「ALWAYS 三丁目の夕日‘64」
■作品基礎データ 「ALWAYS 三丁目の夕日‘64」 2012年 日本映画 監督・VFX:山崎 貴 脚本:古沢良太 山崎 貴 原作:西岸良平「三丁目の夕日」(小学館 ビッグコミックオリジナル連載中) 出演:吉岡秀隆 |
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物語の舞台は、前作のラストから約5年後の昭和39年、東京オリンピック開催の年。
戦後19年目にして見事な復興を遂げた日本は、高度経済成長の真っただ中にあり、
熱気にあふれていた。
開会式の日、航空自衛隊のアクロバット飛行で作られた五輪マークの飛行機雲は、
人々の心を躍らせ、日本がもっともっと良くなっていくことを確信させた。
そんな中、夕日町三丁目では、以前と同じように、
人情味溢れるやり取りが繰り広げられていた。
もうすぐ家族が一人増える予定の茶川家、
事業も快調で“日本一の会社にする“夢にまっしぐらの鈴木オート。
三丁目の住民たちは、それぞれに賑やかな日常を過ごしているが、
中には人生の転機を迎える人もいて……。
原作は西岸良平による大ベストセラー国民的コミック「三丁目の夕日」。
日本が誇るVFXの第一人者で、前2作を大ヒットに導いた山崎貴監督が、
「アバター」と同じ、リアル3Dでの撮影を敢行し、
人々の記憶にある時代、しかもたくさんの人が目にしているはずの光景を、
3Dで再現するという難プロジェクトに挑む。
キャストには、吉岡秀隆、堤真一など、おなじみの“三丁目の人々”に加え、
個性豊かな新メンバーも登場する。
見たのは3D版。
海猿みたいなデジタル変換した3Dではなくて「アバター」同様二台のカメラを使って
本格的な3Dに取り組んでます。
前作のオープニングが”あれ”でしょう?
すんごい期待してたら、なんだがふつー。
と、思ったら3Dに特化した映像でやたら遠近感を強調したアングルの連続。
トドメは飛び出す東京タワー。
2D版で見た人はぴんと来なかったかも知れませんが、
なかなかの立体映画でございました。
お話しの方はいつもの三丁目の夕日。
ただ子供達がすっかり大きくなっているのにガク然とさせられます。
ウリになっている東京オリンピックは開会式の飛行機雲くらいで映像的には
記録フィルムばっかり。(ネタばれですか?)
鈴木オートの家族と駄菓子屋の家族の話が拮抗するボリュームで、
エンディングでは小雪さんら三人が最後に出てる程で、こちらの家族が主役。
鈴木オートの息子のロカベリ狂いのエピソードは何処へも繋がっていない、
ただの風俗描写で終わっている。
ネタばれ改行です。
関係者は誰もそう言ってませんが、六ちゃんは結婚し、
淳之介は家を出るなどシリーズ完結編の印象は強いです。
何より背景とする時代が、高度経済成長時代になってしまっているので、
のんびり懐かしい三丁目の夕日としては、ここまでではないでしょうか。
山崎貴(たかし)監督や妻役の薬師丸ひろ子と同い年の堤は、
当時の町並みをリアルに再現したセットに入ると感慨にふけった。
「父と母が見ていた風景なんだなと、たばこ屋のところとかで思いましたね」
撮影自体も5年ぶりで、則文の息子・一平(小清水一揮(かずき))、
茶川家に引き取られた淳之介(須賀健太)らの成長した姿に驚いた。
「小清水君を見て、どこのおっさんやと思ったら、『おお、お前か』みたいな(笑)。
ほんとにびっくりした。真希ちゃんも最初は16歳ぐらいでしたからね」
今回は、当時の町並みの“体感度”アップを狙った初の3D撮影も楽しんだ。
六子の相手が菊池だと知った則文が激怒し、
菊池を殴り飛ばすスローモーション場面は、
3Dカメラではスロー撮影に限界があるため、役者がゆっくり動くことで調整した。
「すごいアナログじゃないですか。舞台ではよくあるけど、
まさか時代の先端を行く『VFX(視覚効果)監督、山崎貴』がいる中で、
こんなんやっているんですよ」と再現しながら愉快そうに振り返る。
出演は脚本次第と決めていたが、シリーズで最も気に入った。
「今回は、この時期から何かが間違えていったんだよね、ということもにおってくる。
うねりの中に入る寸前の、ちょっとした幸せという感じがします」
その幸せの象徴が六子で、恋の行方が軸となる。
「僕だけじゃなく監督もスタッフも六(ろく)ちゃんの父親的な目線になっていた。
幸せを祈りつつ相手を疑ったり慎重になったり。
その気持ちは無理矢理作らなくても、みんなが持っていましたね」
三流少年誌に児童小説を連載するさえない小説家の茶川と、
彼を支えながら小さな居酒屋「新やまふじ」を切り盛りするヒロミ。
夫婦を演じた吉岡秀隆と小雪が撮影を振り返り、語り合った。
Q:シリーズ3作目を3Dで映画化すると聞いて、最初はどう思われましたか?
