「蟲師」

「蟲師」映画チラシ★映画基礎データー★
「蟲師」
2006年 日本映画
監督:大友克洋
原作:漆原友紀
脚本:大友克洋、村井さだゆき
出演:オダギリジョー

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100年前、日本には「蟲」と呼ばれる妖しき生き物がいた。
それは精霊でも幽霊でも物の怪でもない、
生命そのものであり、時に人間にとりつき、不可解な自然現象を引き起こす。
蟲の命の源をさぐりながら、謎を紐解き、人々を癒す能力を持つ者は"蟲師"と呼ばれた。
 
深い雪山で一夜の宿を求めてさまよう男がいた。
彼の名はギンコ(オダギリジョー)。
白髪で、左が義眼の彼は旅を続ける蟲師。
不可解な自然現象を引き起こす"蟲"の命の源を紐解き、
その現象を鎮めることが彼の役目だった。
ギンコはたどり着いた庄屋で、その家の夫人(りりィ)に頼まれ、
片耳の聴力を失った3人の患者たちを診ることになる。
その原因を家に憑いた蟲にあると突き止めたギンコは、
患者の耳に薬を流し込むと、患者は瞬く間に聴力を取り戻した。
ギンコの見事な腕前に感服した夫人は、
今度は両耳を病んだ孫の真火をギンコに診せる。
その少女の額には4本の異様な角が生えていた。
そして、少女はその角が生えた頃から、
今まで聞こえていた音が聞こえなくなり、
逆に今まで聞いたことがないような音に悩まされるようになったという。

真火の母親も同じ症状に苦しみ、この世を去った。
やがて、ギンコは、真火が隠れていた裏手の大樹に憑いていた巻貝のような蟲
『阿』と、真火の母親の話をヒントに得て、真火の病の原因を突き止める。
そして、真火が隠し持っていた母親の角を真火の前で割ると、
真火の体から蟲は出て行った。

庄屋の家を出て、蟲師たちが集まるお堂にやってきたギンコは、
旅人の虹郎(大森南朋)と知り合う。
彼は幼い頃、父親と一緒に見た虹蛇と呼ばれる、
蛇のようにうねる虹のような蟲を捕まえるために旅を続けていた。
ギンコは虹郎を連れて、
体に異変が起きたという知らせがあった淡幽(蒼井優)のいる狩房家に向かった。
蟲に取り憑かれた家に生まれた淡幽は、
蟲に身体を侵食されながらも、これまで文字でその力を封じてきた。
彼女が指先で蟲の記録を取ると、それが文字の墨となって体から出て行くのだ。
しかし、ギンコが彼女の屋敷を訪れたとき、
淡幽の足先にしかなかった墨色のあざが体全体に広がっており、
高熱で苦しんでいた。

元蟲師で、今では淡幽の乳母のたま(李麗仙)の証言によれば、
ひと月前にやってきた盲目の女蟲師(江角マキコ)が語る、
池の底に棲む眼のない魚・銀蠱(ぎんこ)の話が原因で、淡幽の様子が急変したという。
女蟲師の話によると、彼女は蟲を寄せる体質のため、
夫と子供を里に残して旅をしている間に、
二人は蟲の棲みつく池に入り帰らぬ人となった。
彼女はその池のほとりに住み、夫と子供が姿を消した池の秘密を調べていた。

その池には銀蠱と呼ばれる蟲がいて、
その池の光を浴びると、魚やヒトは姿が変わり、遂には姿を消してしまうという。
蟲の光を浴びすぎた彼女も、髪が白くなり、片方の眼を失っていた。
ある時、女は土砂崩れで母を失った少年ヨキを介抱して、
彼に情をかけるようになるが、
やがてはヨキを里山に預け、自分も家族のもとへ行こうと考える。
しかし、女が池に入った時、後を追ってきたヨキも奇妙な自然現象に巻き込まれ、
以後、行方不明となってしまった。

淡幽の病の謎を解くため、
狩房家の蟲についての巻物を読み始めたギンコだったが、
「ヨキ」という子供の話に差しかかった瞬間、
ギンコの体から黒いモヤのような蟲、トコヤミが立ち昇り、
封印されていたはずの巻物の文字が染み出す。
淡幽の身に危険が迫っていることを察知したギンコは、
書庫の中にひとりで閉じこもり、
封印が解かれて巻物から流れ出る蟲の文字に自分の体を預ける。
外でギンコを待っていた虹郎は、
屋敷に駆け込み、たまが淡幽を救う手助けをする。

