「ローレライ」制作裏話

「ローレライ」映画チラシ★映画基礎データー★
「ローレライ」
2005年 日本映画
監督 樋口真嗣
原作 福井晴敏
脚本 鈴木智
出演 役所広司 妻夫木聡 柳葉敏郎 香椎由宇 石黒賢

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「ローレライ」劇場紹介初日に見に行きました。
アクション映画だろうというで見ましたが、
別の世界でした。
邦画伝統の8.15シリーズとも違いますし、
戦争映画の舞台でSF映画している。
ジャンル分け出来ない作品ですね。
「ローレライ」は唯一、「ローレライ」である、と。

1945年8月、ドイツ降伏後日本海軍に接収された戦利潜水艦、伊507。
 海軍軍令部作戦課長の浅倉大佐(堤真一)は、
艦長にかつての名艦長で今は閑職に回されていた絹見少佐(役所広司)を任命。
広島に続く原子爆弾投下を阻止が命じられる。
絹見は、かつて共に戦った先任将校の木崎茂房大尉(柳葉敏郎)を右腕にこの作戦に挑む。

 一方、回天特別攻撃隊(特攻)に所属していた19才の折笠征人(妻夫木聡)も、
その能力を買われて伊507乗員に選ばれるが、
特攻を非合理的作戦として認めない絹見に反発を覚える。
 軍属技師として乗艦している高須(石黒賢)によれば、
伊507にはドイツ軍が開発した特殊兵器<ローレライ・システム>を
搭載しているという。が、その全貌は高須しか知らされていなかった。

映画の掲示板を見ますと絶賛するものから罵倒するものまで種々雑多。
でも投稿者は全部男。
ま、SF戦争映画ですからね。
といいますか、あれは戦争ごっこ映画だと思います。
悪口ではないです。むしろ私なりの賞賛。
仮想戦記もの、というジャンルの小説を読んだこと無いので
比較できませんが、それとも違うんではないかと踏んでます。
福井晴敏モノとしては、どうなんですか?

メイキング本、テレビの特番などで多くの情報が公開されています。
原作者や監督もいろんなところで語っていてそれぞれに面白い…。
いま、原作という言葉を使いましたが、
原作があってそれを映画用に脚色したということではありません。
その点、同じ作家の「亡国のイージス」とは
制作プロセスが異なります。

2000年夏、に福井晴敏氏がフジテレビに出かけていったときは、
本人は「亡国のイージス」の映画化の話だと思ったそうですが、
製作の亀山千広(「踊る大捜査線」全シリーズ)、
監督の樋口真嗣(「ガメラ」シリーズ特技監督)らからの要望は、
オリジナル映画の企画原案をやってほしいというものでした。

特に樋口監督は
@第二次世界大戦が舞台であること
A潜水艦が主役であること
B少女が登場すること
をストーリー作りの前提の条件としたいという申し出をしています。
福井氏はレポート用紙3枚ほどのメモを書きましたが、
そこでドラマの基本設定の検討案があり、世界観を伝える言葉として
“「ナバロンの要塞」に宮崎駿、もしくは冨野由悠季的(ガンダムの監督)
センス・オブ・ワンダーを加える”
という言葉が使われていたようです。
それを元に具体的なストーリー案が提出されたのですが、
原稿200枚に達するもので、プロットとは言いがたいほどの分量になっていました。
樋口監督は、もう少しキャッチボールがしたかったようですが、
すでに手を入れる余地が無いほどがっちり世界観が構築されたもので、
監督はこれをベースに脚本を検討、
映画用のオリジナル・ストーリーを共同で考案、
それぞれ小説と映画を発表するコラボレーション企画であったため、
福井氏は小説版執筆に専念。
小説「終戦のローレライ」はこうして枝分かれして生まれた“福井晴敏のローレライ”です。
監督の元へは続々書き上げられた小説原稿が届き、
それは監督いわく“一回一回が週刊ローレライ”とでも呼ぶべきボリュームがあったそうです。

福井氏を原案立案に呼んだときは、「亡国のイージス」のように映像的なイメージにこだわる
冒険小説の書ける人ということで指名したようです。
福井氏は常々、どうして日本でダイハードのような作品が作れないのか、
疑問に感じていたそうで、話の持って行きようで突破口はある筈だと信じて、
特に初期の作品を映像的なイメージで書き上げたそうです。
しかし、監督のもとに届けられる週刊ローレライは、心理描写にこだわり、
延々と原稿を読んでも少しもストーリーが進まない代物になっていました。

