「Ray/レイ」
★映画基礎データー★「Ray/レイ」 2004年 アメリカ映画 監督 テイラー・ハックフォード 脚本 ジェームズ・L・ホワイト 出演 ジェイミー・フォックス |
★鑑賞状況と客層・客の入り★ 客の入りは九割ほど、そう大きな劇場での公開はないようですが、大学生くらいからシニア、ミドルのご夫婦。ティーンのカップル、グループ等以外を広く集めていました。 |
「Ray/レイ」を男四人のグループで見ました。
中に音楽好きが二人いて、映画の後、いろいろ話を聞きました。
「Ray/レイ」は
〈ソウルの神様〉レイ・チャールズのバイオグラフィーなので音楽主体です。
ある意味「オペラ座の怪人」と好対照です。
あれも映画の通常の文法から飛び出して音楽命の映画でしたから。
音楽のジャンルはまるで違いますが、
映画の中で音楽をどう使い、その事でどう音楽を語るか、
それぞれに戦ってるなぁと感心したのです。
1948年。17歳のレイ・チャールズ・ロビンソン(ジェイミー・フォックス)は、
南部からバスでシアトルへと向っていた。
当時、黒人はバスの座席が隔離され、停留所の売店もトイレも白人とは別だった。
レイはジョージア州で生まれた。
体の弱い母アレサ(シャロン・ウォレン)は
洗濯女をしながらレイと弟のジョージを育てていた。
二人は仲のいい兄弟だった。
しかしある日、
ジョージが大きな洗濯桶に落ちて溺死する。
驚きのあまりこれを呆然と見ていたレイにとって、
弟の死は生涯のトラウマになった。
レイが視力を失ったのはそれから9ヵ月後のことだった。
しかし、気丈な母はレイに「誰にも盲目だなんて言わせないで」と言い続けた。
シアトルに着いたレイは間もなく才能を認められ、ステージ、ツアーと大忙し。
初めて出したレコードもチャート入りした。
しかし、クラブの女マネージャーたちが世慣れぬ自分を利用して
荒稼ぎしていることに気づいたレイは町を出ることにする。
『Ray/レイ』の映画化に奔走してメガホンをとったのは、
アカデミー賞5部門にノミネートされた『愛と青春の旅立ち』の
実力派テイラー・ハックフォード監督。
ドキュメンタリー映画『チャック・ベリー/ヘイル・ヘイル・ロックンロール』(監督)や、
リッチー・ヴァレンスを主人公にした『ラ・バンバ』(製作)など、
音楽に造詣の深いことでも知られるハックフォードは、
映画化に際して「天才の複雑さや欠点を隠すことなく、すべてを見せたかった」と
語っています。
彼は15年間にわたってレイ・チャールズとの親交を深め、
本人へのインタビューをもとにこの作品のストーリーを書き上げています。
152分もの長い映画ですが、ドラマ的には前半部分の描きこみが優れています。
主演のジェイミー・フォックスは、
レイ・チャールズ本人の指名によってレイ・チャールズ役に決定した
とも聞きますが、本当に上手いです。
(バツクフオード監督が、候補のひとりだったジェイミー・フォックスを
本物のレイのところへ連れて行くと、ふたりは二台のピアノで曲を弾いた。
ジェイミーはファンクとゴスペロっぽいものを。
レイはセロニアス・モンクのジャズを。
ジェイミーがついてこれなくなるとレイは「さあ来い、どうした」と
厳しく言った。バツクフオードがジェイミーの起用を諦めかけた時
ジェイミーはようやくついていけるようになった。そしてレイは言った。
「そうだ、できるじゃないか。この子に決まりだ」と。)
『コラテラル』を未見なのでトム・クルーズ相手にジェイミーがどのくらい戦ったのかは
知らないのですが、彼はピアノは3歳のときから始め、
ピアノの奨学金で大学に進んだほどの音楽の実力があり、
レイ本人を再現するその独特の身振りや仕種などがきまっています。
全てのシーンで自分でピアノ演奏を貫いたそうですし、
撮影中、本当に目が見えなくなる目の補綴をしていたとも聞きます。
一日14 時間も盲目状態だったそうです。
レイのふるさとが絵に描いたような貧乏農場で、
びっくりしたんですが、
30年代のアメリカ南部というのは本当にこんな風だったんでしょうか?
