「硫黄島からの手紙」

「硫黄島からの手紙」映画チラシ★映画基礎データー★
「硫黄島からの手紙」
2006年 アメリカ映画
監督 クリント・イーストウッド    
原作 栗林忠道 吉田津由子    
脚本 アイリス・ヤマシタ
出演 渡辺謙 二宮和也

mixi(ミクシー)「独身社会人映画ファンコミュニティ」に入ろう!

2006年、硫黄島。
 地中から発見された数百通もの手紙。
それは61年前、この島で戦った男たちが、家族に宛てて書き残したものだった。
届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか――。
 戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、ひとりの指揮官が硫黄島に降り立った。
陸軍中将、栗林忠道。本土防衛の最後の砦とも言うべき硫黄島の命運はこの男に託される。
 着任早々、長年の場当たり的な作戦を変更し、
部下に対する理不尽な体罰をも戒めた栗林との出会いは、
硫黄島での日々に絶望を感じていた西郷に新たな希望を抱かせる。
 硫黄の臭気が立ち込める灼熱の島、食べ物も飲み水も満足にない過酷な状況で、
栗林の指揮のもと掘り進められる地下要塞。島中に張り巡らせたこのトンネルこそ、
米軍を迎え撃つ栗林の秘策だったのだ。
 1945年2月19日、ついにアメリカ軍が上陸を開始する。
死こそ名誉とされる戦争の真っ只中にあって、栗林中将は兵士たちに「死ぬな」と命じた。
最後の最後まで生き延びて、本土にいる家族の為に一日でも長くこの島を守り抜けと、と。
 61年ぶりに届く彼らからの手紙。そのひとりひとりの素顔から、
硫黄島の心が明かされていく――。


撮影は「父親たちの星条旗」終了後からはじまっています。
当時、米軍はどうして日本軍が上陸前の徹底した爆撃と艦砲射撃に耐えることが
出来たのかがまず謎で、三十キロに及ぶトンネル、五千もの洞穴、
トーチカを蜂の巣のごとく張り巡らせた全島地下要塞化は
指揮官・栗林中将(劇中では渡辺謙演ずる)の手柄というものでしょう。

硫黄島戦は太平洋戦争末期の戦いですが、
日本陸海軍は、上陸してくる米軍を水際で叩くという戦術を常に取り、
海岸線に防衛ラインを構築するという布陣するのが常でした。
兵員が海から陸に上がる瞬間がもっとも無防備になりやすいのは自明の理で、
そこを攻撃する事で確かに最大の戦果が期待できるのですが、
ですがなけなしの戦力を水際に展開してしまえば、
横方向に伸び切った守備線を一箇所突破してしまえば、兵力は分断され、
また海岸線は同時に守る側にとっても己の姿を敵前にさらしやすい場所でもあるので、
互角以上の戦力がある場合にはそれなりに有効でも、
島全体を艦艇に幾重にも包囲され、制空権制海権が奪われ補給のない状況で
まともに消耗戦に引きずり込まれれば、逆に殲滅されやすくなってしまいます。
栗林中将は、戦力の大差に対して、組織的ゲリラ戦を提案しています。
指揮官自ら玉砕を否定するというのは日本軍においてはユニーク極まりない作戦でした。

「父親たちの星条旗」と異なり、この作品には原作がありません。
日系アメリカ人脚本家のアイリス・ヤマシタと「クラッシュ」でアカデミー脚本賞受賞の
ポール・アギスがまず共同原案を執筆し、
そこからヤマシタが脚本を書き上げています。
原案の拠り所、特に栗林中将の人物像を作り上げる上での拠り所となったのは、
栗林中将の妻子が編纂した書簡集「玉砕指揮官の絵手紙」です。
劇中でもその一部が紹介されている栗林中将と家族との間で交わされた
手紙を本にしたものです。
この本は日本でも小学館から刊行されています。
手紙の中心は、硫黄島着任後のものではなく、――1920年代後半から
30年代前半にかけて武官として赴任したアメリカからのものです。
ヤマシタは、その手紙にあふれる家族への心遣いの繊細さと、
ゲリラ戦を指揮する姿の落差に、イーストウッドは映画のインスピレーションを
得たのだと語っています。
ポール・アギスは「ミリオンダラー・ベイビー」の脚本家ですが、
アイリス・ヤマシタは彼が見出した人材だそうです。

栗林のアメリカ時代を除きセリフはすべて日本語で話されています。
ヤマシタは日本語で脚本を書いたのか?
いえ、彼女は英語で脚本を書き、それは複数の日本語翻訳者の手に渡り翻訳され、
それらの出来の良い部分をコラージュして日本語版脚本が取りまとめられています。
ところで「父親たちの星条旗」クレジットの最後に“バムステッドとハフマンに捧げる”とありますが、
美術のヘンリー・バムステッドと、キャスティング・ディレクターの
フィリス・ハフマンのことです。
「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」はふたりの遺作となっています。

