男声合唱版「11ぴきのネコ」

作詞:井上ひさし

作曲:青島広志


構成・指揮:北村協一

ピアノ:谷池重紬子

照明:中川健二



「にゃあごろソング」

「ノラネコ暮しの是非についての問答歌」

「ネコの大漁唄い込み」

「お腹が空いたのブルースA・B」

「のんだくったマーチ」

「こんど生まれてくるときはのレクイエム」

「地上最低空前絶後の悪口唄」

「なのだソング」

「11ぴきのネコが旅に出た」

「雲においつけ」

「魚見えたか節」

「ネコの英雄にゃん太郎への讃歌」

「動物づくしによる体をきたえようソング」

「魚の子守唄」

「ノラネコ天国ソング」




−「11ぴきのネコ」をめぐって−

 井上ひさしは上智大学在学中に浅草フランス座文芸部兼進行係を経て放送作家になる。1964年NHK「ひょっこりひょうたん島」で世に出、てんぷくトリオの脚本など数多くの番組を手がけてきた彼は劇団テアトル・エコーの目にとまることになる。おりしも'70年安保の時代に、旧来の社会主義リアリズム方法論から脱却し、新たな方法論で演劇に取り組もうという動きの中、1969年上演「日本人のへそ」をはじめ「道元の冒険」(岸田戯曲賞受賞)などの脚本を書き、音楽・宇野誠一郎と組み、テアトル・エコーに作品を発表することになる。これらの作品には、コントを利用して演劇的なものを追求する方法がみられる。言葉遊びで楽しませる娯楽性や多コマのコント形式でつないでゆくスピード感があり、社会風刺性を持ちながらも、一つの物語としての大きなエネルギーを持つ。特に、ことばにおいて彼はかなり研究しており、巧みな技法によりことばの持つリズムや声、音を組み合わせ音楽性に富んだ戯曲ができる。
 子どもとその付添いのためのミュージカル「11ぴきのネコ」は、もともと馬場のぽるの同名の絵本(1967年、こぐま社初刊)をもとに戯曲化されたものであり、1971年にテアトル・エコー第38回公演で初演され、同劇団により1973年に再演、またその翌年にかけて全国公演されている。音楽は宇野誠一郎によるもので、どれもリズムと軽さにあふれ、生き生きとした曲であり、この芝居の出来の半分を歌が占めるといっても過言ではない。物語は、お腹を空かせた11匹の野良猫たちが大きな魚を求め旅にでるというもの。児童劇仕立てではあるが、ネコという名前の付いた人間の話でもあり、この現代の殺伐とした人間社会に大きな希望と反省を促す、深い内容となっている。
 ミュージカル「11ぴきのネコ」初演の年、玉川学園の高等部在学中であった青島広志は演劇部の上演のため、当時大学助手であった方勝に合唱版として作曲を依頼される。上演は翌年2月に不完全な形で、3月8日にそれを手直しして、計3回玉川学園礼拝堂で行われ、学園内外から大きな反響を呼ぶこととなる。またその後、1980年代に作曲者自身が雑誌「教育音楽小学版」に小学生向きの教材としてこれを連載したところ、多くの小学校をはじめ、1983年にはぐる−ぷ・なべに、1984年には福永陽一郎の指揮でMKKF合唱団、北村協一の指揮で合唱団JACなどにとり上げられている。これを、1985年に井上ひさし、宇野誠一郎の理解を得て刊行したものが、本日演奏する合唱版「11ぴきのネコ」である。
 以降「11ぴきのネコ」は、プロ・アマチュアを問わずミュージカルや合唱において各地で上演されている。また、1980年にはグループ・タックによりアニメ版「11ぴきのネコ」(声:郷ひろみ他)が制作されている。この絵本の初刊から30年以上経った今でも、子供はもちろんのこと多くの人達に親しまれているが、そこには時代を超えても色擬せない親しみやすさや人間性・社会性に訴えかけるものがあるからではなかろうか。