保守系まるだしの運転手を丸め込んでなんとかシアトル行きのバスに乗せてもらおうと
ついた嘘が「戦争で負傷して見えなくなった」。
この程度の嘘は方便だけど、
画面に出てきて最初のセリフで人をだます主人公というのに少なからず驚かされる。
無名の黒人の盲目青年が冷たい世間をかいくぐって独りで生きていかなきゃならない。
その過酷な人生のエピローグとして観客に薄ら寒い思いをさせてシブイです。
シアトルのダウンタウンでトランペット片手のちんぴらのあんちゃんに声をかけられる。
こいつが後のクインシー・ジョーンズっていうくさい展開。こういうの好きですね。
はじめにシアトルでありついた仕事が場末の飲み屋の弾き語り。
これがまたとんでもなく小汚いカラード(黒人)専用の店ですが、
よく画面を見ますと、壁に貼られた煤けたポスター一枚一枚にも味があり、
美術のこだわりを感じます。
黒人同士のだましあい、足の引っ張り合いが早速出てきます。
店の女マネージャーとバンドの相方は、レイに人気者の素質があると見抜くや、
ぐるになって巻き上げにかかる。
やっとの思いで店を逃げ出すと、
1950年、
L・ファルソン・バンドの一員としてツアーを行っています。
身の回りの世話をしてくれたツアー・マネージャーのジェフ(クリフトン・パウエル)と、
仲間のミュージシャン、ファットヘッドはレイが心を許す親友になりますが、
この旅先でも、目の見えない彼から容赦なくギャラをごまかす輩が出て来る。
自衛のために「支払いはすべて1ドル札で」というと、
「ミスター1ドル紙幣」と仲間内でもせせら笑われる。
彼が麻薬を覚えたのもこの頃でした。
時おり、トラウマから水の幻覚を見ることもあった。
何か辛いことがあると、いつも思い出すのは母の言葉でした。
母はレイを決して甘やかしませんでした。
「盲目でもバカじゃない。施しは受けるな。自分の足で立て」。
涙を隠して厳しく教育した母のおかげで、
レイは「耳で見る」ことを学びます。
レイは白い杖をつかないのですね。
耳で聞くから杖要らず。
後の奥さんになるデラ・ビー(ケリー・ワシントン)とお茶する場面で、
店の窓の外を飛ぶはちどりの羽音の話をしています。
ほとんどレーダー並みの地獄耳。
駆け出しのころは環境に恵まれなくて苦労しますが、
音楽の力ははじめからあって人気がかげることはないです。
ゆえに痛い目にあっても、それで悲壮な感じにはならない。
1952年。
アトランティック・レコードの
アーメット・アーティガン(カーティス・アームストロング)がレイのもとを訪れます。
良い契約条件を切り出すアーメットを逆に品定めするレイ。
これまで盲目ゆえに何度も煮え湯を飲まされてきた彼は、
いつの間にか抜け目のないビジネスマンになっていました。
しかし、レイの音楽は
まだナット・キング・コールとチャールズ・ブラウンの物まねに過ぎなかったのです。
1953年。レイはゴスペル・シンガーのデラ・ビー(ケリー・ワシントン)と出会った。
仲間から「手首を触って美人を見分ける」と言われていたレイは
あっという間に恋に落ちた。
レイは彼女のために、神聖なゴスペルで恋の歌を歌います。
デラ・ビーは不謹慎だと眉をひそめたが、
カテゴリーにこだわらないレイの音のパワーは圧倒的でした。
54年、“アイ・ガット・ア・ウーマン”によってゴスペルと
R&Bを融合させた〈ソウル・ミュージック〉が誕生します。
一緒に見に行った人も3年ほどゴスペロをやっており、
ソウル・ミュージック誕生のいきさつも知っていましたが、
映画ではゴスペル好きの人々からレイは「神への冒涜だ」と怒鳴りつけられる
場面が出てきましたが、
彼曰く「ゴスペルとソウルは相互に影響を与え合い進歩する関係だったので、
映画のような露骨な対立はなかったはず、あれは脚色されたものでは?」
裏が取れていない話なので私にはコメントしかねます。
オリジナリティにかける、というのはビッグ・アーティストを目指すなら、
かなり厳しい欠点のはずですが、
生きていくためにはウケないと仕方ない(ものまねで何が悪い)、と当人は
アトランティック・レコードのプロデューサーらにこともなげに言っています。
上昇志向がないのかと思うと急にゴスペルの独自アレンジで歌いだす。
根っからの天才なのか?
弟殺しのトラウマには苦しめられますが、音楽的な葛藤がないように見え、
ミュージシャンとしては何ぼの者か、正直言って
ファンではない私には判断付きかねました。
天才でしかない人物というのは、逆に描きようがないのでは?
