同窓会設立十周年によせて

 

子供の頃の九品仏周辺   一期 端山(現姓走内)尭子 

 昔は九品仏を”くひんぶつ”と読む人が割りといましたが、今はお寺が有名になって遠くに住んでいる人でもそんな呼び方をする人には会わなくなりました。

 昭和30年前後の頃と、お寺はあまり変わっていなくて境内に電線が見えない事から時代劇の撮影でお祭りのセットなどが何件も作られていたのがめずらしく、よく見物に行きました。お墓の隣の、今公園になっていたり、家が建っている所は柳や桜が植えられ、ボート屋さんがあった池でした。池のまわりは春になると、せりが一杯はえて水の中にはかえるの卵が生みつけられていて、土手にはたんぽぽ、つくしがたくさんありました。等々力渓谷は粘土が取れると聞いて、探しに行きましたが滝のしたで修行している人を何回か見かけ、子供の来る所ではない様な気がしてやめてしまいました。駒八通りの踏切の脇に等々力バラ園があって、色とりどりのバラと甘くやわらかな香に囲まれて幸せな気分になれるのでバラ園に行くのが大好きでした。桜のトンネルだった環八通りやすすきの畑みたいだった多摩川べりなど、想い出すと四季折々の自然の美しさ、楽しさをたっぷりと味わえたように思います。(目黒区在住)

 

 

今も変わらぬわが街、わが母校    七期 鈴木(現姓外山)真佐子 

 昭和二十二、三年生まれ、ベビーブーマーと呼ばれた私達七期生、一クラス五十八名という大勢の生徒達を、やさしく見守って下さった先生方、そして仲間達、今頃どうしているのでしょうか?懐かしく想います。七期卒業生は、今年五十歳を迎えます。みんな元気かしら?それぞれの歩んできた道を、ちょっと振りかえってみませんか?美術の時間、浄真寺へスケッチブックを持って写生に出かけましたね。境内の大きないちょうの木、鐘つき堂、三仏堂、そしてお釈迦様の足跡。みんな懐かしいあの頃とまったく変わっていません。ぶらりと訪ねてみませんか。校外学習で多摩川の河原へ行きました。カエルを捕まえたりヘビを見つけては大騒ぎをしました。こんな元気な私達を見守って下さった、北野先生、高橋先生、中村先生、小池先生、音楽の伊藤先生、保健の清水先生、皆様お元気でいらっしゃいますか?同窓会だよりが届けられると昔の懐かしいお話、友達の名前等、すぐ探してしまいます。いつまでも九品仏小学校と共にわが街、わが同窓会だよりを応援して行きましょう。 (大田区在住)

 

 

親子ともども、九品仏の街で    九期 野崎(現姓金城)信子 

 九品仏の地へ又、移り住んできて早くも十年余になります。ちょうど同窓会の発足と同じ頃で、会長さんの「無理のない所で……」との甘い言葉に誘われて何となく関わらせていただき、今に至る訳です。当時を振り返ると、会長さんと二人の副会長さんの顔がどうしても思い出されます。何をするにも三人いっしょで、意見は違っていても楽しそうに心はずませている姿に、つい引き込まれたのかも知れません。そのうちに我が子三人も九小にお世話になり、親子共々楽しい小学校生活を送らせていただきました。私もPTAを通し学校、地域、保護者が子供達のために力を合わす姿を見てとっても勉強になりました。この地域での子供達の為の大きな行事(バスハイクやもちつき)には親子共々リーダーの卵として後輩の為に関わらせて頂いています。又、たまにですが「親と子の関わりを考える会」にも参加させて頂いています。

 我等九期生の中には、九品仏商店街で頑張っている仲間――床屋さんのケンちゃん、ボンゴの中村君、ケーキ屋さんの吾妻くん――もいます。もしこちらへふらっといらした時ぜひ声をかけて近況等お知らせください。特に住所の変更をご連絡くださるとありがたいです。これからもささやかな力ですけれども心は暖かく、仲間や後輩たちと関わらせて頂きたいと思っています。ヨロシク!    (世田谷区在住)

 

 

