百里を語る会

 この学習会は、百里基地反対闘争の歴史的事実を広く深く当時の日本さらには世界情勢の中で確認することと、
その闘争の意義を検証し今後の百里基地反対運動さらには平和運動につなげていこうと開催したものです。
 茨城県平和委員会で長きにわたり百里基地反対運動に深く関わってきた伊達郷右衛門氏を講師として、2016年
7月から2017年7月まで、月1回ペースで10回開催されました。その概要を報告します。なお、伊達氏は詳しい
資料も用意して話を進めました。参加車は毎回10人前後でした。 
1  2016年7月13日  百里の歩みと現状   概要
 2 2016年8月23日  百里闘争前史-茨城の基地反対闘争   概要
3  2016年9月15日  「自衛隊は憲法違反」を考える  概要
4  2016年10月13日  山西町町長の誕生と敗北 激動の4年間  概要 
5  2016年11月16日  百里裁判闘争とその意義  概要 
6  2017年2月16日  反対同盟の解散・再建から水戸地裁判決までの百里のたたかい  概要 
7  2017年3月24日  戦争遺跡(百里海軍航空隊)を巡りました  概要 
8  2017年4月15日  なぜ反対同盟は60年も続いてきたのか  概要 
9  2017年6月3日  たたかいの主役と原動力 総集編その1  概要 
10   2017年7月8日 百里基地反対闘争のまとめ 総集編その2  概要 
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3回目は8人がの参加
 テーマは 「自衛隊は憲法違反」を考える
2016年9月15日
  
  9月15日(木)に百里公民館で、3回目の「百里を語る会」が行われ8人が参加しました。この学習会は、
次のようないきさつで始まりました。
 以前から百里平和公園の草刈りをボランティアでしている仲間から「おれ達、百里の草刈りしているけど、
百里闘争のこと全然知らないんだよな」という話が出て、「実はおれも良く知らないんだ」ということになり、
「そんなら百里のたたかいを勉強しようや」という事になりました。ざっくばらんに「わからない事を出し合い、
知っている事をみんなで話し合おう」。そんな勉強会にしてみたいと計画しました。
 3回目となる今回は、1,2回目同様伊達郷右衛門さんが講師となって、敗戦から新憲法の制定、「再軍備」
にいたる1945年から1955年までの「自衛隊創設」そして百里への基地建設が持ち上がった背景を中心
に学びました。テーマを紹介すれば、
 憲法9条はどのように解釈され改悪されてきたか
1.朝鮮戦争勃発、それは日本再軍備のはじまり。警察予備隊がつくられた。
  朝鮮戦争 警察予備隊 マッカーサー憲法3原則
2.憲法9条、変わる政府の「解釈改憲」と変わらぬ国民の意思
憲法制定議会(自衛権も否定)講和条約と安保条約 MSA協定 自衛隊の強化
そして1978年の「ガイドライン(日米共同防衛のための指針)」 
国連の旗の下での国際貢献(1972年PKO法) 
2015年戦争法
 次の4回目はいよいよ「百里基地闘争」に入ります。
参加者からは、現地調査もしたいという声も上がっています。
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        2回目の百里を語る会
    8月23日(火) 午前10時 百里公民館
       講師:伊達郷右衛門氏 「百里闘争前史」 
     2回目は10人が参加しました    

8月23日(火)に百里公民館で、2回目の「百里を語る会」が行われ、1回目より1人多い10人が
参加しました。この学習会は、百里基地反対闘争の歴史的事実を広く深く、当時の日本さらには
世界情勢の中で確認することと、その闘争の意義を検証し今後の百里基地反対運動さらには平和
運動につなげていこうと開始したものです。
 2回目となる今回は、1回目同様伊達郷右衛門さんが講師となって、百里基地反対闘争の前史と
なった、「神ノ池軍事基地反対闘争」を中心に、参加者と共に自由に語り合いました。伊達さんは、
主に県労連の記念誌を資料として、基地建設阻止に成功した(勝利した)「神ノ池軍事基地反対闘争
」の経過と勝利の要因を分析してくれました。戦後10年にあたる1955年は、防衛庁による茨城県内
各地への基地建設計画が表面化した年でした。旧筑波海軍航空隊跡(友部町)、大洗町那珂川河口
の「米軍救難艇基地」計画、そして「神ノ池」、「百里」です。どこでも反対運動が起こり、「百里」以外で
は計画が頓挫しました。「神ノ池」では防衛庁の切り崩しにより、鹿島町長・町議会が反対から賛成に
転じるといったことも起こりましたが、結局、防衛庁は1956年には建設を断念しました。しかし「百里」
では小川町長幡谷仙三郎を中心に水面下で航空基地建設計画が進行していました。この時期、全国
では「砂川闘争」と「沖縄基地闘争」などが闘われていました。伊達さんはそれらと対比しながら、百里基
地闘争の特徴を3つ指摘しました。「町政民主化」闘争の弱さ、幡谷財閥の財政私物化、開拓農民の農
業意欲の低さです。これらについては、次回に詳しく取り上げる予定です。

1回目の「百里を語る会」 2016年7月13日
 7月13日(水)に百里公民館で、「百里を語る会」が行われ、9人が参加しました。この学習会は、
百里基地反対闘争の歴史的事実を広く深く当時の日本さらには世界情勢の中で確認することと、
その闘争の意義を検証し今後の百里基地反対運動さらには平和運動につなげていこうと開始
したものです。
 1回目となる今回は、伊達郷右衛門さんが講師となって、百里基地反対闘争の全般、,参加者と
共に自由に語り合いました。伊達さんは、「基地百里」「百里原農民の歴史」等の「百里」の歴史が
わかる書籍を紹介しつつ、県労連の記念誌などのコピーを資料として、百里基地反対闘争を当時
の社会情勢と関連づけつつ、そのの全体像を紹介してくれました。例えば、百里への誘致が表面
化した1955年は、前年に自衛隊が発足する中で、保守合同、社会党の再統一、日本共産党の
方針転換など、55年体制が確立した年であり、百里闘争を読み解く鍵がここにあるという指摘も
ありました。また、百里の開拓の歴史、神ノ池基地闘争なども話題になりました。
 「百里を語る会」は今後も月1回程度のペースで開催することになりました。次回は、8月23日(火)
の10時から12時、百里公民館で行います。引き続き伊達さんに講師を依頼し、百里闘争の前史で
ある戦前戦後の百里、神ノ池基地反対闘争等を取り上げる予定です。