「グッバイ、レーニン!」DVD脚本レビュー

「グッバイ、レーニン!」映画チラシ★映画基礎データー★
「グッバイ、レーニン!」
2003年 ドイツ映画
監督脚本 ウォルフガング・ベッカー
出演 ダニエル・ブリュール

               

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1989年、東ベルリン。衛星テレビの修理店に勤める青年アレックス。
彼の父は10年前に家族を捨て、西側に亡命した。
一方、母クリスティアーネは、その反動からますます愛国心を強めていく。
ある日、アレックスが反社会主義デモに参加。
警察と衝突するところを偶然目撃したクリスティアーネはショックで
心臓発作を起こし、昏睡状態に陥ってしまう。
その間にベルリンの壁が崩壊、統一ドイツは資本主義国家となる。
やがて8ヶ月後、クリスティアーネは奇跡的に覚醒するのだが…。

「グッバイ、レーニン!」の監督脚本のウォルフガング・ベッカー、主演のダニエル・ブリュールら
スタッフ、キャストとも日本ではほとんど知られない。
…どころか本国ドイツでも有名とはいいがたい人たちです。
かろうじて音楽のヤン・ティルセンが「アメリ」の人だよな、と分かる程度。
本国の公開でも大して宣伝されることなく、ひっそり始まってひっそり終わるものと
考えられていたのですが、口コミで劇場にお客が集まり、ロングランを重ねて
近年にないヒット興行となったそうです。
日本の場合は、単館興行にもかかわらず評論筋が絶賛、
宣伝費を使ったわけでもないのに、勝手に映画紹介番組や雑誌の書評で
繰り返し取上げられ、露出度は十分すぎでやや過剰気味。
あらすじも事前に大半が知れ渡ることとなってしまいました。

世間の“映画評論”は興行の足を引っ張ることはあっても貢献することなど
ほとんどないものと思っていましたが、この作品については評論筋の
評価が内容の正当な評価と興行的なヒットに結びつき、理想的な展開となりました。
めでたい。めでたい。

主治医はクリスティアーネに過剰な精神的ショックを与えると今度こそ、
命に関わるとアレックスに警告。
しかし、愛国主義者の母に東ドイツ崩壊の事実はきつすぎる。
アレックスは強引にクリスティアーネを退院させると、
自宅の部屋に閉じ込め、東独崩壊の事実を知らせず養生させようと悪戦苦闘を
はじめるのだった。

クリスティアーネがこん睡状態にあったのは八ヶ月という設定です。
ほんの八ヶ月で、国がひっくり返ってしまったのは動かしがたい事実で、
アレックスは部屋の模様替えや衣服、コーヒーやピクルスの調達に駆けずり回ります。
アレックスの姉さんが、洋服ダンスの奥から出してきた自分の上着を見て
「何てダサいの? こんなの着ていたなんて信じられない」と愚痴っています。
衣食住の全部がある日突然ひっくり返ってしまう。まずそこがおかしいのに。
それをまた強引に戻そうとするので更に笑える。
品物に関しては軽快なギャグとして笑わせていますが、
合間に時代の変化に順応できないお年寄りらがちらちら出てきて、
そちらは哀愁をたたえる描写となっている。

西側の文化というものは、まずスーパーなんかの棚の商品の一変という物品の
奔流でベルリンへ押し寄せる。
あ、この映画の舞台は東ベルリンです。
自宅の病室の窓から下を見ればアメリカ製の車が走り回り、
ベルリンの壁もとっくに撤去されたというのに、部屋の中は社会主義共和国のまま。
窓から身を乗り出せば、全部がばれてしまうような状況で、
ドラマが進みます。

母親は覚醒のショックで記憶障害が起こっているので、意識の中で
もともと過去と現在が混濁しています。
アレックスたちは嘘がばれそうになると、結婚式のビデオ編集などで稼ぎを挙げている
友人と組んで、実はコカコーラは東ドイツの発明だったとか、
西から資本主義に疲れた難民が押し寄せているといったニュース番組をでっち上げる。
クリスティアーネは半信半疑のままベッドで寝ている。
差し迫ってアレックスが知りたいのは我が家の預金通帳の行方。
西ドイツマルクに換金しないとお金が紙くずになってしまう。で、作品の中では
お母さんのタンス貯金三万マルクが紙くずになってしまい、
アレックスは姉と共にビルの屋上からばら撒く場面が出てきます。
(当メーリングリストの海外の参加者の話によれば、それなりの救済措置がとられて
破産者続出という事はなかったようですが)

アレックスは学校教師でコーラスの指揮をしていたクリスティアーネのため、
金を握らせてかつての教え子や教員仲間を見舞い客として集めて
共産政府を賛美する昔の歌なぞを歌わせたりしますが、
その実、学校では愛国心過剰なクリスティアーネをけむたく思い排斥する動きもあったと
知らされたり、小遣い欲しさにクリスティアーネのもとを訪れる学生などがいたりして、
今の人心の荒廃振りがうかがえる。笑いとシリアスドラマは交互に描かれています。

映画の掲示板に「見終わってからやっぱり娘よりも息子かなと思う母でした。
(映画は娘と見たんだけど)」という書き込みがあって、個人的に馬鹿受けしたのですが。
「ビッグ・フィッシュ」「みなさん、さようなら」など最近の作品を見ても、
親父と息子は遠慮なく喧嘩できますが、息子は母親の涙だけは見たくなくて、
なけなしの力を振り絞って駆けずり回るのは、私自身不肖の息子ですから気持ちは
分かります。
母から見ても、自分のために“お馬鹿”になっちゃう息子
というのはかわゆいんだろうねぇ。
後半クリスティアーネはテレビの画面よりアレックスの横顔ばっかり見ています。
母の心は何処にありやは、言わずもがなです。
(母と娘は「ヤアヤアシスターズ〜」などにも見られるように
もうちっと屈折しているらしいですが。
父と娘は「ベッカムに恋して」の若い頃人種差別で屈辱をなめた父が、
娘かわいさにサッカーを取上げようと躍起になって観客を大いに泣かせます。)

