先生方の紹介

(敬称略)



専任指揮者 畑中良輔

 東京音楽学校卒業。宮廷歌手ヘルマン・ヴーハーペニヒ博士に師事。リリックな声を持ち、その音楽的解釈力の深さと卓越した演技力は、デビュー当時より高い評価を受けてきた。特にオペラではモーツァルト歌手として第一線に立ち、「魔笛」のパパゲーノ、「フィガロの結婚」のフィガロをはじめ、モーツァルトのオペラの本邦初演の主役のすべてをつとめた。イタリア、フランス・オペラでは、世界の名歌手、タリアヴィーニと「ボエーム」「ウェルテル」、ゲルハルト・ヒュッシュと「ドン・ジョヴァンニ」などを共演し、オペラ上演史に輝かしい記録を残した。歌曲ではドイツ歌曲・日本歌曲に造詣深く、特に日本歌曲のプログラムで全国縦断連続リサイタルを行い、啓蒙の役割を果たしたことは特筆に値する。又作曲の面では抒情的な歌曲作品が多く、「畑中良輔歌曲集」が全音楽譜より出版されている。評論の面では36年にわたり朝日新聞の音楽評を書き続け、「演奏家的演奏論」「演奏の風景」「朝日試聴室」などの著書がある。演奏家としては最近これまでの録音を集大成した「歌の翼に・畑中良輔」のCDがビクターから発売された。また、教育者としては弟子の多くのすぐれた声楽家が、日本はもとよりヨーロッパでも第一線の歌手としてオペラに歌曲に活躍している。全日本合唱教育研究会会長、日本音楽コンクール運営委員をはじめ、多くの役職をつとめ、文部省の教育課程審議会の重責をも担ってきた。
 東京芸術大学名誉教授、慶應義塾大学特選塾員、初代新国立劇場芸術監督、藤沢市民会館文化担当参与、水戸芸術館音楽部門芸術総監督、昭和60年紫綬褒章受章、平成2年毎日芸術特別賞受賞、平成6年勲三等旭日中綬章受賞、平成9年モービル音楽賞受賞、平成11年神奈川文化賞受賞。



客演指揮者 北村協一

 1954年、関西学院大学経済学部卒業。在学中は関西学院グリークラブの指揮者として活躍する。卒業後、東京コラリアーズに入団し、間もなく指揮者陣の一人となる。1961年、藤原歌劇団に入団し、「蝶々夫人」の合唱指揮などを努めて研鑽を積み、1963年同団によるプッチーニ3部作のうちの「外套」を指揮、オペラに鮮烈なデビューを飾る。1965年同団を退団ののち、1968年、二期会合唱団常任指揮者、1970年二期会専属指揮者となる。1973年、第6回文化庁芸術家海外派遣研修生として渡欧。「外套」でのデビュー以来、藤原歌劇団、二期会、東京室内歌劇場などで、「カルメン」「リゴレット」「ボエーム」「コシ・ファン・トゥッテ」「ワルキューレ」などオペラを中心に指揮活動を行っている。その他、関西学院グリークラブをはじめとする多くのアマチュア合唱団の公演も手掛け、関西学院、立教大学の両グリークラブを率いて、ニューヨーク、ポルトガル、オーストリア、イギリス、デンマークなどの各地で演奏活動を行う。
 森正、今村征男の各氏に師事。現在、国立オペラ研修所講師、二期会合唱団音楽監督、神戸市混声合唱団首席指揮者。



客演指揮者 佐藤正浩

 東京芸術大学声楽科卒業。ジュリアード音楽院ピアノ伴奏科マスター修了。畑中良輔、マーシャル・ウィリアムソン、ジョナサン・フェルドマン、マーゴ・ギャレット、マーティン・キャッツの各氏に師事。
 ジュリアード修了後同校のスタッフピアニストを務めた後、サンフランシスコオペラのオーディションに合格、同オペラセンターおよびオペラハウスでコーチとして活躍する。1995年、指揮者ケント・ナガノの招きによりフランス・リヨン国立歌劇場の第1コレペティトールとなり、2つの世界初演を含む数々のプロダクションを成功に導く。この間いくつかのレコーディングにも参加、又ピアノソリストとしてストラヴィンスキー「ピアノコンチェルト」「ペトルーシュカ」等をリヨン国立歌劇場管弦楽団と共演し絶賛を得る。
 1998年のシーズンよりフリーとなり、パリ・シャトレー劇場、シャンゼリゼ劇場を中心に、またオランダやイギリスの歌劇場からも招かれ、コレペティトールとして活躍する。一方、"第九"を指揮するなど指揮者としても徐々に活躍の場を広げ、イギリスではモーツァルト作曲"イドメネオ"を指揮しオペラデビュー、2000年はR.シュトラウスの"ナクソス島のアリアドネ"を指揮することが決まっている。