小雪:最初は、3Dでやる必要があるのかな? とは思いましたよね?
吉岡秀隆(以下、吉岡):……みんなが思うよね(笑)。
小雪:ええ(笑)。観ている方に臨場感やスケールを味わっていただきたいという
趣旨は理解できても、映像が目立ち過ぎてストーリーに入り込めないかもという
不安があって。でも、完成した映画はそのあたりに違和感がなく、
こういう3Dの使い方はアリだなと思いました。
吉岡:僕も最初は、なんで? と驚いて、『三丁目』に3Dはいらないでしょ!?
と思っていたんです。でも、映像を飛び出させることより、奥行きを味わえる上に、
目が疲れない映像を目指すというお話を聞いて、
「年配の方にも3Dを体感してほしい」という思いを実現するための作品として、
『三丁目』はぴったりだと思えました。
Q:台本を読んだ感想は?
吉岡:茶川ほど不器用な人間が一世一代の大芝居をする。
しかも、それを僕が演じなきゃいけない。できるのかな? という不安はありました。
全体としては、1作目で他人の家に入り込んだ六ちゃん(堀北真希)と
淳之介(須賀健太)が巣立つ話で、1作目に通じるなんとも言えない感動がありました。
小雪:盛り込んだなって感じですよね。いつも穏やかで温かい現場ですけど、
役者同士は緊張感を保たなきゃいけないような大事なシーンがすごく多くて。
吉岡:この和やかな雰囲気を壊してはいけない、という緊張感がありますよね?
小雪:そうそうそう。淳之介くんなんて大事なシーンを前にどんどん緊張して、
ご飯を食べられなくなっちゃって。
吉岡:最後はため息ですからね、「はあ」って。でも今回は小雪さんがちゃんと
茶川家の一員になってくれていたので、それがすごく心強かったんですよ。
撮影の待ち時間でも鈴木オートは鈴木オートで、堤(真一)さんと薬師丸さんを
中心になんとなく固まる。でも茶川家は僕と淳之介しかいなくて心細かったんです、
人数的に負けていて。本当の親子の役でもないから二人して“道に捨てられた感”
丸出しで。でも今回は淳之介が緊張でため息をついても小雪さんが
「大丈夫だよ」と言い続けてくれて、家族っていいなと思いました。
小雪:役者同士って、普段の雰囲気とか温度感を、
画面に投影しちゃうことがあるんですよね。
だから茶川と淳之介の間に緊張感を保たないといけないシーンの前は、
わたしが淳之介を「お昼食べに行こう!」と誘ったりして。
吉岡:小雪さんはそうした気遣いで茶川家をコントロールしてくださっていました。
重いシーンでは必ずヒロミがその場を見ていますしね。
そういうシーンのときは、朝はあいさつをしても、その後は何も話さなかったりして。
小雪:そうした距離の取り方は、1作目からやっているのといないのでは
まったく違ったかもしれないですね。
Q:シリーズを通して観ると、ヒロミは変化しましたよね?
吉岡:実は、いちばん変化しているんじゃないですかね?
