「日本沈没」
★映画基礎データー★「日本沈没」 2006年 日本映画 監督 樋口真嗣 脚本 加藤正人 主演 草なぎ剛 |
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日本海溝近辺の大規模な地殻変動により、
日本列島のほとんどが海中に沈没するという驚愕の予測が
アメリカのシンクタンクより下った。
しかし、数十年後の沈没というアメリカの予測に対し、
メガロスの崩壊により沈没を一年以内と唱える日本の学者が現れる。
プレートの断裂は北海道の南部から始まる。
九州の出水断層帯も危ない。
阿蘇が噴火するだろう。
四国から活断層はそのエネルギーに耐え切れず次々に割れていく。
日本の活断層はそのエネルギーに耐え切れず次々に割れていく。
本州中央部糸魚川静岡間のフォッサマグマが避け始めたら、その時はもうお終い。
富士山の大噴火とともに日本は一気呵成に沈んでいくのを待つばかりとなる…。
変わり者の田所雄介(豊川悦司)が閣僚たちの前で、
アメリカが提示した予測よりはるかに早い338日で日本は沈没すると唱える。
山本総理(石坂浩二)と鷹森沙織文部科学大臣(大地真央)ら
一部を除いて殆どの閣僚は話を信じようとしない。
駿河湾で大地震が起きる。
小野寺俊夫(草なぎ剛)は少女美咲とともにいるところを爆風に
襲われるが、
間一髪レスキュー隊員阿部玲子(柴咲コウ)に命を救われた。
数日後俊夫はわだつみ6500での海底調査から戻っていた時に玲子と再会し、
あの時巻き込まれた美咲に会ってほしいと頼まれ、美咲と再会する。
その事がキッカケで俊夫と玲子は急接近する。
政府は総理大臣の山本が危機管理大臣に田所の元妻の鷹森沙織にその職を任命し、
総理の山本は受け入れ先へ交渉する為に日本を飛び立つ。
しかし、時を同じくして北海道南部で大地震発生、
九州熊本の阿蘇山が大爆発を起こして、
その上空を飛行していた総理のチャーター機が巻き込まれて総理不在の緊急事態に陥る。
日本政府は本来1年以内のところを5年と偽りながらもいずれ日本が沈むと宣言し、
国民の避難に着手する。
沙織は日本沈没を防ぐ方法を田所に尋ねる。
田所は、列島を海に引き込むメガロスと日本海プレートの接点の
一番薄くなる日本海溝の地殻を新型爆弾で寸断するという方法を提案する。
あまりにも無謀過ぎる手段だったが、
沙織はその方法に賭ける決断を下し各国からの深海作業船調達に奔走する。
その他方で、日本国民受け入れ先に次第に限界が生じ、
脱出できる住人は限られた特別階級の者になっていく。
新型爆弾の設置作業は終わり、いよいよ爆破作戦が開始される。
その任務についたのが、俊夫の同僚の達也(及川光博)だったが、
地殻変動に巻き込まれ帰らぬ人となってしまい、任務は失敗してしまう。
中央構造帯が割れ始め
東京、名古屋、大阪、鹿児島、札幌などが海の底へ沈み始めた。
海外脱出の道を絶たれ、
難民と化した多くの国民は、西に東に避難キャンプを転々と逃げ惑うばかり。
玲子は、
レスキューとして人々を助ける為に日本に残る事を決意する。
俊夫は玲子に会いに行く。
茶封筒に玲子への手紙を残し、俊夫は去っていくのだった。
玲子は俊夫の手紙を読んでバイクに乗って、俊夫のもとに向かう。
ヘリに乗り込む直前の俊夫と最後に抱き合う玲子。
そして俊夫は玲子を、日本を救う為にわだつみ2000で深い海へ潜って行くのだった…。
前作も原作も見ています。
いかにも昭和の時代を感じさせる企画でしたが、
それゆえ平成に原作どおりのリメイクを作るなら意味は無いと思っていました。
興味の中心は、平成にどう日本を沈没させるのか、
“日本”をどう捉えるか、“沈没”を世相的あるいは民族的にどう捉えるか
ではなくて、樋口マジックがどれだけ楽しめるか、でした。
これは本来、邪道の期待であろうと思います。
…小松左京、あんまり好きじゃないんですね。
昭和を語る上で避けちゃいけない、
日本が世界に誇る文化人のひとりであることは間違いありません。
大阪万国博の総合プロデュースを勤め、かの「人類の進歩と調和」というメーンテーマを
作ったのは左京先生です。
(はじめは「人類の進歩」だけで土壇場で「調和」をくっつけた。)
でも作品は好きじゃないですね。
「復活の日」「首都消失」「さよならジュピター」
いずれもシュミュレーション大災害モノの傑作なんでしょうが、
そろってドラマが大味、主人公も大味な奴らで魅力を感じません。
災害メカニズムや社会構造の構造的クライシスの面白さに興味が行ってしまって、
人情の機微からはその分はなれてしまっている。
今度の「日本沈没」は、小野寺の個人心情、個人の事情をすべてにおいて優先させ、
ご都合主義もなんのその、
自己チューで特攻をかけて、日本列島と日本人の命運をいじってしまう。
時代を背負ったかつての大作を、樋口監督の
個人趣味のB級映画にリメイクしちゃったところがいっそ私には痛快でした。
(同時期公開の筒井先生原作の「日本以外全部沈没」の方は面白かったんだろうか?)
