「バトル・ロワイアル2/鎮魂歌〈レクイエム〉」DVD脚本レビュー

「バトル・ロワイアル2/鎮魂歌〈レクイエム〉」映画チラシ★映画基礎データー★
「バトル・ロワイアル2/鎮魂歌〈レクイエム〉」
2003年 日本映画
監督 深作欣二 深作健太
脚本 深作健太
出演 藤原竜也 前田愛 忍成修吾
               

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「バトル・ロワイヤル」原作比較レビュー

「バトル・ロワイアル2/鎮魂歌〈レクイエム〉」は深作欣二監督の遺作となります。

新世紀教育改革法・通称、BR法。
全国の中学3年生の中から無作為に選ばれた1クラスを島に集め、
最後の一人になるまで殺し合わせるための法律である。
生き残るためには、三日以内に自分以外のクラスメート全員を殺すしかない。
ところがこのBR法に反して、七原秋也と中川典子は2人で生き延び、島を脱出した。
あれから3年。
世界はテロの時代に突入した。
BR法国家に抵抗する、反BR法組織・ワイルドセブンのリーダーとなった七原。
彼は、BR法の下殺し合いをさせた全ての大人に対して宣戦布告し、
首都爆破の凶悪テロリスト犯として指名手配されていた。
対して大人たちは正義の名のもとに新しいゲーム新世紀テロ対策特別法・通称、
BR2を開始。
スキー学校に向かう鹿之砦中学校3年B組の42人がBR2に参加するクラスに選ばれる。
彼らに課せられたのは、
1. 孤島に立て篭もったテロリスト・七原を三日以内に殺せば勝ち
2. 制限時間は三日間
3. 殺されたものと同じ出席番号の者は首輪が連動して爆死するペアタッグマッチ
というルール。
一方ワイルドセブンは、
七原を殺すためにやってきた彼らを中学生とは知らずに迎え撃つ。こうしてまたもや
大人たちによって生徒達の死闘が始まった。


映画の掲示板関係は見た人のブーイングの嵐です。
どうしてこんなに評判が悪いのか、
本当に駄作と言ってしまって良いのか?
検討したいと思います。
以下は、ねたばれありです。そのつもりでご覧ください。












批判は二つに分けられると思います。
バトル・ロワイアルのルールの変更と脚本演出の手法に対するブーイング。
二つ目は主人公、七原秋也(藤原竜也)のその後の姿、
テロリストとしての戦いの行方に対するブーイングですね。

ひとつづつ検討しましょう。

第1作目「今日はちょっと殺し合いをやってもらいます」
第2作目「今日はちょっと戦争をやってもらいます」
ルールが変わってます。
飛び道具もありますが、主に肉弾戦で殺し合う一作目に対し、
重火器で武装して敵味方二つに分かれて集団どうしがぶつかり合う二作目。
2作目に付いては七原秋也を殺せば終りですから、
対戦するクラス全員の優勝と言うのもあり得ます。

ゴムボートに分乗してワイルドセブンの立て篭もる島に上陸するところから、
派手な砲撃銃撃に曝されるので、「プライベート・ライアン」のパロディか?
と批判も受けています。
手持ちカメラとコマ落としの映像が汚い、との意見もありましたが、
私自身は、そう見難い場面とは感じませんでした。
ロングショットも適度に挟まれており、全体の位置関係などが
分からなくなるという事は無かったです。
ちゃちっぽくならない分、よかったのでは?

この島に上陸するまでの戦闘で2桁の中学生が戦死するので、
ドラマが無く、顔と名前さえ一致しないのですが、
大量の犬死は脚本段階から演出意図にあった事だと思います。
実のところ、前作の映画でも七原秋也と中川典子の行動は比較的、
原作のすじを追いかけていたものの、
桐山和雄(安藤政信)、相馬光子(紫咲コウ)が
それぞれクラスメートを殺して歩く過程で、
かなりの量のエピソードが省略され、名のみの登場人物も多いです。

ただ、前作では3年B組の誰がキーパーソンとなるか、
冒頭ではっきりさせていたものの、
2作目では、キタノシオリ(前田愛)以外の人物については、
リーダ格となる青井拓馬(忍成修吾)さえ、大勢の中の一人に過ぎません。
あとで母親(三田佳子)を登場させるのですが、
その部分は頭に持ってきたほうが良かったのではないでしょうか。
訳のわからない状況に放り込まれ、
人間が絞られていく過程で、
主役が浮き上がってくるという演出を目指したのかもしれませんが、
(「エイリアン」でリプリ−(シガニー・ウィーバー)が前半、
一船員に過ぎなかったように)
アクションのテンポ維持が主体ですし、
もう一方の主人公、七原秋也が冒頭から目立ちすぎるので、
3年B組全員が七原秋也の引き立て役に見えてしまい、つまらないです。
ワイルドセブンのリーダーが七原秋也だったというのは、
陣地に乗り込むまで伏せておいた方がよかったかも。
どっちみち、3年B組の連中には彼が何者であるかは
知った事ではない筈ですので。
各人の人物設定はかなり細かく決められていた様ですが、
ドラマに反映されていないので、無意味になってしまっています。

