「マーダーボール」

「マーダーボール」映画チラシ★映画基礎データー★
「マーダーボール」
2005年 イギリス映画
監督脚本 ウディ・アレン
出演 ジョナサン・リス・メイヤーズ

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車椅子のバスケットボールというのは知っていましたが、
ラグビーがあるとはこの作品ではじめて知りました。
そのゲーム内容の激しさから「殺人ボール」=「マーダーボール」とも呼ばれています。

ドキュメンタリーはもともと見ません。
試写会の入場券を貰わなければこの作品も、
その存在すら知らずにいたことでしょう。
次のような賞をとっています。
2005年 サンダンス国際映画祭 ドキュメンタリードキュメンタリー部門観客賞
2005年 ボストン映画協会賞 最優勝ドキュメンタリー賞受賞
2005年 アカデミー賞 長編ドキュメンタリー映画賞 ノミネート

15m×28mのコートで、4対4の車椅子が戦う。
ラグビーなのでタックルがあります。
コートでぶつかり合っても車椅子が破損しないよう、
パイプや金属板が溶接され、戦車のように堅固に強化されています。
ゲーム中、転倒は幾らでも起こりますが、
100回倒れたら200回立ち上がって、
300回敵をなぎ倒すだけのガッツを持った男達のスポーツです。
障害の程度に応じて各選手はポイントを有し、チームのトータルが8ポイントまでなら
エントリー可能という団体戦です。
アメリカ国内の競技人口は400人以上であり、
日本にもインターナショナルチームがあり、日本の競技人口は100人ほど。
国際大会の常勝チームはアメリカ、宿敵はカナダ。
ドラマは両チームのメンバー達の日常から、
アテネ・パラリンピック、最後の決戦までを追います。

「感動的な障害者映画は苦手なんだ」と
ヘンリー=アレックス・ルービン監督はぼやいています。
共同監督のダナ=アダム・シャピーロは、
「お涙頂戴の映画は作らない、と誓った。障害者を見て感動しよう、という類の代物を」
とも言っています。
彼らの興味は人間の方であって、ウィルチェア・ラグビー(車椅子ラグビー)
という競技ではない事は明らかです。
必死に戦っている、その様子は判りますが、果たしてルールの詳細は不明なままです。
…もともとラグビーって判りにくいんですが。苦笑。

2002年、ウィルチェア・ラグビー世界選手権。
アメリカ代表はカナダ代表と対戦した。
マーク・ズパンらアメリカ代表選手はケンカでもするかのごとく意気込んでいる。
それもそのはず、
カナダ代表を率いるのはかつてアメリカ代表だった“裏切り者”ジョー・ソアーズなのだ。
しかし結果はカナダが勝利。
アメリカ代表は敗北に打ちひしがれたが、
04年のアテネ・パラリンピックでのリベンジを誓い、再始動するのだった。

えらい泥臭いところからドラマは立ち上がります。
個人の怨恨から敵国に走る男。
そんでもって母国チームをやっつけてしまう。
サインや作戦を持ち逃げしたからだ。
ジョー・ソアーズはカナダチームでも尊敬される存在ではなく、
勝利の宴会で「裏切り者め、裏切り者め」と罵られる。

なんかこう、ドキュメンタリーのイメージをぶっ潰すダーティーさです。
もっとも自分の知っているドキュメンタリーというのはテレビの
ドキュメンタリーのことで、対象を“清貧”という前提で描いている。
それは裏世界で生きる底辺の人たちにも五分の魂があるのだと世に知らしめる力が
あるのですが、
強者の虚栄や欺瞞を叩く力はあっても、弱者とされる人たちを
悪く言うことは許されないという弱点、欠点がある。

マスメディアのジャーナリズムはテレビのような公器においては、
悪い奴は、権力者であり、ブルジョアであり、勝ち組でなくてはならない、
映画のドキュメンタリーは、そうした限界から、少なくともテレビよりもは
自由です。

「マーダーボール」の監督達は、お涙頂戴を極端に恐れるあまり、
“障害者のセックスライフ”なる脱線エピソードまで用意しています。
あの部分は、どう見ても冷やかしでね。
彼らのセックスを愛でなく、風俗として嘲笑している。
―そこまでする必要があるんでしょうか?

