年 代 | 事 暦 | ||
1901 | 明治34年 | 晩秋、慶應義塾ワグネル・ソサィエティーが、日本初の『音楽学校以外の学生による総合音楽団体』として発足。名称はドイツの偉大な作曲家リヒャルト・ワーグナーに敬慕してつけられた。 | |
1903 | 明治36年 | 5月、第1回演奏会(於:三田演説館)。部員の演奏は斉唱2曲のみで洋楽及び邦楽の専門家の演奏が主だったが、好評を博し、部員が倍増。器楽部の誕生。 11月、第2回演奏会。以後、毎年春秋2回ずつ開かれる。 | |
1906 | 明治39年 | 初の常任指揮者に当時東京音楽学校(後の芸大)の学生であった大塚淳先生を迎える。以降1937(昭和12)年までの32年間、多岐にわたって御指導をいただく。 | |
1909 | 明治42年 | 夏、学生音楽団体としては初めての演奏旅行を東北・北海道方面に行う。 | |
1911 | 明治44年 | 夏、満州大連へ第2回演奏旅行。 | |
この時期にワグネルの合唱団及びオーケストラとしての形が整う。 | |||
1915 | 大正4年 | 慶應義塾大講堂が落成。演奏会はこのホールで開催されるようになり、同時に大講堂の控え室が練習場となる。 | |
1917 | 大正6年 | 洋楽の普及により、邦楽との共演を廃止。 | |
1919 | 大正8年 | 図書館裏の白亜館(有力学生団体の部屋があった)を与えられた。また、部員の自主的計画に基づく組織的演奏旅行が行われた。 | |
1923 | 大正12年 | 第36回演奏会でハイドン作曲交響曲第100番「軍隊」を演奏、久邇宮殿下の御来聴を賜った。これがワグネルとしては最初の交響曲の全楽章演奏になった。 9月、関東大震災。秋の演奏会は中止し、罹災者慰安音楽会に数多く出演した。 | |
1925 | 大正14年 | 大塚先生がご多忙のため、合唱指揮を声楽家の木下保先生にお願いする。 |
年 代 | 事 暦 | ||
1929 | 昭和4年 | ドイツ留学された大塚先生の代わりに、橋本国彦先生が2年間オーケストラの指揮を担当する。 | |
1930 | 昭和5年 | 1919(大正8)年から毎年夏に行われてきた演奏旅行が不況のため中断され、新たな活動として部員私邸での合宿を実施。 10月、現役部員のみの演奏による校内演奏会「第1回土曜演奏会」が慶應義塾大講堂で開かれる。 機関紙「ワグネル・ニュース」第1号が発行。 | |
1931 | 昭和6年 | 春の慶早野球戦から、応援のためのブラスバンドがワグネルにより組織された。 | |
1935 | 昭和10年 | 財政危機問題で同年から1938(昭和13)年まで春の演奏会を断念、年1回の定期演奏会となる。 | |
1938 | 昭和13年 | 満州への赴任が決定した大塚先生の後任を山口雅章先生がなさる。 再び定期演奏会が春秋2回行われ、場所も日比谷公会堂に移る。 | |
1939 | 昭和14年 | 3月、山口先生発病。翌年7月死去。これにともない、オーケストラを菊地雙二郎先生、合唱を梅原文雄先生に指導していただく。 | |
1941 | 昭和16年 | 12月、太平洋戦争勃発。日比谷公会堂の学生団体の使用禁止や、翌年の学生の校外での演奏会の禁止などの障害が起こる。 | |
1943 | 昭和18年 | 11月、三田大講堂での「塾生出陣壮行大音楽会」を最後に、戦後まで休会する。 |
年 代 | 事 暦 | ||
1945 | 昭和20年 | 8月、終戦。楽器・楽譜・資料等の焼失と部員の不足というハンデを負いつつもワグネル再建へ向けて始動。まず、合唱からスタートする。 12月、全慶應音楽会に参加。 | |
1946 | 昭和21年 | 5月、早稲田大学グリークラブと早慶合唱交歓演奏会を開催。 7月、御殿場で戦後初の合宿。 11月、戦後第1回・通算第71回定期演奏会が開かれる。 | |
1947 | 昭和22年 | 初の女性部員が誕生。 | |
