「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」映画製作裏話

「ヘドヴィック・アンド・アングリーインチ」パンフ表紙★映画基礎データー★
「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」
2001年 アメリカ映画
公式サイトhttp://www.gaga.ne.jp/hedwig/
監督・脚本・出演
 ジョン・キャメロン・ミッチェル

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「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」めちゃくちゃ面白かったです。
虎ノ門で井筒監督が絶賛してました。
星五つ中四つ半、というハイスコア。
しらなかったのですが、
これはもともとブロードウエーで丸二年続いたロングラン舞台で、
オビー賞他舞台関係の賞を取りまくってます。
劇中曲をマドンナが自分が歌うための権利獲得にのりだしたとか、
デビット・ボウイがグラミー賞をすっぽかして観劇し、ロス公演に
も出資しています。
その舞台を作ったジョン・キャメロン・ミッチェル本人が
映画の主演・監督・脚本も手がけ、サンダンス映画祭の2部門他、
いろいろな賞をこれまたとっている。

主演のジョン・キャメロン・ミッチェル自身がとても魅力がありま
す。
ゲイというより、これはマイノリティ(少数派)の叫び、がテーマ
です。
1960年代、東ベルリン生まれの少年ハンセンは、
自由を得て、ロックシンガーになる夢を叶えるため、アメリカ兵と
の結婚を決意。
性転換手術を受けることになる。
が手術は失敗。
股間に「怒りの1インチ(アングリー1インチ)」が残ってしま
う。
渡米するも離婚し、トレーラーハウスに暮らし、しがないバンドで
どさまわりの日々。
17才の少年トミーと出会うが、
トミーはヘドウィグのオリジナル曲のすべてを盗んでビルボードナ
ンバーワンのロックスターになってしまう。
裏切られたヘドウィグは自らバンド「アングリーインチ」をひきつ
れ、
トミーの全米ツアーを追いかけ、大会場そばの場末のレストランを
巡業する。
奪われた歌と、失われた愛をヘドウィグは取り戻せるのか、という
ものです。

井筒監督が身も蓋もないことを言っている。
「失敗なら再手術すりゃええやん」
それと
「おかま映画なら、何故ち○ぽ見せん?
フルモンテイーのような潔さがない」

ヘドウィグがあくまで、女になれなかった男のあがきのドラマな
ら、
監督のおっしゃるとおり。
でもちがうのではないかしらん。
ベルリンの壁を越えるための代償として男を捨てた。
母親が病院を見つけてきている。
普通しますか、そんなこと女親が。

ジョン・キャメロン・ミッチェル自身、自分はゲイだと言っていま
す。
ヘドウィグには自分自身と、もうひとりモデルがいて、
彼女はドイツ軍人の元奥さんでトレーラーハウス住まいで、
実は娼婦だった。
ヘドウィグのゴージャスで同時に暮らしに疲れた感じというのは、
このモデルの方から取っている。
はじめ、ジョンはトミーが主人公の話を作っていたそうです。
ロック好きの少年が父親との確執から、トレーラーハウスで歌うと
いう
お話。
しかし、実際の舞台の製作の過程で、作詞作曲の相棒スティーブン
・トラスクから、ドラック・クラブでいこうというアイディアが出
て、
クラブならパフォーマンスのために女装する必要が出てきて、話が
相手役のヘドウィグのものに変わった。
舞台ではラストでヘドウィグは

以下、ねたばれ改行。






舞台ではラストでヘドウィグは
女装をやめてトミーになって、
ヘドウィグに歌を捧げるという風になっていたそうです。
映画ではあくまで2人は別人で、ヘドウィグは女装をやめてトミーの姿になって、
トミーは同じ姿で、ヘドウィグに歌を捧げるてます。

テーマは、プラトンの「饗宴」に出てくる「失われた半身探し」です。
「失われた半身探し」は映画の頭とフィナーレに出てくるので、
判りやすいでしょう。
舞台ではヘドウィグの願望かどうか知らないけれど、
強引にふたりは一つになってしまい。
映画は、ふたりは別々の肉体のままで、性差を越えて共感しあう、
と言う風に見たのですが、如何でしょうか。
男も女も関係ないよ、という境地に行ってしまう、ということですね。
最後のシーンが裸のまま、ありのままの自分で街に出るという絵づらになるわけです。
活字にすると判りにくいですが、
映画そのものはストレートで分りやすいです。


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