小雪:前作までは一人で生きていて、自分が幸せになっていい人間かどうかという
葛藤(かっとう)の中にいました。
すごく苦労してきたので、家族という幸せの核となるものを得て、
とても強い女性になっていますよね。
やはり痛みを知る女性は強いですから。
だからこそ、茶川家はとても安定するのだと思います。
Q:茶川、いい奥さんもらったな! って感じです。
吉岡:それ、皆さんにさんざん言われているんですよ。
「こんな奥さんがいたらおれだってがんばっちゃいますよ」と言われながら、
全然がんばれない茶川がおかしいですけど。今回は、むしろダメな方向にがんばっちゃう。
前作でいい男になったのに、ダメな男に戻っている気がする。
でも変わらない安心感ってあるんですよ。
ダメだな、こいつは! って、茶川はそれ担当です(笑)。
ヒロミも、不器用なところが変わらない茶川のことが好きなのだろうと思うし。
Q:シリーズ化が続いたら、ヒロミはどう変化するのでしょう?
小雪:どうしよう……「新やまふじ」が繁盛しちゃうかも。
吉岡:すると茶川は本物のヒモになっちゃう!?
小雪:あんな店があったら仕事の帰りにちょっと寄りたいですよね。
店のセットは、実際に料理ができるように作られていて、
そのほかの部分も、映らないところまでちゃんと作ってくださっていたんです。
だから、すごくお芝居がしやすかった。
吉岡:前作の設定から経過している5年の歳月が、セットを見ればわかるんですよ。
茶川家でいえば2階が増築され、淳之介の部屋に賞状がたくさんあったりして。
茶川の書斎は灰皿がいっぱいで全体に散らかっていたりして、
相変わらずなんだなとか(笑)。美術セットに助けられている部分は
とても大きいと思います。
Q:完成した映画を観た感想は?
吉岡&小雪:面白かったです。
小雪:普通に感動しちゃった。
吉岡:最初に観るときはいつも、あそこはどうなったのだろう?
と確認する意識があるんですけど、今回は観客として泣いていました。
撮影のときの須賀健太の役者としての熱、何日も前からしゃべらなくなり、
食事ものどを通らなくなり……そんな姿を思い出したら、泣いちゃいましたよ。
Q:『三丁目の夕日』シリーズは、お二人にとってどんな作品になりましたか?
吉岡:待っていてくれる方がいて、それを距離の取り方が絶妙なスタッフ、
キャストの方々と一緒に作れる。
特に、震災を挟んで撮影をすることになった今作の撮影では、
そういう状況だからこそ、
絶対にいいものを作ってやるという映画人の心意気が感じられ、
「山崎組で良かった」と心から感じることができました。
小雪:わたしにとっては「縁」のある映画にもなりました。
この8年間、役者として人としてどう生きてきたかで、
ヒロミの演じ方もかなり変わってくると思うんです。
この先どう続くのか完結するのかわからないけど、
この世界観は多くの人に求められているし、
ここに生きる人たちに学ぶことは多いですよね。
エネルギーをもらったり、気付かされたりして。
普遍的なテーマを描きながらいかに新しい作品を残していけるか、
そういう挑戦でもあります。作品と一緒に成長していける、
わたしにとっては本当に「縁」のある作品です。
吉岡:小雪さんがいちばん縁を感じるはずですよね。
妊娠する役のときに、本当に妊娠するんだから!
小雪:そうですね(笑)。
最初に姿を現した吉岡さんの写真撮影をしていると、
妊娠9か月の大きなおなかをした小雪さんが現れた。
すると目を丸くして「こわいなー。異変があったらすぐ言ってくださいよ!」と、
コミカルだけれど心から心配そうに、
でもとてもうれしそうに相手の体を気遣う吉岡さん。
それに応え、「おなかが痛い! とか言い出すかも」と笑う小雪さん。
二人の間に流れる和やかな雰囲気は、
役者として互いを尊敬するからこそ生まれるのだろう。
それは映画を観ても実感するはず。笑って泣ける人情ドラマの裏には、
スタッフの高い技術と役者たちの研ぎ澄まされた緊張があった。
それらはすべて、作品への愛に裏打ちされているのだ。
最新作『ALWAYS 三丁目の夕日’64』で再び監督を務めた山崎
貴さん。今回は映画についてはもちろんのこと、なぜ監督業に就かれたのか、
監督自身のルーツについても語っていただきました。
なんと、山崎監督は小学生時代にとても素晴らしい教師と出会い、
人生に多大な影響を与えられたのだそうです。
3作目となる『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズですが、
今回はどのような経緯から製作されたのでしょうか?