ヴォイストレーナー 大久保昭男

 1953年、東京芸術大学声楽科卒業。谷田部勁吉氏に師事。1953年5月、NHKオーディションに合格。数多くの放送、演奏会に出演。近衛英麿指揮・青山杉作演出によるオペラ「カルメン」、山田耕筰作曲・本人指揮のオペラ「黒船」(初演)、ドヴォルジャーク作曲「ルサルカ」(初演)などにも出演。1959年にはドイツ・リート及び日本歌曲による第1回リサイタルを開く。その後、慶應ワグネル、関西学院グリー、同志社グリー、明治大学グリー、立教大学グリー、法政大学アカデミー合唱団をはじめとするトップクラスの大学合唱団のヴォイストレーナーとして、関東、関西で幅広く活躍、現在に至る。元東京芸術大学講師。



ピアノ 谷池重紬子

 武蔵野音楽大学卒業。同大学卒業後、二期会ピアニストとなり、伴奏者としてのキャリアをスタートさせた。歌い手の音楽に寄り添うように弾かれるピアノ伴奏には定評があり、朝日新聞の天声人語にも紹介された。
 一流の歌手達のリサイタル、合唱伴奏、及び録音、放送等、数多く手掛けている。新国立オペラ研修所では、伴奏者兼コレペティとして、明日の日本オペラ界を担う若手声楽家達を支えている。水戸芸術館では、『オペラの花束をあなたへ』シリーズやリサイタル等出演多数。その豊かな音楽性と卓越したテクニックで音楽会を盛り上げている。



ピアノ 藤田雅

 4才より音楽教育を受け、13才よりフルートを、15才より作曲を学ぶ。桐朋学園大学音楽学部にてフルートを峰岸壮一教授に師事。また、三村園子、根岸道子、工藤重典、J.ゴールウェイ、C.ラルデ各氏の指導も受ける。室内楽を数住岸子、山岸伸子、中川良平、K.ライスター、H=P.ロジェ各氏等に師事。
 1987年度渡米、インディアナ大学大学院音楽部にて引き続きフルートを学ぶが、1989年、同大学ピアノ科に転科し練木繁夫氏に師事。1990年にはジュリアード音楽院に進み、ピアノをM.ウィリアムソン、J.フェルドマン、M.ギャレット各氏に師事。在学中よりカーネギーリサイタルホール、リンカーン・センターをはじめ全米各地はもとよりヨーロッパでも活躍、各地で絶賛を受ける。1991年にはニューヨークの国際連合本会議場に於ける『平和コンサート』に出演、その模様は全米に生中継された。また、米国のラジオステーション、テレビ番組にも数多く出演。1992年、ジュリアード音楽院を卒業と同時に同音楽院スタッフピアニストとなり、1993年からは神戸国際フルートコンクールの公式ピアニストを務めている。1995年サンフランシスコ歌劇場『メローラ・オペラ・プログラム』にオペラコーチ/ピアニストとして迎えられ、最高位、"Otto Guth Memorial Award"を日本人として初めて受賞。直ちに同歌劇場オペラセンターの『ウェスタン・オペラ・シアター』全米ツアーの副指揮者/オペラコーチとして契約。
 これまでにJ.バクストレッサー(ニューヨーク・フィル首席フルート)、S.トゥルノフスキー(ウィーン・フィル首席バスーン)をはじめ、バイエルン放送響、イスラエル・フィル、ロサンゼルス・フィル、ボストン響、ウィーン・フォルクスオペラ管、メトロポリタンオペラ管等、第一級のオーケストラの首席奏者達、またM.デボスト、A.マリオン、C.ウィンセンス、峰岸壮一、重松みか氏等、多くの著名なソリストと内外で数多く共演、その優れた音楽性とパートナーシップで高い評価を得ている。
 1999年夏には、来日直前に急病でキャンセルしたアーティストに変わって急遽リサイタル開催が決まった世界のトップフルーティスト、A.アドリアン氏のピアニストとして指名され、演奏会4日前という依頼にもかかわらず大成功を収め絶賛された。



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