一緒に暮らす約束をしてしまったことを告白するが、同時にポーギーを愛していること、クラウンから自分を守ってほしいとの本心を打ち明ける。間もなく外は激しい嵐となるが、クラウンは約束通りベスのもとにやってくる。ベスはクラウンを拒むが、クラウンは悪態をつき、去ろうとしない。そのうち嵐は一段とひどくなり、漁に出かけた夫・ジェイクの安否を気遣うクララは狂気のうちに外へ出て行く。クララの身を案じたベスに応え、クラウンは足が不自由なポーギーを嘲りながら、外へ助けに向かう。

第3幕

 クララとジェイクは帰らぬ人となったが、クラウンは鯰長屋に帰ってくる。そこへナイフを持ったポーギーが現れ、大格闘のすえクラウンを殺してしまう。ポーギーは警察に引っ張られ、ベスは悲嘆に暮れる。そこに麻薬売りの遊び人スポーティング・ライフが現れ、麻薬をえさにベスをニューヨークに誘う。(There's A Boat Dat's Leavin' Soon For New York) ベスは最初のうちは拒んでいたが、ついには連れ去られてしまう。1過間後ポーギーは警察から帰ってベスを探し求めるが、(Oh, Bess, Oh, Where's My Bess) ベスがニューヨークに行ってしまったことを知り、山羊の引く車椅子に乗ってニューヨークに向かう。(Oh, Lawd, I'm On My Way)


−第124回定期演奏会プログラムより−



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