「ぐるりのこと」

「ぐるりのこと」映画チラシ■作品基礎データ
「ぐるりのこと」
2008年 日本映画
監督脚本:橋口亮輔
出演:リリー・フランキー

               

mixi(ミクシー)「独身社会人映画ファンコミュニティ」に入ろう!

1993年7月。ふたりの部屋のカレンダーには「×」の書き込み。
妻・翔子(木村多江)が決めた週に3回の夫婦の「する日」の印だ。
しかし、その日に限って、
靴修理屋で働く夫・カナオ(リリー・フランキー)の帰宅は遅い。
女にだらしないカナオが遊び歩いているのでは? 
彼の手の甲をぺろりと舐め、浮気かどうかチェックする翔子。
カナオは先輩の紹介で、新しく法廷画家の仕事を引き受けてきたところだった。
「はあ!? 靴屋は? とにかく……決めたことやってから話そうか」
苛立った様子で寝室へ消える翔子。
カナオはぼやきながら、渋々寝室へ入っていく。

ふたりはどこにでもいるような夫婦。
翔子は女性編集者として小さな出版社でバリバリ働いている。
一方、カナオは法廷画家の仕事に戸惑いつつ、
クセのある記者・安田(柄本明)や先輩画家らに囲まれ、次第に要領を掴んでいく。
職を転々とするカナオを、翔子の母・波子(倍賞美津子)、
兄・勝利(寺島進)とその妻・雅子(安藤玉恵)は好ましく思っていない。
しかし、そんなカナオとの先行きに不安を感じながらも、
小さな命を宿した翔子には喜びのほうが大きい。
「お、動いた!」カナオと並んで歩く夜道で、
翔子は小さくふくらんだお腹に手を触れる。
カナオのシャツの背中をぎゅっと掴んで歩くその後姿には、
幸せがあふれていた──。

1994年2月。
ふたりの部屋に掛けられたカレンダーからは「×」の印が消えている。
寝室の隅には子どもの位牌と飴玉が置かれていた。
初めての子どもを亡くした悲しみから、翔子は少しずつ心を病んでいく。
法廷でカナオはさまざまな事件を目撃していた。
1995年7月、テレビは地下鉄毒ガス事件の初公判を報じている。
産婦人科で中絶手術を受ける翔子。
すべてはひとりで決めたこと、カナオにも秘密である。
しかし、その罪悪感が翔子をさらに追い詰めていく。

1997年10月、法廷画家の仕事もすっかり堂に入ってきたカナオ。
翔子は仕事を辞め、心療内科に通院している。
台風のある日、カナオが家へ急ぐと風雨が吹きこむ真っ暗な部屋で、
翔子はびしょ濡れになってたたずんでいた。
「わたし、子どもダメにした……」翔子は取り乱し、
カナオを泣きながら何度も強く殴りつける。
「どうして……どうして私と一緒にいるの?」
そんな彼女をカナオはやさしく抱きとめる。
「好きだから……一緒にいたいと思ってるよ」
ふたりの間に固まっていた空気が溶け出していく──。

前作『ハッシュ!』が国内外で絶賛された橋口亮輔監督が、
6年ぶりにオリジナル脚本に挑んだ人間ドラマ。
1990年代から今世紀初頭に起きたさまざまな社会的事件を背景に、
困難に直面しながらも一緒に乗り越えてゆく夫婦の10年に渡る軌跡を描く。
主演は『怪談』の木村多江と、
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の原作者リリー・フランキー。

銀座の朝日ホールで監督と木村多江、リリー・フランキーの三氏の
舞台挨拶とマスコミ取材がありました。
だからこれは俗に言う「プレミア試写会」ですね。

何の予備知識もないまま見た作品ですが、とっても面白かったです。
「法廷画家」という職業の事は始めて知りました。
テレビ局に所属して、撮影が禁止されている法廷内の様子をスケッチして、
テレビで放送する時に使うイラストを描く人たちのことです。
現場では「スケッチさん」などと呼ばれていますが、
正しくは「法廷画家」。
映画はその法廷画家の夫婦の30代から40代への10年間を描いています。
その画家役にリリー・フランキーを持ってくるとは恐れ入りました。
実際、描くシーンがハイライトになっているのだしねえ。

