「大統領の理髪師」映画製作裏話

「大統領の理髪師」映画チラシ★映画基礎データー★
「大統領の理髪師」
2004年 韓国
監督脚本 イム・チャンサン
出演   ソン・ガンホ

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1960年代の韓国、
軍事政権による圧政の時代
大統領のお膝元、孝子洞で平凡な床屋を営む
ソン・ハンモ(ソン・ガンホ 「JSA」「殺人の追憶」)はある日突然、
大統領の専属理髪師に指名される。
ごく普通に生きてきたはずの親子3人が激動の歴史に翻弄される姿を、
時にコミカルに、時に感動的に描いた、悲しみと幸せの物語「大統領の理髪師」。
韓国では200万人を超える大ヒットを記録しました。

小心者の夫を支えるしっかり者の女房に、
『オアシス』の演技で02年ベネチア映画祭新人俳優賞を受賞した
ムン・ソリ、
また「冬のソナタ」のヨンゴク役のリュ・スンスが脇を固めています。
監督は今回長編初監督となるイム・チャンサンです。

父の名はソン・ハンモ(ソン・ガンホ)。
“豆腐一丁”の“一丁” (ハンモ)と同じ発音なので、
住んでいる孝子洞(ヒョジャ町)では“豆腐一丁”のあだ名が付いています。

父は普通の理髪師で、我が家は普通の理髪店を営んでいました。
近所の人たちと同様、孝子洞が大統領官邸、青瓦台のお膝元であることに誇りを
持っていました。
政府を無条件に信じていた父たちは1960年3月15日の不正選挙に加担し、
対抗票を袋に詰めて山の中に埋めました。
新米の助手だった母のキム・ミンジャ(ムン・ソリ)を無理やり口説き、
妊娠5か月になった母が結婚を拒んだときも、
政府の四捨五入原則を当てはめて説き伏せました。
父は僕の長寿を願ってナガン(楽安)と名づけましたが、
「かっこわるい」と嫌がって母はますます泣いたのでした。

 僕が生まれた4月19日は、不正選挙に怒った学生デモ隊が通りに溢れていました。
産気づいた母を荷車に乗せて銃弾に怯えながら病院へ向かった父は、
白衣のせいで医者と間違えられ、負傷した学生たちも一緒に運ぶ羽目になりました。

監督のイム・チャンサンは役所だか公団だかの勤め人でしたが、
映画界への情熱を捨てきれず、
親子の縁を切ると怒る、両親の反対を押し切って
映画学校に入り、この作品で長編デビューしています。
彼が選んだテーマは、父親の時代。
60年の不正選挙により大統領になった李政権が
クーデターにより朴政権の軍事政権に取って代わられ、
79年にテロで朴が倒れるまでの
約20年間が舞台です。
韓国はベトナムへも参戦し、民主主義が弾圧されつつも、
高度経済成長を成し遂げるなど矛盾と混乱に満ちた時代でした。
この時代を正面から取り上げた映画、ドラマは韓国でもほとんどないそうです。
物語ることのはばかられることの多い時代だったのです。
韓国の大衆もこの時代を振り返ることに興味を持つことはなく、
時のかなたに忘れ去られようとしていました。

そして現在、イケメン若手スターたちの華やかな“韓流”ブーム下にあって、
一方で「シルミド」「ブラザーフッド」「殺人の追憶」等のタブーへの挑戦を
試みる作品も作られるようになりました。
この作品もそうした流れの中の一本であろうと思われますが、
軍人や政治家を主人公にするのではなく、
権力者のすぐそばにあって、何気なく忘れ去られたような庶民のひと家族を
主人公に
政治混乱期を過ごした平凡で愛情深い父親たちの世代を優しく描き出しています。

僕の誕生日がこの革命と同じ日なのが父は自慢でした。
大統領は退陣しましたが革命の気運は1年しか続かず、ある夜、戦車がやって来て
父に大統領官邸への道順を尋ねました。1961年の5.16軍事クーデターです。
  父は新大統領の写真を店に飾りました。小一学生になった僕(イ。ジェウン)が
友だちに父のことをバカにされて泣いて帰ると、父は仕返しに行ったものの、
相手が練炭屋の息子とわかると急に親切になりました。
3.15不正選挙のとき、票の袋を埋めているところを練炭屋に見られていたからです。
不満げな僕に父は、理髪師はもともと医者でもあり、
立派な職業なのだと教えてくれました。

