「チャーリーとチョコレート工場」DVD脚本レビュー

「チャーリーとチョコレート工場」映画チラシ★映画基礎データー★
「チャーリーとチョコレート工場」
2005年 アメリカ映画
監督 ティム・バートン
脚本 ジョン・オーガスト
原作 ロアルド・ダール
出演 ジョニー・デップ フレディ・ハイモア

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『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』『ネバーランド』と、
2年連続でオスカーにノミネートされたジョニー・デップが、
『シザーハンズ』『スリーピー・ホロウ』『ティム・バートンのコープス・ブライド』の
ティム・バートン監督とタッグを組んだ作品です。

公開時、長らく週間興行成績の1位にとどまっていたヒット作品です。
劇場には結構家族連れが多かったです。
「皇帝ペンギン」がアベックばかりだったのと大違いです。
私は大人向けのダークファンタジーだとばかり思って見たのですが、
実際の内容といい、
この客層などを見ると大人も楽しめるファミリー映画、と考えた方がよさそうです。

チャーリー・バケット少年(フレディー・ハイモア)は壊れそうな小さな家に、一家7人で暮らしていました。
失業中の父(ノア・テイラー)と、母(ヘレナ・ボナム=カーター)と、チャーリー、
それに祖父母が2組。
7人のうち4人がほぼ寝たきりの老人で、
家にたったひとつしかないベッドには合計年齢381歳の弱りきった四つの体が
互い違いに横たわっています。
夕食といえば限りなく水に近いキャベツのスープだけ。
それでもチャーリーは幸せでした。
年に一度、誕生日のときにだけ買ってもらえる大好きなチョコレート。

チャーリーの家のすぐそばに大きなチョコレート工場がありました。
世界で一番大きくて、世界で一番有名なウォンカのチョコレート工場です。
ここ15年間ものあいだ工場の扉は閉ざされ、中に入った人も出てきた人もいないのに、
世界的ヒット商品を毎日出荷し続ける謎のチョコレート工場。

驚くべきニュースが世界中を駆け巡りました。
「ウォンカの工場ついに公開! 幸運な五人の子供たちに見学を許可」
ウォンカ製のチョコレートに入った“ゴールデン・チケット”を引き当てた5人の子供とその保護者を特別に工場に招待する、
と工場主のウィリー・ウォンカ氏(ジョニー・デップ)が異例の声明を発表します。
世界中が目の色を変えるなか、次々と現れる当選者たち。
1人目は、食い意地でパンパンに膨らんだ肥満少年。
チョコレートを食べて食べて食べて、ゴールデン・チケットを手に入れました。
2人目は、癇癪もちで、大金持ちのわがまま娘。
父親の財力を持ってすればチョコレートの買占めも思いのまま。
金に飽かせてゴールデン・チケットを“お買い上げ”です。
3人目は、ありとあらゆる賞を獲得することに執念を燃やす賞獲り少女。
これまでに獲得したトロフィーの数263個。
現在はノンストップでガムを噛み続ける世界記録に挑戦中。
常に勝つことをけしかけるステージママとタッグを組んで、チケットを奪取しました。
4人目は、頭のよさをひけらかすゲームおたくの少年。
「チョコの製造年月日と天候による増減と平均株価」を研究して
ゴールデン・チケットのありかを突きとめ、
「そんな計算はバカでもできるはず」とうそぶく子供です。

残るチケットはあと1枚。
ところが、道端で拾ったお金が幸運を呼び、最後の1枚が、
チャーリーの手元に転がり込んできます!
寝たきり祖父母の1人で、
昔ウォンカ工場で働いていたという輝かしい過去を持つジョーおじいちゃん
(デイビッド・ケリー)は、当選の知らせに、
突如、生き返ったようにベッドから跳ね起きました。

さて、いよいよ工場見学の日。
ジョーじいさんに付き添われたチャーリーと、
絶対ひと悶着起こしそうな4組の親子を出迎えたのは、
15年も工場に引きこもっていた伝説の工場主ウィリー・ウォンカ氏その人。
前髪そろえのおかっぱ頭にシルクハットをかぶり、
歓迎用の笑顔を青白い顔に貼り付けたウォンカ氏に導かれ、
一同が目にした光景は−−−。
工場内を名が得るチョコレートの川、ねじれたキャンディー棒でできた木、
ミント・シュガーの草花、砂糖菓子の舟、そして、そこで働くウンパ・ルンパたち……。
誰もがつばを飲み、目を見張る極彩色のミラクル・ワールドで、
時代遅れのスラングを連発しながら嬉々として自慢の工場を案内ウォンカ氏が、
時々遠い目をするのはなぜ? 
そして、個性的すぎる5人の子供たちを待ち受けている、それぞれの運命とは−−−?