プロジェクトの実現のためイーストウッド監督が最初に来日したのは、
東京都の石原都知事に硫黄島での撮影許可を得るためでした。
石原都知事は、その計画を大いに気に入ってくれたとイーストウッドは答えています。
主要戦闘シーンは「父親たちの星条旗」製作中の
アイルランドロケ中に撮影されています。
硫黄島での撮影は、渡辺謙と少数のスタッフにより、
擂鉢山、島の洞穴、海岸などでロケされています。

セールスの都合もあって渡辺謙のキャストばかりが宣伝されていますが、
ドラマ上もテーマ的にも、一番活躍しているのは無名兵士の西郷でしょう。
演ずる二宮和也はジャニーズ“嵐”の一員としての活躍のほか、テレビドラマで
活躍のようですが、映画ではアニメ「鉄コン筋クリート」のクロや、
2007年の正月映画第二段「黄色い涙」(犬童一心監督)が控えているものの、
ハリウッド映画では異例の大抜擢といえるでしょうね。
亡くなったフィリス・ハフマンの下で実際に日本人俳優の配役に活躍したのは、
ワーナー・エンターテーメンと・ジャパンと高田ゆみ、
という日本人キャスティング・ディレクターです。
イーストウッド監督は、山と詰まれたデモテープを吟味しました。
当然、それらは日本語のままの芝居やテレビのテープであったはずですが、
「演技は世界中どこでも同じだ。言葉がわからなくとも、良い演技はわかる」
と述べています。
以下はネタばれです。

私は二宮君の芝居を見るのは初めてですが、
確かに良いですね。
普通のパン屋として奥さん(裕木奈江)とつましく暮らしていたものを、
赤紙一枚で戦場へ、硫黄島に送られる。
平凡な庶民の視点から、“硫黄島”の語り部、となる。
作劇上、栗林中将はヒロイズムに徹さねばならぬため、
戦争の無常を語るには不十分な部分が出てしまう。
渡辺謙を補完する役回りなのですから、これはオイシイです。

ところで栗林中将の指揮能力が生かされるのは、
映画を見る限り上陸戦から、擂鉢山の攻防辺りまでですね。
海岸線のトーチカが上陸部隊によって潰されるのは織り込み済みだったようですが、
(映画ではあまりはっきり描かれていませんが守備隊は陸海軍両方がいて、
別系統で動いていたなど、栗林個人の力ではいかんともしがたい亀裂の要因は元からあった。)
擂鉢山からの退却を潔しとせず、
玉砕したがる将校が出るあたりから指揮命令系にほころびが生じます。
でもそこいら辺から、
中村獅童や伊原剛志ら見解の異なる士官達の対立と葛藤の見せ場になるわけですね。
イーストウッド監督は俳優に自由に自分の役を膨らませるタイプの演出をする人で、
「雑談の延長で、その空気感のままに撮影に入っていく。そのナチュラル感が素晴らしい現場でした」と中村獅童はインタビューで語っています。

伊原剛志の演ずる西竹一中佐は1932年開催のロス五輪の馬術競技の金メダリストで、
バロン西と呼ばれた本物の華族という、どえらい設定ですが、
実在の人物でアメリカ市民に大層人気のあった人だったようです。
そうした人物が無残な死を遂げる一方で、
部下達に強引に玉砕を強いる伊藤中尉(中村獅童)のような男が、独り生き延びてしまう。
そうした皮肉。

「父親たちの星条旗」で、
米兵を狙って暗がりから音もなく伸びる日本兵の銃身の恐ろしさが、
「硫黄島からの手紙」では、逆に
洞穴で突如、浴びせられる火炎放射器の恐怖に入れ替わる。
日本兵の手榴弾の自爆が実にグロで、
ぐちゃぐちゃに内臓がえぐれて飛び散る無残な姿として
描かれるのは日本の8.15戦争映画ではありえないほど残酷です。
日本兵による米兵の集団リンチがある一方で、
投降した日本兵捕虜を平然と殺す米兵がいる。
そうした戦場のイタイ描写以上に、
加瀬亮扮する元憲兵清水の語る、憲兵の横暴に泣かされる一般市民の
話にぞっとしたです。
戦争時代を現在より秩序ある時代だったと回顧する一部の人々は、
こうした全体主義化の抑圧をどう捉えるのでしょうか?
「プライベート・ライアン」等で激しい戦闘シーンは見慣れていたはずでしたが、
ビンビンッと腹の底に響く銃声と、飛び散る血しぶきに
見ているこちらまで嫌な汗をかきました。
白人の俳優さんがやられても人ごとでしたが、
日本人がはじけ飛ぶ姿は、見ていて凹みました。

アメリカでは「父親たちの星条旗」より「硫黄島からの手紙」の方が
批評家から一般観客まで全て評価が高いようです。
アメリカでは珍しい全編字幕上映でもあるにも拘らず、
かなりの観客を集めているようでもあります。
テレビで見かけた「語るべき敵の姿があったからだ」という
アメリカのテレビジョンでの論調に、私もそれなりに納得しています。

硫黄島には現在もまだ遺骨のわかってない日本兵が12,000名もあるといいます。
合唱――。



以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1299114
にて「硫黄島からの手紙」の頁をご覧下さい。


トップページ(映画メイキング、小説と脚本の比較レビュー)に戻る。