淡幽はたまの処方で息を吹き返すが、
今度はギンコがトコヤミに憑かれて、意識を失う。
淡幽は弱った身体でギンコに取り憑いた蟲を元の巻物に戻す作業を続ける。
そのかいあって、意識を取り戻したギンコだが、
その姿は以前のギンコではなく、完治できるかどうかは、
彼自身の力にかかっていた。

そんなギンコをつれて、虹郎は身体に効くという命の源の光酒を求めて旅に出る。
虹郎の優しさに支えられ、ギンコの体は少しずつ力を取り戻すが、
やがて、ふたりは別の道を歩むことになる。
再び、ひとりで果てしない旅に出たギンコは、
過去の秘密を握る「ぬい」という名前の女蟲師と、運命の再会を果す。

原作のことは知りません。
なんか夜中にアニメでやっているが、それなのでしょうか。
予告を見て大友さんが監督なのと、キャストの豪華さと
特撮のこう、ぐおおおって感じの凄さでコリャ面白いに違いない、
と劇場に飛んできました。
実際作品には、ぐおおおっは無かったです。
やたら山ん中ばっかりで。
淡々と進むのですが、その淡々としたとこがなかなか良かったです。

大友克洋というと「AKIRA」に見るサイバーパンクを
映像世界で始めて見せたアニメの旗手、という印象がありましたけど
実写で「ワールド・アパートメント・ホラー」という、
低予算ホラー映画を結構面白く監督しています。

大友克洋監督と本作のプロデューサー・小椋悟の出会いは、
20数年前にさかのぼるといいます。
大友監督が自主製作・脚本・編集も務めた実写映画『じゆうを我等に』(82)を観た
小椋プロデューサーが、監督にアプローチしたといいます。
当時ともに仕事をすることはなかったが、以来ずっと交流は続いていました。
そして、01年、『スチームボーイ』制作中の大友監督を小椋プロデューサーが訪ね、
その日を境に念願の“大友作品”企画が動き始める。
「はじめから実写を撮ってもらうつもりでした。
『じゆうを我等に』で、大友さんの実写監督としての資質はわかっていましたから。
SF作品になるだろうと予想していたのですが、
『時代劇でいきたい』と大友さんがおっしゃって。
そして企画を開発していくうちに、大友さんから『蟲師』を提案されたんです」(小椋P)

大友監督自ら、「蟲師」原作者・漆原友紀氏のもとを訪れ、
映画化への熱意と意気込みを熱く語ったといいます。
原作は一話完結の短編式で、
それぞれに物語の中心となる人物がおり、ギンコは言わば傍観者であるのに対し、
大友監督による映画版は、“蟲師ギンコがどこから来て、どこへ行くのか?”という
ギンコ自身に焦点を当てた物語となっている。
そんな漫画版と映画版の『蟲師』の違いについても、
このときに了承を得て、映画化権を獲得。
そして、小椋プロデューサーも、「蟲師」を題材とすることに同意しています。

大友監督は、なぜ「蟲師」を選んだのか。
監督が、ベネチア国際映画祭に寄せたコメントによると
「百年程前の日本。都市部では既に近代化が始まっていましたが、
地方、山間部に於いてはまだまだ中世の残滓が散在し、
まつろわぬもの供が闇を跋扈していた事でしょう。
その姿はきっと正視出来ぬ程恐ろしく、
そしてぞっとする程美しかったのではないでしょうか。
百年前の闇にじっと変わる事もなく立ち尽くして今の我々を見ているような気がします。
そんな世界を自分なりに創造してみたかったのです」(大友監督)

ギンコ役のオダギリジョーは、
「最初にオファーを頂いた時、プロットを読んで、
『蟲師』という奇妙で不可思議な世界に引き込まれ、
大友監督がこれを撮影したら面白い作品になると思い、出演を即決した」と言います。
「僕が演じるギンコという役は、時代も性別も超えている不思議なキャラクターです。
このつかみどころのない神秘的な人物に、
原作者である漆原友紀さんが、原作の世界観にあっているということから、
僕を強く推薦してくださったとお聞きし、
非常に光栄に思いました。
原作のイメージを壊さないようにしつつも、
自分なりのギンコ像を作って行ったつもりです。
『蟲師』の美しく豊かな世界を感じてほしいと思います」(オダギリ)

