「アンを探して」
■作品基礎データ 『アンを探して』 2009年 日本映画 原題:Looking for anne 監督脚本:宮平貴子 製作共同脚本:ユリ・ヨシムラ・ガニオン 出演:穂のか |
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「アンを探して」
一年ぶりのシネトレの試写会で見てます。
何ゆえ一年ぶりかという説明は、
会の冒頭、シネトレさんから説明があったのだけど、
その中のライス・ワークとライフ・ワークという
言葉が面白かった。
たまたま自分が知らないだけで
前からある言葉でしょうけど、
ライフ・ワークに対して
食い扶持稼ぎをライス・ワークというとは、
こじゃれているじゃないかと思いました。
それはともかく「アンを探して」。
訳者 村岡花子は原書Anne of Green Gables(緑の切妻屋根の家のアン)を
太平洋戦争中、戦争のためカナダに帰ってしまった友人達への友情の証として
灯火管制下、訳したといわれ、その本は戦後の復興期にいきた多くの日本女性に
夢と希望を与えた。
「赤毛のアン」翻訳秘話をドラマの底に置いて、
単なる「アン」の現代版にならぬよう書き込まれた脚本にまず手柄があります。
おばあちゃんの吉行和子の語りで、
「私のギルバートへ あなたのアンより」
と古いラブレターの朗読のシーンはなかなかに味わいがありました。
映画の後半、
「それは私ではない」と退役軍人の会で語る老人は、
若い孫娘の安里(穂のか)に
日本軍の捕虜キャンプで死んだ多くの仲間の写真を見せます。
「君を非難しているのではない。ただ知って欲しかった」
おばあちゃんと“ギルバート”との恋は、
どうやら安里が考えていたものよりずっと過酷なものだったようです。
※
新人監督のオリジナル脚本で資金集めは困難を極め…、
というような宣伝の仕方をされていますが、
赤毛のアンで知られるカナダのプリンス・エドワード島で
オール・ロケされてるし、
空撮もあるし、「銀河」のダニエル・ピロンは重要人物でぼぼ出ずっぱりで出ているし、
美術は「アビエイター」「ジェシー・ジエームズの暗殺」のマルタン・ジャンダロンで、
撮影照明は行定組の福本淳と市川徳充だしで、
映像を見ている限り貧乏臭いところはまったくなかった。
「The Harimaya Bridge はりまや橋」は未見なので、
穂のかをみるのは本作が初めてです。
前半の困り顔がなるほどお父さんの石橋貴明に良く似ている。
芸達者というわけには行かないが、
もともととつとつとしゃべるヒロインに
上手くキャラがはまってます。
(条件が合わずに降板したという
別の安里役候補って誰だったんでしょうね?
聞くも野暮だけど興味はある。)
マリ役のロザンナ、
「ヒデとロザンナ」のロザンナ、といっても
平成生まれの人たちにはわかんないでしょう。
やっとこ30の宮平貴子監督だって全盛期は知らないと思う。
見るのは随分久しぶりで、
だいぶ年齢はいったけど、声を聞いたら
間違いなく「ヒデとロザンナ」のロザンナと分かった。
このひとも名演技というわけではないけど、
佐藤マリという安里の里親のような役回りには
旨い事、はまってます。
マリと安里が中途で衝突するところが、
唐突に感じ、前後の演技のタメが二人にないように
見えたから、名演技ではない、といっているのですが、
女というのは、平静を装って突如キレるところもあるので、
そういうタイプ同士だったという説明は成り立ち、
演出狙いどおりなのか、
演出の失敗なのかは、ちょっと判然としません。
高部あいと紺野まひるの姉妹も、
仲良く振舞っていて、突如積年の恨みをぶつけ合う。
美雪というキャラは脚本設定上も見えやすいので、
元宝塚トップの紺野まひるにかかれば、
序盤からそこはかとなく、これは揉めるぞ、的なオーラはあった。
ぶっきらぼうな演技なのだけど、
分かる分かる、だったのは、
ライアンがモデルのような彼女を「恋人だ」と紹介すると、
安里が寝込んじゃいそうな凹み方をするくだり。
ダニエル・ピロンのジャンは、
「かわりもの」と評されるセリフが違う人物から
二度出てきますが、
ぜーんぜん、いい人に見えました。
ジャンのかわってるところは、
マリに相手にされないのにしつこく言い寄っているところ。笑
でもあれ、隣人としての節度は守ってますから、
あの程度の好意の持ちようは問題ないのではないかな。
宮平貴子と製作のユリ・ヨシムラ・ガニオンの
脚本は手堅いですが、
しいて欠点、というか弱点を挙げれば、
女性の書き込みが巧みなのに対し、
男の方がいたって淡白であるということ。
ま、この作品は安里の内宇宙がきちんと書き込まれていれば
それで十分なので、
彼女が周囲の男性に興味を持たねば、
フォーカスされないのは当然の事かもしれない。
ネタバレ改行です。
吉行和子のおばあちゃんの思い、というものは
つまり花岡和子の海を越えた友情を、
恋愛に上手く置き換えたものだけど、
“ギルバート”を被爆者にするのは、
少し蛇足ですし、
ならふたりがどうやってであって恋におちたのか
かえって見えにくくなってしまっています。
ふたりの愛が実在した事を確認した安里が
自信を持って歩き出す姿で映画は終わってまいすが、
そのことで彼女が何を獲得し、
このあとどのように生きていくかは具体的には分からないです。
まあ、好きなイラストの道に進むとか、
そうした卑近な進路の話では最初からないですけど…
以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
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にて『アンを探して』の頁をご覧下さい。
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