「コーラス」DVD脚本レビュー
★映画基礎データー★「コーラス」 2004年 フランス映画 監督脚本 クリストフ・バラティエ 出演 ジャック・ペラン ジェラール・ジュニョ |
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世界的指揮者のピエール(ジャック・ペラン「ニューシネマ・パラダイス」)は
公演先で母の訃報を知り、
葬儀のために故郷へと戻ってくる。
降りしきる雨の中、実家で物思いにふけっていたピエールのもとに、
ひとりの男が訪ねてくる。
それは、子供時代を一緒に過ごしたペピノだった。
ピエールが懐かしい再会を喜ぶ中、ペピノは一冊の日記を手渡す。
それは幼い日に自分の生き方を変えてくれた、
ひとりの音楽教師の残した形見だった…。
フランスで「国民の8人にひとりは見た」というどえらいヒット映画です。
舞台は第2次世界大戦の余韻が色濃く残る1949年フランス。
復興の最中という厳しい時代の中を懸命に生きる子供達の心の成長と
恩師との尊い絆が描かれています。
観客を唸らせた子供達の澄み切った歌声は、
実際にリヨンに実在する「サン・マルク少年少女合唱団」が少年達が奏でた、
「奇跡の歌声」です。
セリフ以上に雄弁に子供達の感情を伝える歌声は、
郷愁を匂わせるフランスの片田舎の映像とともに心に染み渡る魅力を備えています。
…と、ここまではプロバイダの映画コンテンツのコピーでして、実際の映画には
これ見よがしの風光明媚な場所が出てくるわけじゃありません。
むしろ学校の構内の様子は、孤児の収容施設か少年院のノリでまったくのモノトーン。
登場人物の服装なども恐ろしく質素です。
1949年、フランスの片田舎。
失業中の音楽家クレマン・マチュー(ジェラール・ジュニョ)は、
問題児を矯正する寄宿舎に教師として赴任する。
この学校には、親をなくした子供や、
素行に問題があり親元を離れた子供達が集団生活する。
暗い瞳の子供達。
赴任当日、校門の前でマチューが目にしたのは、
「土曜日に迎えに行く」という言葉を残して去っていった両親を待つ
幼い少年ペピノ(マクサンス・ペラン)だった。
幼いペピノは、
決して迎えに来ない両親をひたすらに待ち続け、
毎日のように校門の外をじっと眺めているのだった。
学校内に足を踏み入れたマチューは早速、
過激ないたずらで用務員に大ケガを負わせた子供達と遭遇する。
「淋しさ」ゆえに心のすさんだ子供達、
田舎の教職であることを嫌い、教え子を憎み、
容赦ない体罰を繰り返す校長先生がいたのだ。
製作(と出演)を務めるのはフランスを代表する名優であり
国民的プロデューサーのジャック・ペランです。
主人公のクレマン・マチュー役を演じるのは、
『バティニョールおじさん』で味のある名演を披露したジェラール・ジュニョです。
本作でも子供達を無償の愛で包み込む音楽教師を、
ジュニョ独特のスタイルで熱演しています。
“挫折した音楽家”というのは、本人と校長の両方のセリフにあるのですが、
作品では彼の具体的な前歴は出てきません。
別に音楽教師として赴任したわけではないのですが
ただ彼が大切に持ち歩く鞄の中に隠すように入っているのは楽譜です。
これを子供らに盗み出されて大いにうろたえます。
トイレで床にばら撒かれた楽譜を拾い集める姿は尋常ならざる思い入れの深さを
感じさせます。
学校全体が温かさのかけらも無い殺伐とした雰囲気で溢れ返っていた。
もちろん、マチューも早々に子供達のいたずらに手を焼くことになり、
まともに授業もできない。
鍵をかけて大切にしまっておいた楽譜まで盗まれ、荒らされてしまう。
しかし、
冷淡に体罰を繰り返す校長に反発し、マチューは決して彼らを叱らず、
体罰も加えません。
「もう一度音楽をやってみるか」
マチューは彼らに合唱を教えることを思いつくのだった。
マチューは舎監として赴任しています。
子供たちの宿舎の一角を壁とドアで仕切ったのが舎監室。
仕切ったカーテンの奥のほの暗い机で楽譜を広げ
「もう一度」とつぶやくマチューの背後の事情はセリフでは語られません。
生徒たちとは比較的淡々と接していたように見えます。
「子供たちを信じねば、愛さねばならぬ」と力んだりはしていないだけに、
ここで
一度完璧に捨てた音楽にどれほどの望みを掛けて取り組もうとしたか、
その心意気の深いところを示す手がかりはハリウッド映画ほど分かり良く
語られてるわけではありません。
そこいらへんがしっかりフランス映画ですね。
最初は、面白半分だった子供達も、徐々に歌うことの楽しさに気がついていく。
そんなある日、マチューは誰もいないはずの教室からすばらしいソプラノを耳にする。
驚いて教室の扉をあけたマチューの前にいたのは、
学校一の問題児、ピエール・モランジュ(ジャン=バティスト・モニエ)だった。
これまで誰にも心を開こうとしてこなかったピエールに、
マチューは合唱へ参加させようと思いのだった。
13歳のジャン=バティスト・モニエは実際に合唱団のソリストを務める
ソプラノボーイで本作がデビュー作です。
でもまあ、歌声に価値を見出すなら彼に次の作品はありませんね。
ボーイソプラノは、声変わりすれば無くなってしまうわけだから。
好みの問題だけど、彼のうたっている姿を正面から捉えたカットは好きじゃないです。
