「いま、会いにゆきます」DVD脚本レビュー

「いま、会いにゆきます」映画チラシ★映画基礎データー★
「いま、会いにゆきます」
2004年 日本映画
原作 市川拓司
監督 土井裕泰
脚本 岡田惠和
出演 中村獅童 竹内結子

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秋穂巧(中村獅童)は妻の澪(竹内結子)に先立たれ、
1人息子の佑司(武井証)とつつましく暮らしていた。
ある雨の日、妻にそっくりの女性が現れるが、彼女は記憶喪失だという。

劇場公開時、どうせ東宝の「ハウル」までの繋ぎだろうとなめていたのですが、
興行成績もいいですし見に行くことにしました。
連れに爆泣きされて困りましたが、
結構面白かったです。
殺伐とした世相の反映で「泣きたがっている人が多すぎる」ので、
ヒットしている事は確実です。
こういうテーマを否定すると人間性を疑われそうですが、
無償の愛、自己犠牲がファンタジーでないと描けなくなっている、
とも言えます。
映画でしか癒しが得られないとしたら、寂しい世の中です。

「いま、会いにゆきます」制作委員会製作、となっています。
TBS、東宝、、小学館、博報堂の合同出資作品です。
ちょうどセカチューが同じ組み合わせです。
スタッフはまるで違いますが、プロデュース側は二匹目のドジョウを狙う
企業グループです。
企画で白羽の矢が立ったのが、市川拓司(いちかわ・たくじ)の小説です。
この人は出版社勤務の後、97年からネット上で小説を発表。
02年「Separation」でデビューしています。
これがNTVで「14ヶ月」というタイトルで連続ドラマになっています。
愛する女がどんどん若返って子供になってしまうという話で、
それをなすすべも無く見守る男の側から描いている。
それじゃ山田太一の「飛ぶ夢をしばらく見ない」と一緒じゃないかと小馬鹿にしてました。
ドラマも見ましたが、途中であきて最終回を見てません。
子供になって、それでどうなったの? 知ってる人、教えて下さい。

監督は土井裕泰(どい のぶひろ)。
『オレンジデイズ』(04)、『マンハッタンラブストーリー』(03)、『GOOD LUCK!!』(03)、
等のドラマで知られたTBSのディレクターで本作品が映画デビューになります。
同じ「トリック」等で鳴らした堤さんのような派手な癖は
ありませんが、いまふうのかっこいい演出家ですね。
映画化に際しては、
非現実的な話を如何に現実のものとして見せるか腐心したと語っています。

ファンタジーは常套手段として、“嘘八百の中にも真実あり”という手法で見せるのが、
一般です。
大林監督ものなどが典型で、あたまに「a movie」と字幕で見せて、
これは創作物なんだとことさら断ってから、
やおらドラマに取り掛かるという見せ方ですね。
うちのMLでも評判のよかった「黄泉がえり」も、
宇宙からの謎の来訪者によって阿蘇一帯で大量の死者復活が起こり、
それを巡り政府や地元マスコミが動き出し、
芸能人のコンサートがクライマックスになっている。
特撮がウリではないですが、非日常性…
を映画の世界でしか味わえないイベント性に置き換え、
映画館に観客を引き寄せる要因になっている。

「黄泉がえり」と同じ竹内結子主演です。
死んで生き返るのが一人の分だけ、目新しさ、イベント性はないですね。
事前の宣伝もむしろ、ロングセラーの映画化であることを前面に打ち出し、
あとはドラマとして売り込んでます。
長野・諏訪でロケが行われていますが、
室内シーンの大半は東宝の都内の撮影所で撮られています。
中村獅童と竹内結子のキャストは手堅いですが、
特に興行成績を引き上げるほどの力は無いでしょう。
ORENG RANGEのテーマソング「花」はヒットしていますが、
CD売上などを見ますと、ポップスファン内での売上以上にはなっていないので、
映画用のかきおろし曲ではありますが
映画のヒットとの相乗効果によるものとは考えにくいです。
ですから映画興行としての「いま、会いにゆきます」は
普通規模の投資で回収率のよさで儲けている作品と考えるのが本来の姿のようです。