全世界で1300万部以上を売り上げるロング・ベストセラー
「Charlie and the Chocolate Factory」(邦題「チョコレート工場の秘密」)。
ロアルド・ダールが著した物語は、
発表から40年たった今も人気が衰えず、イギリスでは、「ハリ・ポッター」シリーズ、
「指環物語」に次いで“子供が好きな本”の第三位にランクインされているといいます。

1971 年に著者ロアルド・ダールが脚本を手がけた、ジーン・ワイルダー主演の映画化作品
『 WILLY WONKA & THE CHOCOLATE FACTORY(夢のチョコレート工場)』が
あるそうです。ですから今度の作品は再映画化ということになります。

先にゴールド・チケットを手にする四人の子供たちは親も含めてとんでもない奴らです。
かろうじてゲームおたくの少年の親が、
息子の言っていることに「さっぱり理解できない」と言って肩をすくめる分だけまともですが。
で、最後に何度かフェイントをかけてようやくチャーリー少年がチケットを手にしますが、
拾ったお金はまず警察に届けないとね。
何かしら、しっぺ返しを期待していたのですが、そんなことは起こらなくて話は進みます。

ジョニー・ディプはテレビの映画紹介番組のインタビューで
「いつも変な映画にばかり出ている僕を応援してくれてありがとう」と
冗談とも本気ともつかないような挨拶をしています。
この映画の撮影現場に見学に来たディプの娘は、父親の姿に衝撃を受け、
立ち尽くしていたといいます。
おかっぱ頭のなかなかラブリーな奴ですが、ディプいわく扮装のコンセプトは「王子様」だそうで、
言われてみれば童話の王子様はこんな頭して白馬に乗っていたかもです。
ジョニー・デップ演じるウィリー・ウォンカは、一風変わったチョコレート工場の経営者です。
奇抜で斬新なアイデアを次々に生み出すお菓子の天才発明家でもありますが、
世間から微妙にずれた愉快な言動、怖いものなしの成功者の自信、
時おり覗かせるナイーブな影、突っ走るハイテンションと、
その裏側の冷めた視線…という自己矛盾の塊のような奴です。
十五年間閉ざされた工場が彼の住処のはずで、つまり、
大富豪にして天涯孤独な隠遁者のような暮らしをしていたわけです。
五組の訪問者に対して決して愛想が悪いわけではありませんが、彼の笑顔には要注意です。

謎のテーマパークのような工場内を案内されますが、子供の一人が
「意味無いじゃん」と言ってのけてムッとしてます。
タイトルが出る前に真っ暗な背景に中でチョコレートが製造されて運び出されるくだりが延々と出てきます。
こっちが本来の生産プラントであって、テーマパークもどきは見学者用に用意された
何物か、ではないかと疑っています。
ちゃんと目的はあるわけです。子供たちを、親も含めて選別するという…。
チャーリーだけ付き添いが祖父というのも、テーマ的に何かわけがありそうですね。
その祖父だけが過去の正常な状態の工場の姿を知っているのは偶然ではないでしょう。
ウィリー・ウォンカの子供時代は原作には描かれてはおらず、映画の創作です。

ご存知の方も多いようですが、
ショービズ界一の働き者ディープ・ロイがたった1人でウンパ・ルンパ族全員を熱演
していますし、クルミ割りのエキスパートとして登場する100匹のリスは、
本物のリスを半年かけてひたすら調教したそうです。リスが調教可能とは知らなかった。

原作者について知ると、この作品のテーマが見えてくるかもです。
いえ、見えなくともなかなか興味深い人生を送った人です。
ちと長いですがご覧ください。

原作者ロアルド・ダールは、1916 年 9 月 13 日(乙女座)にイギリスはウェールズのランダフで、
ノルウェー人の父ハラルトと彼の二人目の妻ソフィーとの間に生まれました。
ロアルドが3歳の時に父と姉が亡くなり、母ソフィーは義理の子供たち2人と、
4人の自分の子供たちを育てています。
亡くなった父ハラルトは膨大に日記を書き残し、
母ソフィーはノルウェーの神話などの物語を話すのが上手だったといいます。
ロアルドは両親に大きく影響を受けて成長したようです。

9歳から家元を離れて通ったセント・ピーターズ私立小学校時代は、
激しいホームシックのせいで週に一度母親に手紙を書いています。
(この習慣は大人になってからも母親が亡くなるまで続いたそうです。)
イングランド中部の州ダービーシャーにあるパブリック・スクール
(イギリス英語では私立学校)であるレプトン校では、スポーツに優れていたが、
国語の先生にはできない生徒だと思われていたようです。

