Reynaldo Hahnによる〈恍惚のとき〉


作詩:Paul Verlaine

作曲:Reynaldo Hahn

編曲:北村協一


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子



1. L'Heure exquise
 (恍惚のとき)

2. Mai
 (五月)

3. D'Une Prison
 (牢獄から)

4. Paysage
 (景色)

5. Si mes vers avaient des ailes
 (私の詩に翼があったなら)




−若き才能−  レイナルド・アーンについて

 レイナルド・アーンは1875年南アメリカのベネズエラの首都カラカスに生まれた。父は同国の外交官を務めるユダヤ人、母はイスパニアにありながら独自の文化をもつバスク人の出であった。外交官の父は音楽に造詣が深く、レイナルド3歳のときパリに移り住んで以来、父のオペラ鑑賞に連れられる彼の姿があった。6歳でパリのサロンにデビューし、後パリ音楽院に入学しラヴェルやコルトーとピアノのクラスで同級となった。彼は厳密にはフランスの生まれでないがフランスに育ったことは明らかであり、事実1912年フランスに帰化するが、生国に戻ることはなかった。
 レイナルドのパリ音楽院での成績は取り立てて優れていた訳ではなかった。彼の音楽院での最大の意義は作曲における師匠、マスネとの出会いである。当時より大家として知られたマスネは彼に特別に目をかけ続けた。サロンにはマスネと共に美しい巧みな歌を作曲する天才少年の姿が頻繁に見られるようになった。
 13歳のとき既に今回の演奏会の5曲目「私の詩に翼があったなら」を作曲し、しかしながら決して若作りではなかった。15歳の時にはアルフォンス・ドーテに劇音楽の作曲を依頼されるほどであった。現在でも愛唱される彼の歌曲の殆どはティーンエイジの作品であり、採用された詩はヴェルレーヌに始まりユーゴー、ゴーティエなどロマン派の詩人、リルやバンヴィルら高踏派の詩人に及んだ。
 彼の美しいメロディーはどこからやってきたのであろうか。レイナルドは音楽の才を作曲にのみに留まらせるものでなかった。天才少年はサロンにて師匠マスネやフォーレ、シューベルトの歌曲をピアノで弾き歌いをし、オペラを始めから終わりまでそれぞれ役をこなしつつ歌い、喝采を洛びたこともあるという。彼の体内には幼少より音楽が深く豊かに沈殿していたのであろう。
 何よりも彼の作曲は美しい旋律にまずその第1を求める。世俗に埋もれるもなく難解に高尚でもなく私たちの心に響く曲は、人間の声が最良の楽器であるという彼の考えに伴って在った。彼はテクストを省くことなくその全てを最大限尊重し、音楽を付けることに心を砕いた。詩と音楽が添い遂げることが彼の理想であった。音楽の翼のはためきを感じることができるならば、それがまさに彼の若き才能であった。彼の言葉への愛情は多くの文学者との交流にも根幹があったであろう。特にマルセル・ブルーストとの交友関係は有名である。
 マスネに生涯に渡る庇護を受けた彼は、後年もオペラ指揮者などにも活躍し、音楽批評家としても名を広めた。125もの歌曲をはじめオペラ・オペレッタなどに優れた作品を残し、1947年没した。


−曲目解説−

1.恍惚のとき (L'Heure exquise)

 ヴェルレーヌの詩によるアーン15歳の時の作品。1892年に出版された歌曲集「灰色の歌」の第5番目に収められている。流れるようなピアノの上をなぞるように歌われるこの曲のメロディーはどこまでも柔らかく、繊細かつ幻想的である。

2.五月 (Mai)

 1889年、14歳の時の作品。「生き生きと」と指示される前奏は初夏の薫りを感じさせるに十分であり、曲の自在な緩急はそのうつろう心を表しているのであろうか。アーンは自らよくこの曲を披露したという。詩は高踏派の詩人で19世紀後半に活躍したコペーに拠る。

3.牢獄から (D'Une Prison)

 1892年、17歳の時の作曲。アーンの歌のなかでも最も歌われるものの1つである。詩は1曲目同様ヴェルレーヌの手によるものである。詩は実際にヴェルレーヌが罪を得て牢獄生活を送ったときに書かれたものであり、先輩フォーレも後にこの詩に作曲をしている。鐘の音を摸した単調さが悲しみや虚無を感じさせる。

4.景色 (Paysage)

 師匠マスネに献呈された15歳の時の作品。1899年に出版された「20歌曲集」の第4番目に収められている。波を摸した音楽は広やかな海と恋を伸びやかに歌い上げている。

5.私の詩に翼があったなら (Si mes vers avaient des ailes)

 13歳の時の作曲で、かつ最も著名である曲の一つである。ヴィクトル・ユーゴーの詩に拠る。1890年に後年彼自身音楽評論を手がけることとなる「フィガロ」の音楽付録として出版された後、前述の「20歌曲集」に収められるという経緯をたどる。アーンの流麗なメロディーを最も体現した曲であり、正に緩やかに空に飛び立つような音の進行は「非常にやさしく 表情にみちて」の指示にふさわしい。


−第49回東西四大学合唱演奏会、第21回早慶交歓演奏会プログラムより−



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