現場の監督の座右には常に福井氏の原稿は製作の
拠り所として置かれていたようですが、
脚本そのものは最初のストーリー案から書き上げられ、
ぶれることは無いようにしたとのことです。
恐らく、映画と同じことをしてもしかたないと福井氏は考えたのではないでしょうか?
小説でしか書けないこと、にこだわったようです。
2002年12月刊行の「終戦のローレライ」は吉川英治文学新人賞、
日本冒険小説協会大賞を受賞しています。
映画の脚本作りには、劇団☆新感線の中島かずきも参加しており、
鈴木智(「金融腐蝕列島〔呪縛〕」)が取りまとめています。

伊507は全長110m最大幅9mという設定ですから、大きさからして
「レッド・オクトーバー」といい勝負の巨大潜水艦です。
シュルクーフというフランスの潜水艦がモデルです。
ネットで現物の写真を見つけましたのでリンクを張っておきます。
http://www.ahoy.tk-jk.net/macslog/FrenchSubmarineSurcoufthe.html

帝国海軍の潜水艦はすべて“伊号”と呼ばれていましたが、
映画の主人公として、戦艦ヤマトのようにシルエットだけで、
ローレライの主役と分かるオリジナリティのある潜水艦を探すうちに
シュルクーフを見つけ出したそうです。
これがフランスからドイツへ、そして日本へと渡るうちに改装を重ね、
伊507になったという設定になっています。
デザイン的にはシュルクーフをメインに、様々な潜水艦のいいとこどりで
纏められたデザインですので、むしろ無国籍的ですね。

帝国海軍の甲、乙、丙、丁各型の“伊号”潜水艦シリーズは、
連合艦隊が古くから想定していた艦隊決戦用に
大型戦艦郡と作戦行動を共にすることを前提に建造されているので、
比較的航続距離が長く、戦艦の馬力に遅れを取らぬ足の速さを誇る大きな艦が
多かったようです。
ドイツより提供されたUボートの技術をベースに開発されたようですが、
大西洋の補給艦船襲撃に組織されたUボート艦隊とは、
運用思想が異なっていったことになります。
摂取された外国の潜水艦はすべて伊500シリーズと命名されたようで、
501から506は実在した潜水艦です。
述べ百艦以上の潜水艦を連合艦隊は組織しましたが、
残念ながら、真珠湾奇襲以降、海軍は空母部隊の航空兵力中心に作戦が展開し、
偵察機による海中索敵力、水上艦の対潜水艦探知能力に秀でる米艦隊に押され、
連合艦隊の潜水艦たちは大きな活躍の場を得ることが出来ませんでした。
太平洋戦争全体の戦果としては、
空母二隻(空母ヨークタウンはミッドウエー海戦において沈め、
もうひとつの空母ワプスは、わぐちかいじの劇画「ジパング」でも轟沈していますね)
がおおきなものです。

ローレライは広島の原爆投下後出航し、
ドラマの中で8月11日の終戦直前に決戦を迎えますが、
史実では、終戦の8月15日に作戦行動中だったのは、
特型と呼ばれた伊400シリーズの2艦と随行潜水艦二隻のみです。
特型は、水上機3機を搭載した潜水空母です。
パナマ運河を空襲し、
アメリカ艦隊の太平洋と大西洋の行き来を遮断してしまうという
気宇壮大な運河空襲作戦のために
考案建造を予定された18隻中、完成し作戦行動が可能だった二隻が、
南方のウルシー環礁のアメリカ艦隊攻撃に出撃し、
到達前に終戦を迎えています。
潜水艦から爆撃機が発信するというSF小説のような発想は、
他の国にもあったようですが、実用艦が完成したのは連合艦隊のみです。
皮肉にも、その技術はアメリカ海軍により大陸間弾道弾の搭載潜水艦の開発に
生かされたとのことです。