事故を起こして間もない青年は、
障害を背負った事で、この先の人生は、
ひどく控えめに生きていかなくてはいけないのだと、
思い込んでいるのですが、
それがウィルチェア・ラグビーを知り、少しずつ近づいて行くなかで、
もう少し大胆に、伸びやかに生きていくことが出来るのではないかと
思えるようになっていく。
泥臭い話の間隙を縫うようにそんなエピソードが登場する。
「障害」とは現実の自分を否定してしまう「心」であって、
どんな状況であれ生き抜くチャレンジ精神がよりよい人生を創造していくのだと
気づかされることは素晴らしい感動です。
ですから、私だってあなただって、「障害」を持っているのだろうし、
それを克服できる「可能性」も同時に持っている。

…でもこの映画では、それが“力への信奉”と同義語に語られてしまっている事に、
歯噛みする思いです。
ズパンの障害の原因である事故を起こした友人は同窓会に出てこないという
話がある。
ふたりはもともと親友同士であったが、事故以来疎遠になっている。
それが展開の中で和解し、友人はズパンの試合を応援するようになる。
応援する事は良いんです。
でもなんかこう、体育会系の人が、
またもとの体育会系に戻っていくだけという感じなんだな。

親子の対立がある。
すぐ腕力に訴えちゃう車椅子の父に、幼い息子は脅えている。
障害の無い母親は、もうすこし優しくしてほしいと訴えるけど、
「男の子なんて、父親に殴られて、殴られて、大きくなるもんだ」と譲らない。
オレが子供の頃なんてもっと殴られた。
(“オレ”がこんなだから、殴りたくても殴れない!?  
それが主張したいのなら逆差別だと思うのですが。)

全体的には荒削りで、アプローチの仕方なども客観的だとは言いがたいので、
作品の完成度としては高くないです。
正直、誰にでもすすめられるような作品とは私には思えません。
 でも、ドキュメンタリーというのは、素材の良さでほとんど勝負が決まり、
面白さというのは結局、ヒューマニズムの良心に訴えるというところが落としどころだと
ばかり思っていた私には
この作品の切り口というのは新しく、
「こういう映画もありか」と思わされた事も確かです。

この作品は、アメリカ式の“力こそ正義”で首尾一貫してます。
車椅子になったってくじけるな、
男だったら、立ち上がって敵を叩きのめせっ。
アメリカ人のファイティング
スピリッツというか競争心のすごさに小心者の日本人の私は
びびったです。

目の前のカナダチームという敵がたいした事無いのなら、
自分の内面をかき漁ってでも、敵を作り出して戦いを挑む。
どんな人生でも、自分の中に敵はいる、のは確かですが、
それ以外の選択は無いんだろうかと疑問です。
ネタバレ改行です。






結局アメリカチームはアテネのパラリンピックでカナダチームに敗れちゃうので、
「ロッキー」のようなカタルシスをラストで得る事は出来ません。
で、かわりにウィルチェア・ラグビーが、イラクで四肢に障害を負った負傷兵の
社会復帰に活用されている事が紹介される。
そうか、話はイラクへ行くわけだ。
このオチには唸らされました。
お前達はまだ戦えるってことでしょうか!?
これはどこから斬っても、“アメリカ人のためのアメリカ映画”です。

…いきなし話は変わるのですが、
日本もパラリンピックをもっとエンターテインメントに押し上げる工夫って、
できないのでしょうかね。
世界陸上とか世界バレーとかみたいに多少ミーハーでも。
一般の認識も変わってくると思うんですけど。



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