「メゾン・ド・ヒミコ」DVD脚本レビュー
★映画基礎データー★「メゾン・ド・ヒミコ」 2005年 日本映画 監督 犬童一心 脚本 渡辺あや 出演 オダギリジョー |
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塗装会社の事務員として働く吉田沙織(柴咲コウ)、24歳。
ある事情で借金を抱え、夜はコンビニでもバイトをしているが、
いっそ風俗で働こうかと思い悩んでいる。
身近な男性では専務の細川が気になるが、彼は同僚のエリナと不倫中だ。
ある雨の日、彼女のもとに若くて美しい男が訪ねてくる。
名前は岸本春彦(オダギリジョー)。
彼は、沙織が幼い頃に沙織と母親を捨てて出ていった父の恋人だった。
『ジョゼと虎と魚たち』の犬童一心監督×渡辺あや脚本コンビの第二弾は、
五年もの時をかけて温め続けたオリジナル・ストーリー『メゾン・ド・ヒミコ』。
理解しあえるはずのない父と娘。
愛しあえるはずのない男と女----そんな彼らの心情を通して、
生と死、愛と絆、欲望と希望を鮮やかに綴っていく。
主役三人のキャストもいいですが、音楽の細野晴臣も良い仕事をしています。
柴咲コウがノーメイクで出演していると一部で報じられましたが、
それは誤りで、わざとシミやそばかすをつける汚しのメイクをしたというのが、
正しいようです。
柴咲コウは沙織について
難しいと思っていたのは、かわいらしくいることだったんです。
かわいくありたいと思ったからこそ難しかったのかもしれないです。
お金も持っていないから伸びたゴムを使いまわしていて、
おしゃれなんか出来ないみたいな設定でしたが、でもかわいくしたかったんです。
と答えています。
ゲイの父をもつ娘というきわどい作品への出演については、
脚本でほぼ決めました。
小説を読んでいる気分になる脚本って演じてみたいと思うんです。
作品によっては映し方とかすごく配慮してト書きが書いてあって、
それが絵として浮かんでくる場合があったりしますが、
今回の作品は全体がおもしろい書物のように感じられました。
といっています。
沙織の父・吉田照雄(田中泯)は妻子のもとを離れた後、
ゲイバー「卑弥呼」の二代目を継いだが、
今は神奈川県大浦海岸近くにゲイのための老人ホームを創設、
その館長を務めているらしい。
春彦は、その父が癌で余命幾ばくもないと言い、ホームを手伝わないかと誘う。
父を嫌い、その存在さえも否定して生きてきた沙織だが、
破格の日給と遺産をちらつかされて、老人ホームの手伝いに行くことを決意する。
田中泯って『たそがれ清兵衛』『隠し剣鬼の爪』の田中泯です。
日本刀でばさばさ人斬りするような役ばっかりの人が、
ゲイバーの引退したママ役です。
すっげー存在感です。
こういう役のできる人とは想像もしませんでしたが。
三輪明宏なら適役なんだろうけど、
でも三輪さんに振るには冗談きつすぎるじゃない?