銃撃戦は、ハリウッド映画で食傷してますし、単調になるので
展開にもっとはっきりした緩急を付けて欲しかったです。
三つの部隊に分かれて森の中を抜けてワイルドセブンの陣地を包囲する様に近づく
という展開になっているはずですが、
終始爆発音銃声だらけで、わけがわからないです。
最初の上陸は、闇雲に犬死させられていく過程を描いても良いのですが、
その後も同じではいけません。

迷彩服の軍服で戦っているので、中学生らしさが奪われ、
ドラマ的に必要だったとは言え、感情移入を阻害しています。
この迷彩服は、一作目の学生服をデザインした会社が製作を担当しているそうです。
女の子はスカート姿の迷彩服もデザインされ、
一部の出演者の写真集などにはそのコスプレ姿の写真も収録されている様ですが
本編では使われていません。
スカートの件で男女の区別がつきにくいのも損ですが、
あの頭巾とゴーグルも顔が隠れるばかりで、いただけません。
いっそ、学生服はそのままで、ひじ当て、膝当て等のプロテクターを着けさせた方が
見た目が良かったかも。(ひとつ間違えるとアニメキャラの様ですが。)

前作では設定のみで、ほとんど出てこなかった首輪の自爆シーンの乱用は、
かえってドラマ的緊張感を削いでいますので、
もっと回数を絞るべきでした。

ペアダックという設定は不要ではないか、という批判もありました。
男の子と女の子を強引にペアにするというのは、
ワイルドセブンの中に赤ん坊がいるのと同じで、
後半のテーマに関わる部分ですので、私は全面否定はしません。
しかし、劇中ほとんど有効に機能しておらず、
批判は免れないでしょう。
ペアのどちらかが相手の足を引っ張るエピソードが幾つか出てきます。
ぶつ切りに羅列しているので、テーマとの関わりが見えてこないのですね。


さて、ここまでの話は編集のやりなおしでもかなりカバーできる部分ですが、
そうは問屋がおろさないのが、もうひとつのブーイング、
テロリストになった七原秋也の方です。

冒頭で新宿新都心の高層ビルが一気に爆破されて、
それが七原秋也と前作で死んだ三村の伯父(千葉真一)のテログループの仕業で、
“すべての大人に宣戦布告”とぶちあげるのですが、これが
根っからのバトロワ・フリーク達の怒りをかったのようです。

爆破テロはクリスマスに行われ、
クリスマス・テロとして恐れられ、BR2の開催も同じくクリスマスです。
これは9.11同時多発テロのパロディで、
しかも、ドラマのクライマックスで七原秋也がインターネットで世界蜂起を訴える
と、
在日米軍(?)からミサイルが飛んできて、
慌てた日本の総理が「あの国を怒らせてはイカン〜ッ」と叫んで
BR2の終了と自衛隊の突入を命ずるというおまけ付です。
画面をそのままみてしまうと、
ワイルドセブンがアルカイーダ、七原秋也がウサマ・ビン・ラディンになってしま
う。
“アメリカ批判とバトルロワイヤルと一体何の関係があるのだ!?
深作健太は僕達のバトロワを汚した”
とフリークたちは怒ってます。

七原秋也が反BR法の戦いを起す事はあり得ても、
一気に全世界の大人に宣戦布告というのは、論理の飛躍のしすぎ。
闘争テーマがはっきりしないままテロリストって言われても感情移入できない
じゃないか、という意見は一般の映画ファンからも出てます。
もっともな意見だと思います。

ストーリー的に想定し得る続編の姿というものは、
1)前作で1度逃走した七原秋也と典子が捕まり、かつて川田がそうであった様に、
別のバトロワに投げ込まれてしまう、というもの。
2)あるいは、七原秋也が反BR法の戦いを起すべく、
どこかで行われているバトロワに乱入して中学生達に戦いをやめさせ、当局と戦いに
なる話。
3)折衷案で、典子が捕まって別のバトロワに投げ込まれ、七原秋也が救出に向か
い、
結果として当局と戦いになる話。中学生達を味方につけるのと、敵対するのと2パタ
ーン考えられる。
4)七原秋也、典子ら生き残り組みとは無関係に、
別のクラス、別のシチュエーション、ルール改訂などでまったく独立したエピソード
として、あたらしいバトロワを見せるもの、
といったあたりのバレエ−ションが考えられます。
いずれも小さくまとまりすぎているかもしれませんが、
少なくとも前作及び原作ファンの許容範囲に入ってくれそうです。

