このHPは、社会運動を目的としたHPではありません。
あくまで普通の映画ファンに向けて、
政治的な意図や方向性を持たぬ形でレビューをし、ごく普通の市民の目線でアフガニスタン状況を映画を通じて理解する助けとしたいと考えています。
以下の文章全体に、映画のねたばれの要素がありますのでご了承下さい。
映画DVD「カンダハール」とアフガンの真実
★映画基礎データー★2001年 イラン・フランス合作映画 監督・脚本 モフセン・マフマルバフ 出演 ニルファー・パズィラ ハッサン・タンタイ |
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公開時「カンダハール」は、劇場前では、難民救済団体が募金を求めるチラシを配るなど、
「いかにも」の雰囲気がありました。
また劇場ロビーでは、
アフガニスタン関連書籍の販売、映画「カンダハール」を紹介する報道番組のビデオも流されていました。
お客さんは十代の制服姿の女子高生のグループから還暦過ぎのご夫婦まで幅広いのですが、
一般映画に見られるカップルや私服の女の子同士のグループは少なく、
少なくとも第一回上映は年輩の社会人が多いように見ました。
手持ち資料などを持った救済団体のメンバーらしいグループもありました。
「映画を楽しみに来る」というより「勉強しに来た」と言った雰囲気で、
上映中の鑑賞態度もきわめて真面目でした。
日本での報道を見ると、アフガニスタンの難民は、
皆パキスタンの方へ逃げていってしまっているように見えますが、
イラク側にも二百五十万人から難民が逃げ込んでおるのですね。
映画はイラク側からカンダハールに乗り込んでいくと言うストーリーです。
カナダに亡命したアフガニスタン人ジャーナリストのナファスは、亡命の直前に地雷で足を失い独りカンダハールに残った妹か
ら20世紀最後の皆既日食が訪れる日に自殺すると書かれた手紙を受け取った。
ナファスは妹を助けるために一度は捨てたアフガニスタンに戻ること
を決意する。
赤十字のヘリコプターに乗り、イラク側の難民キャンプからアフガニスタンへ入国を試みる。
ナファスがアフガニスタンを捨てて何年経っているのか、
正確なところが映画の中で出てきませんが、
彼女の価値観や意識は、亡命先のカナダ人のそれなんですね。
女性が頭から被るブルカを本当に嫌がっている。
映画のストーリーは元ネタがあって、
カナダに亡命したアフガニスタン人ジャーナリストというのは、
実在の人であって、しかも映画では本人が自分の役をやっている。
ニルファー・パズィラと言う人です。
もともとニルファーさんのアフガニスタンの友人が、
カナダにいる彼女に自殺をほのめかす手紙を送ってきたというのが、
話の始まりです。
彼女はイランの監督モフセン・マフマルバフに、アフガニスタンへ向かう自分の旅を撮影して欲しいと依頼しています。
まぁ映画撮影ということなら、
ジャーナリストの彼女でもアフガニスタンに入国できるという、
そう言う狙いがあったのではないかと思います。
映画そのものはイラク側で撮影され、
撮影を理由にアフガニスタンへ入国して友達を捜すという試みは達成されなかったようですが。友人の無事は確認できたようです。
赤十字のヘリコプターに乗り、ナファスは手にしたテープ・レコーダーに妹へのメッセージを吹き込んでるところから映画は始まります。
テープレコーダーというのは割と良くある手ですけど、
ともかく主人公が何を考えているのか、モノローグ代わりに常に判る形になっている。
ヘリで降り立った国連の難民キャンプでは、
イランへ戻る女の子達を相手に最後の授業が行われている。
タリバンは女の就学を禁止してるので、母国では教育が受けられないわけです。
でこの授業というのが秀逸で、
「かわいいお人形」を見つけても絶対触ってはいけないというもので、
子どもを狙った人形爆弾に手を出すなと言う内容なんですね。
このシーンは「カンダハール」を紹介する番組で繰り返し出てきたシーンなので、見ている方も多いと思いますが、恐ろしいシーンですね。
ナファスはキャンプを運営する国連の係官からある家族を紹介され、金を払ってその第4夫人になりすまし、カンダハールを目指すことにする。
一家の主の老人は、ブルカをしっかりかぶれと念を押す。「わしは信仰心の厚い名誉ある男だ。ブルカは飾りでなくかぶるものだ」
ここで出てくるブルカというのは、頭のてっぺんからすっぽり被る奴で、
目のところも網が掛かっていて顔は全く見えません。
ナファスは「心の視野まで狭くなるようだ」と言う意味のことを言っています。ブルカを被った女性を「黒い頭」と男達は呼んでいる。人格はない、もののように扱われています。後ろの方で、夫人達がマニキュアを塗ったり腕輪を付けたりするシーンが出てきます。
タリバンは女の化粧も禁止しているのだけれども、なにせブルカの下の話ですから。
このシーンをわざわざ見せる演出の意図というのは、今ひとつ掴みにくいです。
お化粧したって別に反抗の意図があるわけではなさそうだし、
夫人達は殆ど我が身の不幸には無頓着のように見えますが?
