「マトリックス レボリューションズ」DVD脚本レビュー

「マトリックス レボリューションズ」★映画基礎データー★
「マトリックス レボリューションズ」
2003年 アメリカ映画
監督・脚本 アンディー・ウォシャウスキー ラリー・ウォシャウスキー
出演 キアヌ・リーブス
               

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最後の闘いも終わりに近づいている。容赦なくザイオンを攻撃するマシンと、防衛一
方の反乱軍。センティネルズの大群が襲いかかる。絶望感を跳ね返すように自由への
渇望をつのらせる人々。ネオは自らのパワーを最大限に引き出せるのか。そして闘い
を終わらせることができるのか。すべてが終わる前に。

以下、ネタばれ改行であります。









『マトリックス リローデッド』のラストで、ネオ(キアヌ・リーブス)は
仮想世界に潜ったわけではないのに現実世界で、
襲撃してきたセンティネルズを超能力で撃退してしまう。
だが、パワーを使い尽くした彼は、意識不明に。
その精神は、
マトリックスとマシン世界の間にある無人地帯に取り残される。
眠り続けるネオを必死の思いで見守るトリニティー(キャリー=アン・モス)。
一方、モーフィアス(ローレンス・フィッシュバーン)は、
自分の命を預けるに足ると信じてきた“救世主”が、
マトリックスの設計者/アーキテクトによって作り出されたひとつのコントロール・シ
ステムにすぎないという思わぬ事実に打ちのめされまいと葛藤していた。

うーむ、ここいら辺は「リローデッド」のネタばれなんですがね。
ネオの精神の行方から「レボリューションズ」のネタばれです。

前作で高速道路やらをツインズの追撃をかわしてキー・マンとともに“どこでもド
ア”ごつこしているうちにネオ、モーフィアスはオラクル(預言者)が実は、A.
I.側の用意したプログラムに過ぎず、救世主伝説はそもそもでっち上げだった!?
ということが分かっちゃいます。
ネオを強引に戦いに引き込み、ザイオンの戦士達の精神的支柱として戦ってきたモー
フィアスは人格崩壊もののダメージをこうむるけど、いろいろあって立ち直り、
(立ち直ったあとはサングラスをしていない)
ザイオンの地下寺院で、血気盛んな若い連中相手に演説をぶち上げ
「(俺達人間は)まだ生きているぅぅ」と絶叫。

「リローテッド」の預言者が偽モンだというもの結局アーキテクトの周辺から出てい
る話で、どうも鵜呑みにしたら騙されそうだ。やっぱり彼女は本物だ、というのが
「レボリューションズ」での展開。
かわりはてたオラクル本人(そりゃ別の女優さんだから)が、
ネオの前に現れて「(信じるか信じないかは)あなたの選択よ」と謎かけのような発
言を。
いまさらA.I.との戦いを投げちゃうわけにも行かないネオは、彼なりの戦い方を
模索する。だから、トリニティーとふたりでマシン・シティを目指すんですが。
「レボリューションズ」では「選択」という言葉か繰り返し出て来る。
革命って選択って事なの?

ネオがモービル・トレイン・ステーションで出会う謎の少女サティーと父のラマ、
母親のプログラマー(名前忘れた)はモロにテーマに関わる人物なのに、
サラっとしか出てこないのが不満です。
父親がリサイクルのプログラムで、母親がプログラマーの人間。
その娘と言うのは、人とマシンの混血と言うことになる。−凄いですよ、この家族
は。

センティネルズがザイオンに向かって突き進むなか、ジー(ノーナ・ゲイ)やキッド
(クレイトン・ワトソン)など勇敢な市民の志願者に支えられたザイオン軍は、セン
ティネルズの侵略を阻もうと必死の攻防を試みる。完全なる滅亡の危機にひんした人
類最後の砦の住民は自らの命のためだけでなく、人類そのものの未来のために戦うの
だ。
―というわけで、ザイオンのドックに陣取ったミフネ船長(ナサニエル・リーズ)率
いるパワードスーツ部隊と、雨あられと降り注ぐセンティネルズの攻防はかなりひつ
こく延々と描かれます。
CG、SFXのあらん限りをぶち込んでいるので
見ていて飽きるという事ではないのですが、
途中で、「だから結局、ザイオン側は追い詰められるんでしょう。その後、どうなる
のよ?」
モードになり、力のぶつかり合いはやっぱり単調だな、などと思えてしまいます。