しかし深作組は、これらファンでも思いつきそうなアイディアを全部蹴飛ばしてしま
い、
抵抗の美学を生きる七原秋也、典子像を作ってしまってます。

踏まえておきたいのは、
原作と第一作では、BR法の成立と背景がかなり違っている点です。
映画では、荒廃する中学生に見切りを付けた大人社会が、鉄槌を下すべく、
BR法を強行していることになっています。
そして映画自体も、親子とりわけ父親と子供の対立をテーマとしています。
(担当をサカモチ・キンパツからキタノへ変更した事。原作では5歳で死んでいる七
原秋也の父の死亡年齢を引き上げ、秋也の前で自殺させている事など)

原作では、日本は北朝鮮のような秘密警察と提督さま(将軍様)に支配される
共和国になっており、
内政に対する不満をガス抜きする為のスケープゴートとしてバトロワが実施されてい

という設定で、テーマは若者達の理不尽なものに対する抵抗、友情、団結です。
極限状態において友情を育み、団結して戦う事は困難を極め、
大人と戦う以前に、自身のニヒリズムで友情、団結を否定する、あるいは拒否する
桐山和雄、相馬光子ら同じクラスメートによって行く手を阻まれ、
三村達は桐山によって殲滅されてしまいますし、
七原秋也は疑心暗鬼に駆られる他のクラスメイト達の前に何度も生命を脅かされま
す。

映画では、共和国の話は風呂敷が大きくなってしまい、全共闘世代っぱい話に
傾くのを恐れてか、父と子供のテーマに整理されています。
それは映画の第2弾でも、三田佳子の母親が出て来たり、
キタノの再登場があったりと、片鱗を覗かせていますが、
ワイルドセブンの面々に赤ん坊を抱かせる事で、自分達が親になる順番を迎えさせる
ことで、答えを出させようとしています。
もう少し彼ら自身が戦いながら子供を育てる理由をきちんとキタノシオリ、青井拓馬
らに
語るべきだったのですが、
ドラマが論文になってしまうのを回避するためか、端折られています。
せめて「この子らをいまの大人どもに渡せるかっ」くらいのことは言って欲しいので
すが。
(いや、言ってるかな? あったとしても記憶に残るような場面になってないです
ね。)

ペアタッグの自爆装置にしても、
戦闘中はひたすら互いの足をひっぱる道具に過ぎなくとも、
相棒をかけがえのない、友あるいは家族と認められれば、時限装置が点滅しようが、
しまいが全力でその人を助けた筈。あるいは一緒に死のうと覚悟できたはず。
男の子と女の子をペアで繋いでいるのだから、
全部のカップルがアダムとイブになれたはずなのに、
ドラマをそこまで作り込んでいないのはもったいないです。

時限装置を解除したあとは、
突入してくる自衛隊とワイルドセブンの銃撃戦で、
ワイルド側がひとりまたひとりと倒れていくのですが、
前半で散々銃撃戦を見せられているので、
またまた撃ち合いになっても眠気を催します。
(モニターのボリュームを絞らないとうるさくて眠れもしませんが)
どうして自衛隊は律儀に兵隊を上陸させるのでしょうか?
米兵軍同様なぜミサイルを使わないのでしょうか?
ワイルドセブン側は砦に自爆装置を用意していて、それを爆発させるのですが、
その後でも延々と銃撃戦が続きます。
自爆装置か出てくる必然性が分かりません。

七原秋也が戦っているのはアメリカなのか?
そう思わせてしまうのは、
深作欣二監督ら焼け跡世代の怨みつらみが表に出すぎてるんじゃないのか?
少なくとも映画が3部作か4部作あって、最後の巨悪が軍事大国という事にで
しとかないと、「感情移入できません」という主張の方が正しいです。

「理不尽なものに対する抵抗、友情、団結」は、映画第2弾にも共通するテーマで
す。
「戦う事は生きること」というのはすべての深作映画の共通テーマです。
息子の健太氏は脚本をラストシーンから書くそうです。
バトロワ2で、七原秋也が死ぬ場面を書いていると、深作欣二監督がひとこと
「おまえはそんな映画が見たいのか」という意味の事を言ったそうです。
そこで第一作目より多くの若者達が生還するラストに変更されたものと信じます。
中途の展開の陳腐さ、舌足らずさはさておき、
ラストのアフガニスタンの場面は後味が良く、
幼い子たちと共に再建の戦いに身を投じていくというのは
決して悪いエンディングではない筈です。

BR2は劇場公開において前作より速いスピードで興業成績を上げたそうです。
前作同様、追加撮影をほどこし再編集した
ファンにも納得できる完全版が発表される事を切望します。
見たいのはこれ以上の戦闘場面ではありません。人間のドラマです。
若者たちひとりひとりが何を感じ、いかに考え、どう行動したかです。

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