「ボウリング・フォー・コロンバイン」映画製作裏話
★映画基礎データー★「ボウリング・フォー・コロンバイン」 2002年 アメリカ映画 監督・脚本・出演 マイケル・ムーア |
mixi(ミクシー)「独身社会人映画ファンコミュニティ」に入ろう!
コロンバイン高校の銃乱射事件を元に、
暴力の本質をコミカル且つシニカルに、
そしてシリアスに炙り出してます『ボウリング・フォー・コロンバイン』。
米国の殺人事件の異常ともいえる頻発は、
銃の氾濫でも、TV、映画やゲームの影響でもなさそうだ、
なら何なのか、ってところに取材やインタビューを取り混ぜながら迫っていきます。
「知的"電波少年"」と言った感じのキャッチで宣伝されていたので、
クライマックスのKマートやチャールストン・ヘストンのアポなしインタビューを人や場所を変えて
頭から延々とやるのかなー、だったら映画として見る価値は無いな、と踏んでいたのですが。
…ドキュメンタリーは"シネマ"ではないと思っているので、
それが私のスタンツです。
(「WATARIDORI」はカメラを意識しない鳥を飼育した上で"渡り"をさせるのだから、
ディズニーの流れを汲むヴィジュアル系エンターテイメントであってドキュメンタリーではない。)
しかしマイケル・ムーア監督はもう少し芸のある人のようで、
奥の手は最後にとっといてあります。
情報過多の状態で出かけていったせいか、前半はたるかったです。
ところどころ睡魔が ^^;
コロンバイン高校のところを伏せて、
周辺の話から攻めていくのですよね。
と思ったら企画段階では、
アメリカの銃社会批判ドキュメンタリーという事だけで、
コロンバイン高校の騒動は発生していなかった。
実際に企画が動き出してからあの事件が。
シナリオが当初案からシフトしたんだろうなぁと思ってます。
漠然と"銃社会批判"をテーマに掲げられても、外国である日本の観客には
冒頭のツカミの部分での訴求力がいまいち足りないです。
ライフル犬とか出てきても、およそ笑えない。あれ、可笑しいんですかぁ?
となりに白人のお兄さんが座っていて、かなりウケてました。
英語でぶつぶつ言ってましたから、白人にはあれで笑えるのでしょう。
私だけでなく周囲のお客さんもかたまっている。
やはりコロンバイン高校の監視ビデオが出てきて、
話が本題に入ってからですね、面白くなるのは。
先日、マイケル・ジャクソンをボロカスにするドキュメンタリーが二つの民放で相次いで放送されて、
同じマイケルネタなのに正反対の結論になってしまっている。
このドキュメンタリーを見ている最中に思ったんですが、
つまり、この監督はどういうところをオチにしたいのだろうか、わかんないなぁと。
結論らしい仮説が次々に出てきては、
そのあとまったく違う方向に向かって話が滑っていくのですよね。
マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー同様、
このフィルムもどれをラストに持っていくかで、まるで違う話になってしまう。
貧困が悪い。
懲罰労働をさせる刑法が悪い。
銃・弾丸が簡単に手に入ることが悪い。
事件の背景を報じないマスコミが悪い。
ライフル協会が悪い。
ブッシュが悪い。
軍需産業が悪い。
この映画を見たスピルバークが、
アカデミー賞で新しい賞の創設が必要だと言ったとか、
言わないとか。
スピルバークはこの作品がいわゆる
"長編ドキュメンタリー"の範疇はみ出す事を踏まえた上で
発言しているのでしょう。
題材は現実。出演者も実在の当事者。その上で創作を施す。
仮想ドラマと言うのではなしに(少しそれらしいものも出てはきますが)、葛藤する監督の姿が見えてくるようになる。
はっきりとした結論が最初にあって、
そこに向かって論理的にエピソードを組み上げて行くというのではなくて、
テーマに対して、様々にアプローチする己の姿そのものを見せている。
銃社会に対する批判→コロンバイン高校の惨劇→6歳児同士の銃事件→9.11テロ
テーマを追い駆けて悪戦苦闘する監督を尻目に、アメリカ全体が暴力の渦の中に巻き込まれていく。
闘うべき的は、どんどんでかくなっていく。
原一男の「ゆきゆきて神軍」に似ている作品という指摘があります。
ムーア監督は「ゆきゆきて」のことを知っており、
「自分にはあれは撮れない」と述べているそうです。
"神軍おじさん"は確信犯で、
カメラは言ってみればおじさんの後ろ姿を追い駆けていけば良かったのですが、
「コロンバイン」はおじさんのような主人公が不在で、
監督は自ら道無き道を切り開く苦しみをフィルムにしています。
被害から教え子を救えなかったことを嘆く黒人女性教師の肩を抱く監督の姿は、
暗黒の渦の中で個人がどこまで抵抗し得るかの可能性を探る姿です。
突撃レポーターという奴は、
言っている言葉は単純化し一本調子になりがちです。
映画の後半になって監督自身が頻繁に姿をみせるようになり、
言外の想いを自分の大きな身体と表情で補っています。
アカデミー賞の壇上のスピーチでは、
このような前後が無くブッシュに噛みついたのだから、本人がアホに見えてしまう。
男優賞を取ったエイドリアン・ブロデイがやはり「残念」とコメントしてスタンディング・オーベーションを受けていたのと好対照になってしまいましたが、
こう見ますと、「戦場のピアニスト」は戦争を語った話でなく、
歴史を語ったドラマなのだ、
だからあの主人公は語り部以上の活躍をなさなかったのだと知れますね。
アメリカのテレビ番組「COPS24時」の元プロデューサーに、
「微々たるお金をとって逃げて、ぼこぼこにやられる黒人を撮るより、
大金をごまかす企業のエグゼクティブが逮捕される番組を作ればどうか」と、
提案する場面では、ムーア監督自身が演出した仮想番組らしきものが出てきますが、
元プロデューサーは「それじゃ視聴率は取れない」と渋い顔。
これはもう、提案する前からムーア監督自身が心得ていた結論で、
元プロデューサーは心ならずも乗せられてしまった口。
ここいらへんはパロディで、
この映画のエンターテイメントになっている部分です。
こういう、しれっとした事をシリアスなドキュメンタリー部分と交え、
いったり来たりする。
どっちかが本当にやりたかった事で、
どっかが売り込みのため、という事は無かったと思います。
監督はどっちも自分自身が本当にやりたかったことで、
自分の中にある自分自身なのでしょう。
映画はコロンバインの被害者とKマートにのりこみ、
ライフル協会の宣伝塔チャールストン・ヘストンをやっつけに訪れるエピソードで終わっています。
エピソード的にいちおうの決着をみていますので、
それなりに充足はありますが、
最終決着でないことは監督も観客も承知の上です。
が、いまという時代にこのフィルムを見る価値は十二分にあろうかと思います。
現在企画中の次の作品は戦争や政治的な色彩がますます濃くなり、
市民感覚から遠ざかっていくものとなりそうです。
思想的に面白くとも一般観客が感情移入できないものとなると、
この監督の持ち味は失われ、
そこいらのニュースキャスターと一緒になってしまいそうですが、
どう料理するか、お手並み拝見です。
トップページ(映画製作裏話、映画と原作比較レビュー)に戻る。