男声合唱組曲「クレーの絵本 第2集」

作詩:谷川俊太郎

作曲:三善晃


指揮:上村哲朗(学生指揮者)



《黒い王様》 1927

《ケトルドラム奏者》 1940

《黄金の魚》 1923

《まじめな顔つき》 1939

《死と炎》 1940




−パウル・クレーから谷川俊太郎、三善晃、そしてワグネル−

 戦中、スイス人画家によって書かれた絵は、若き日の谷川俊太郎のこころから「詩」をひきだした。それは後に『ポール・クレーの絵による「絵本」のために』(1975)として、発表される。1979年、三善晃が関西大学グリークラブの委嘱により作曲、同年12月、田中信昭の指揮で初演された。
 パウル・クレーの作品は、画風の上では、構成主義や点描主義、キュビズム、抽象主義などにわたる様式上の多様な変遷を示すが、彼の言葉を借りると「混沌とした世界から、おのずと生じてきた形象」が題材となっている。それは、目に見えるものの再現よりも、人間存在のより深遠な次元の視覚化を目指すというものである。その絵からは、視る人それぞれによってそれぞれのことばが当然産まれるわけである。よって、一鑑賞者の谷川俊太郎の詩によるこの合唱組曲は、クレーの世界がそのまま歌になったというわけではない。しかし、谷川俊太郎の感性に重なる部分が、新たに谷川俊太郎の世界から詩を引きだしたことに違いはない。そして、その“ことば”の種が、三善晃の音楽の世界という土の上で花開くことができたわけである。人間のより深い部分、このテーマの内容は、それぞれ形は異なっていくものの、一貫した部分がそこにはあるはずである。−−
−−絵、詩、音楽、3つの表現による一つの世界。そして、今宵ワグネルは学生指揮者の上村哲朗のもと、この世界を共有し、音楽による表現で皆様にお届けしたいと思います。
 また、絵につきましては、スペース、著作権などの関係で載せることができませんでしたが、興味のある方は下の本を是非、ご覧ください。
『クレーの絵本』パウル・クレー絵 谷川俊太郎詩 講談社1995年


−画家パウル・クレーについて−

 クレーは1879年12月18日、スイスのベルン近郊、ミュンヒェンブッフゼーに生まれた。父はドイツ国籍で、ベルンの師範学校の音楽教師、母は声楽家であり、両親から音楽の強い関心を受け継いだ。優れたヴァイオリニストでもある彼は、都市的性格を備えながらも、農村的活力を持った自然にも恵まれたこの土地で、中世的雰囲気の中成長していった。そして、そこで培われた音楽性は、その後の教養や想像力の中で生涯消えることのない重要な要素となった。画家への道に進むことを決断した彼は高校卒業後、ミュンヒェンに赴き、1900年から美術アカデミーに通い、当時名声があったシュトゥックに学んだ。同窓にカンディンスキーがいた。その後ドイツで、絵画グループ「青騎士」に参加、1914年のチュニジア旅行以後、作品に色彩が徐々に導入されはじめた。バウハウスの教授として1921年に赴任して以降、独自の画風が確立され、新しい絵画運動の一翼を担う。
 1931年、創作と教育との両立に困難を感じていた彼は、より負担の少ないデュッセルドルフ美術学校の教授となるが、1933年ナチスの迫害により同校を追われ、ベルンに逃れた。数年後、家宅捜索で押収された作品のうち十数点が「頽廃芸術」展に展示された。
 晩年は、皮膚硬化症という奇病に苦しみながらも、めざましい活動を展開する。『ケトルドラム奏者』『死と炎』も死をめぐる省察が色濃く反映されたこの時期の作品である。同年6月29日、彼はロカルノ市郊外ムラルトの病院で死去した。


−曲目解説−

《黒い王様》 (原題:Schwarzer Fu:rst) 1927

 2/2拍子。上の原題とは、絵の名前を表す。以下も同様である。“おうさま”も“こども”もお互いに関係のない個人であるが、同じ地球の上で、明日への望みを持って「生きている」。

《ケトルドラム奏者》 (原題:Der Paukenspieler) 1940

 5/4拍子。絵では、記号化されたティンパニー奏者が抱を振り上げ、一つ目をこちらに向けている。頭には血を連想させる赤が爆発したように塗りたくられている。地球上でのあらゆる生命の営み。そのすべてを“しずけさ”は抱き留める。

《黄金の魚》 (原題:Der Goldfisch) 1923

 4/4拍子。深い海を泳ぐ黄金の魚。その輝きは周りの魚を照らし出す。“どんなよろこびのふかいうみにも ひとつぶのなみだが とけていないということはない”奥深いことばである。

《まじめな顔つき》 (原題:Ernste Miene) 1939

 12/8拍子。黒をバックに、もはや顔とは思えないようなものが、不安定さ、ある種の不気味さを感じさせる。“まじめなひと”は普段何を考えているのだろうか?

《死と炎》 (原題:Tod und Feuer) 1940

 2/2拍子。生きるものには必ず訪れる死。ジュート布の上に暗い色彩で書かれた絵の中央には白い頭骨が浮かぶ。その先にあるのは永遠の寂しさなのであろうか。“せめてすきなうただけは きこえていてはくれぬだろうか わたしのほねのみみに”


−第124回定期演奏会プログラムより−



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