イギリスではチョコレートの代名詞とも言われるキャドバリーのチョコレート工場が
学校の近くにあり、
学生は新製品のチョコレートを試食することができたという話があります。
18歳になると、大学へは行かず、パブリック・スクール探検隊のニューファンドランド
(カナダ東方の大きな島)への遠征に参加しています。
かなりの冒険家な様で、その後、シェル石油に入社し、
タンザニアのダルエスサラームでセールスマンとして働いています。

1939 年、23 歳のときに第二次世界大戦が勃発し、
ロアルドはナイロビにある英国空軍に入隊。
背が2mもあったロアルドだが、パイロットとなります。
彼の自伝「単独飛行」で書き著されているように、
ドイツの自動拳銃ルーガーに頭を狙われ、中間地帯に不時着するという大事故や、
パイロット仲間が次々と亡くなっていった過酷なギリシャ戦線も体験しています。
傷病兵として退役させられたロアルドは家に戻るのですが、
1942 年に大使館つき空軍武官として渡ったアメリカのワシントンで、
偶然作家として新しい道に進むことになります。
イギリスの戦争努力を公表するためにアメリカにいたC・S・フォレスター
(1899-1966)が、1728 年創刊の歴史ある雑誌サタデー・イヴニング・ポストに
記事を書くため、ロアルドに戦争についての意見を書いてくれるよう頼んでいます。
C・S・フォレスターは、グレゴリー・ペック主演の映画『 艦長ホレーショ(1951) 』
やハンフリー・ボガート主演の『 アフリカの女王(1951)』の原作者として知られる
作家です。
フォレスターはロアルドの才能に驚き、一語も変えることなく記事にし、
ポスト誌からの 900ドルの小切手をロアルドに送っています。
その年の8月、匿名のその記事は” Shot Down Over Libya ”という題名で
世に出ています。

 ロアルドはディズニーに招かれハリウッドへ。
そこで彼は初めて子供向けのストーリーである「グレムリン」を書きます。
英国空軍の伝説による、
飛行機のエンジンに故障を起こさせるイタズラな幽霊についての物語です。
これは直接映画化はされなかったのですが、
本が出版されて、当時のファースト・レディであるエレノア・ルーズヴェルト( 1884-1962 )の目に留まり、
ロアルドはホワイト・ハウスに招かれるようになったそうです。
前に書いたストーリーはのちのジョー・ダンテ監督のSF映画『 グレムリン(1984)』のヒントにも
なっているらしいです。

 ロアルドは父と同じように2度結婚をしています。
一度目は、ハリウッド女優のパトリシア・ニール( 1926- )と。
ロナルド・レーガン元大統領と共演した映画『 恋の乱戦 (1948)』でデビューした彼女は、
『 摩天楼 (1949)』で共演した大スター、ゲイリー・クーパーと不倫関係に。
3年間関係を続けますが、周囲の非難のために破局。
ロアルドは 1953年に傷心の彼女と結婚。
2人はイギリスとアメリカで離れて暮らすことが多かったらしいのですが、
5人も子供を儲けています。
パトリシアは結婚後もポール・ニューマンと共演した『ハッド(1962)』で
アカデミー主演女優賞を獲得するなど、女優として活躍しています。

短編作家として活躍していたロアルドが児童文学に興味を持ったのは、
眠りにつく子供たちにお話を聞かせているときだったといいます。
ダール家の子供部屋から、まず「おばけ桃の冒険」( 1961 )が、
次に「チョコレート工場の秘密」( 1964 )といった名作が誕生します。
「チョコレート工場の秘密」には続編「ガラスのエレベーター宇宙に飛びだす」( 1972 )もあります。
また、ロアルドは『007は二度死ぬ (1967)』や『 チキ・チキ・バン・バン(1968)』
といった映画の脚本も手がけました。

すれ違いの生活が多かっためか、ロアルドは別の女性を愛するようになります。
1983 年にパトリシアと離婚をすると、
ロアルドは同郷の女性フェリシティー・”リッシー”・クロスランドと結婚しています。
2人の間に子供はいません。

ロアルドは作家として成功を得るのですが、家族に悲劇が起こります。
パトリシアとの間の長女オリヴィアが7歳の時に脳炎で亡くなり、
4ヶ月だった息子テオが交通事故で脳に障害を負ったのです。
39歳にして妊娠したパトリシアが3つの発作に襲われた時は、
ロアルドが家事をし、その懸命な努力の結果、パトリシアは無事に出産し、
女優業に復帰することができたといいます。
また、ロアルドが死ぬ数ヶ月前には、義理の娘が脳腫瘍で亡くなっています。
彼の死後は、妻のフェリシティーによってロアルド・ダール基金が設立され、
ロアルドが関わったり、苦しんだりした3つの分野
−読み書き・神経学・血液内科学−において補助金を提供しているのだそうです。



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