「王の男」

「王の男」映画チラシ★映画基礎データー★
「王の男」
2006年 韓国映画
監督 イ・ジュンイク    
脚本 チェ・ソクファン
出演 イ・ジュンギ

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 16世紀初頭。
旅芸人一座の花形、チャンセン(カム・ウソン)と女形のコンギル(イ・ジュンギ)は、
迫力のある芸と艶やかな芝居で観客を魅了していた。
しかし、所詮は田舎町の巡業、
土地の有力者がコンギルの美しさを一晩わが物にしたいと願う金で、
座長の懐が潤うだけだった。
幼なじみのコンギルと固い友情で結ばれたチャンセンは、コンギルが侮辱されることに耐えられなかった。
遂にその夜2人は、止める座長を叩きのめして、手に手を取って逃げ出した。
国一番の芸人になるために、漢陽の都へ行く。
まるでずっと前から決意していたかのように、チャンセンはコンギルに宣言するのだった。

漢陽の都に着いたチャンセンとコンギルは、
時の王ヨンサングン(チョン・ジニョン)が妓生(芸者)だったノクス
(カン・ソンヨン)を宮女にし、日夜遊び呆けているという噂を聞きつける。
チャンセンの芸を観て、
たちまち自ら“弟分”になったユッカプ(ユ・ヘジン)、
チルトゥク(チョン・ソギョン)、パルボク(イ・スンフン)の3人の芸人たちを
仲間に入れ、チャンセンは宮廷を皮肉った芝居を思いつく。
チャンセンが王、コンギルがノクスに扮したその芝居はたちまち大人気を博し、
2人は民衆のスターになった。
チャンセンは、自由の身で楽しそうに芝居をするコンギルを見るのが、
何よりもうれしかった。
しかし、噂を聞きつけた王の重臣チョソン(チャン・ハンソン)が、
チャンセンたちを捕らえ、王を侮辱した罪で死刑だと宣告する。
「王が笑えば侮辱じゃない」反論するチャンセンにチョソンは心を動かされる。

王の前で命をかけた一世一代の芝居が始まった。
ユッカプたちは恐れのあまり、声も体も震えが止まらない。
チャンセンは何とか芝居を続けるが、
人前で笑ったことがないという王の仏頂面の前で、空回りしていく。
その時、妖艶な笑顔で王を惹き付け、達者な芸で遂に王を笑わせたのは、コンギルだった。
チャンセンたちは死刑を免れ、宮廷に住むことを許される。
重臣たちが異議を唱えるが、
チョソンは何を企むのか、チャンセンに重臣をからかう芝居をやれとたきつける。
それは重臣が賄賂を受け取ったことを暴く芝居だった。
王は顔色を変えて懺悔する法務大臣を罷免し、指を落とせと命じる。
宮廷の力関係がひどく歪んでいることが、チャンセンにもわかってきた。
王は自分の狩場を作るために住民を追い出したり、
国中の妓生を集めたりとやりたい放題で、
先王に仕えた重臣たちはそんな王を蔑んでいた。
誰も民衆のことなど考えてもいなかった。

暴君と呼ばれる王の常軌を逸した行動には、原因があった。
幼い頃に母親を殺されたことが深い傷となり、性格を捻じ曲げてしまったのだ。
それを知ったコンギルは王に同情し、
王はコンギルの美しさと純粋さに益々心を奪われる。
彼らが2人だけで過ごす時間が増えるにつれ、
チャンセンの心配とノクスの嫉妬は、限りなく膨らむのだった。

不穏な行く先を肌で感じたチャンセンは、宮廷を出ることを決意するが、
コンギルに頼まれて最後の舞台に上る。
それは、誰が王の母を殺したかを暴く芝居だった。
王は逆上し、母に毒を盛った実行犯たちに復讐を果たす。
首謀者である王の実の祖母も、ショックのあまり息絶えてしまう。
チャンセンと芸人たちは、恐ろしい成り行きに呆然としながら荷物をまとめる。
ところが、王に引き止められたコンギルは残ることを選ぶ。
小さな喜びと耐えがたい苦しみを共に分かち合い、
真の芸人になることを目指してここまできたのに、
コンギルは自分を裏切るのか──初めて味わう深い悲しみに心を引き裂かれるチャンセン。
しかし、2人の行く手には、ノクスが企む復讐が待ち構えていた。