ガラスだまのような面玉をして気持ちわりーです。
ファンに殺されそうなことを書いてます。
むしろ、へたくそながら朴訥な演技が好きですね。
これは監督の使い方がうまいというべきか。
監督、脚本を手掛けたのは、
ペテンの甥でこれが長編デビュー作となるクリストフ・バラティエ。
音楽と映画の美点を巧みに生かした本作は、
バラティエ自身の音楽家、映像作家としての
キャリアがあってこそ実現したといえるのだそうです。
歌うほどに磨かれていくピエールの才能に触れ、
この天からの授かり物を埋もれさせてはいけないと考えたマチューは、
面会に来た母親ヴィオレット(マリー・ビュネル)に
ピエールの進路を真剣に考えるように相談を持ちかけるのだった。
美しいヴィオレットの微笑みに淡い恋心を抱くマチュー。
しかしマチューと母親の親密さに嫉妬したピエールはマチューに心を閉ざしてしまう。
マチューはピエールに対してあえて荒療治に出る。
それは、彼から歌を取り上げ、
無視することで逆に自らの才能に気がついてもらいたいと願ったうえでの決断だった。
このくだりはセリフでくどくど説明していないだけに、
マチューが美人の母親に色目を使って、
反発した息子に嫌がらせをしてるのではないか、
とする映画掲示板の書き込みもありました。
いくらなんでもそれではドラマが崩壊してしまいますが、
映画は語り口が饒舌なようでいて、必ずしもマチューの内面を
すべて露土して描いているわけではないので、
そういった解釈も成り立つわけです。
子供達とマチューの間に絆が芽生え始めた頃、
噂を耳にした伯爵夫人が、歌を聞きに学校にやってくることになった。
伯爵夫人のご機嫌取りに忙しい校長先生を尻目に、
生徒達は日頃の練習の成果を披露する。
合唱団から離れてひとりぼっちで佇んでいたピエールに、
遂にマチューは「歌え」と合図を送る。
マチューに許され、
歌うことの歓びを実感したピエールは失意の中から燃え上がった幸福をかみしめながら、
歌い始めるのだった。
「でもしか教師」という言葉があります。
日本でも終戦直後、教員が極端に不足して代用教員を現場に大量投入していますが、
おなじような現象がフランスでもあったのでしょうか?
校長はマチューに批判されて、「こんなところにいたくない。教師になどなりたくなかった」
と真顔で答えています。
愛の鞭、ではなくて子供たちと今の自分の境遇を嫌悪して本気で暴力を振るっています。
これは単純に学校を舞台にしたパワーハラスメントというものです。
発表会も大成功に終わったある日、
校長先生の出張中にマチューは子供たちと遠足に出かける。
しかし、学校に戻ってみると校舎は炎に包まれていた。
映画『 コーラス』の原題のフランス語“choristes
”は、
英語で言えば「 The Choir Boys = 聖歌隊少年歌手たち」となるはずですが、
この作品では「合唱団員、合唱者」のことで、賛美歌などは出てきません。
この学校でマチュー先生が指導するのは聖歌を歌う「聖歌隊」ではなくて、
皆で合唱する「コーラス部員」というわけです。
出演している子供たちジャン・バチストとマクサンスの他、
台詞のある子役2名を除いては、撮影現場近辺の子供達らしいです。
彼らの素晴しい声はプチ・シャンタゥール・ドゥ・サン・マルク少年少女合唱団の
口パクらしいのですが、
ピエールを演じるジャン=バプティスト・モーニエは、
その美しい歌声をソロで聞かせてくれています。
舞台となる「オーベルニュの寄宿学校」、
ピュイ・ド・ドームのラヴェル城で撮影されています。
城の中も外も十分に活用されて、
撮影のドミニク・ジャンティルとカルロ・ヴァリーニの腕が絶賛されている。
ピュイ・ド・ドームというのは、
約11,000 年前に噴火した火山群の主峰の溶岩ドームだそうです。
確認できていないのですが、
札付きの不良役のモンダン役のグレゴリー・ガティニョールは
実際に青少年更生施設に入所している少年だそうで、
監督は少年の担当判事の反対を押し切って少年を出演させたという話を聞いています。
事実とするとたまげた話です。
人の受け取り方しだいですが、私には「コーラス」は泣ける映画では無かったです。
全員が救済されるわけではなく、
手厳しい制裁を受ける人物もいます。
「いまを生きる」のようなハリウッド映画の“正義は必ず勝つ”わけではないし、
日本の金八先生でもない。
おちこぼれをすべて拾ってみんなで泣きましょうって話じゃない。
教育がイデオロギーに侵食される前の時代の話です。
これがフランス映画の味わいなのか、
ある意味、とてもクールな映画です。
歌えない子をメトロノームにしたり、音痴な子は譜面台にして頭をこつこつ。
これはユーモア場面として出てくるようですが、
今の日本でこれは許されないでしょう。
一方でマチューは校長と取引を仕掛けたりと狡猾にも振舞っています。
あの時代のあの状況において、自分に出来ること、やるべきことをしっかりやった先生、
ということではないでしょうか。
やはりセンチメンタルな部分と理性的な部分の按配は、
日本人のそれとは微妙に異なるようですが。
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