「ロッシーニ歌曲集」

作曲:G.Rossini

編曲:佐藤正浩


指揮:佐藤正浩

ピアノ:藤田雅



・L'invito
 (誘い)

・Ave Maria
 (アーヴェ・マリア)

・Duetto buffo di due gatti
 (猫の二重唱)

・L'ultimo ricordo
 (最後の思い出)

・La danza
 (ダンス)




−ロッシーニについて−

 ジョアッキーノ・アントニオ・ロッシーニという名は常に「オペラの」と形容される。「セビリアの理髪師」「ウィリアム・テル」などの著名な作品、オーケストラの充実やフィナーレの拡大などの彼が果たした役割を鑑みれば当然である。しかしそのロッシーニが「オペラ作曲家」であったのは彼の人生の半分にも満たないのである。
 ロッシーニは1792年、イタリアの田舎町ペザロに生まれた。幼少より音楽に携わる両親の影響を受けた彼は、ボローニャ音楽学校で勉強した後18才の若さでオペラ作曲家デビューを果たした。以後39曲に及ぶオペラを作曲したが、37才で書いた「ウィリアム・テル」を最後に突然オペラの作曲を辞めてしまい以後宗教曲、器楽曲、歌曲等の作曲はしても、76才で死ぬまで1曲もオペラを書く事はなかった。彼がなぜその絶頂にオペラの作曲を辞めてしまったかは彼が生前に明確に語らなかったこともあいまって今日でも様々な憶測を呼んでいる。ただ1つ言えることは彼の音楽に対する姿勢がこの行動に顕れている、という事だけである。
 ロッシーニは近年再評価目覚しい作曲家である。「ロマン主義」が台頭する中「古典主義」を標榜したそのクールな作風が改めて受け入れられてきたのである。彼の生まれは2月29日。まだ弱冠「52才」にとって、時間はこれからである?

−ロッシーニの歌曲について−

 ロッシーニの最初の作品は1801年、彼が9才の時のものと推定される「もしも粉屋の娘がお望みなら」という歌曲である。彼の天才はこの曲の中に既に「ウィリアム・テル」への芽を見出せることにもあるが、またこのことが象徴的なように、彼は他のイタリア人作曲家の例に漏れず、彼らにとっての至高であるオペラの道を進むわけであり、有名な歌曲のほとんどはオペラをやめた後のものである。晩年の歌曲を含む作品集に彼は「老いの過ち」といささか自嘲的な名を付けている。ある意味でこれはオペラ作曲者のテレであったかも知れない。
 彼は「土曜の夕べ」と名づけられた自身の催すサロン向けに多くを作曲したが、自嘲と裏腹にそれらはいかにもロッシーニらしい洗練された音楽であり、サロン向けのあでやかさとあいまってつややかに洗練され、魅力に富んでいる。ロッシーニはある時こういったと言う。「モーツァルトが若い頃にイタリアヘいったのは本当に幸せだった。そのころのイタリア人はまだ歌うということを知っていたから。」「歌を唱う」とはどういうことか。ロッシーニは強い自負を持っていたのである。


「四連を前に」  佐藤正浩

 今年は年の始めから、予定されていた仕事がキャンセルになり1ヵ月以上も失業伏態になったり、携帯電話を盗まれたり、愛車の窓ガラスを割られ、なんとラヂエーターを盗られたりと、やたら良くないことが続く。その上にワグネルが「四連を振ってくれ」と頼んできた。これは厄年に違いない、と人に聞いたらそうでもないらしい。
 ここ数年、僕はワグネルと歌曲の編曲物に取り組んできた。実は今回のイタリアものは前からやりたくて、でも出来なかったものの一つである。何故かというと、イタリアものには声そのものの良さが要求されるからである。小細工やスタミナでは誤魔化しようがない声のテクニックがなければ、あの甘美なベルカントのフレーズは歌いきれないのである。今年のワグネルがその要求を満たしているか、というと残念ながらそうとは言い難い。しかしこれに取り組む事によって、声の大切さを再認識し、学び、そして成長してくれる事を願うのである。そしてもちろん、ロツシーニの楽しさを充分に満喫することも忘れずに。
[第48回東西四大学合唱演奏会プログラムより転載]


−曲目解説−

L'invito (誘い)

 「音楽の夜会」の第5曲目である。スペイン調の歌でボレロと付記されている。ペーポリ伯爵の激しい女性の愛の告白の詩と裏腹にロッシーニの前奏は魅惑的ですらある。しかし曲中の不規則なアクセントや極端な強弱の変化が感情の起伏を表しているといえる。
 歌は同じ旋律を3回繰り返すがその間に異なった2つの部分が挟まれている。元来はソプラノのために作曲された歌曲である。

Ave Maria

 原曲はGとAsの2音のみで徹頭徹尾構成されているという、多少風変わりな、いかにもロッシーニらしい歌曲。穏やかな前奏に祈るように歌が続く。繰り返される染み入るような文句とピアノとが和声的に絡み合い、最後に力強くマリアの名を2度唱え終わる。

Duetto buffo di due gatti (猫の二重唱)

 猫の鳴き声のみで描かれたこの楽しい珍妙な曲は3つの部分からなっているが、実はその全てがロッシーニの手によるものかは不明である。最後のAllegrettoの部分は彼のオペラ「オテロ」の中の「ロドリゴのカヴァレッタ」という曲によく似ている。しかしどうあれロッシーニの「猫の二重唱」として愛唱されてきた事実に相違はない。
 ロッシーニと猫真似に関しては面白い逸話がある。「ロッシーニはとあるオペラの公演後、毎晩夜中にプリマドンナの家に行き、部屋に入れてもらうまでミャーオ、ミャーオと鳴き唱えていた」と。
 今回の編曲はJan Meyeruwitzによる混声合唱編曲版を基にした男声版である。

L'ultimo ricordo (最後の思い出)

 作詞者不明の原詩は恋人に別れを告げる男の切ない叫びである。その緊迫とあふれる思いをピアノが刻み、激しい気持ちを頻繁な強弱の交代をもって歌が歌う。最後の穏やかな解決は全てを言い尽くした安堵であろうか。

La danza (ダンス)

 ロッシーニは全12曲からなる歌曲集「音楽の夜会」を足掛け5年で作曲した。この歌曲はそのうちの第8曲目であり、ロッシーニの歌曲の中でもっとも愛好されているもののうちの1つである。詩はロッシーニの友人のカルロ・ペーポリ伯爵の手によるもので、タランテラ・ナポレターナと付記されている。タランテラとは8分の6拍子の速いテンポのナポリ舞曲で、その名称の由来は毒蜘蛛タランチュラによるという説もある。書物にいわく「毒ぐもにさされたらタランテラを踊れ」と。 この曲も前奏から溌刺とした躍動感を示し、歌もそれを引き継いで激しい動きを展開し、月夜の浜辺で夜を徹してタランテラを踊る男女の喜びを表している。作曲者自身がテノールの歌と指定し、また事実イタリア系テノールの重要なレパートリーである。


−第124回定期演奏会プログラムより−



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