作詩:Heinrich Heine 他
作曲:Robert Schumann
指揮:最上聡(学生指揮者)
1. Der tra:umende See
(夢見の湖)
2. Die Minnesa:nger
(恋愛歌人)
3. Die Lotosblume
(はすの花)
4. Der Zecher als Doktorina:r
(空論家の大酒飲み)
5. Rastlose Liebe
(憩いなき恋)
※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。
1810年ドイツ・ツヴィッカウ週報は「6月8日、当地の著名な市民であり、書籍販売業者アウグスト・シューマン氏に男子誕生」と伝えている。この男子とは言うまでもなくローベルト・シューマンその人である。週報に伝えられるほどであるからシューマンの家庭は社会的・経済的には恵まれていたのであろうことがわかる。
しかしいくらか知られているように彼の周辺は平穏ではなかった。1812年当時ヨーロッパを席巻していたナポレオンの軍隊は、ロシア遠征の行きも帰りもかの町を通過していった。ナポレオンその人は大変な歓迎を受けたという。翌年、冬将軍に敗走する遠征軍は略奪を行い、飢饉とチフスをもたらしていった。ローベルトの生母ヨハンナも罹患し、幼い彼はしばらくの別離を余儀なくされたという。
青年期には姉の自殺と言われている死、及び父の死に直面する。ローベルトもそうであるが、シューマンー家はみな心に病を多少なり抱えていた。彼は多少わがままに育てられたきらいがありつつも、お茶目で伸び伸びした少年時代をおくっていた。しかし思春期に立てつづけに起きたこれらの事件は、ローベルトに対して普通の人以上にこの時期の変化を強要した。生活は全てにわたって内向的になり、空想への愛好を示したという。
彼は文学に熱中した。特にジャン・パウルに傾倒した。二重人格を題材にした「生意気盛り」という小説に感動し、後年、ローベルトの音楽批評の手法に影響を与えているし、その文学にベートーヴェンの音楽と類似するものを感じ取っていたという。
彼の叙情的素質は周囲の環境と文学的素養とに密接に関わっていることが言えるであろう。
1840年は後に「歌の年」として知られるようになる。「詩人の恋」「女の愛の生涯」などシューマンの作曲の代表を為す歌曲群が成立する。まるで溢れ出るがごとく、130もの「うた」が創出された。この合唱曲集もまたその流れの1つであったことは容易に推察できる。歌曲集「ミルテ」の楽譜の裏に「はすの花」の男声4部のための編曲のアイデアの断片が示される。何かに書き留めておかずにはいられなかったのであろう。
音の詩人としてのシューマンの言葉なき歌が、タララとの結婚を契機に唇を開かせる歌へと変わっていったのである。
1.夢見の湖
4/4拍子。イ長調。全編まどろみに満ちたような柔らかさに富む曲想である。2回繰り返されるメロディーはやがて途切れ途切れに眠りにつくようである。作詩者のユーリウス・モーゼンは1803年生まれ。法学を学び弁護士になるも文才を認められ、一時宮廷劇場の文芸担当になるところまでいった人物である。しかし、病を得てその道を断念した。リヒャルト・ワーグナーが「リエンツィ」を作曲したとき、参考にしたのが彼の「コーラ・リエンツィ」という戯曲であったという。
2.恋愛歌人
2/4拍子。ハ長調。軽快なリズム中に寓話が語られる。ハインリヒ・ハイネは1797年生まれ。ロマン派の重要な詩人であることは言うまでもない。「子供の魔法の角笛」から聞き取った自然な響きを自らの詩に取り入れた。この詩もそうしたうちの1つであろう。シューマンは彼の詩に多くの歌をつけた。彼の声楽において最も重きをなす詩人の1人である。
3.はすの花
6/4拍子。変ニ長調。歌曲集「ミルテ」において最も有名であろう曲を自ら編じたものである。原曲に劣らぬありきたりでないまったく新しい作品として姿を見せているこの曲は、絶妙な転調に魅力がある。
4.空論家の大酒飲み
3/4拍子、後2/4拍子。ハ短調。まじめ腐ったふうであり、どこかユーモラスな感がある。酔った勢いにかまけて悪いことは忘れるに限る、ということであろうか?
5.憩いなき愛
6/8拍子。変ホ長調。シューベルトも歌曲に編んだこの詩にシューマンもまた歌をつけた。曲の頂点に向かって加速する音楽は感情の高ぶりを表しているのであろうか。ゲーテはヨーロッパのロマン主義の先駆を為す人物であり、「ファウスト」「若きウェルテルの悩み」など後世にも多大な影響を与えた。
−第21回早慶交歓演奏会プログラムより−