「黒人霊歌」


編曲:Tim Durian, Marshall Bartholomew


指揮:北村協一



My Load, What a Mornin'
 (主よ、何という朝だろう)

Somebody's knocking
 (誰かが扉をたたいている)

Steal Away
 (イエスのもとへ逃れよう)

I Got Shoes
 (私は靴を手に入れた)

Joshua fit de Battle ob Jericho
 (ジェリコの戦い)

Rock-a My Soul
 (我が魂を呼び起こせ)




−黒人霊歌の成り立ち−

 16世紀、植民地アメリカを開拓する労働力補給のため、多くの黒人たちがアフリカ各地から奴隷としてアメリカに連れてこられた。奴隷たちの生活は、救いのない、惨めなものであった。彼らの主人である白人たちは正当化のため、宗教を利用した。死後の世界の‘完全に精神的な幸福’を教えたのである。そして黒人たちは、その教えに感銘を受ける。聖書には、迫害されているユダヤ人が神の恵みによって救われる話が多くあり、彼らはその話を自分たちの境遇に重ねたのだ。英語を読めない奴隷たちは、牧師の説教からのみ、つまり‘音’として、聖書を学んだ。先天的に音楽感覚の鋭い黒人たちは、その反応をまた‘音’として再生した。それが黒人霊歌(Negro spiritual)である。黒人奴隷たちの精神的(スピリチュアル)な世界への憧れがニグロ・スピリチュアルになったのである。


−黒人霊歌の特徴−

 黒人霊歌の特徴としてまずあげられるのは、その黒人なまりである。次ページの歌詞を参考にして例をあげると、thやvの音が発音できない(the→de)、促音が加わる(heaven→hebben)、単語の一部が省略して発音される(moming−momin')などである。また、歌詞の文法はかなりいいかげんである。これらの原因は、黒人が正式な教育を受けていないために、正確な発音や文法を知らなかったため、また、即興で歌うことを好んだ黒人たちの、リズム感にまかせて歌いあげたためである。
 黒人霊歌の根底に流れるものは、自由への憧憬である。黒人霊歌には、「天国」を意味する単語が多く出てくるが、彼らにとって天国への道とは、「自由と救い」を意味する。例えば、『steal Away』中、‘steal away to Jesus’という歌詞を、‘steal away to freedom’の意にとって歌ったわけだ。また、『Joshua fit de Battle ob Jericho』には特に天国を意味する単語は出てこないが、この歌は「黒人の自由を求める戦い」という意をこめて歌われた。『somebody's knocking』で歌われているsinner(罪人)とは、誰のことを指していたのだろうか?
 黒人霊歌は、そういった意をこめられているにもかかわらず、黒人奴隷の主人である白人の前でも歌われた。白人たちには、聖書を元にした歌を歌っているように見せかけて、その実、double meaningとして、自由への逃亡の意をこめて歌ったのである。


−合唱曲としての黒人霊歌−

 黒人霊歌を広く知らしめる土台を築いたのは、Fink Jubilee Singersであった。実際、黒人霊歌を、最初に、コンサートの形で、人々に聴かせたのが、Tennessee州NashvilleのFink大学で1871年に結成されたこの合唱団だった。Nashvilleといえば、今や、白人の音楽カントリー&ウェスタンの都であるが、同時に、黒人教育の最高機関として開校したのがFink大学。その経営資金を集める一手段として、生徒の有志がこの合唱団を結成、全米各地はもとより、ヨーロッパにまで、スピリチェアルの演奏をおこなった。‘Nobody Knows the Trouble I've Seen’(誰も知らない私の悩み)や、‘Deep River’などの名歌は、Fink Jubilee Singersの十八番ナンバーであった。ジュービリーという名は、当時、ニグロ・スピリチェアルをそう呼んだことによる。
 誇り高きエリート大学生の合唱団だから、Fink Jubilee Singersの演奏は、よく言えば格調高いものであり、悪く言えば、形式的なきれいごとにおちいっていた。特に日本で、ニグロ・スピリチェアルというと、いわゆるglee(合唱曲)スタイルのコンサータイズされた形で歌われる、スロー・テンポの美しい曲という印象が強いようだが、そういう誤った概念を生んだ張本人もまた、Fink Jubilee Singersであり、彼らの直接關レの影響で、ニグロ・スピリチュアルを好んでレパートリーに取り入れたクラシックの歌手たちであった。
 黒人霊歌は本来、黒い血と汗と涙がにじんだ、アーシーで、ヴァイタルなものである。即興で歌うことを好まれ、アフリカ原始音楽のリズミカルな性質が流れる歌だ。黒人霊歌のそのようなキャラクターは、いつのまにか兄弟音楽であるgospel musicの専売特許のようになってしまった。

 さて、本日皆さんにお届けする、ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の演奏はどうだろうか。格調高いが、形式的なきれいごと? それとも、本来の黒人霊歌のようなヴァイタルなもの? −その評価は、視聴者である皆さんにお任せしたい。


−第125回定期演奏会プログラムより−



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