「私の頭の中の消しゴム」映画製作裏話

「私の頭の中の消しゴム」映画チラシ★映画基礎データー★
「私の頭の中の消しゴム」
2004年 韓国映画
監督脚本 イ・ジェハン
出演    ソン・イェジン

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ピュアでまっすぐなお嬢様と、 
ひねくれ者の大工が出会い、そして恋に落ちる。  
工事現場で働く無愛想な大工チョルス(チョン・ウソン)と、
おっちょこちょいだが純粋な社長令嬢スジン(ソン・イェジン)。 
住む世界の違う2人が、コンビニでの思わぬ出会いを経て、
恋に落ちる。 

愛を信じず独りで生きてきたチョルスは、スジンの愛に戸惑いながらも、 
彼女から、
人を愛すること、許すこと、そして信じることを覚えていく。 
建築家として活動を始める夫と、才能あるファッションデザイナーの妻。 
夫のお弁当にご飯だけを2つ包んでしまったり、 
自分の家さえ探せずに道に迷ってしまうような彼女の物忘れさえ、 
しっかり者の夫には愛おしい。目が眩むほど幸せな、新婚の日々。  

私の頭の中には、消しゴムがあるんだって・・・。  
大したことではないと思っていたスジンの物忘れが深刻になっていったのは、
それから間もなくのこと。 
不安を覚え、医者を訪れたスジンが宣告された言葉は「若年性アルツハイマー」。
肉体的な死より精神的な死が先に訪れる病。  
この日から、失われていく記憶をつなぎ止めるための2人の闘いが始まる。 

日本のドラマ『Pure Soul〜君が僕を忘れても』を原作にしてます。
『四月の雪』以後、日々認知度が高まっているソン・イェジンと
『武士』のチョン・ウソンが主役を演じてます。

「四月の雪」でヨン様、ぺ・ヨンジュンと共演を果たし、
本作を撮り終え、
ソン・イェジンはソン・イルグクと共に映画『作業の定石』で
これまでのか弱いイメージから脱皮して可愛いナンパ女に変身、
“猫かぶり女”として、多くの男性たちを虜にする役に取り組んでいます。
2007年1月放送のドラマ『恋愛時代』
では離婚した20代女性を演じるそうです。別れた夫(カム・ウソン)との、
友情ともなんとも付かぬ微妙な関係のドラマとか。

もとの『Pure Soul〜君が僕を忘れても』は永作博美、
緒形直人主演の2001年の四月から六月にかけて
日本テレビ系列で放送された連続ドラマです。
視聴率は振るわなかったようですがDVD化されています。

アパレル会社勤務の薫(永作)は、
企画から営業へ異動、昔の不倫相手の部長も赴任してくるという厳しい現実の中、
明るく前向きに仕事に取り組む女性だ。
縁日の夜、神社の階段から落ち、
一人の男性を巻き込むが、落ちた記憶がないので男を痴漢と非難。
一人暮らしをやめ工務店を営む実家に戻った薫は、
昨晩の男、大工の浩介(緒形)を紹介される。
警戒する薫だが、落ちた時ケガをした浩介を車で病院に送ることに。
病院で痴呆症患者を見て「家族は迷惑」、
帰り道で死にそうな捨て犬を助けようとした薫に
「死んだ方が幸せ」と冷たく言い放つ浩介に、薫は怒りだす。
文句を言いに浩介のアパートへ行くと、秘かに助けた子犬が。
隠れた優しい一面 を知り、この一件から誤解が解け、お互いに惹かれていく。

その一方で、薫は頭痛と物忘れをするようになり、病院に。
仕事や環境の変化によるストレスと言われる。
が、後日薫のCT写 真を見た医師桐野(室井)は脳の微妙な異常に気づく。
桐野(室井)医師は薫がアルツハイマーの疑いがあると主治医に言うが、
桐野が患者を研究材料扱いする事に反発を感じていた主治医は、それを否定する。
そんなある日、薫は上司から指示された仕事を忘れ叱責される。
だが仕事を忘れたのではなく、指示された事実を完全に忘れていたのだった。

あらすじを追いかける限り、
かなり実直に映画はもとのテレビドラマをなぞっているようですが、
薫の精神余命が五年と設定されていて、連続ドラマの中盤近くまで
在職していることや、後半では彼女の出産を巡るドラマになるなど、
社会との関わりが色濃く出てきます。
映画では、医師の宣告を受けてあっさり退職しており、
妊娠するところまで話は続きません。
残っているのは、職場でもとの不倫相手と上司と部下であることで、
病気の進行による記憶の混乱で今の夫と三角関係になって騒動になるところですね。