まず冒頭五分の夫婦の対話が笑えるのですわ。
エッチするのしないのと延々と揉めているだけなのですが、
絶妙に可笑しい。
それでもってフランキーさんが、法廷画家」の仕事初めに東京地裁に出向いていく。
地裁で仕事する放送局の独特のルールやしきたり、
そしてへんな仲間達が次々現れる、と好調に話が進みます。

伊丹十三の作風とは違うので、
中盤以降、ハウツーの陰は潜まるのだけど、
ちょっともったいないな。
法廷場面でサリン事件とか十年の各時点を代表する事件が登場するのだけど、
幼児殺人事件など、描写がワンパターンで一緒こたになってしまうのは、
つまんないですね。
奥さんのうつ病の描写は上手いのだけど、
お茶の先生である尼さんとの出会いなど、
重要なパートと思われるところが、何故か出てこないところが、
そういう演出なのでしょうけど、
ドラマが年の経過ごとにぶつギレになっていてテンション下がります。
面白いといっている割には小言ことが多いですけど、
面白いからこそ、さらに面白くなるのになーと思うからです。

主役カナオを演じたリリー・フランキー氏はインタビューで次の通り答えています。
質問項目は平凡ですが、本人はじっくり答え、
作品世界とご当人の人柄が上手くシンクロしているように読めます。
少し長めの引用ですが、作品を理解する良い助けになると思います。
― 最初に出演依頼があったときには、どう思いましたか?
リリー・フランキー(以下:リリー):
橋口さんにとって大切な映画だということはわかっていたので、
自分が出る、出ないに関わらず、一番いい方向になればいいなと思っていました。
だから、俺でいいのかな、というのもありましたし。
― 監督のお話ではリリーさんからお返事をいただくまで、
3ヶ月かかったということなんですが。
リリー: すぐに返事するのも、やる気まんまんと思われてイヤだから(笑)。
3ヶ月以上ひっぱったら、あまりにも長すぎるし。
― 役者ではないご自身が主演ということに戸惑いは?
リリー:
それは全然ないですね。表現するということに関して、
違うことだと思っていないので。
これは橋口さんの映画だし、映画は監督のものなので。
あとは監督の言うことだけ、ちゃんとできればと。
そういう意味では自分で考えなくてもいい部分が多かったかもしれないです。
橋口さんの考えることをどう咀嚼(そしゃく)していくか、ですね。
― カナオとご自身の共通点は?
リリー:
似ているところは沢山あると思います。
好きな人に対しての接し方とか、価値観、社会との距離感みたいなところですね。
僕もたぶん自分の彼女がああいう風になったら、仕事は休みますし。
誰か他の人を探そうと思ってないし。好きな人が苦しんでいるときに、
仕事だったり、他の人間関係はどうでもいいんですよ。
 代わりのきかない場所にいたい。仕事にしても恋愛にしても。
翔子が他の人を見ずにカナオだけを見てくれているから、カナオもそうなんだと思う。
翔子がカナオにもし連絡がつかなかったときに、
他の男の人に連絡しているような人だったら、どうだかわからないですよ。
 女の人も男の人もああいうふうになったら弱いですからね。
そういう人のところにいたいです。
普段、役に立たないから、
そういうことが僕の数少ない存在価値だと思ってるから(笑)。役に立ちたいですね。
― 翔子とカナオの会話はドキュメンタリーを観ているようでした。
リリー:
映画になっているのは、全部、台本どおりです。
例えばものすごく泣きすぎてセリフが出てこないときとか、
ちょっと変わってるところはあるけど。
基本的に台本どおりにしかしゃべってないです。
 翔子の鼻をカナオが舐めるシーンは、その場で決まったこと。
(翔子が)あまりにも鼻水が出て、「顔が痛い」って言ったから。
たぶん台本ではキスすることになっていたと思います。
鼻水が出るとまでは台本に書いてないじゃないですか。
でも、あんな重要なシーンをワンカットでとってるのに、
下手なアドリブ入れられないでしょ。
 自然に見えるっていうのは、クランクインする前から、
1週間、ずっと最初の流れとか、木村さんと一緒に1日中やってるんですよ。
ああいう会話をすることが、僕らの日常になってクランクインしたんです。
― うつになっていく翔子を演じた木村多江さんは、
実際に精神的に不安定になったとお伺いしたんですが。
リリー:
木村さん自身はすごく穏やかな人だからね。
人からみておかしくなっているようには見えない。
すごく役に入って、少なくとも撮影現場にいるときはもう翔子のまんま。