当時の潜水艦はディーゼルエンジンで海上を航行し、
いざと言うときに潜航して蓄電池のバッテリーでモーターを回して戦う、
いわば「可潜艦」です。
映画のオープニングに、
アメリカ艦艇に恐れられるローレライの伝説が語られます。
ついで広島への原爆投下、そのあと絹見少佐の艦長就任と話は続きます。
事件が映画のとおり進んでいくなら、
伊507は絹見が艦長になるかなり以前から、
作戦行動を行っていたことになります。
原爆阻止に出撃した船員は、絹見と一緒にかき集められた筈ですが、
彼らは、伝説のローレライ搭乗員とは別人なのでしょうか?
まるごと回想で、実は映画のドラマ以降、伝説になった?
いえ、これは駆逐艦のジェコブス艦長が「魔女」を宿敵と思い込んで
この映画で執拗に追撃を仕掛けるので、やはり映画の順のとおり
実際の出来事も起きていると考えませんと。
傷といえるほどのものではないですが、
突っ込みどころのひとつですね。

“ドックからの発進シーンがない。
東宝なんだから潜水艦にはあれがついてないのは物足りない“
という掲示板の書き込みを見て笑いましたが、確かに東宝映画では
海底軍艦からメカゴジラまで、派手派手な発進シーンがウリになってるので、
いきなし洋上の場面でクルーの紹介とは端おりすぎですね。
伊507は横須賀を出撃したことになっていますが、ロケは佐世保の造船所で
行われたようです。
ドックが実写で、その中の伊507がCG。
伊507は約6メートルの全長模型が作られ、
それをカメラに取り込んでCG素材を書き起こし、
ミニチュアそのものも東宝の大プールに浮かべてデジタル合成に使われています。
米艦隊の駆逐艦も同様、サイズまで同じ6メートル。
ミニチュアでも、模型だけが作られた原子爆弾と、
はじめからCG素材だけがコンピューター上で作られた米軍ガトー級潜水艦と
絵コンテに応じて、それぞれ作り分けられたようですね。
(B−29爆撃機は両方のようです。)

絹見艦長役の役所広司がミスキャストだという意見がありました。
でも観客にそう思わせたらキャスティングの意図通りですね。
絹見という人物は、特攻を否定して潜水艦を降ろされてしまった人です。
予告編にもある通り、「死が美徳であった時代」です。
何か政治的な意図があって、反骨しているのではないかという意味の疑問を
高須あたりに投げかけられていたようですが、
「嫌いなんだ、それだけだ」と淡々と返しています。
役所さんは発令所でマイク片手の命令シーンが演じどころでした。
撮影現場には正木成虎氏という海上自衛隊の潜水艦のキャプテンが潜水艦考証という
役目で参加していて、この台詞回しなどの考証もしています。
ハリウッド映画などと違って日本人俳優は兵役経験が無いのが当たり前なので、
キャストやスタッフを横須賀に連れて行って実際の潜水艦内での模擬戦闘準備など
海自クルーにやって見せてもらったりしているとのことです。
その時問題になったのが、
緊急事態になるほど艦長は冷静にしゃべるのだと言うこと。
でも考証どうりでは絵にならないので、どうしようと。
“ベント開け”(メインタンク注水弁開け → 潜航開始の意味)
というのも、艦内では本来、「ベン〜ト開け」といったのんびりした感じになる。
それじゃ映画にならないので、監督らと相談して
役所さんは普通に「ベント開け」としゃべって、
副長の柳葉さんが「ベン〜ト開け」と復唱する、というスタイルになった。

潜水艦内という閉鎖空間での芝居がほとんどの映画です。
アクション映画でありながら、
配役は、むしろ舞台芝居のような微妙なところで己の役割を演じて行ったようです。
「極限状態のテンションをキープするのは大変だったのでは?」
というインタビューに妻夫木くんは、
「衣装が軍服でしたから、軍服を身に付けるとぐっと身が引き締まってね」と
答えています。
また潜水艦の艦内セットは爆雷の爆発にあわせて振動するよう作られていた
そうで
「もちろん実際の振動とは別物だけど、演技のタイミングは掴みやすかった」
とも言っています。
艦内セットは東宝のスタジオに巨大な実物大のセットが組まれましたが、
展開しやすいよう三分割が出来たそうです。
また横からの撮影も出来るよう壁は取り外しできるものだったようです。
とはいえ、艦内は極端に狭く、メイキングを見ますと、
監督が魚雷発射管の下にもぐりこんでモニター代わりのノートパソコンのディスプレイを
腹ばいになって見ながら演出している。
なんでも監督は撮影で二十キロからやせたとか。
(その後、十五キロリバウンドしたそうです。笑)