 また、ぬい役の江角マキコの起用は、大友監督曰く
「ただ立ち姿などが美しいだけでなく、山道をスタスタと力強く歩く、
アスリートのイメージがあったから」だとか。
 淡幽役の蒼井優は、近年目覚ましい活躍を見せている実力派にもかかわらず、
オーディションを受けてこの役を得た。
「脚本を読んで、この作品にとにかく出演したくて。
オーディションではとても緊張しました。
淡幽は自力で外出できない役ですから、色が白くなくてはいけない。
でも私、このオーディションの何日か後に、
仕事でロスに行って旅をする予定だったんですよ。
焼けるのはわかっていたんですけど、『焼けない体質です』ってごまかして(笑)。
そこまでして、どうしても出たかったんです」(蒼井)

本作では、総走行距離5万キロにも及ぶロケハンが行われた。
日本列島の海岸線の長さは約3万キロ。
列島を少なくとも1.5.周以上した計算になります。
クランクイン前に約3ヶ月のロケハン。
さらに撮影が始まってからもよりよい場所を求め、
スタッフによるロケハンは続いたそうです。
合計すると5ヶ月ほどはロケ地探しに費やした計算になるという。
ロケハンに同行していた撮影監督の柴主高秀はこう語る。
「この作品は、自然と、そこで共存していた人々の見せ方が
テーマのひとつでしたから、
リアリティとドラマをどう表現していくかを探るためのロケハンでした。
人里離れた世界でのロケハンが続きました。
あるときは山を登り、谷を下り、道なき道を進みました。
鹿に鼬に兎に蛇、蜘蛛の巣、見たことのない虫との出会い。
監督は山ヒルに噛まれ、
スタッフは底なし沼にはまったりと珍道中でした(笑)」(撮影・柴主)
 一方、井上潔アソシエイト・プロデューサーは、
ロケハンでの大友監督の印象を次のようにコメントしている。
「大友監督は自然の風景に対する見方が的確なんです。
何気ない風景が、自然の中で醸成された結果なのか、
人の手が加わっているのかが一目で判断できる。
それは、監督が宮城県出身であることや、
普段から自転車に親しんでいることも関係しているかもしれません。
大友監督は実はフィールドの人なんです」(井上アソシエイトP)

 徹底的なロケハンの結果、
撮影は、琵琶湖周辺を中心に行われることとなった。
ぬいのシーンで登場する池は“未開の地”と呼ぶにふさわしい山奥にあり、
主要機材はヘリで運んだ。
「イメージにぴったりの池で僕たちも気に入っていたのですが、
一旦は交通の便が悪くてあきらめようとしたんです。
でも監督が熱望されていたので、思い切ってやりましょうかと」(美術・池谷仙克)
本当は最初に一目見たとき、
池谷氏と照明の長田氏は「ここで撮影するのは現実的に難しい」と判断していた。
まるで登山をしているような感覚で、
登るのだけで息が切れ、とても機材を運べるような場所には思えなかった。
「本当はCGでやるほうが楽なんですよ。
でも今回は人工美ではなく、直球で勝負したかった。
この作品の予算の使い方はかなり冒険です(笑)。
通常ならCGにお金をかけるはずの作品ですが、
今回は自然を映すことにこだわりました。
大友さんが、その奥底にあるものを表現してくるのではないかと感じたし、
そういうものが見たいと思ったからです。
吉と出るか凶と出るかはやってみないとわかりませんでしたが、
実際完成した作品を観て、その考えは間違っていなかったと思いました」(小椋P)

江角マキコは、その池のシーンをはじめとする今回のロケ撮影をこう振り返る。
「想像していた以上にひとつひとつのロケーションが、
台本の各シーンにぴったり合っていて、感動しました。
池もきつい山を登ったり降りたりしてやっとたどり着いた場所だからこそ、
自然が残っているし、神秘的でした。
普段人が絶対に入ってこない、人を近づけない空気がある。
大自然のパワーがあり、人間はお邪魔させてもらっているという感覚でした。
すばらしい体験でした」(江角)