犬童監督はそのキャスティングについて、次のように述べています。
(田中泯は)いちばん最後ですね。
肝心のヒミコがいないぞ、どうする!っていうときに、
たまたま日本アカデミー賞の授賞式ですごいかっこいいおじさんを見かけて、
その人が泯さんだったんですよ。
これは運命だ、絶対に断られることはないと勝手に思ってお願いをして。
でもずっと返事をいただけなくて、
監督に会ってから決めるというので山梨まで行ったんです。
そこで2時間くらい団塊の世代の批判とかの話をして、
泯さんに気に入ってもらいました(笑)。
それと泯さんはゲイの役をやってみたいと。
ダンスや振り付けの世界にはたくさんいるから、
まったく抵抗はなかったと思いますよ。
泯さんは僕にとって理想的な俳優でしたね。
カメラの前でどんな風にいるか、ということをいちばん大事にしている。
小賢しい演技をされるよりも、そこに黙っているだけでいい、
という人を撮るほうがずっとおもしろいし、エキサイティングです。
翌日曜の朝、沙織はおそるおそる老人ホーム「メゾン・ド・ヒミコ」の門をくぐった。
西欧のリゾート風プチ・ホテルを改装した建物には、個性的な住人ばかり。
生まれ変わったらバレリーナと
相撲部屋の女将になることを夢見る陽気なニューハーフ・ルビイ、
洋裁が上手く女性的で心優しい山崎、
元・小学校の教員で今は将棋が趣味の政木、
ホームのパトロンの元・部下で家庭菜園に精をだす木嶋、
ギターがうまく背中には鮮やかな刺青を入れている高尾、
ゲイバー「卑弥呼」の元・従業員でTVドラマに夢中なキクエ、
春彦と一緒に老人たちの面倒を見ているいつも元気なチャービー。
みんな明るく賑やかに迎え入れてくれるが、
実の父・卑弥呼は娘との予期せぬ再会に戸惑い、
沙織はその場所すべてに嫌悪感を抱くのだった。
ホームの住人には本物のゲイも何人か出ているそうです。
雑誌「バディ」で応募したり、ゲイの俳優の方、
ゲイバーで働いている方とかにたくさん会って決めた。とのこと。
「とにかくテレビや映画であまり見たことのない人に出て欲しかったんですよ。」
というのがキャスティングの監督の動機。
「日本映画によく出てくる脇役の方が出てくると、
観客のほうに“この人、ゲイじゃないよね”ってワンクッション入ってしまうから。
出演してくれた人たちは、ほとんど普段の存在感のまま。
監督として現場で大変だったことはなかったです。」
日曜日ごとに沙織はホームへ出向く。
最初は奇妙な住人たちと距離を保っていたが、
彼らの底抜けに明るい日常とその裏側に隠された孤独感や悩みを知り、
少しずつ心を許すようになる。
「メゾン・ド・ヒミコ」の建物は、
シナリオでは元ラブホテルになっていたようですが、
監督はヒミコというキャラクターと建物の雰囲気が一致している洋館であれば、
ホテルじゃなくてもいいと思い、いろいろ探したようです。
めがねにかなうものが無く、
久保田さん(プロデューサー)に、いい場所が見つからなかったら、
もう撮影中止したほうがいいんじゃないかといったこともあったとか。
ギリギリになって助監督と製作の人間が、イメージにあうレストランを発見し、
そこをホームに見立てて撮影に臨んでいます。
しかし、平穏な日々に翳りが見えはじめる。
ホームに資金を提供していた半田社長が脱税容疑で逮捕されて援助が絶たれ、
その後すぐにルビイが脳卒中で倒れた。
介護費用を割こうものなら、ホームは閉鎖に追い込まれる。
愛する人が作ったホームの存続を願う春彦に対し、
卑弥呼は冷ややかに閉館を口にする。
監督は春彦役をオダギリジョーに振ったことに対して、
男が見ても美しい男性に演じてほしかったと言っていますが、
しかし、自身ゲイを演ずるオダギリジョー本人はそう単純には
割り切れなかったようで、
「「ゲイの役」とかではなく、春彦のキャラクターに対しては、
素直に「この役をやりたい」とは思えませんでした。」
と素直にインタビューで認めています。
「犬童さんと話を進める中で僕のこの春彦って役を、
より人間的で魅力的に膨らませていくことが出来たんです。
たくさんの話し合いの時間が持てて良かったと思っています。」
と控えめに発言しています。
インタビュアーに
世間で「ゲイ」と呼ばれている方たちとご自分とで感性が違うと思ったことはありましたか?と
意地悪な突込みを入れられて、
いろいろとありましたが……たとえば、
男は花を見てもきれいと感じにくいと思うのですが、
ゲイの方はお花を見て「きれい」と感動されるんですよ。
女性もきれいって言いますよね。
両性の感性を持ち合わせていてうらやましく思いました。
等と回答。
