“Lieder eines fahrenden Gesellen”
(さすらう若人の歌)


作詞・作曲:Gustav Mahler

編曲:福永陽一郎


指揮:畑中良輔

ピアノ:谷池重紬子



1. Wenn mein Schatz Hochzeit macht
  (彼女の婚礼の日は)

2. Ging heut' Morgen u:ber Feld
  (朝の野原を歩けば)

3. Ich hab' ein glu:hend Messer
  (燃えるような短剣をもって)

4. Die zwei blauen Augen von meinem Schatz
  (彼女の青い目が)


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−歌曲集「さすらう若人の歌」−

 自作の詩による4曲の連作歌曲集「さすらう若人の歌」は、カッセル歌劇場の補助指揮者時代の1883〜85年に作曲された。マーラーの初期歌曲の代表作として知られるこの曲は、マーラー自身がある手紙の中で語っているように、歌手のヨハンナ・リヒターにささげた青春の情熱の悲しい形身ともいうべきものであった。“ぼくは一連の歌曲を書いた。そのいずれもが彼女に捧げられている。被女はぼくの歌のことをなにも知らない。しかしこれらの歌は、彼女の知っていることだけを歌っている”
 マーラーの詩はいかにも若々しい、素朴でロマンチックなもので、彼が後に多くの歌曲のテキストをとった「子供の不思議な角笛」などからの影響を思わせるものがある。この時期のマーラーはまだ「角笛」を完全な形では知らなかったといわれるが、それにしてはこれらの詩の「角笛」調は手に入ったものだ。マーラーは幼時から民謡に親しみ、3〜4歳の頃にすでに数百曲の民謡曲をおぼえていたというから、彼の詩の民謡調は、「角笛」以前にすでに身についていたのかも知れない。旋律もまたしばしば古い民謡のしらべに通うものを感じさせるが、この歌曲集を一貫するつきつめた感傷性と厭世的な姿勢は、これ以後マーラーの歌曲全般に通じる著しい特性となる筈のものである。
 恋人が別の若者の花嫁になることからはじまる苦悩と放浪− という設定からしばしばシューベルトの「冬の旅」が引き合いに出される作品であるが、曲と曲との間にシチュエーションの自由な転換を伴なう構成は、むしろシューマンの「詩人の恋」(その後半)に近い。いずれにしても、失われた愛と絶望とは、いわば普遍的なテーマであって、マーラーが先人の誰かを模倣したことにはならないだろう。
 彼のこれ以後のオーケストラ歌曲とはちがって、この曲ははじめピアノ伴奏つきで構想され、初演の機会にオーケストレーションされたらしい。その初演は1896年に、ベルリンにおけるマーラー指揮の交響曲演奏会で、オランダのバリトン、アントン・システルマンスを独唱者として行なわれ、翌97年、ピアノ伴奏とオーケストラ伴奏の2種類の楽譜が同時に出版された。


−曲目解説−

1.彼女の婚礼の日は

 華やかな婚礼の音楽を思わせるような、特性的なリズムをもった旋律が前奏に出る。これがこの曲の中心的な楽想で固定観念のように著者の想念につきまとい、声もそれの変形によって歌いはじめる、その歌唱部は“最後までひっそりと、悲しそうに”と指定され、愛する者にそむかれた悲しみを、哀切に歌ってゆく。「青い花よ、しおれるな」の部分から中間部に入り、小鳥の鳴き声をまじえて明るい昂揚をただよわせるが、「鳥よ、歌うな」でもとの旋律が帰って来、感傷的な表情を一層深めていって、最後はさびしく音をひそめて終わってゆく。テキストは、これとそっくりな“Wann mein Schatz Hochzeit macht”という詩が「子供の不思議な角笛」にあって、若干の語句の改変を別にすれば、マーラーのオリジナルといえるのは・第2節の3行目から第3節の3行目までにすぎない。

2.朝の野原を歩けば

 若者の前に陽光に満ちた美しい世界がひらける。露にぬれた緑の野原で、この世の美しさをたたえる小鳥や花たちの挨拶が明るく歌われ、間奏をはさんで、おなじ旋律が陽光を浴びたあらゆる生あるものの喜びを歌ってゆく。詩の最後の2行に当たる部分で、曲が速度を落とすとともに、その表情も一変して、すべての幸福からとり残された深い悲しみの表現となる。この曲の冒頭の旋律は、1888年に書かれた第1交響曲の第1楽章にとり入れられている。

3.燃えるような短剣をもって

 “嵐のように、あらあらしく”と指定されたドラマチックな曲で、はげしい前奏に続いて、声が胸を灼く苦痛を情熱的に歌いはじめる。“O weh!”という叫びがたえまなくくりかえされ、「昼も夜も」の半音階下降で大きな盛り上がりが築かれた後、なおしばらく続くはげしい間奏は、調を転じて次第に速度を落としてゆき、やがて曲想を一変して、深い詠歎をたたえた第2部に入る。「彼女の銀のような笑い」で歎きの声が再び高まるが、まもなく最後の2行の部分で、下降線を描く旋律が次第に弱まってゆき、印象的な後奏で曲を終る。

4.彼女の青い目が

 若者の“さすらい”に本格的に言及されるのは、どうやらこの最終曲に入ってからである。声が前奏なしに異郷に遣い立てられる者の悲しみを歌いだし、重い葬送風のリズムがこれにつさまとう。憂鬱な、しばしば同音をつらねる動きの少ない旋律は、どこか「冬の旅」を思わせるものがあるようだ。第2節の後半、路傍に菩提樹を見出す部分から、曲の表情が夢みるようなやわらかさに変り、やすらかな憩いと忘却が歌われる。後奏の中に、葬送風のリズムの余韻がかすかにただようが、それもいまは子守歌のようだ。この「菩提樹」の部分の旋律は、第1交響曲の第3楽章に使われている。


−第125回定期演奏会プログラムより−



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