山崎 貴(以下、山崎) 実は、大ヒットとなった1作目から続編となる2作目を
作る時は多少抵抗がありましたが、今回はなかったんです。
3作目ともなると、単純に「三丁目の皆はどうなっているのだろう?」
ということに興味が湧いてきて。
今ではあの世界は、何かパラレルワールドのような、
三丁目の世界が本当に存在していて、向こうでも時間が流れていて、
僕らはタイムマシンに乗ってその間を行き来しているに過ぎないような、
そんな気持ちがしてくるんです。
だから本作の舞台は、1作目(05年発表)が昭和33年、
2作目(07発表)が昭和34年だったので、昭和39年かなと。
昭和39年は監督の生まれた年ですね。
山崎 2作目の時のキャンペーンの際、出演者で、
僕と同い年の薬師丸ひろ子さん・堤真一さんから「次をやるなら昭和39年で」
なんて話は出ていたんですよ。
映画公開日が前作からちょうどリアルに5年後になりましたし、
そろそろ39年(の世界を描く時)だよねと。本当に自然の流れでした。
それと、鈴木オートに勤める星野六子役の堀北真希さんから
「20歳の誕生日の時にDVDで1作目を見て、こういう作品にまた出会いたいと思った」
という内容のお手紙をいただいたんですよ。
それを読んで感動して、「これは是非とも六子を嫁に出さなきゃ」
という気持ちになったんです(笑)。
どういう思考回路でそうなったのか、自分でもよくわかりませんが(笑)。
あともうひとつは、親のためというのもありますかね。
学びの場 ご両親が本シリーズのファンってことですか?
山崎 「三丁目が動き出した」って言うと、もう目の輝きが違う(笑)。
「『三丁目』やるの!?」と、両親とも完全にウキウキし出すんです。
それを見ていると親のためにもこのシリーズは作らなければって。
それは、僕だけでなくスタッフの親も同じらしいんです。
親孝行になると思うと、何か独特のエネルギーが生まれますよね。
監督自身は昭和39年に対する羨ましさというか、
あの時代は良かったというような思いはあるのでしょうか?
山崎 39年に限らず昭和30年代という、
明らかに未来が明るい方向へ向かっていた時代というのは羨ましいですね。
同時に不便さも生活のどこかにあった時代。
実は最近、便利ということの毒性に気づかされたんです。
「便利=出落ち」とでも言うのでしょうか、
本当に便利になったと感じるのは最初だけで、後はただの日常になっていく。
そして便利な状況を生むことで反面、いろんなものが犠牲になってしまう。
例えば電気が付いた時、誰もが便利だと思ったはずなのに、
それがいつの間にか当たり前になり、誰も感謝もしなくなる。
僕自身も例えばハードディスクレコーダーが登場した時は本当に嬉しかったけれど、
そのせいで何十時間も録画し、それを見る縛りのある生活になっていたりする。
しかもハードディスクレコーダーの登場で皆がCMを飛ばして見るようになった結果、
テレビの広告料が減り、番組などの製作費が減り、映像を作る人達の生活を脅かしている。
便利さという言葉の裏にある危険性に、特に3.11以降、つくづく思い知らされました。
そのせいでしょうか、本作には未来への希望が感じられるとともに、
この頃から社会は間違った方向へ行ったのではないか、
という戒めをも感じられるのですが。
山崎 別に強くそのことを意識していたわけではないです。
説教臭さみたいなのは避けたいと思っていたので。
ただ時代を描く上ではその辺を入れないわけにいかない。
劇中でも茶川家にテレビが来たのを観にきた近所の子どもたちが
「なんだ、白黒テレビじゃん」と言う場面があります。
それこそ第1作の全否定的な台詞です。
けれど、実際に当時、皆がカラーテレビに飛びついていたわけで。
そういう時代の持つ切なさみたいなのはどうしても出てきてしまいますよね。
特に、39年は高度経済成長時代で有頂天になっていられた最後の年ではないかと
思いますから。
いろいろ取材してみると、そういう面を描かないわけにはいかなかったのです。
小説家の茶川は、実の息子のように面倒を見ている淳之介に対して
「いい学校を出て、いい会社に入れば幸せになるんだ」という、
現代ではすっかり崩壊してしまった神話のような話を教えています。
ひょっとして監督も子ども時代、このような育てられ方をされたのですか?