リアルな自然を写し撮ることにこだわる一方で、“蟲”の表現などには、
最新のVFXが駆使されている。
本作のVFXスーパーバイザーを務めた古賀信明は
「“蟲”は、誰も見たことがなく、正解がないもの。表現は難しかったです」と語る。
監督とのやりとりもさぞかし大変だったろうと推測されますが、古賀はこう答える。
「打ち合わせの段階から、
これが欲しいと明確に指示できる監督は、まずいません。
欲しいものがイメージできても、
実際にそれが映像となり動いたところを見ると、具体的な違いがはっきりしてくる。
VFXの仕事の基本は、
時間が許す限り監督とキャッチボールしながら、
出来上がった映像と監督のイメージする映像を近づけていくことです」
大友監督とは25年来の知り合いだという古賀。
仕事をするのは今回が初めてだが、
実は「これまでのどの監督より仕事がしやすかった」
と語る。
「監督は謙虚な方で、仕事はすごくやりやすかった。
できないものをできる人に託すという考えをお持ちです。
VFXについて、
僕は物語を語る上で必要だけれど実写で表現できないものに対して
使われるという認識を持っています。
そんな場合にお役に立ちたい。
普段は、一貫してリアルに見えるものをVFXで作りたいという思いがあるのですが、
今回は誰も見たことがないものをリアルに作らなければいけない。
それが、チャレンジでした。
でもなにしろ世界の大友監督と仕事ができるんですからね、
とてもやりがいのある仕事でした」
 ちなみに、最終的にVFXを施したカットは300以上に及んでいる。
大友監督は、シーンのイメージを周囲に伝えるために自ら絵コンテを描く。
本作に関わったスタッフたちは、
その画のすばらしさを揃って口にする。
「さらさらっと描いてあるけれど的確なんです。
大友さんは常に、どこから絵を見るかを3次元で考えている。
カメラ位置があるんです。
でも、その絵コンテを徹底的に踏襲してくれと要求するのではなく、
どう発展させていくかは、ある程度スタッフに任せる。
自分のビジョンに閉じ込めるタイプではない。
だから映画監督としていいんです。可能性が広がりますから。」(小椋P)

撮影は2005年8月23日から11月11日までの約2ヵ月半にわたって行われた。
その間、大友監督が絵コンテを出さなかったカットはほぼゼロだとか。
「撮影は、絵コンテに描かれているアングルやサイズには、
さほどとらわれることなく、それよりもテーマを大切に撮っていきました。
時に監督が、自ら小道具を配置しているのを見かけましたけれど、
そんなとき、絵コンテを見ると、
それらしきものが描かれていたことがありました。
一コマの絵コンテが映画のフレームとなっていき、
そのなかに大友監督ならではの世界観を感じました」(撮影・柴主)

 逆に室内セットで撮影されて幾つかの印象的なシーンがある。
たとえば狩房家の蔵にある書庫。
「監督は、当初もっと天井の高い書庫を想定されていたのですが、
蔵の中なのであまり高くなりすぎてもおかしい。
2階建てぐらいの高さにしています。
中の巻物や書物は、江戸時代のものをリサーチしてそれに似たものを作りました。
それでも作られたスペースが狭いということになり、
カットごとに書架をバラバラに組み替えて、
つながりがバラバラになってしまったので、現場スタッフは大変でした。」(美術・池谷)
その他、淡幽の入る風呂、池(ぬいが入水する部分のみ)などが、室内セットで作られています。

『蟲師』は、ヴェネチア国際映画祭で世界デビューを果たし
多くの国で公開が予定されているそうです。
リメイクでなく本編それ自体がインターナショナルで広く公開される、
というのは最近では「どろろ」などがありますが、
活劇中心で無国籍的なところがウリの「どろろ」とは対照的です。
日本的であるか、というとそんな単純比較では語りきれませんが。

ドラマの出だしと「ア」「うん」といった蟲達のエピソードの見せ方は、
超絶面白かったですが、
さてギンコ本人のエピソードが面白かったかというと、
映画の掲示板等では結構叩かれています。
現在進行形の話に見えて、実は回想シーンだったというのは面白い見せ方ですが、
でもあれは誰の回想なのでしょうか? 爆
淡幽やぬいといった女性キャラは、見せ方を間違えると単なるアクションヒロインに
なってしまいがちですが、
そう見せないところが良いです。
しかし、特にぬいについては、原作から大きく書換え、
運命論的に語っていなくも無く、もっと颯爽たるぬいを期待していた原作ファンには
ため息をつかれてしまったようです。
私はアレはアレで、人間の悲しい性のようなものが語られていてテーマ的には、
納得できるものでしたが。
ですから、ぬいのなかに巣食っていた蟲との最後の対決が、
大乱戦にならないのはこの作品ならではの味といえるのですが、
ぼんやり見ていると、尻切れトンボで終わってしまったのかのような印象さえあります。
活劇でなくとも良いのですが、
もうすこし饒舌さがエンディングにかけてあった方が良かったとは感じました。



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