−物語−

 あるところに10匹の野良猫がいた。名前はそれぞれ、穏健穏和仏のにゃん次、旅廻りのにゃん蔵、徴兵のがれのにゃん四郎、軍隊嫌いのにゃん吾、木天蓼のにゃん六、逆恨みのにゃん七、猫撫で声のにゃん八、猫舌のにゃん九、紙袋のにゃん十、猫糞のにゃん十一、という。まず、オープニングである「にゃあごろソング」を歌う。
 10匹の野良猫たちは都会に住み着き、人間どものだしてくるゴミを頼りに暮らしているが、食べる分が少なくいつも腹を空かせている。そこに、天晴れ指導者のにゃん太郎が登場し、お互い野良猫暮らしについて語り始める。にゃん次からにゃん十一までは野良猫暮らしは大変で、いつも腹が減り、嫌なことばかりだといっているが、それに対しにゃん太郎は、野良猫には自由がある、気ままであると言いだし、そこで始まったのが「ノラネコ暮しの是非についての問答歌」
 野良猫には自由があるとは言っても、餌にありつけなければしょうがない。そこで近くの池で一同は魚を釣ることにした。釣針を池に入れるとすぐに魚がかかる。にゃん太郎は魚に引っ張られ、他の猫もにゃん太郎を手助けし、大きな魚が釣れることを期待して「ネコの大漁唄い込み」を歌う。しかし、苦労して釣れた魚はなんとメダカー匹であった。一同、がっくりして、仕方なしにそのメダカを11等分して食べる。だが、空腹は増える一方で、動く気力もない。そんな気持ちを表した「お腹が空いたのブルースA・B」を歌う。他の猫が空腹でへばっているのをよそに、にゃん太郎は芸術は腹の足しになると言い「オーケストラ・ソング」を歌う。その歌でにゃん太郎が元気そうになったのを見て、残りの猫も歌いたくなり、ゴミの山から拾ってきた本の中にある、お腹いっぱいになりそうな曲「のんだくったマーチ」を歌いながら行進する。しかし、芸術がお腹の足しになるはずがない。歌っているうちにお腹はなお減り、くたくたになる。
 一同は墓地に着く。にゃん太郎は最後の手段といって餌を求めてごみ箱をあさりに行くが、残りの十匹は餌をあきらめ、生きるのをあきらめ、墓地に穴を掘り「こんど生まれてくるときはのレクイエム」を歌い、土をかぶって死のうとする。そこに、再びにゃん太郎が登場。死のうとする猫どもに「地上最低空前絶後の悪口唄」を歌い、自殺をやめさせる。正気に戻った猫たちは、にゃん太郎が連れてきた鼠殺しのにゃん作老人の話を聞き、みんなで大きな魚を求め、北の大きな空の下にある大きな湖へ旅立つことになる。(「11ぴきのネコが旅に出た」)旅の途中、なぜ僕たちは野良猫になったのかで話が盛り上がる。そして、人間どもに頼ってはいけない、ネコの運命は猫が決める、猫だけで独立するのだと「なのだソング」を歌う。
 小さな湖に着いた11匹の猫はいかだを作り、「雲においつけ」を歌いながら旅を進めていく。大きな湖についた猫たちは辺りを見回し、「魚見えたか節」を歌いながら、魚が現れるのを待ちかまえている。と、そこに大きな魚が現れた。普通に釣ろうとしても難しい。そこで、近くにあった飛行機に乗り、大きな魚に体当たりしようとするにゃん太郎を10匹は「ネコの英雄にゃん太郎への讃歌」で見送る。しかし、にゃん太郎の体当たりは失敗、飛行機は大破した。にゃん太郎は無事戻ってきたものの、その失敗を見て大きな魚を釣ることをあきらめた10匹は、都会での野良猫暮らしを「都会は優しい毒薬のロック」で懐かしむ。だが、それを聴いたにゃん太郎は11匹で力を合わせれば魚を仕留めることができると説得し、まずは体を鍛えようと「動物づくしによる体をきたえようソング」を歌いながら体操をする。
 その晩みんなが寝ている間、にゃん太郎についていけないにゃん八とにゃん十一はここから逃げ都会へ戻ろうといかだを漕ぐが大きな魚に襲われる。なんとか一命を取りとめ、残りの猫たちのいるところに戻るが、皆からはその裏切り行為を責められる。見かねたにゃん太郎はどうにか他の猫をなだめ、にゃん八、にゃん十一との仲をとりもった。
 と、そこに大きな魚が現れ猫たちをからかうようにして子守歌を歌う。その魚はどうやら歌が好きらしい。そのことに気づいた猫たちは知恵を絞る。そして、昼間ゆったり浮かんでいる大きな魚にそっと近づき、「魚の子守唄」を歌い眠らせたところで、手にしている棒でその魚を叩きのめし、魚を捕らえ、やっと餌にありつけることができた。
 猫たちは、魚もたくさん獲れ、土地も肥え、景色もよく、空気も良いこの大きな湖のある場所を野良猫の国にすることに決め、終曲「ノラネコ天国ソング」を歌い踊り、幕がしまる。

 実は、この話にはエピローグがある。
 10年後、このノラネコ共和国は猫の世界では最大の都市となり、そこのほとんどの猫が豊かな生活を送れるようになった。11匹の仲間達は、にゃん太郎とにゃん十一を除き、皆偉くなり出世している。建国の最大の功労者のにゃん太郎は、一時は大統領になったものの、富と権力におぼれてしまったかつての仲間達に失脚させられ、ついには殺されてしまうのである。

 注:今回は都合により「オーケストラ・ソング」、「都会は優しい毒薬のロック」は割愛させていただきます。


−配役−

にゃん太郎 山田 浩史
にゃん次  山根 陽介
にゃん蔵  堀  昌史
にやん四郎 伊藤 泰裕
にゃん吾  倉石 知之
にゃん六  中村  陽
にゃん七  上村 哲朗
にゃん八  岡島 宏尚
にゃん九  薮田 隆浩
にゃん十  佐々木 尚
にゃん十一 加茂野有徳


−第124回定期演奏会プログラムより−



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