ということは内容で勝負ということでしょうが
同じ竹内結子で今年「天国の本屋〜恋火」というのがありましたが、
あちらは興行的には完敗でした。
同じくもロングセラーが原作という触れ込みでしたが、
原作効果なかったようです。
結局、ファンタジーであることを一押しにしたのがまずかったのでしょうか?
「涙の純愛」ですかね、やっぱり。
岡田惠和が脚本を書いてます。映画で目だった仕事は
「スペーストラベラーズ」の脚本、「深呼吸の必要」企画くらいですが、
ドラマでは「ちゅらさん」「天気予報の恋人」
などの癒し系の大家です。

澪は、一切の記憶を失っていた。
しかし巧と佑司はそんな澪を優しく迎え入れ、
3人のちょっと不思議な共同生活が再び始まる。
記憶の戻らない妻に、自分たちの恋の歴史を語って聞かせる夫・巧。
やがてふたりは「二度目」の恋に落ちる。
そして佑司は「二度目」の母との触れあいに、抑えようのない喜びを感じる。
しかし、6週間後の雨の季節が終わりを告げるのとともに、
澪は再び巧たちの前から去っていく運命にあった。
ねだばれ改行です。



去っていくとこまでが前半。
でそこから後半戦がはじまってどんでん返しが来ます。
前半部分だけでも普通の映画一本分近いドラマの分量がありますので、
映画の掲示板では、この前半を刈り込んだ方が良かったのでは、という指摘がありました。
脚本技術的には可能であったでしょうが、
ファンタジーのトリッキーな部分が残りドラマが減るので私は賛成できません。
前半部分では、
澪に記憶が無くて、巧が欠落部分を彼女に語って聞かせるところが全部映像になっていて、
さらに現在進行形の三人の生活も出てくる。
去った後、澪の日記が出てきて、もう一度、
澪の側から見た過去の記憶がドラマ出てくる。
だったら、前半での巧が方って聞かせる部分は要らないんじゃないか、
ということになりそうです。
それがあえて映像になっている訳は三つあるでしょう。

澪の黄泉の国からの帰還は、巧と佑司、巧の職場の同僚で巧に好意を寄せている永瀬みどり(市川実日子)しか知りません。
澪の行動範囲は特に「黄泉がえり」ような設定上の制約はありませんが、
(黄泉がえった人たちは、阿蘇の周辺を離れると消えてしまい、エリア内で再生する。
「黄泉がえり」原作VS映画比較レビューはこちら
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/pro-yomigaeri.html)
山の中の家と工場跡と両者を繋ぐ森の小道に限られ、
みどりに会い、ケーキ屋に立ち寄るため一度山を降りたきりです。
記憶のない澪が知らない土地で徘徊するはずが無いので、
特に不自然とは感じられません。
彼女の関心事も巧と佑司と自分の家族関係が優先ですが、
それだけではドラマがもちませんし、
時間経過とともに死者の生還と現在の家族との同居という違和感が
目に付いてしまうからというのが第一の理由。

第二の理由は、巧と澪の恋愛を片方の側から順番に見せていくその魅力です。
愛というより恋のときめきをもっぱらつづったもので、
「君の隣は居心地が良かった」と卒業式のサイン帳に書いてしまう。
相手のコートのポケットにそっと手を差し込むゆかしさが真情となっています。
相手の気持ちが分からない、のがミソで実は相思相愛ということなのです。
ここまでは他の恋愛ドラマなどに同様の手法が無いわけではないのですが、
上手いのはそうして観客を油断させておいて、
どんでん返しを仕込む手際の良さですね。