家族と友だちに感謝    十四期 平沢(現姓荒木)祥子 

 我が子は四月から短大一年、高校二年、中学一年とそれぞれ新しい生活がスタートします。商売で忙しい私は三人の子供達をとにかく、たくましい子に、思いやりのある子に、と手をかけてあげられない分常に目と声だけはかけてきました。そして担任の先生は好きになるよう、学校生活は楽しく過ごせれば良しと、人との出会いは大切にしてきました。そのお陰かどうかは分かりませんが、三人とも担任の先生には恵まれ、色々な悩みも家族で話し合って解決してきました。家族が揃うと子供と私が手を上げて、指された人から話し、あまりの賑やかさに、主人があきれて笑っているという具合です。普段は皆が自由でバラバラのようですが、いざという時は団結する、そんな自然体の家族が私は大好きです。見栄を張らず、肩の力を抜いて生活している自分に気が付いた時、今迄の言葉では表わせない苦労が、苦労ではなく感謝の気持ちに変わります。朝から晩まで仕事の私が、十四期の幹事をやらせて頂いています。クラス会、同期会を開催しても、出席者はとても少なく淋しくなりますが、集まってくれた友達一人一人の気持ちがとてもうれしく、満足感に変わります。なにがあっても「良かった探し」をすると楽しくなります。小学校の頃から、この土地を離れたくない気持ちが強い私でした。そして、九品仏小、万歳!  (世田谷区在住)

 

 

十年間、幹事を勤めて    二十一期 毛利 悦朗 

 私が同窓会と関わる様になって、もう十数年になる。当時、クラス幹事をしているので様子を見てこようと思った設立準備会の時からだから、女房と知り合うよりずっと前だ。 九品仏にずっと住んでいて会長、副会長さんの家に近いから、こき使われ‥‥もとい、かわいがられている。自分が卒業したときには、先輩後輩なんて気持ちは全然なかったのに、今は小学生を見ると自分の後輩だなんて思ったりする。そういえば、来春には自分の娘も小学校に上がるのだ。双葉なんてはいれないから当然、九品仏だ!

 数年前から会報の編集に関わるようになった。会長さんが一生懸命集めてきた原稿をあーでもないこーでもないとページに割り振る。写真を張る場所を決めて、余ったスペースには印刷屋さんにカットをいれてもらう。いつも入稿が期限ぎりぎりで(これは、佐原さんが悪い)印刷屋さんどうもすみません。近ごろマンネリぎみだから誰か編集スタッフになって新しいアイデアを出してくれー!

 それから今年は予算をもらって、同窓会報インターネット版を作ります(たぶん)。興味のある方ぜひ手伝ってください。

 E-mail tofukimg@mars.dti.ne.jp   (世田谷区在住)

 

 

案ずるより出るが易し    二十三期 毛利(現姓若泉)直子 

 私達がクラス会を毎年開く様になり十数年だんだん顔ぶれが同じ様になっていました。 しかし、昨年開いたクラス会では卒業以来二十一年ぶりに初めて出席する人がいました。初めは話し方もぎこちなく、でも酔いがまわるうちに本音も話せてその人は言いました。「小学校の時、自分は他の人と違うと感じていた。だから今までクラス会にも出席しなかった。」それは私の持っていた、その人の明るい印象と違っていたので、そんな風に考えていた事に驚きました。けれど出席してみて私達のクラス会が、いわゆる社会的立場など関係なく、それぞれ違う環境にいる一個人として(少し子どもに戻って)楽しく集まっている事を、わかってもらえた様で、とても嬉しく思いました。

 卒業して何年か経てば皆それぞれ選んだ道で暮らし、変わらない事変わった事たくさんあります。同窓会は「懐かしい再会」だけでなく、成長し変わった私達の「新しい出逢いの会」でもあると思います。違う環境に暮らす人と話す事で得るものも有ります。ですから同窓会を縁遠いもの過去のものと感じている方は新しい出逢いの一つと考えて出席してみてはいかがでしょうか。  (ワシントン在住)

 

九品仏を離れて思うこと    三十二期 松村 嘉之 

 九品仏小学校を卒業してから12年の月日が過ぎました。同期のみなさんはそろそろ就職結婚などで九品仏を離れる人が多くなってきているのではないでしょうか。かく言う私は高校三年生になる時に川崎市に移り住み、それ以来九品仏とは疎遠な生活を送っています。

 しかし、私には毎年一回必ず九品仏に帰って来る日があります。それは6月にある同窓会の総会の日です。ひょんなきっかけで同窓会の設立のお手伝いをさせて頂き、その後も諸先生、先輩方にお会いするのが楽しみで、年に一度の里帰りのつもりで毎年総会に出席させて頂いております。

 私は九品仏を離れて益々九品仏が好きになったと思います。皆さんもなにかの折に九品仏の先輩、後輩、友を訪ねてみてはいかがでしょうか。きっと九品仏を今よりもっともっと好きになると思います。 (川崎市在住)

 

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