小説「日本沈没 第二部」のあとがきに、
小松左京本人が第一部執筆のいきさつを語っています。
当初企画は60年台初頭のことだそうで、
終戦後20年も経ていないのに東京オリンピックに浮かれる世相に義憤を感じて、
構想を立てたそうですが、
当時の構想では日本列島を失った一億の日本人が難民となって漂流するところまで
描く予定で、タイトルは「日本漂流」だったそうです。
ところが高度なシュミュレーションが必要な為執筆は容易ならず、
9年の時間が経過し70年代に入ってしまい、
編集部がさすがに「これ以上待てない」と言い出したため、とりあえず
列島が沈むまでを描いて「日本沈没」と名づけたとか。
小説第二部のラストは、祖国再建の夢破れ、
恒星間航行母船「そう竜」に乗り込んだ最後の日本人たちが、
地球周回軌道を離脱するところまで描かれていますね。
さらば地球よ、旅立つ船は…、てなもんで、
船の名がヤマトとなっていないところがご愛嬌です。
第一部の発表が、
「巨人のV9」達成、高度成長真っ只中の73年のことです。
中東戦争に端を発するオイルショックが日本を直撃、トイレットペーパー騒動が起き、
もしかしたらいまの繁栄は、ある日突然失われてしまうかもしれない…。
日本人全体がそうした漠然とした予感を抱いた時に、予言の著、として颯爽と現れた
「日本沈没」に団塊の世代が飛びつき、はじめて百万部を超える“ベストセラー”
“ミリオンセラー”なる言葉が冠された小説となりました。
映画版の脚本は「羅生門」等を手がけた邦画界の巨匠・橋本忍先生です。
橋本脚本としては必ずしも出来の良い方ではありませんが、
前半のみで寸断されている原作から、列島が海の藻屑となる、その衝撃に右往左往する
学者や政治家、マスコミの様子が東宝特撮のハイライトシーンと交錯して描かれています。
欠点は庶民の視点が不在であること。
これば原作からしてそうなので仕方ないですが、
特にわだつみ2000のパイロット小野寺やブルジョア娘の玲子が、
どういうつもりで被災地をうろつき歩いているのか良くわかんない代物です。
小野寺は政府のD1、D2計画の一員で、それは新作の草薙君も同じ筈ですが、
任務より所帯無げな姿が強調されているので、
映画の掲示板では草薙君の被災地徘徊ぶりがコテンパンに叩かれていた。
ブルジョア娘の玲子(いしだあゆみ)は、原作ではD1、D2計画の影のスポンサー、
政財界の黒幕渡老人の孫娘という設定ですが、
新作の柴崎コウは同じ玲子の名でも、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の隊員です。
如何にも、な設定ではないか、とこちらもバサバサ斬られてましたが、
右翼の生き残りのような政財界の黒幕がバックであれこれやるというのは、
平成の時代には馴染まない設定だと思いますね。
柴崎コウ本人はインタビューで玲子を
「アニメの登場人物のような男性目線のウケキャラで、
何を考えているのか掴めない人だった」と正直に語っています。
役をなんとか自分に引き寄せようと悪戦苦闘。
東京ハイパーレスキューで撮影前に訓練を受け、
多くのシーンをスタント無しで演じ、自動二輪免許も取得しバイクシーンに望んでいます。
先日、番宣をかねてビストロSMAPにゲストで出ていましたが、
出された料理に半泣き顔で「おひしぃぃっ」と呻いたのに草薙君らがびっくり、
聞けば次の映画、来年クランクインする手塚治原作「どろろ」のために今から米を絶って、
筋肉質の肉体作りに励んでいるのだとか。
柴崎コウは百鬼丸の相方、どろろ役です。
次いでですのでゲスト出演者たちを紹介しときます。
鎌倉市延長寺で国宝が運び出される場面にガンダムの富野由悠季監督が僧侶役で登場。
会津若松市の由緒ある酒蔵、高橋庄作酒造の小野寺の実家の撮影場面に
「夏子の酒」の和久井映見が小野寺の姉役で出ていますが、
さらに彼女が酒の酵母を預ける社氏役に
「ローレライ」原作者・福井晴敏が出演。
ちなみに同じ場面で一緒に出演の妊婦の妻もお腹に詰め物をした福井氏の奥さんです。
富士山の避難シーンは群馬県高崎市にオープンセットが建設され撮影されていますが、
この場面で「ひょっとこ」の一家を助ける自衛隊員に
「ローレライ」の砲術長役のピエール朧が出演しています。
原作と旧作映画は、日本が沈没するという事実を
政府要人と田所博士らD−1調査計画しか知らず、
その事実をどうやって受け入れるか、国民や世界に知らしめるか、
がドラマ上の争点になっています。
地震や津波、噴火といった特撮は映画の中盤以降というよりラストに集中し、
実際、制作費5億円のうち、
ラストの25分に半分の2億5千万円をつぎ込んでいます。
クライマックスというより長めのフィナーレといった扱いです。
新作では、列島沈没はメインタイトルの登場前に
閣僚たちにアメリカの学者グループが研究成果として披露しています。
山本総理が政府専用機もろとも阿蘇噴火で爆死するまでが25分くらい?