山崎 いや、僕の場合は全く逆で、
両親はやりたいことをやりなさいと言ってくれるタイプでした。
そりゃ、夜中まで僕がテレビで映画を見ていれば「何やってるの!」
と言いにはきましたが。
僕は映画『未知との遭遇』や『スターウォーズ』を観て以来、
絶対に特撮関係の仕事に就くと決めていたので「勉強だから見せてほしい」と、
両親を言い負かしていたんです。すると許してくれた。
子どものやりたい事には理解のある親でした。
ウチは特に裕福というわけではない中流家庭です。
今回、淳之介は小説家になりたい気持ちと茶川の考えとの間で葛藤します。
僕が淳之介を通して描きたかったことは、
「他者から何を言われても、どうしてもそこを目指してしまうものがある」
ということです。
僕の場合、たまたま理解のある両親だったので障壁にはなりませんでしたが、
育った地域の環境は大障壁だったんです。
当時、東京では自主製作映画ブームが起きていて、
手塚眞さんをはじめいろんな才能ある映像作家が出てきた時代。
ところが、僕の周囲では映像業界に興味がある人なんて全くいませんでした。
高校の映画研究会に入ってみたものの、
“映研”とは名ばかりのトランプゲーム「大貧民」がやりたくて集まるだけの部員たち(笑)。
映像業界に入るためにはどうすればいいか皆目見当もつきませんでした。
じゃあ、気落ちして諦めたのかというと、むしろ逆。
「どうしたらなれるのか」、それを考えることが原動力になったんです。
だから、当時から「絶対に映像業界に入る」という自信だけはありました。
親や環境を言い訳にして諦められる道なら、所詮、その程度のことなんだと思います。
それで監督は高校卒業後、阿佐ヶ谷美術専門学校に入られたんですね。
山崎 専門学校に行った時は、それまで遊びとしか思われなかった事が
実際に課題に結びつき、それをやることで褒められるから毎日が楽しくて
仕方ありませんでした。
この楽しさ、実はすでに小学校5~6年生の時に味わっていたんです。
当時、35歳くらいの担任教師が何でもいいからやったことを
ノートに書くと評価してくれる先生だったんです。
例えば怪獣のデザインとか、宇宙人のデザイン、SF小説を書いても本気で
「お前、すごいな」と喜んでくれて、褒めてくれました。
そのノートの提出回数は、ひとり最低でも1週間に1度と言われていて、
誰が何冊出したかを棒グラフにして掲示していました。
僕だけその棒グラフが何往復もするほど膨大になっていたんですよ(笑)。
クリエイティブな活動を評価される快感を味わってしまったんですね。
山崎 はい、そこで今の自分の「モノを創り出す」ルーツが生まれたと言っても
過言ではありません。
こんなこともありました。5年生の時に登山があってその登山記を書く時も、
普通は原稿用紙1~2枚のところ50枚書いて(笑)。
けど、その担任の先生はちゃんと評価してくれて、
もう嬉しくて、嬉しくて。
「じゃあ今度は、6年の修学旅行の作文を250枚書くぞ」と、
自分で勝手に決めて挑みました。「期限も絶対に守るぞ」と。
提出の前日、あと50枚を残すところまでいき、もうだめかと思いましたが、
生まれて初めて徹夜して書き上げました。
さすがにその大作を渡した時は、先生も少し引いていましたが(笑)。
でも、その時の頑張りが10数年後になって活きました。
CGを作るようになり、提出期限がかなり短期間であっても、
あの250枚の修学旅行記を書いた時ほどは辛くないのです。
「決めた目標を、決めた時間内にやる」というあの徹夜の経験は、
僕の原点になっていると言えます。
本当に素晴らしい先生と出会えて感謝しています。
あの時の出会いが僕のその後の人生に良い影響を与えてくれたし、
巣立ちをテーマにした本作『ALWAYS三丁目の夕日’64』ができあがったのも、
小学校5年生時代の延長線にあることだと思っています。
以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1299114
にて「ALWAYS 三丁目の夕日‘64」の頁をご覧下さい。
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