1948 | 昭和23年 | 菊池先生の辞任により、オーケストラの指導者にワグネルの先輩で東京芸術大学教授の中山富士雄先生が就任なさる。 | |
1950 | 昭和25年 | ワグネル創立50周年で記念演奏会や記念祝賀会を開く。 女子部員の増加で、かねてより希望があった女声合唱団が誕生。 | |
クラブの規模拡大及び各部門の技術の向上や活動の活発化によって、三部門が独立し始める。 | |||
1953 | 昭和28年 | OB合唱団が結成。 | |
1955 | 昭和30年 | 男声合唱団が再び木下保先生をお迎えし、女声合唱団も念願の専任指導者に北村協一先生が就任なさる。 交通遺児施設恵明学園訪問を開始(〜現在)。 | |
1958 | 昭和33年 | 三部門の合宿が別々に行われる。 11月、新築された日吉記念館で慶應義塾100年祭記念音楽会が行われ、三部門合同・楽友会の賛助でベートーヴェンの第九を演奏。 | |
1960 | 昭和35年 | 三部門の定期演奏会が別々に行われる。 | |
−以後、各部門が完全に独立− | |||
1968 | 昭和43年 | 慶應義塾命名100周年記念式典で慶應義塾祝楽曲を合同演奏。 | |
1976 | 昭和51年 | ワグネル創立75周年オール・ワグネル・フェスティバルにおいて、現役三団体とOB及びOG合唱団、OBオーケストラの六団体が共演。 | |
1983 | 昭和58年 | 慶應義塾創立125年記念式典参加ならびに創立125周年特別演奏会でベートーヴェンの第九を合同演奏。 | |
1986 | 昭和61年 | 創立85周年記念合同演奏会を開く。 | |
1990 | 平成2年 | OB・OG三団体と共にオーストラリアへの演奏旅行。 | |
1991 | 平成3年 | 10月、ワグネル創立90周年記念演奏会でマーラー作曲交響曲第2番「復活」を三団体合同演奏する。 | |
1996 | 平成8年 | 10月、ワグネル創立95周年記念演奏会でベートーヴェンの第九を三団体合同演奏する。 |
年 代 | 事 暦 | ||
1951 | 昭和26年 | 演奏旅行開始。 | |
1952 | 昭和27年 | 東西四大学合唱演奏会・東京六大学合唱連盟合同演奏会を開催、現在まで引き継がれる。 | |
1953 | 昭和28年 | OB合唱団が結成。 | |
1955 | 昭和30年 | 指揮者に再び木下保先生をお迎えする。 | |
1956 | 昭和31年 | 春合宿が始まる。 | |
1960 | 昭和35年 | ヴォイストレーナーとしてお迎えした畑中良輔先生に指揮をしていただき、新たにヴォイストレーナーとして大久保昭男先生を迎える。 第85回定期演奏会から男声合唱団だけでの演奏会となる。 | |
第88回から第106回定期演奏会まで木下先生、畑中先生が2ステージずつ、学生指揮者が1ステージを担当した。 | |||
1983 | 昭和58年 | 前年に死去された木下先生の追悼演奏会を開催。畑中先生が定期演奏会で3ステージを指揮する。 | |
1991 | 平成3年 | 中国へ演奏旅行。 若杉弘指揮・東京都交響楽団≪ワーグナーシリーズ≫「使徒の愛餐」(本邦初演)に出演。 | |
1992 | 平成4年 | 男声合唱組曲「草野心平の詩から」レコーディング。 | |
1993 | 平成5年 | 男声合唱組曲「東京景物詩」レコーディング。 若杉弘指揮・東京都交響楽団≪ワーグナーシリーズ≫「さまよえるオランダ人」「トリスタンとイゾルデ」に出演。 客演指揮者に三林輝夫先生を迎える。 | |
1994 | 平成6年 | 客演指揮者に西義一先生を迎える。 若杉弘指揮・東京都交響楽団≪ワーグナーシリーズ≫「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に出演。 | |
1995 | 平成7年 | 客演指揮者に佐藤正浩先生を迎える(〜現在)。 |
−慶應義塾ワグネル・ソサィエティー創立95周年記念演奏会プログラムより−