普通にバイタリティーがある、ということなんでしょうか。
大人たちには国連から各人に20ドル紙幣が与えられ、二重取りを防ぐ意味もある写真撮影が家族ごとに行われていく。
お金にまつわる話と言うのはこの先繰り返し出てきます。
国連とか国際機関側も群がってくる難民相手に無防備ではいられないんですね。貧困がいろいろなところで社会に仇をなしている。
一家はオート三輸に乗り込み、キャンプを出発する。
「車に付ければ攻撃されない」と言われて国連旗を窓に付けるのですが、
盗賊に襲われ、荷物とオート三輪を奪われてしまう。村へと砂漢を歩く一家。
徒歩で歩く、と言うの割と出てきます。
日本人のセンスからすると、砂漠というのは人間の歩く場所ではない、
すぐに死ぬと。
我々の目から見て、ただただ荒涼たる荒野にしか見えない砂漠にも、
交通のためのルートというのがきちんとあって、人が行き交っている。
躍動感があるんです。砂漠はイコール死ではないんですね。
これはいいなぁ。この映画での発見です。
アフガニスタンの国境の村の神学校(マドラサ)では、神学生(ターリブ)の少年たちがコーランを唱えている。ときおり先生(ムッラー)が、タリバンの「戦陣訓」を質問する。
「カラシニコフとは?」
「半自動式の小銃であり、装填した弾丸を発条で送って発射。戦場において生き物を殺傷し、敵の数を減らす」必死に答える少年たち。
コーランを唱えさせるがまるでデタラメという少年ハクは、
どうもアラビア語が分からないらしいのだが、先生の怒りをかって放校されてしまう。
生徒が1人追い出されると、制服がはぎ取られて
別の1人に入学が許されて、同じ制服が与えられる。
学校には給食があって、幼くて働けなくとも喰わして貰える。
神学校でやっていることは、
教育と言うにはあまりにお寒い内容ですが、
そこでなら食べていけると言うので母親達はアラーに感謝して、
自分の息子達を神学校に差し出しているわけです。
村の墓地では、ようやくたどり着いた一家が馬車を手に入れ、再び難民キャンプに戻ろうとしている。
「お金を取っておきながら、途中で置き去りにするつもりか」とナファスは抗議するが、盗賊にやられてすっかり弱気になった老人は、家族を守るためにこんな危険なところにいられないと言う。
放校されたハクが、この一行を遺族と間違えたのか、こづかい稼ぎにお弔いのコーランを読もうと近寄ってくる。
馬車に乗ってイランに戻る老人一家。ナファスは仕方なく、ハクにガイドを頼む。
砂漠をあるいてカンダハールを目指す2人。
途中、砂漠の白骨死体から指輸を抜き取ってハクは「5ドルで買って!」とナファスに差し出す。ナファスは驚いて逃げまどう。
砂漠を抜けた二人は、洗濯場の井戸でのどを潤す。
生水でナファスは下痢と腹痛を起こす。
町の診療所がある。カーテンの穴から診察する医者は、英語で独り言を言う。それに答えるナファス。医者はここに来て初めて英語を話す患者に会ったと驚く。
傑作なのが診察シーンで、
女の患者が来ると男の医者はカーテン越しに、問診をします。
まん中に小さな穴が開いていて、口や目を出させて診察するんですね。
これもタリバンが宗教的な理由で男女の直接の接触を禁止したかららしいんだけど、昔は女医さんというのもちゃんといて、タリバンが女医さん達が追放されてしまったため、女性の死亡率が高くなってしまったと言うことです。
事情を聞き、少年がガイドだと知った医者はとても危険だとさとす。
「信用してはダメだ。貧しさから何でもする」