アレックスの奮闘努力は、クリスティアーネ当人がベッドを抜け出し
街にさまよい出てしまうなどいたるところでほころびが生じ、
またガールフレンドのララが心情的にも耐え切れなくなって、
真相をぶちまけようとしたりと限界が来て、
結局、幻想の東ドイツも幕引きさせようという話になります。
以下ねたバレ改行です。










ここで脚本はひとひねりされていて、アレックスと彼のかつてのヒーロー、
東ドイツで唯一人の宇宙飛行士となったイェーンとの出会いが用意されています。
 町を抜け出しアレックス一家は郊外に出かけるのですが、クリスティアーネが
告白を始めます。息子たちはついに嘘がばれて印籠を渡されるものと固唾を呑みますが、
クリスティアーネがぶちまけたのは、父親との別れの真相でした。
息子たちは父が不貞を働いて西側の女のもとに走ったと聞かされていたのですが、
事実は異なり、夫婦そろっての亡命を計画していたものの、
怖気づいたクリスティアーネが父を見限って東に残ったというものでした。
後悔から彼女は社会主義運動に傾倒していたのですね。
西に渡った父から母へ書簡がひそかに届けられていて、
台所の棚の裏側に隠されている。
姉さんは棚を叩き壊して書簡を探し出し、父が西ベルリンにいることが分かり
アレックスはある夜、父を尋ねて出かけていく。
 そのときに、壁の崩壊以後の世界でタクシーの運転手になっているイェーンと
出会っています。
 ここいらあたりの脚本の書き込みは上手いなぁ。
イェーンは一場面限りの風刺画的な登場人物だと思っていたのですが、
父親の家へ訪ねていくと、
子供たちが宇宙飛行士の活躍する人形アニメを見ているのですね。
このアニメはアレックスが子供のときに見ているものと一緒で、
過去に時間がさかのぼるための小道具のひとつになっている。
父親はこのあとクリスティアーネを見舞いますが、
既に西ベルリンで再婚して生活基盤を築いているようで二人が復縁するという展開には
なりません。

アレックスは、東ドイツ、というよりも彼が求める世界のなかで、少年時代にあこがれ、
いまだ揺るぎないヒーローであるイェーンに協力を仰ぎ、
テレビのなかにもうひとつのドイツ統一という歴史を作り上げます。
 その中で、東ドイツは西側に門戸を開いてプライドをもって祖国統一を実現します
現実の東ドイツがソ連崩壊後のドミノ倒しでホーネッカー議長が退陣を余儀なくされ、
治安維持局、情報局などに暴徒が乱入して怒号と混乱の中に沈んで行ったのとは対照的に、
「宇宙から見れば国境線はない」と宣言したイェーンが統一ドイツの元首(の役を演ずる)となります。
この映画は政治、社会問題の基礎知識がない者には分かりにくいという意見も
ありますが、壁が倒れた混乱の様子は報道画面の挿入などもあり、
詳細は分からずとも全体の混乱したイメージは良く伝わっており、それで十分ではないか
と感じます。
共産主義体制は終わったが、だからといって西側が勝利したわけではなくて、
壁を壊したのも西や東の意味を奪い去る圧倒的な経済の力でしかありませんでした。
ある家族のドラマから、
アレックスという若者の理想を通じてドイツの混迷を多層的に描写することに成功しています。
このドラマ的飛躍は真に感動的であっぱれです。
人間を幸せにするのは「自由」なのか「秩序」なのか、「急進」なのか「保守」なのか、
というのは、アメリカ人が考えるほど単純ではなくて、現実にはとても難しい問題です。
そういうテーマをこの映画は無名市民の目線の高さで語っています。

いま、東ドイツで社会主義政権時代を懐かしむ雰囲気のようなものが存在するようです。
この作品の中にも、その雰囲気はそこかしこに見られます。インテリアなどの様子も、
現在人気の北欧モダンやミッドセンチュリーに通じるものがあり懐古的な雰囲気を
醸し出していました。
ものは絶えず欠乏し、不満は多かったが、少なくとも今より世の中は落ち着いていて平和だった。
古きよき秩序が確かに存在していた。
 この作品がすばらしいのは、回顧主義に埋没してドラマが思考停止してしまうのでは
なしに、過去をそうあって欲しかった姿に再構築し、今一度出直しを図ろうとしている点であります。
わずかな演出上の失敗ですが、
クリスティアーネの病状はドラマの後半へ行くにしたがって、確実に悪化していくの
ですが、ほかのエピソードのアップダウンが激しすぎるためか、
逆に健康を取り戻しているように見えるところがあり、ラストの死がやや唐突な印象です。
それが逆に一人の悪人も出てこない現代のおとぎ話という印象を形作っています。
ラストで子供たちが母の遺灰をお手製のロケットにつめて、(そう、主人公が子供の頃作ったあのロケットだ。)ベルリンの空高く打ち上げ、「母さんは空の上から僕たちを見守っている」と語るナレーションは美しいく、甘いセンチメンタリズムを感じさせます。
この「おもしろうてやがてかなしき」感覚は、ハリウッド映画の絶対勧善懲悪主義には無い価値観であり、その暖かみは日本人の感受性になじむ“浪花節”であります。
 「トンネル」「マーサの幸せレシピ」などドイツ映画の本邦公開作品は相変わらず
少ないのだけれども、
いずれの作品にも個別のテーマを超えて根底にある世界観にこの共通する“浪花節”を感じます。


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