出撃した伊507は、八丈島沖合いで遭遇の米海軍相手にローレライ・システムを
起動し、駆逐艦を蹴散らす。
ここから後が戦闘シーンが切れて台詞芝居が続く、
予告編では全編ドンパチで見せる特撮映画のような気がしていたのですが、
実際には、戦闘はこことクライマックスのみです。
合間に長崎の二つ目の原爆投下の特撮が入る。

駆逐艦フライシャーのブリッジ描写は、アメリカで
ロケが敢行されています。
戦勝国のアメリカには太平洋戦争時の軍艦が港湾博物館の
洋上実物展示などとして多数保存されており、戦争映画によく使用されるそうです。
フライシャーの場面は本物の駆逐艦のブリッジでロケされています。
英語と役者の英語の生理的な対応を優先するため、
監督以外全員米国人というクルーでロケが行われたといいますから
あっぱれです。
そろそろネタばれ改行してストーリーを追いかけます。





高須(石黒賢)一味の反乱と、浅倉大佐(堤真一)の裏切りは、
映画の掲示板でも、メーリングリストの投稿でもろくな評価を受けていませんでしたが、
私もやっぱり、えらい説得力のない展開だなと思いましたね。
“反乱”というシチュエーションが欲しいばっかりに、
ドラマを無理無理でっち上げたといっては言いすぎ?
南方で上層部に見捨てられたって、それは陸軍の話でしょう!?
どうしても反乱が書きたいなら、抗日ゲリラと連絡する組織とか。
中国人朝鮮人ネタに振りたくなかったのは、
近く公開の「亡国のイージス」で北朝鮮が既に悪役になっているので、
それとの重複を避けるためとも考えられますが、
ふたりの唱える理屈があまりに観念的で、
あんなことで命を掛けられるんか?と首をひねります。
石黒さん、“怪しい奴”を演ずるため他のキャストがランニングや開襟シャツ姿なのに、
ひとりでツイードのスーツ着てましたね。
暑苦しげて、とっても怪しい…笑

配役でオイシイのは、田口掌砲長役のピエール龍。
甲板の主砲の砲撃手で映像的に目立つ上に、高須らと組んで反乱軍の一員になり、
途中で寝返る役どころです。
海軍に入る前は銀座のバーテンダーだったっけかな?
“パウラ姫”がハンストして妻夫木くんが半泣きになると見かねて、
彼女のためにアイスクリームをこさえてます。
(潜水艦の中でアイスクリームですよ!)
ピエール龍はミュージシャンであって役者ではないので、
芝居はへたっぴいですが、田口役ははまってました。

無理がある設定というのは、パウラ(香椎由宇)の方こそ無理の塊。
彼女はローレライ・システムのオペレーターとして…
というより彼女自身がローレライ・システムそのものであるという
ドイツから伊507と一緒にやってきた日系ドイツ人の超能力者。
福井さんからストーリー案を受け取った樋口監督もさすがに
「ここまで振り切ってしまっていいのか」と悩んだそうですが、
元をただせば、潜水艦に女の子、という注文を付けたのは監督たちの方のはず、
そんな無茶な注文をしなければ良かったのに、といってしまえばそれまでですが、
樋口監督は「クリムゾン・タイド」のことを例に挙げて言い訳してます。
男の観客は、ジーン・ハックマンなり、デンゼル・ワシントンなりに感情移入して
鑑賞すればよいのですが、女の子は誰に感情移入したらいいのか、
自己投影する登場人物がいない…。
戦争アクションで男性観客が盛り上がっても女の子にそっぽを向かれては
映画興行としても困るわけで、演出サイドだけでなく、
プロデュースする立場としても工夫しなきゃいけない。

監督らは、船の中にお荷物になる女の子がいてわががまを言って
お姫様のように振舞うが、戦いの中でしだいに心をひとつにしていく、
−というようなやわらかなイメージを持っていたそうですが、
福井さんから渡されたストーリー案では、ナチスの兵器開発の犠牲者になっていた。
香椎由宇はTV「ウォーター・ボーイズ2」などにも出ていたようですが、
あんまり印象無いです。
彼女はN式という小型潜水艦にずっと閉じ込められているわけですが、
内部はまっすぐ立つことも出来ぬほど狭く、
システムを動かすため亀の甲羅のようなソケットを背中にしょっているのですが、
横になっている席も中途半端で、
シーンが長くなると「腹筋がプルプルいう」ほどしんどかったようです。