 そんなある日、父の運命を変える男、チャン・ヒョクス(ソン・ピョンホ)が
店を訪れました。
彼は中央情報部の関係者だと称し、スパイを見つけたら警察に通報するよう命じました。
父はその通りにしましたが、捕まった男は、
実は隣家の留学生を監視中の中央情報部員。
チャンは本当は大統領警護室長で、父をテストしたのです。
怒ったのはコケにされた中央情報部長バク・ジョンマン(バク・ヨンス)ですが、
ともかく、こうして父は大統領の理髪師になってしまったのです。

ハンモが投票袋を穴に埋めてしまうくだりも深刻さはなく、
町の大統領のシンパたちと夜の食堂で盛り上がってそのままのノリで不正に加担します。
無知無学この上ない振る舞いです。
可笑しいのが不正のやり方そのもので、
昔の日本の不正選挙は
買収相手の名を投票したり、
白紙の紙を投票箱に投げ込んで、もらった投票用紙を人に渡すなどの手段が取られていたものですが、
韓国の場合は、開票場に手先がいて、敵対候補の投票用紙を食べてしまったり、
穴に埋めてしまったりと大胆というか、おおらかです。笑

産気づいて七転八倒するミンジャをリアカーに乗せてハンモが町へ飛び出すと、
デモ学生と警察の激突に巻き込まれて大騒動。
撃たれて血まみれの学生がリアカーに担ぎこまれて白衣のハンモに「先生助けて」
「違う、俺は床屋だ。これは理髪師の白衣だ」。
わけ分からなくなってリアカーでぐるぐる回りだすハンモの姿が可笑しい、可笑しい。

ハンモがテストされるくだりはちと分かりにくいのですが、
どうやら背景に大統領の側近チャン大統領警護室長とバク中央情報部長の不仲があって、
チャンは純朴なハンモを利用して大統領の前でバクに恥をかかせたのです。
まんまといっぱい食ったバクは腹立ち紛れにハンモのむこうずねを蹴りますが、
これが縁でハンモは大統領その人の専任理髪師になります。
馬鹿だが正直者で国に忠誠を尽くし信用できる、ということが証明されたからです。

 父は大統領官邸に通うたびに恐ろしい緊張を強いられました。
閣下のご尊顔に傷でもつけたら……と冷や汗をかきながら大統領のヒゲを剃り、
失言して機嫌を損ねれば銃殺刑の悪夢にうなされました。
例の埋めた袋のことも心配になりました。

店で働いていた若いジンギ(リュ・スンス)が、アメリカへの憧れから
米兵のいるベトナムに従軍した頃、父は大統領のお供で渡米しました。
 テレビに映った父は町の人たちの羨望の的になりました。

十億ウォン(一億円)をかけて舞台となる孝子洞地区のオープンセットが
建設されています。
二ヶ月の時間をかけて17.8万フィート四方にもなる広大なセットで、
理髪店のセットには一億ウォン(一千万円)がかけられました。
映画の中で二十年が経過するため、リノベーションが繰り返されたそうです。
そして大統領官邸、青瓦台は、最近まで大統領別邸として使用されていた青南台で
門前と中庭の部分がロケされ、あとはセットが建てられました。

悪夢の銃殺刑が映像になって出て来たり、
「フォレスト・ガンプ」なみの合成で、ニクソン大統領とソン・ガンホが一緒の画面に
出てきて笑わせます。

大統領は内輪のパーティを官邸の中庭でひらき、
他意もなしにハンモの家族にも「飯を食いに来い」とご機嫌で声をかけますが、
子供同士が揉め事になり、ハンモは飛んでいって息子を叩きますが、
チャン室長に銃口を突きつけられて激しく罵られます。
ここは軍事独裁者の昼食会です。ふとしたきっかけで血を見る騒動になりかねません。

出かける前のはしぎっぷりとは一転して、
ハンモ一家はしおれて官邸を後にします。
無言で肩を落とすハンモ。
息子は父に詫びますが、ハンモは官邸への出入り禁止になったものと覚悟した様子。
息子は「いつか僕はあの人たちより偉くなって、父さんに謝らせてやるから」と
言い出します。
立ち止まったハンモは息子を怒鳴りつけるかと思うと、
だまって自分の背中を差し出し、息子をおぶって帰るのですね。
このくだりがいいなぁ。
大統領のどら息子の前で自分の息子を叩きますが、
ハンモはわが子に非が無いのは百も承知です。
でも独裁者にはかなわない。
わが子を守る一身で彼は叩くしかなかったのですね。
息子はその父の無力と小心ぶりを理解している。

