「まぼろし」映画製作裏話

「まぼろし」映画パンフレット★映画基礎データー★
公開名「まぼろし」原題「Sous le Sable」
2001年 フランス映画
監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン エマニュエル・バーンヘイム
出演:シャーロット・ランプリング

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フランス映画「まぼろし」の原題は Sous le Sable 直訳すれば「砂の下」。
マリー(シャーロット・ランプリング『地獄に墜ちた勇者ども』『愛の嵐』)とジャンは連れ添って25年になる幸せな夫婦。
今年も、いつもの夏と同じようにフランス南西部のランドにヴァカンスに出かけた。
ヴァカンスの2日目、マリーが浜辺で午睡している間に海に入った夫は、手がかり一つ残さずに消えてしまう。
事故なのか、失踪なのか、それとも自殺…? 

これまでの幸福な日々を突然無くし、パリに戻ったマリーを待ち受けていたのは深い喪失の哀しみだけだった…。
夫を失ってからも、側に夫がいるかのように振舞うマリーの演技には、より深い孤独が迫ってます。

フランソワ・オゾン監督は33才。
『焼け石に水』などセンセーショナルな作風が話題にされてきた人だそうですが、
本作では熟年の女性の内面を円熟した語り口で描いて見事です。

 この作品は冒頭からジャンが行方不明になる第一幕を夏場ランドで35ミリで撮影し、
いったん撮影斑は解散して続きの部分の脚本を練り、6ヶ月のインターバルを経て、
続きは冬のパリでスーパー16ミリで撮影されているます。撮影の中断や、
その後の撮影フォーマットの変更は純粋に予算不足によるものだそうです。

当初オゾン監督は、ジャンにはマリーの知らない愛人がいて、私生児もいるという設定で、
夫の2重生活を知った上でそれとどう向き合うか、というドラマを考えていた様ですが、
撮影が中断していた時期に、オゾン監督とシャーロット・ランプリングが議論を重ねて脚本を推敲し、
その推敲の過程で、夫の愛人は登場しなくなりました。

 ドラマ的にマリーの「喪の仕事」をどのように綴っていくかがテーマとなり、
ジャンがうつ病を抱え、夫婦生活に実は不満を抱いていたかもしれないという部分は、
映画の後半でマリーが病院で夫の未払いの診察料を精算したり、
養老院の義母を訪れる下りのふたりの対話に反映されているだけでそれ以上発展しません。
代わりにジャンの幻が画面に度々姿を見せるアイディアが採用されています。

 よく「マリーをシャーロット・ランプリング以外の女優が演じたら、
作品の印象が変わったろう」という映画批評を見かけますが、
別の女優ならプロットそのものが違っていたので、
「他の女優なら」という仮想は本作品に付いては成立し得ません。

 ラストでマリーが海岸で泣き崩れるというのは当初より決まっていたそうですが、
そこに至る帰結部の展開が未定でした。

 その解決の為に更に女性のシナリオライター、エマニュエル・バーンヘイムが参加して脚本を完成させています。

 途中からヴァンサンという男性が、マリーの新しい恋人として登場しますが、
当初はもっと若い男優でいこうというアイディアも存在した様です。マリーがベッドインの場面で吹き出し、
ヴァンサンに「あなたは軽い」と言いますが、このセリフはエマニュエル・バーンヘイムの手によるものとの事です。

 以上の通りの事情で、作品の雰囲気がジャンの失踪後、がわりと変わるのは意図的に仕組まれた演出以上の制作経過によるところが大きかったのですが、
撮影の中断というマイナスアクシデントを上手くプラスに転じて、作品の完成度を上げています。

ネタばれ改行です。








 ただ「だが、彼女が全てをありのままに受け入れようとした時、彼女の中に変わることのない愛が生まれていくのだった。」と解説されている批評家の解説は私にはわかりにくかったです。

 ラストで泣き崩れたマリーがジャンに似た男性の姿を見て走り去り、フレームアウトとしてエンドとなる部分で、
私は逆に、マリーはどこまでもジャンを引きずっている、彼女この先そういう人生しか送れないのではないかと、
“心境変化により永遠の愛を見出す”のではなく“意識の退行”だと感じてしまったのですが。これは自分が五十代にならねば理解できない世界かもしれない、などと思いました。


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