脇にいた柴崎コウが「別に私は花を見ても、いちいち感動しないけど?」と
身も蓋も無いことを言い出して、
オダギリジョー、真面目に困っておったようですが。苦笑。
その無責任な父の態度に、沙織は怒りを爆発させる。
沙織の借金は、3年前に癌で死んだ母の入院費と手術費で背負ったものだった。
そして今度は、老人たちを見捨てようとしている……。
父への不信感を強くした沙織だったが、ホームのラウンジで、ある写真を発見する。
それは最盛期のゲイバー「卑弥呼」にいる母の写真だった。
しかも、40歳の誕生日に沙織がプレゼントした帽子をかぶってすましている。
父と母は離婚してから音信不通だったはずなのに、なぜ……。
ある日の夕方、沙織の会社に春彦から電話が入り、卑弥呼が大量の血を吐いたと告げる。
薄暗い部屋のベッドに静かに横たわる卑弥呼。
愛する人を失うことへの不安と絶望を吐露し、鳴咽する春彦。
そんな二人を見つめる沙織。
この母親のくだりは不思議です。
クランクインぎりぎりになって、
沙織の母親をもうちょっと立てたほうがいいと判断した監督によって
追加された場面のようです。
その意図を
「死んでしまった人が行なっていたことが映画を支配するような感触も欲しいと思って。」
母親とヒミコは別れたあとも音信不通ではなく、会っていたという設定にされた。
これはどういうことかというと、
「老人ホームを建てたヒミコも、関係を持とうとした春彦と沙織も、
別れたヒミコと会っていた母親も、“何かを試そうとした人”ですよね。」
と監督は位置づけています。
「結果はどうあれ、それぞれの立場で何かを試そうとしたことが大切なんだ、
そういう話なんだと納得して撮影をはじめました。」
卑弥呼の病状も落ち着き、静けさを取り戻したホームに、大きな荷物が届く。
それは山崎が沙織のために用意した様々なコスチューム。
バニーガールに看護婦、チャイナドレスにスチュワーデス
----沙織と山崎はとっかえひっかえ衣裳を替え、心の底から笑いあった。
「ねえ、遊びに行こ」真っ白なドレスに身を包みメイクも決めた山崎を、
沙織はダンスホールへ誘う。
エスコートはビシッと正装した春彦と住人たち。
しかし、ダンスホールに到着すると間もなく、
山崎は偶然居合わせた元部下に「やっぱ、あんたオカマだったの?」と
しつこく罵声を浴びせられ、脅えながら倒れる。
「謝れ!」本気で怒る沙織だったが、
春彦に優しくなだめられるうち、怒りが泣き笑いに変わっていく。
不穏な空気を吹き飛ばすように踊り、心を通わせる二人。
この時のダンスナンバーが、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」(!)
最初はボサノバやアシッドジャズという案もあったようですが、
それだと誰よりも監督自身がつまんないなと思って「また逢う日まで」。
「それっぽい感じとかうんざりなんです。
そこまでの描写の雰囲気をあそこでバーンとぶち壊そうかと。
オダギリくんにも柴咲さんにも、踊ってる間はキャラクターは全部忘れてね、
といいました。それまでもそれ以降も関係ない。
あそこで一度観客の人たちにも目を覚ましてもらって。
あのあとしんどいシーンが続きますからね。」と監督。
そして、照明の落ちたフロアの隅で、春彦は沙織にキスをする。
「なんであたしに……」混乱する沙織。
翌日、春彦は沙織を二人だけの部屋に誘う。
ベッドに座り、静かに、不器用に、優しく唇を重ねる二人。
春彦は少しずつ沙織を横たわらせるが、ぎこちなさを隠せない……。
キスをやめて沙織が笑うようにつぶやく。
「触りたいとこ……ないんでしょ」目を伏せる春彦。沙織は黙って部屋を出て行く。
ふたりのベッドシーンはそもそも必要だったのでしょうか?
監督は脚本の渡辺あやと話していて、
これが一体何の映画かわからなくなったときに、
監督はこの作品を、ある種の壁のようなものを乗り越えようとする人たちの話だと思った
そうです。
そのために沙織と春彦のベッドインが必要だったとしています。
実際のゲイの方達にはあり得ないとずいぶん言われたそうです。
でも,犬童監督と渡辺あやの中では「あり得た」と断言してます。
「この話ってやり方によってはニール・サイモンのようなウェルメイドでスタンダードで、
情感のあるコメディにもなり得たと思うんですよ。
でも、結局そうはならなかったですね。」とのこと。
お盆の日の朝。
ホームのラウンジには住人たちの親族の遺影、灯篭やおはぎが並び、
迎え火の準備が始まった。
卑弥呼の部屋に母の遺影を取りにいった沙織が父に問いかける。
「ママを苦しめ たこと後悔したことある?