当初、ハンモは絶対権力者である大統領をただ怖がっていますが、
のちにそれが畏怖の念になる。
憎しみもし、愛情も感じる。
なかなか一言では言いいにくいものがにじみ出るようになる。

このドラマにはハリウッド映画に出てくるような、雄々しい逞しい父親は出てきません。
ダサくてかっこ悪く、無学で小心者の父親です。
でも家族のために一生懸命の善き人です。

1968年 1月21日の北朝鮮武装ゲリラ事件が起こります。
ソウルに侵入したゲリラたちが下痢をしていたことから、
「マルクス病」と呼ばれる伝染病が流行り、「マルクス病患者はゲリラと接触があった者」
ということになり、逮捕者が続出します。
近所のワンさんとチェさんも犠牲になりました。
僕が腹痛を訴えたその日、父は店に来ていたチャン室長の手前、
マルクス病でないことを証明してもらうと言って僕を警察へ連れて行きました。
無実の子供が逮捕されるなんて夢にも思わなかった父ですが、
僕は護送車に乗せられ、中央情報部で拷問を受けました。
でも不思議なことに僕は、電流を流されると、くすぐったくなるばかり。
苦しまずに済んだのは良かったのですが、いつまでたっても釈放してくれません。

マルクス病騒動終結後も僕の消息が不明なので、
母は悲しみのあまり病気になってしまいました。
チャン室長は、騒動が終わってもまだ警察に拘束されている人たちがいることを
持ち出して大統領の前でバク部長を批判しました。
おかげで僕は数日後に釈放されたのですが、脚が立たなく在っていました。
父は僕を背負って国中の漢方医を訪ね歩きましたが、
山の老医は、「龍は数年以内に死ぬ。龍の目を削って飲ませるが良い」と珍妙な予言と
治療法を授ける始末でした。

ところが79年10月26日、大統領がバク部長に射殺されたのです。
予言を思い出した父は、老医の治療法に必要なものを手に入れるために危険を冒す
決心をします。

“68年 1月21日の北朝鮮武装ゲリラ事件”というのは、
「シルミド」という映画の冒頭出てきた北朝鮮のゲリラ潜入事件です。
大統領府に乗り込んであわや大統領殺害に成功しそうになる。
その報復を決意した韓国側が特殊部隊を組織するのが「シルミド」。
ところが「大統領の理髪師」ではへんてこな下痢病騒動になってしまう。
劇中、あまりにうまく語られているのですっかり史実と思い込んでいたのですが、
まったくの創作だそうです。
軍政下、直接弾圧されたのは知識人たちですが、
言論の自由が無く、庶民も搾取されていたことは間違いありません。
それを作品では、あんなふうに風刺していたのですね。

イム・チャンサンは小津安二郎に心酔しており、
多大の影響を受けたとインタビューに答えています。
なるほど、決してカメラアングルの物まね等はしていないのですが、
作品の根底にあるヒューマニズムは小津作品の流れを汲むものであろうと納得できます。
売れっ子スターであるソン・ガンホが
新人の自分の作品に主演してくれるかどうか大変心配したとも言っていますが、
ソン・ガンホは、イム・チャンサンが書いた脚本がたいそう気に入り、
自らムン・ソリを食事に誘って共演してほしいと口説いたそうです。

ムン・ソリはソン・ガンホとは電話ひとつで食事にでかけるほど
親しい間柄ではなかったと打ち明けています。
球場で野球を観戦中に電話があり、途中で切り上げて会ったそうです。
ムン・ソリはソン・ガンホを俳優として尊敬しており、
妻役に是非と乞われて快諾しています。
また息子役のイ・ジェウンを「感の良い子がいる」と推薦したのも
ソン・ガンホだそうです。
イ・ジェウンは「殺人の追憶」の冒頭に登場しています。
ソン・ガンホはよほどこの作品が気に入ったのでしょう。

大泣きして“感動した”と叫ぶ作品ではありませんが、
ラストで父と子が青空の下、言葉を忘れて微笑みを交わす、
その幸福感は何ものにもかえがたいものがあります。

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