スミス(ヒューゴ・ウィービング)がホバークラフト艦隊の乗員、ベイン(イアン・
ブリス)に乗り移って、ネオとトリニティを妨害する。ネオはベインの肉体を破壊
し、いったんはスミスを退ける。

ナイオビ(ジャダ・ピンケット・スミス)の助けを得て、ネオとトリニティーは人類
がいまだかつて挑んだことのないマシン・シティの深層部に入ることを決意。それは
焦土と化した地上から恐るべきA.I.の心臓部へ入り込む危険極まりない旅だ。こ
の機械化された広大な都市で、ネオはマシン世界の究極のパワー、デウス・エクス・
マキナと対抗し、滅びゆくザイオンにとって最後の望みである取引を申し出る。
1秒ごとにパワーを増し、A.I.にさえ制御不能となったスミスは、今や現実世界と
マトリックスもろとも破壊しようとする脅威となっていた。
戦いは今夜終わる。ネオの運命と2つの文明(マシンと人類)の未来はネオとスミスの最
後の対決にすべて委ねられた。

スミスが暴走し、ネオの行く手に群れをなして現れるくだりは、「リローテッド」か
ら続けて出てきますが、何処まで行ってもネオと戦ってばかりなので、
スミスがマトリックス世界全体の脅威となっていく、というのがピンと来ないです。
私の見方が悪いのか?
ツインズをスミスがやっつけてしまって、
メロビンジアン(ランバート・ウィルソン)は激怒するが、
パーセフォニー(モニカ・ベルッチ)もろともスミスに殺されるーー、くらいの
はっきりした展開なら、
スミスとA.I.の対立は際立つんですが。

スミスがオラクル(預言者)に向かって「母さん」と呼びかけるくだりは、
なるほどねェとは思うのですが。
呼びかけといて、自分の中に取り込む、
あるいはソースを書きかえる(?)くだりは面白かったですが。

ですから、ネオがデウス・エクス・マキナの前で、スミスを倒すと約束するくだりは
「小さいとこで手を打っている」とせこい取引している様に見えてしまいました。
救世主だったら、デウス・エクス・マキナなんてまるごと壊してしまえば良いのに。

テーマ的な解釈をすれば、
ネオはモービル・トレイン・ステーションで出会った人間とプログラムと混血子供の
家族に、希望を見出し人間とマシンの共存の道をデウス・エクス・マキナに申し出
る、
という事になってるん筈なのですが。
「望みは?」「ただ平和を」

ラストのスミスとネオのバトルは14分ほどのシーンに、
「マトリックス」一作目の総制作費と
同額の費用をつぎ込んだらしいのですが、
なんかこう、果てしなくどつきあいをやっているので、見ていてやっぱり
「だから最後にネオは勝つんでしょう?」と途中でダレてしまう。

最後にアーキテクトが出てきて、
再登場したオラクルに「随分、危険な賭けを」とぼやいてます。
アーキテクトとデウス・エクス・マキナは同一なんでしょうか?
デウス・エクス・マキナはA.I.のハードの部分で、
アーキテクトはソフトあるいはソースなのかな、とも考えてます。
A.I.というのは全体でどういうシステムになっているのか、
ウォシャウスキー兄弟は観客にしっぽを掴ませようとしないので、
本当のところは判らないままです。
ネオは生死不明扱いですが、
幕切れでは死んで葬送されるイメージですよね。

アーキテクトは「人間とは違うのだよ」とネオとの約束を反故にしたりはせんよ、
とオラクル相手に怒った顔をして見せますが、
あくまで仮の平和ですね。
これでいつでも「マトリックス」に続編が作りうる可能性が残っている事になります
が、
ウォシャウスキー兄弟はあらゆるインタビューで
「シリーズは完結した」と言いきってます。

絶対の調和とか、人間の完全勝利なんてないんだよ、というのが、
テーマなのでしょうが、
3部作つきあって、溜飲の下がるオチで無いのにやや不満です。
勧善懲悪でけりをつけられる程単純でないというのは判りますが、
エンターテイメントが
理屈でオチをつけるというのはね。
戦闘シーンを幾らか削って、ドラマの部分をもう少し書き込めばと
思うのだけれども。


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