高校時代の澪と巧はそれぞれ、大塚ちひろと浅利陽介が好演してます。
大塚ちひろは2001年の東宝シンデレラガールですが、メガネなどの小道具を使って、
竹内結子の高校時代にうまく化けています。
浅利陽介はNHK大河ドラマ「新撰組!」にも近藤勇の養子役で出てます。
眉にそりなど入れて笑えるほど中村獅童に似ています。

三つ目は「ふたりが二度目の恋をする」ということですね。
純愛といいますが、本当のところ、これは恋のドラマです。
既婚者にも反響の良い映画ですが、それは子供もいる夫婦が初心に帰って
互いに恋をする、互いに恋を語る、その良さです。
子供がいて、母親の死は自分のせいではないかと疑っている。
その子にむかって、お前がいて幸せだった、と今一度語らせる。
死の直接経過が語られないので、どうして親族から子供を非難する言葉が出てきたのか、
根拠が不明ですが、
仕掛けとしては、これは根拠を語るのではなしに、
二度目の恋のオトシどころとして、子供を使っています。
愛しあっていたからお前が生まれた、とは座りが良いではないですか。

一緒に映画を見た連れは、工場跡で巧が澪と再会した時、
どうしてひとめで妻だと信じたのか?
と首をひねりましたが、私はそう不自然とは感じませんでした。
巧は一回忌にも関わらず澪を失ったことからまったく立ち直っておらず、
子供がいるから何とか暮らしている有様です。
たとえ幽霊でも帰って欲しいという心情が、目の前にいる女に疑問を向けることを
許さなかったのでしょう。
夢なら覚めないで欲しい、と心底彼は思っていて、
死んだ人間が帰ってくるなんて現実ではない、と突きつけられるのが
怖かったようでもあります。
巧は急いで佑司に学校でしゃべるな、と口止めしています。

勝ち組、負け組みという分けかたをするなら、巧は負け組み、
より正確には、勝ちたかったけど負けてしまった組、です。
スプリンターとしての前途は大学時代に身体を壊して失い、
将来の見通しも付かなくなり、自ら澪の相手として相応しくないと身を引きます。
そこへ澪が追いかけてきて、ひまわり畑で彼を抱きしめ、
「大丈夫、私たちは大丈夫」とプロポーズします。
セカチュウもそうでしたが、純愛ものは大抵、
恋の行く手を阻む障害が理不尽に高く険しく、
恋人たちはいやおう無しに受身の対応を取らざるを得なくなる傾向にあります。
で、悲しみに身をよじって泣き崩れる姿に観客は同情します。
ところがこの作品には、どんでん返しがあって、
自分の意思で運命に飛び込んでいくことになっています。
それは他の可能性を捨て、
最後に死の待ち構える人生をあえて選択するという逆転があります。
防戦一方を強いられていた主人公がここで逆襲に転ずる意外性と爽快さが
ラストを飾る構造になっています。
前半ののんびりしたテンポに比べ、後半は澪の日記による主客の転倒と、
どんでん返しの二重インパクトがありやや忙しい展開になります。
たたみ掛けとしては程よいテンポだと思います。

澪が出てくる工場跡は、原作では草原に壁だけがあるという風に
描写されているようですが、
映画では諏訪のロケセットの撮影になっています。
実際の工場跡にセットの廃墟を建て込みカメラを回しているのです。
原作は非日常の空間をオブジェのように見せているようですが、
映画では手前と奥と奥行きのある構造にしています。
佑司のタイムカプセルもここに隠されており、どことなく子供の秘密基地を連想させます。
心象風景として“思い出の眠る場所”になっており、
異世界との出入り口という感じはしないですね。

ひまわり畑での撮影は、
全国的にも有名な明野のひまわり畑行われています。
ここは観光畑として公開されているようで、
ひまわりの見ごろというのは畑ごとに「この畑は○月○日」と決まっていて、
ピンポイントのスケジュールなので、この日見ごろとなる畑にクレーンを持ち込み
撮影を済ませます。


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