“お姫様な”わががまぶりは、劇中では世話役に指名された妻夫木くんが
被害にあってますが、妻夫木くん本人は彼女との関係を
「特攻で死ぬ気になっている男が乗り合わせた船で女の子と恋に落ちるなんて、
自分的には考えられない。ふたりは恋愛関係じゃなくて、同士愛で繋がっている」と
いってます。

発令所でローレライ・システムを艦長らが見下ろすシーンというのが、
アクション場面の山場に組み込まれていますが、
実際には何も無いところで芝居をしなきゃならない。
役所さんたちは監督に食い下がって質問したのですが、
福井さんのアイディアには、磁石にひきつけられて動く蹉跌のようなもの、と
されていたので実際に磁石と蹉跌を用意して、
板の上に撒いた蹉跌を板の下から磁石でぐりぐりやって、
こんな按配、とイメージを伝えた。
監督の方はそれで説得力があったかどうかとても気になったようで、
「芝居に合わせてCGを作るから」と弁明しています。
柳葉さんなどはこの監督の言葉に感激したようです。

福井さんはこのありえないシステムを置くことで作品をファンタジーとして
見せている、という意味のことをインタビューで答えています。
現代劇ではこの手法は採用しない、第二次大戦だからこそ、それをファンタジーとして
観客に提示する。
2000年の企画時に、「そもそも戦争映画が今の時代に受け入れられるのか?」
というのがあった。
それがアフガニスタンやイラクで当たり前のものになった。時代に追いつかれてしまった。
皮肉ではあります。

監督は、システムに目を見張る役所さんたちの芝居を含め、
艦内の俳優たちの演技全般を演出して、
「いままでの特撮ものの仕事とかは農業だった」と言っています。
「遠い秋の収穫を夢見て、畑を耕して、種まいて、雑草抜いて、
辛抱強く作業を積み重ねていく。
それが役者さんたちの力で、ドラマを切り取っていくということに変わった。
狩猟とか漁業ですね」
ベテランから新人、そして専業俳優以外まで狭い艦内の中に多様な人材が集まって、
ローレライは成立しています。

そして見せ場となる特撮シーンの絵コンテを切ったのは、
「エヴァンゲリオン」の庵野秀明ですが面白いのは絵コンテのあたまに
「(この時代)対潜水艦魚雷というものは存在しない。
ゆえに潜水艦同士の戦いは有り得ない。それを行う伊507は異常な存在である。
魚雷の発射可能水深は30m、魚雷の発射管装てん時間は10分程度という
前提でコンテを切ってます」
と書き込みがありました。
全編そうですが特にクライマックスのテニアン島沖での海戦は主に水上艦相手の
戦闘になります。
基本的にさんご礁の遠浅の海の浅瀬での戦いとなりますが、
画面作りでやはり苦労させられたのが、水中の明るさ加減。
暗すぎではベタになってしまうし。明るすぎては重量感もなにも無くなる。
船体を取り巻く泡、海面の波、クリアすべき課題は山のようにあり、
日本映画としては最高レベルの海の描写になっているのではないでしょうか。
それとサウンドについては、
ジョージ・ルーカス率いる「スカイウォーカー・サウンド」が制作に当たっています。
私はこのことを事前に知っており、
何かものすごいサラウンド音響を期待して劇場に出かけたのですが、
実際に聞いてみると意外なほど地味な音響でした。
これは理由があって、
初号はいかにも作りこんだ音だったようですが、納品試写をみたあとで
日本側より駄目だしがあって、ほぼ全面改訂に近いほどの
やり直しがされたようです。
派手なら良い、というものではないのですね。

クライマックス近くでどんどん人が死んでいって、
すわっ「さらば宇宙戦艦ヤマト」か?と心配させておいて、
すこんと突き抜ける。
あっけない、物足りないとも感じられますが、
玉砕はしない、が信条の作品だったはずですので、
これはこれでよかったのでは?

いろいろ突っ込みどころはありますが、
総体として面白い出来の映画であったろうと評価したいです。
単純に、一歩前進、というわけには行かないかもしれませんが、
半歩前進。にじり寄るようにして邦画の表現力を押し上げた作品だと思いますね。


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