無伴奏男声合唱のための「あしたうまれる」
  〜「白いうた 青いうた」より〜


作詞:谷川雁

作曲・編曲:新実徳英


指揮:北村協一



1.われもこう

2.あしたうまれる

3.無明

4.南海譜

5.夜と昼

6.盲導犬S

7.小さな法螺

8.卒業




−メロディー−

 作曲家J.ブラームスは、私達がある種、才能の持ち主に期待するところの気難しさを見事なまでに体現していた。彼がR.ワーグナーと全く相容れなかったのはよく知られているし、そこまで行かずとも他の同年代或いは前時代を含めた作曲家達もブラームスにとって面白いものではなかった。わずかな例外といえば、彼をいわば見出した(何かと曰くつきの)敬愛すべきR.シューマンであり、ワルツ王J.シュトラウスであり、そしてA.ドヴォルザークであった。
 ブラームスはドヴォルザークを気に入り、また羨望もしていた。ドヴォルザークの『チェロ協奏曲』を聞いたブラームスは「私にもこのようなメロディーがあれば」と自作の『ヴァイオリンとチェロの二重協奏曲』を振り返ったという。
 ブラームスは自分に流麗なメロディーが無い事を自覚していたし、それゆえに強烈な自負もあった。そこに「通俗的」であるという、ドヴォルザークが立ち現れてくる。
 私達が、美しいメロディーであると思うとき、それは音の高さが激しく上下したり、リズムがめまぐるしく変わる様でない、音が1音ずつかわっていくような順次進行の箇所であるという。そのような美しいメロディーを私達は自然と心の内におくけれど、何か立ったメロディーに或いは私達は言い様の知れないものがあって、それを通俗的などと呼称するのかも知れない。
 メロディーとは安易に、しかし方々に難しい。作曲家にとってもメロディーの引出しはいつ開くか分からない。そして滅多によい物に巡り合えぬものであるし、演奏にも1人1人に心の抑揚、ドラマが求められる。旋律の心的な力は大いに音楽の力であるし、また人と人との間を試すものでもあるのである。
 「旋律をより豊かに、充全と歌い上げて欲しい、というのが《白いうた 青いうた》の合唱版作製にあたっての私の切なる願いなのだが、この曲集でも同様の願いを強く込めたつもりである」(『あしたうまれる』解説より作曲者の言葉引用)
 ドヴォルザークは機関車が大好きで、あるとき走る様を眺めつつブラームスに言った。「もし私があの機関車を作れるならば私は全て曲をなげうってもいい」と。ブラームスはたしなめて「あのようなものはいずれ朽ち果てましょうが、あなたの音楽は永きにのこるものなのです」といったそうである。


−曲目について−

 先の男声合唱組曲「壁消えた」に続いて1983年より谷川雁が合唱曲集のために作詞を始めた「白いうた 青いうた」及び「白いうた 青いうた2」より選ばれ、構成・作曲された曲集である。「あしたうまれる」の題も同じく曲集の詩題より採られた。合唱として皆が寄り添う1つの旋律世界を構築することが強く意識されている。全8曲からなり、それぞれの詩は谷川雁の特色である、言葉の徹底したイメージ化が色濃く映し出されている。
 1996年明治大学グリークラブによって委嘱され、第45回東京六大学合唱連盟定期演奏会によって初演された。


−作詞者 谷川雁−

 1923年、熊本県に生まれる。1945年東京大学文学部社会学科を卒業する。その後西日本新聞社に勤める傍ら詩の創作を始める。共産党に入党し、1947年賃金要求の争議を行ったため会社を解雇される。以後結核にかかったこともあり帰郷、後に共産党とも離れる。主な詩集に「大地の商人」など。諧謔や諷刺の敗れた革命の夢を見出す事も、或いは後年になるほどイメージの羅列の中にアジア的なものへの憧れもまた垣間見える。
 1995年死去。享年71歳である。


−作曲・編曲者 新実徳英−

 1947年名古屋に生まれる。1970年に東京大学工学部機械工学科を卒業し、東京芸術大学音楽部作曲科に入学。1975年に同大学を卒業し、1978年、同大学大学院を修了する。三善晃、間宮芳生、矢代秋雄、野田暉行の各氏に師事する。
 主な作品として「アンサラージュT〜合唱と管弦楽のために〜」、「アンサラージュU〜3人の打楽器奏者のために〜」、「アンサラージュV〜2人のマリンバと打楽器のために〜」などがある。
 新実のややも特珠な経歴に果たしたものの1つは合唱への愛着であるという。男声合唱曲だけをとってみても「ことばあそびうたU」、「マドリガルT」、「祈りの虹」、「やさしい魚」、「壁きえた」など多岐に渡り、重要なレパートリーになっている。


−第49回東京六大学合唱連盟定期演奏会プログラムより−



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