翔子がああいうふうになっているシーンでも、
普通の人だと、笑いながら弁当食うじゃないですか。
木村さんは、翔子のまま弁当食っちゃうんですよ。
 僕は、撮影しているときもしてないときも
同じようなつもりで接しているんだと思うんですよ。
直接的になにができるか、ということでは何もできないし、
できることって知れてますよね。
しんどいしね、本人。俺が先に終わっても、終わるまで待っていようかな、とか。
といっても、一緒に帰るわけじゃないんですけど。
― 橋口監督は緻密な演出で知られています。撮影時に驚いたところは?
リリー:
それは毎日。監督はどうやって映画を撮っているのかなっていうのを観たいから、
この映画を受けたっていうのもある。それが半分ぐらいの理由かな。
才能ある人がどういうふうにものを作っているのかすごく見たい。
テレビで日本の工芸職人が金箔を付けたり伸ばしたりするのに、
うっとりするのと同じ。
才能がある人を見て、それと同じようにうっとりしましたね。
 才能がある人っていうのは才能があるだけじゃなくて、
想いをこめて、丁寧にしつこく妥協せずに作る。
当たり前のことなんだけど、どっかで自分もそういうことを忘れがちだから。
ああ、本当に方法はこれしかないんだなって思いましたね。
― オウム地下鉄サリン事件や池田小児童殺傷事件など、
実際の事件をモデルにした裁判が出てきますが、
リリーさんがこの10年の中で印象に残った事件は何でしょうか。
リリー:
映画の中でモチーフになっている事件は、
僕に限らず日本中が印象に残っている事件だと思う。
それは、テレビだったりマスコミの伝え方が、すごく陰惨な事件でも
「ショー」にしているから。
そしてみんな見ている人が謎解きに参加して、
子どもが死んでいることさえ忘れてしまってる。
 バブル崩壊後に大人がカネカネっていってるから、
子どもたちが援助交際している時代になったと思う。
そして、そのときの子どもたちがいま20代になった。
物質的な恋愛をするような子どもたちが大人になっているから、
相手の悪いことを見つけたら「もう次にしよう」って、
ものを交換するみたいに恋愛する。
それがスタンダードになってきているのかな、と。
 こういう夫婦みたいに、
めんどくさいことがあっても別れないっていうのは…
「めんどくさい意味がない」と思ってるかもしれないけど、
でも、君らが思ってる不安感はこれをやらない限り消えないんだよ、と。
 物質的に何かと交換したことが、
自分にあったにせよ、周りにあったにせよ、
そういう記憶が残ってるから、
愛情さえ何かと交換していいものに代えようとしてる。
それは、相手がくれるものじゃないと思ってる。
 この映画がいま公開されるのは現代的だなと思ってる。
そういう、ゆがんだ恋愛観さえスタンダードになってるから。
雑誌とかでも、「リセットする方法」とかそんなことばっかり言ってて、
人としっかり付き合う方法は誰も比較しない。
間違ったスタンダードでメディアや政治が成り立っているから、どんどん腐っていく。
だから、この夫婦が素敵な夫婦に見えるというのは、すごく皮肉だと思う。
当たり前のことをしているだけだと思うのに。
 この10年でなんか自分が変わったことがあるとは思わないけど、
客観的にみてすごく人間関係がスカスカになっているな、と思ってる。
― 出演後に、家族や結婚に対する気持ちは変わりましたか?
リリー:
ご覧になった女性の方は、みんな同じことおっしゃるんですよ。
結婚したいな、とか。
結婚って言葉なのかはわからないけど、
人とちゃんとつながっていくことでしか、人の不安っていうのは消えない。
男性に対しても女性に対してもそうですけど、
こういうふうに人とちゃんとしっかりつながっていかないといけないな、と思ってます。
― これからご覧になる方に、作品の魅力を教えていただけますか。
リリー:
このバブル以降の10年間、
日本人の性格、モラルが変質していく中で、
1組の地味な夫婦の恋愛を並行して描いた作品です。
娯楽的な映画じゃないかもしれないけど、
重たいものもあるし、そこに降りかかってくるものもあると思う。
でも、何か心に不安を感じている人とか、
単純に「考えるのはめんどくさいからやめとこう」と思う人を、
ちょっと気づかせてくれる映画だ…


以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1299114
にて「ぐるりのこと」の頁をご覧下さい。


トップページ(映画製作裏話、映画と原作比較レビュー)戻る。