「男声のための六つの歌」


作詩:Heinrich Heine

作曲:Robert Schumann


指揮:最上聡(学生指揮者)



1. Der tra:umende See
 (夢見の湖)

2. Die Minnesa:nger
 (恋愛歌人)

3. Die Lotosblume
 (はすの花)

4. Der Zecher als Doktorina:r
 (空論家の大酒飲み)

5. Rastlose Liebe
 (憩いなき恋)

6. Fru:hlingsglocken
 (春の時鐘)


※特殊文字の表示は不可能なため、実際とは異なる綴りのものが含まれています。



−仮想する二分身−

 一組の親子がともにライプツィヒの大学の門をくぐっている。父は文学者を志した。その妻の家系もまた文豪レッシングのそれである。彼は1807年ツビッカウにて書籍出版業を興し、本人もまた文筆活動を行っていた。3年後一人の男の子が生まれる。ローベルト・アレタサンダー・シューマン、作曲家シューマンその人である。
 なるほど、作曲家のエピソードのそれにローベルトももれず、彼の音楽性は僅か7歳の頃より周囲に注目されるようになり小さな舞曲をピアノで即興したりしていたと言う。しかし彼には文学的知性と言う一つの潮流があった。当然なれどそれは両親の環境によるものが大きい部分である。
 シューマンは様々な二極を持っていた。「法律か芸術か」シューマンは父と同じ大学、されど法科に学ぶことになる。我が子の行く末を心配する母親はいつの世も息子を詩人にさせようとはしなかった。それでも彼は二極であればこそ選ばねばならなかった、と自らそう思っていた。芸術を、そして「文学と音楽」においては音楽を。若き日の彼はバイロンを訪ね、ジャン・パウルの墓を詣でる詩人であったのだ。
 シューマンを貫く叙情的素質、彼は音楽を人生とする決心をした時、それを否定するものを一つの極に船出した。しかし彼はやはり音の詩人であった。シューマンはピアノの「技巧」を磨くべく無理な練習をし、指を損ねてしまう。名人芸と言う理想を無意識が断ち切ったのである。
 そして彼は伴侶なるべき人、クララにまみえる。「歌の年」は近い。


−歌の年−

 1840年、作品は歌曲における霊感の波において生み出される。それは溢れ出るという形容が最もよく似合う所作であった。実に130余りの歌曲がこの年に創出された。『詩人の恋』『女の愛と生涯』。多くが今日のシューマンを彩る曲である。
 音の詩人としてのシューマンの言葉なき歌が、クララとの結婚において唇を開かせる歌へと変わっていった。クララと共に曲をつけた『愛の春』など、まさに幸福な波動であった。3月13日、クララへの手紙。「ともかく僕が作曲したものはすべて君を驚かせることと思います。君の為にたくさんの曲をベルリンへ持っていきます。まもなく、リートももっと増えます。『大尉の妻』は実に新鮮でロマンチックに思えます…」手紙の中に語られた歌曲集『ミルテ』の曲が書かれた五線譜の真に、『はすの花』を男声合唱に編曲した。つまり今回の曲集の3曲目の姿が漸く現れてくる。紛れもなく、彼は歌の様々な可能性を探っていたのである。


−曲目紹介−

1.夢見の湖

 4/4拍子。イ長調。柔らかさに富む曲想が全編を包んでいる。作詞者であるユーリウス・モーゼンは1803年生まれ。法律を学び弁護士となるが、文才を認められ宮廷劇場の文芸担当となるところであった。しかし病により断念。詩人であり哲学者であり、目標は戯曲家であった。ワーグナーが『リエンツィ』を作曲した時参考にしたのが彼の『コーラ・リエンツィ』という戯曲であった。

2.恋愛歌人

 2/4拍子。ハ長調。軽快な導入と3拍子に変化する転回の対比。ハインリヒ・ハイネは1797年生まれ。『子供の魔法の角笛』から聞き取った自然な響きを自らの詩に取り入れていた。シューマンが彼の詩に大きな曲を創ったことは言うまでもなく、シューマンにおいて最も重きを為す詩人の一人である。

3.はすの花

 6/4拍子。変二長調。前述どおり『ミルテ』において最も有名であろう曲を編じたもの。原曲に劣らぬありきたりでないまったく新しい作品として姿を見せている。

4.空論家の大酒飲み

 3/4拍子、後2/4拍子。ハ短調。真面目くさった、どこかユーモラスな感がある。テンポは揺れ動きカルテットと合唱が対比する。

5.憩いなき愛

 6/8拍子。変ホ長調。シューベルトも歌曲を編んだこの詩にシューマンも熱情ある愛を見出した。加速する音楽は感情の高ぶりか。ゲーテに関しては述べるに短く、また説明を要しないであろう。

6.春の時鐘

 3/8拍子、転じて2/4拍子。イ長調。細かいリズムが春を告げ、体現する。ローベルト・ライニクは1805年生まれの画家、及び詩人。自然で無邪気なスタイルで人気を得た。シューマンの親切な友人であった。彼の代表作『童話、リート、物語の本』は1905年になって第14版が出版されるほどであった。


−第43回フェアウェルコンサートプログラムより−



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