桐野医師にもアルツハイマーの家族がいて、主人公たちの暗い未来を暗示する
役どころになりますが、映画ではすべてカットされていて、
担当医の死んだ妻がアルツハイマーだったという設定だけが、医師のせりふの中で
わずかに語られるのみです。

映画のオリジナルは、スジンが社長令嬢であるということ。
娘に甘い父親が結構重要な役回りで出て来ます。
韓国は家長制度が厳しく守られているお国柄と伝え聞いているので、
娘にメロメロなお父さんが画面に登場するのは珍しいです。
父親は娘の発病を知ると、「娘はうちに引き取る」と離婚を強固に迫って
チョルスを怯えさせます。

ドラマの器、といいますか、設定としてはいわゆる“難病もの”なのですが、
闘病生活の描写にウエートはかかってないです。
担当医が国内屈指のアルツハイマーの権威、といわれるわりにさっぱり無力で、
あれでは病気の解説者にもなってないですね。
邦画だとあの医師役は名の知れたベテランを使うところだけれども、
そういうことにキャスティングプロデューサーの関心は無かったみたいです。
闘病をメーンに持ってくるなら全体の尺から言っても二人が結婚した後からドラマを
始めないと2時間以内にドラマを纏めるのは苦しいはずですが、
実際には出会いから語り始めています。

出会いの部分でチョルスのさめた感じは原作ドラマ譲りですが、
それにしてもふたりの出会いから恋愛に持っていくくだりの演出がさえてますね。
工事現場とか、屋台の飲み屋とか、夜のバッティングセンターとか、
おおよそ恋愛ドラマに出てこないような舞台設定で、
粋な台詞回しと音楽で笑わせながらふたりの関係を盛り上げていく。
主役二人の芸達者ぶりもドラマを支えています。

ふたりの結婚、幸せの絶頂から病魔に襲われて転落するスピードが速いです。
泣く場面がはじめから多いのでちょっときついんですが、
もとの不倫上司をチョルスが殴り倒すところとか、
刑務所の母親との話は、あまり具体的な内容は判らないようになってますが、
普通に不仲な親子という以上の葛藤があることがわかれば十分なところですので、
あれで良いのでしょう。
牧場みたいなところで家を建てるのは映像的にも美しいですね。
どうもちゃんと完成するところまで追いかけてないようですが、
破滅していくドラマの中で、建設的なエピソードですので何か形になっていくところまで
見たかったです。

若年性アルツハイマーというのははじめて知りました。
単に記憶喪失になるだけでなくて、
パソコンもファックスも使えなくなって、
それどころかトイレも一人で足せなくなるというのは、
ずいぶん惨い病気です。
家族の前でお漏らししちゃうスジンをチョルスがドアの奥に隠しちゃうところは、
いたたまれないほど可哀想です。
チョルスはスジンと引き離されちゃうことが本当に恐ろしかったのでしょう。
天涯孤独の青年は、失うものが出来てはじめて人前でもろさを見せるようになる。
彼は強い人間だったのではなくて、
失うものが無かっただけだったんですね。
それが失うものが出来て、恐れを知ることになる。
そこが人の人たるゆえんで、愛を失う恐怖にすすり泣く姿は感動的です。
他方で、わけわかんなくなっちゃってるスジンに手に包丁の握られているところの
恐ろしいこと、怖いこと。
まだらボケ状態になって、
正気に返ってはスジンが自分のしでかしたことにショックを受ける羽目になるというのは、
残酷ですねぇ。

オチをどうする?というのは脚本を作る時点で相当問題になったろうと思います。
ネタばれ改行です。






原作ドラマのオチは、記憶を完全に失った薫がわが子と知らずに幼子と浜辺で
遊ぶ姿を浩介が見守るというもので、いってみれば天の啓示、神の領域を語る
ところに行ってしまうのだけど。
映画のコンビニのオチは、あるいは幕切れのドライブはいったい何なんでしょうね?
「ここは天国なの?」というセリフは、原作の解釈をヒロインに語らせると
そんなセリフになるということかもしれないですが、
ハンドルを握るチョルスはもっと主体的で、彼女と出会ったことは幸福だったのか、
不幸だったのか、どちらなのだ?という問題提示に対する答えを出していたと思うのです。

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