医者はハクを帰すように指示し、町はずれまで白分が案内しようと申し出る。ナファスは追加の50ドルを与えてハクを帰す。
医者は「アメリカの黒人だ」と白らの素性を語る。そして薬品をその豊かなあごひげにかけて取り去る。つけひげだったのだ。「ヒゲは男のブルカだ」タリバン政権下では、女性のブルカ着用と男性のあごひげは義務づけられている。
馬車に乗り、ナファスと町外れの赤十字キャンプに向かう医者は身の上を語りだす。
「私は医者じゃない。戦士として来た。最初はそれが神を探す道だと。ソ連を相手に戦った。アフガンが勝ち、神をめぐる戦争が始まった。最初私はタジク側で戦い、次にパシュトゥン側で。ある日、病気の道路で横になって死にかけていた2人の子供に出会った。私は悟った。彼らを癒すことこそ神を探す道と」「医者でもないのにどう癒すの」「西洋人の初歩的な知識は彼らよりはるかに深い。死因は簡単なことだ。飢えや寒さや下痢、飲んだ汚水の病原菌…」
この映画の出演者には商業俳優はいません。
医師サヒブ役のハッサン・タイタイという人も、テヘランに済んでいるアメリカ人ということでしたが、最近、この人に要人暗殺の容疑者ではないかという疑惑が噂されている。マスコミで報道されてもいるので、ご存じの方もいるでしょう。真相は現在、藪の中です。
2人のたどりついた赤十字キャンプは地雷で足を失った男たちでいっぱいだった。
彼らは、口々に夜も眠れない痛みを訴える。
キャンプにはポーランドから来た二人の女性スタッフしかいないが、
真剣に訴えを聞いてまわる。
片腕の男が、義足が欲しいと口を出す。
足はあるでしょ、と無視されるが、それでもしつこく食い下がる。
友だちが両足を吹き飛ばされた、
彼がだめならお袋も両足を失くしたんだ…。
とうとう中古の一対の義足をせしめて帰っていく。
空に赤十字のヘリコプターが現れると
足を失った男たちは松葉杖を操りながら、ヘリめがけて全力で走り出す。
ヘリからは義足がパラシュートにつけられて投下される。
赤十字のスタッフからカンダハール方向へ帰った片腕の男の情報を聞き、
ナファスとサヒブは、馬車を走らせる。
その男ハヤトに追い着き、カンダハールヘの案内を頼むサヒブ。
キャンプでせしめた義足を売りつけようとするハヤト。
サヒブは「彼に頼んで。私はカンダハール刑務所にいたから行けない」とナファスに言う。
しかしハヤトは
「おれには手がないから、なぜだと聞かれたら“機械ではさんだ"って答える。でもゲリラだと疑って“顔の傷は何だ"とくる。カンダハールはご免だ」と断るが、結局200ドルの報酬で請け合うことに。
タリバンは盗みを働くと手を切断するという話なんですが、
事実なんでしょうか?
ナファスというのは、「呼吸」という意味、ハクは「土」、ハヤトは「人生」という意味なのだそうです。
ナファスはこの「人生」と言う名の男とともに、カンダハールを目指すのですが、なにが待っているかは、見てのお楽しみという事ですね。
9月11日の同時多発テロ、そしてアフガニスタンへの空爆、
報道で伝えられる戦闘の映像。
ニュースはあふれかえっているのですが、普通の市民達がどういう暮らしをしているのか、戦闘下の日常とはいったいというものなのか、
感情移入が来ません。
映画「カンダハール」はイランで作られたエンターテインメントなのですが、
もともと風俗文化が異なるアフガニスタンの人々の現在の状況を日本にいる我々が理解するため有益な手がかりを提供してくれていることに違いはありません。
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