旧作で端折った後半部分を映画化したものと考えても良いじゃないでしょうか。
前作では
D−2国民避難計画チームから追放されて、
事をあせってテレビのワイドショーに出演し、
列島沈没を暴露しようとして評論家たちの笑いものになり、
生放送で乱闘騒ぎを起こす田所博士の姿や、
かん口令を敷かれて真実をしゃべれない小野寺が、
夕暮れの雑踏を独り彷徨いながら「にげろー、みんなにげろー」と
心の中で叫ぶ場面等がドラマ的なクライマックスに
なっているのに対し、
新作の方は一億総避難が始まってからあとの話になっている。
テーマが違うのだから新旧は本来別の作品とでも思った方がよさそうです。
まあ、樋口監督と若いスタッフがどう考えようと、
そのバックで金を用意した今回の製作サイドが、
日本沈没なら、団塊の世代も、そのジュニアも、
いっしょに動員できると踏んだのだろうことは確かでしょうが。
神戸の震災や、新潟、福岡の震災。
各地に仮設住宅が建てられ、河川工事のクレーン船一隻のちょんぼで
首都圏大停電と、今の日本は“災害なんて当たり前”です。
旧作が発表された頃は、大震災は想像を絶する恐怖で、
時代を覆すほどのクライシスでしたから、
まだ見ぬ災害に、日本の繁栄そのものの没落を重ね、
民族的アイデンティティの拠り所がいずこに在りやを探る
格好のシミュレーションでした。
では新作のテーマは何でしょうか?
純愛? 護るべき大切なものとは何か、を語る?
かもしれませんねえ。
小野寺と玲子がヘリコプターの前で抱き合うのがクライマックスですし。
でも私は思うんです。
以下、ネタバレ改行です。
だったら小野寺は死んでしまっては駄目なんです。
それでは愛の敗北、あるいは殉教になってしまう。
どんなに馬鹿っぽく見えようとも、わだつみ2000は、
爆風もろとも海面に浮かび上がってくるべきなんです。
彼が死んで、他にも達也や山本総理やたくさんの人柱があって、
最後の演説…、その意味する内容は、再建。
この国を立て直す、私たちは立ち直ってみせる、
と天が下に宣言する事。
(宣言した人物が何者かはあんまり問題ではないのですが、
しいて言えば死んで行ったのが男達で、生き残った、
あるいは男達が命を捨てて
護ったのが女達であるという事が重要であろうと思います。)
その時、カメラは山の中で再会した玲子と「ひょっとこ」の人々、
玲子にとっての“家族”
―日本人の共同体、というのは
国家ではなく、国土でもなく、“家族”であるという明瞭なメッセージ。
その“家族”が手を取り合って喜ぶ情景から、
遥か高高度へ。
雲海を越え、成層圏を飛び出し、
宇宙から原型を留めぬほどに破壊しつくされた日本列島を見下ろす場面で
映画は終わっています。
第一部の小説を最初に読んだ団塊の世代は、
国土の破滅を、同時に民族の散り際と読み解いたようですが、
バブルがはじけ、終身雇用も無くなり、
あっちこっちで地震がおきて、
信じられないような凶悪事件が日常に起きる今の時代で、
それでも生きていかなきゃならない。
ズタズタなのは国土でなくて、われわれ自身です。
まだいける、まだがんばれる、自分で自分を励ましたかったんだろうなぁ。
「ディープ・インパクト」等の先行作品との類似性に対する批判は
やはり免れえぬ事でしょうね。
あれも家族愛と再建を、あるいは再生を誓い合うドラマでしたし。
旧作の映画では、
綺麗さっぱり海だけになった衛星軌道上からの光景が映し出されています。
こちらの方が、美しいエンディングかもしれないです。
新作のように中途半端に生き延びてしまい、
日本人はあの先どうやって国際社会で生きていけばよいのでしょうか?
最貧民国として、
国際世論の慈悲にすがって一億総プー暮らしなんて出来るんでしょうか?
そこいら辺はなんとも言いようが無い話ですし、
旧作が国土が無くなっても、第二部があるのと逆で、
新作には、あのラストシーンからあとを想像するのはむしろ困難です。
皮肉な話ではありますが。
以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1299114
にて「日本沈没」の頁をご覧下さい。
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