2006年、韓国で4人に1人が観たという、とんでもない超大ヒット作、
(「ブラザーフッド」を超え、「グエムル 漢江の怪物」に抜かれるまで記録を維持)
17週間ものロングランの末、歴代動員新記録(2006年7月現在)を打ち立て、
そして、7月に発表された韓国のアカデミー賞と言われる大鐘賞では、
最優秀作品賞を始め史上最多10部門受賞という栄光に輝いた作品です。
他に類例のない、新しいサブジャンルを開拓しちゃったような新鮮な作品でした。
出てくる王様がヨンサングン。
聞いたような名だなと思ったら「チャングムの誓い」でチャングムの父を殺した王様の事。
韓国史上最低の暴君だった人、
作品は「チャングム」と同じ時代の話です。
ほとんど無名の俳優ばかりの出演ですが、
この作品でイ・ジュンギくんがブレイクしちゃいました。
確かにいろっぺぇですね、彼氏は。
「ホテルビーナス」で拳銃を振り回す男の子役で出てましたが、
同一人だとは気が付きませんでした。

チャンセンに扮するのは、
大鐘賞主演男優賞を本作で受賞したカム・ウソン。
『スパイダー・フォレスト 懺悔』などの演技で、
韓国で最も知的な俳優と讃えられていた、んだそうですが、ほとんどの方、
知らないですよね。私も知らなかったです。
イ・ジュンギは
本作でスターの地位を獲得、
大鐘賞では新人男優賞・男性人気賞・男性海外人気賞の3冠に輝くという、
快挙を成し遂げた。
ヨンサングンには、『達磨よ、ソウルに行こう!』のチョン・ジニョン。
王の愛妾ノクスには、やはり本作で大鐘賞の女性人気賞を獲得したカン・ソンヨン。
監督は、本作で大鐘賞の最高の名誉、
最優秀作品賞と監督賞に輝いたイ・ジュンイク監督。
――というわけで、皆さん、本作で一躍メジャーになった方々です。

オリジナル脚本かと思ったのですが、原作があります。
「爾」という舞台劇です。
“爾”とは、朝鮮王朝において、
王が寵愛する者を呼ぶ時に使われた呼び名。
2000年に初演されて以来、
韓国演劇協会の選ぶ最優秀舞台ベスト5、
韓国批評家協会選考の年間最優秀演劇賞及び俳優部門の最優秀新人賞、
ドンナー芸術協会の01年度最優秀演劇賞など、
数々の賞を総なめにした舞台だそうです。
映画化するにあたり、宮廷内の人間模様を描いた舞台の魅力を生かしつつ、
チャンセンのキャラクターを書き加えられているそうです。
もとの舞台を見る機会に恵まれていませんが、
映画ではチャンセンが主役ですから、彼が不在ということですと、
かなりドラマの趣は変わりそうです。
改めてストーリー全体を俯瞰すると、動的に動き回るチャンセンのおかげで
話がぐっとわかりよくなってる。