あたしのことが恋しかったことある?会えないのが寂しくて泣いたことがある?」
卑弥呼は娘に一言だけ告げる。「でも、あなたが好きよ」
その日、ルビイを息子家族が迎えに来た。
息子たちにはルビイがニューハーフであることを隠したまま送り出したことを
知った沙織は、受け入れる家族の苦しみを思い、
「……こんなとこ嘘じゃん。インチキじゃん!」と住人たちを強く非難する。
しかし春彦は
「関係ないんだけど、お前は。ここはゲイのための老人ホームだから」と冷徹に告げる。
沙織はそのままホームを飛び出していく。
日が暮れる頃、会社へやってきた沙織は、
誰もいない事務所でそのまま細川に抱かれる。
同じ頃、ホームの庭では迎え火が焚かれ、春彦の指揮で住人たちの合唱が始まる。
めまぐるしく過ぎた夏が、静かに終ろうとしている。
沙織はもう、ホームに戻らないのか? そして、ホームの未来は……?
1999年ころ、というので実は
『ジョゼと虎と魚たち』が動き出すより以前
に、大島弓子のコミック「つるばらつるばら」を映画化しようという企画が、
久保田プロデューサー、犬童監督の間であり、渡辺あやに
シナリオが発注されています。
この企画は、
ストーリーが未来まで行ってしまうので、
美術にお金がかかりすぎるということで第2稿で止まってしまいました。
そのときに(プロデューサーの)久保田氏が、
マニラにある同性愛者のための老人ホームについての新聞記事を映画にならないかと
代案を持ち込んだ。それが2000年の末くらいのこと。
その話は「つるばらつるばら」でゲイの話にずっと向き合っていた監督に、
とても興味深いものとして映りました。
大島さんの別のマンガで、宝くじが当たった女の子がマンションを買ったら、
周りが老人ばっかりだったという話(「ノン・レガート」)もあって、
それのゲイ版みたいなものが作れないかと監督も考えていたのだが、
渡辺あやの方は、父親の看病をする女の人の話を別に考えていたようです。
で、それらが一緒になって「メゾン・ド・ヒミコ」の一稿に繋がります。
ずっとシナリオの推敲が進んで、『ジョゼ虎』を先に撮ることになったので、
それが終わってからまたシナリオを直して、という状況が続きます。
渡辺あやが書こうとしていたのは家族の話だったので、
舞台がゲイの老人ホームになって、
最初に考えていたものとは全然別のものになりつつも、
骨子の部分で生きています。
監督の方はゲイの人たちの資料をずっと読んできて、
彼らの抑圧の歴史のようなものを入れたかったようですが、
仕上がった脚本としては、
むしろ父と娘の関係のほうに重きを置いた内容となっている。
ゲイの人たちの話と家族の話がうまく噛み合っているどうかは、
実は撮っている最中も謎で、と監督は笑っています。
そして監督は若い人に見てほしいと挨拶している。この作品のテーマとは?
個人個人がそれぞれの場所で何かを試す。
『ヒミコ』ってそういう“途中”の話ですよね。
もしもそれが失敗に終わっても、何かを試したという行為は残るはずだ。
これを見て、そんな気持ちを若い人が持ってくれたらうれしいと思ったんです。
わりと最後の段階で、
沙織が「この老人ホームはインチキだ」っていうようなセリフを加えました。
そのセリフに、インチキかもしれないけどこの場所を作った
ということには意味があるはず、という思いを込めたんです。
現代の男たちって組織で社会を変えようとしますよね?
わかりあえる人たちだけが集って、集団で何かを変えようとしたり。
渡辺あやのシナリオのなかに、
そういうことに対する批判のようなものも感じたんですよ。
個人個人が自分なりに、自分にとっての壁を乗り越えるために試してみる。
そうやって試したことのほうが、
結局は他人の胸に残るんじゃないかなという気がするんですよね。
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