「王の男」というタイトルの意味が判らなかったのですが、
こりゃそのものずばり、王の女の反語、王様の側室、ならぬ王様の男の愛人。
かなりきわどい意味です。
イ・ジュンギくんは、チェン・カイコーの「覇王別姫」等のビデオを見て研究したと
インタビューで答えています。
なるほど、チャンセンとヨンサングンがコンギルを取り合う三角関係の話、
と解釈してしまえばドラマの骨子がわかりよい。
けど、「覇王別姫」ほど奥行きのあるドラマじゃないです。
私の感性が鈍感なのかもしれないですが、
チャンセンとコンギルの関係が“801(ヤオイ 男色)”である、
という風には感じなかったです。
僅かに並んで寝ているチャンセンがコンギルの布団を掛けなおす場面があって、
そのショットが変にあだっぽく感じた事は確かだけど、
もっぱら兄弟愛か同志愛、友情の上をいく、ふたりだけの運命共同体
といった風に見ていました。
ですからチャンセンがコンギルに言い寄る男どもに不快げな
顔と態度を見せるのは、
彼ら“川原者(舞台を町内に置く事が許されず、
河川敷に小屋がけした江戸時代の故事に因み、芸能人を一般市民より卑しい者と見る
考え方)”に対する蔑みへの反抗心がもたげるものと
解釈していたのです。
なんか風俗史の本か何かで昔、読んだんですよね、
役者が男娼(娼婦)もかねたという話。
映画の中でも、食い物を恵んでもらうかわりにコンギルが
田舎の領主の慰みものになるという酷い生活を送ってます。
こういうところから這い上がりたいと願うのは、
当然の願いではないですか。

制作費は十億ウォン。日本円で五億円ほど。
時代劇としては低予算です。
軍勢が出てきて大合戦という話ではないし、
大半は王宮の中だし、
登場人物がそう多いわけではないしで、
確かにお金の掛かる要素がないです。
が、その分、見せ方は考えてますね。
芸人としての舞台、
――綱渡りですが、綱の上では王様だって見下ろしちゃうわけです。
コンギルがヨンサングンの夜伽を勤める場面で影絵を使う。
影絵用の人形は監督のお手製だとか。
綱渡りは、スタントマンではなくてワイヤーアクションのようです。
デジタル処理で、あとから腰につったワイヤーを消しているんでしょ。

映画的な演出と思われるもののひとつに、王様の喪中の狩りのエピソードがあります。
芸人達に十二支、ねずみや牛の扮装をさせて馬に乗って弓矢で追い掛け回す。
まるで人間扱いされてません。
この時代の芸人は、芝居をする俳優というのではなくて、
曲芸師であり、寸劇コメディアンであったりと、
要は大道芸人として、野次馬から小銭を投げてもらって稼いでいる存在で、
芸術とは無縁の存在ですが、
ヨンサングンは彼らを芸能文化の担い手として評価しているわけでなくて、
こころの内なる悩みのはけ口として、コンギルにこだわっているように感じます。
その苦しみを感じ取ってしまったがゆえにコンギルは王を見捨てる事が出来ぬわけですが、
その同情心はあらぬ災厄を彼ら自身のみに呼び寄せてしまいます。
どうも良くない縁、といのはあるようです。

深夜のバラエティー番組の映画コーナーで「王の男」の撮影について批評がありました。
あれだけ脚本、俳優、衣装や色彩設計に気を配っていながら、
撮影に魅力がない、CGとか、そういったものに走ってしまっている、
というんですね。
唖然としましたが、その指摘は正しいと感じました。
今の時代、編集は撮影済みテープを手作業で繋ぐのではなくて、
映像データをハードディスクに落とし込み、それをオフコンで編集するデジタル編集が
主流です。
映像データは編集段階でどんな風にも加工できるようになり、
撮影段階では、細工をせずにノーマルな映像データの取り込みに専念し、
露出、ズームといった基本技能も含めて編集で加工し、仕上げていく。
が、そのデジタル処理があだとなって、アナログな撮影が
なおざりにされてしまっているのではないか?
かつて日本映画の黄金時代を支えたのがカメラと照明であった事は、
疑いの余地もありません。
モノクロ映画時代の色彩設計の美しさは、世界有数のレベルにあったと
自信を持っていえます。
その映像の色艶と比べて、今の韓国映画はあまりに平坦な撮影ではないか?
韓国映画の若々しさは、裏返せば歴史の無さです。
過去のしがらみがないからこそ、自由に新しい才能が開花できる。
でも、映画の古さの中に、伝承されないできた撮影、照明の技能があったとしたら?
無敵の韓国大ヒット映画にも、思わぬ欠点がありました。


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