そろそろねたばれ改行します。
レイはデラ・ビーと結婚します。ビーは子供を作りたがったが、
ツアーに追われるレイは、
良い父親になる自信がなかった。ヘロイン依存も進んでいた。
やがて妊娠したビーは、ヘロインをみつけてレイを激しく問い詰める。
しかし、彼は「やめない」とがんとしてうけつけなかった。
今の彼の音楽にとってそれが必要なものだというのだ。
やがて息子ジュニアが生まれたが、
レイはバック・ボーカルのメアリー・アン・フィッシャー
(アーンジャニュー・エリス)と愛人関係にあった。
ステージで愛の歌「メアリー・アン」を歌いながら、
家では良き父親を演じていました。
57年、レイはボーカル・トリオ、レイレッツと契約し、
その一員マージー(レジーナ・キング)を新しい愛人にします。
マージーはレイが止めるのも聞かずヘロインに手を出し、酒に溺れていった。
59年、一家はロスに移り、二人目の息子も誕生した。
レイはABCレコードから移籍の話を持ちかけられ、
録音マスター盤の保有権と純益の75%という破格の好条件で契約を結んだ。
60年には「我が心のジョージア」を発表。
評論家が「大衆化した」と評したこの曲は、レイに初のグラミー賞をもたらします。
ABCレコードに移籍するあたりから、
映像の中から泥臭いものがすべて姿を消して行きます。
画面に登場する白人の数がどんどん増えていき、黒人が姿を消して行きます。
レイがビック・ネームになるに従いドラマは黒人青年の
普遍的なサクセス・ストーリーから、
一個人史へと変貌していきます。
出てくるものは豪華なのに、世界観は逆に小さくなっていく感じです。
レイ・チャールズ・ファンは名曲の裏話などが見れて楽しいでしょうが、
ファン以外はしだいに眠気を催してきます。
アトランティック・レコードを去るところも、レイが恐ろしくクールで
商売人むき出しです。
映画鑑賞後に一緒に行った者から聞いた話では、
アメリカのレコード会社はアトランティックのような
各地のローカル・レーベルとABCのような全国規模のものと、
はっきり住み分けられているようですね。
日本では大手と中小の差はあっても、
県単位のレコード会社などというものはないので、
仕組みが違うということです。
ローカル・レーベルとはいえアトランティックのメンツは無名のレイを
対等のミュージシャンとしてきちんとした契約書を取り交わし、
レコード録音の時も、「もっと個性的に」とだめだしして、
一方で長すぎる曲をレイが持ちこむと、
A面B面、両面使うというアイディアをひねり出したりと戦っている。
レイとは音楽の戦友だと思っていたのに、レイはより美味しい契約を持ってきた
ABCに鞍替えする。
しかもだよ、アトランティックがぐずぐす言わないように、
「マスター盤をよこせ」とシナトラもびっくりの条件をABCに飲ませてしまう。
昔の義理人情で引きとめようとするアトランティックをひと蹴りする。
冷たいやつだなー、と思いましたが、
逆に言うと、そういうクールさがあるからこそ全国区に躍り出られたわけで、
そしてそういう事実があったことをきちんと描く映画のフェアさは
やはり評価すべきでしょう。
名声の裏で、ヘロイン浸りの荒んだツアー生活が続いた。
やがてマージーが妊娠するが、レイが離婚に応じなかったために去っていった。
61年、ジョージア州オーガスタで差別反対デモに出くわしたレイは、
黒人を隔離するコンサートの中止を決意する。
契約違反で大金を失い、ジョージア州から永久追放を宣告されます。
どうやらこれで公民権運動の先駆者となったようですが、
なんだか唐突に運動家を名乗りだすようであんまり面白くないです。
62年、レイはカントリーに転じた。大方の予想に反して公演は大入り。
64年にかけてヨーロッパ・ツアーも成功させた。
一家はプールつきの豪邸に引っ越した。
そんな時、マージーの死の報が入る。クスリが原因だった。
妻の前でも涙を隠さないレイ。
彼はマージーが生んだ子供に毎月養育費を送っていた。
後半、
名曲をたっぷり聞かせる演出に変化していくようでもあります。
母親や最初の店のマダムとか、女優さんたちがいずれも熱演して、
できも良いのですが、特に後半のマージー(レジーナ・キング)が良いです。
レイと怒鳴りあいの喧嘩になり、それが名曲誕生にっていうのは、
裏話としてファンの間ではたぶん有名なのでしょう。
レイは新しいマネージャー、ジョー(ハリー・レニックス)の薦めにより、
さらにビジネスにシビアになっていった。
遅刻したファットヘッドに罰金を課し、使い込みをしていたジェフを追放した。
忙しすぎて家庭を顧みることもなかった。
65年、モントリオールからボストンの空港に降り立ったレイは、
麻薬の密輸で逮捕される。
レイは自発的に更正クリニックに入った。
つらい禁断症状の幻覚の中に、
弟ジョージへの思いが「水」となって表れた。
「心が盲目だった」という母の言葉を聞いて、
レイは改めて母の大きな愛を感じる。
レイは麻薬から立ち直った。
しっかし、似たようなヤク中なのに、レイが平気でマージーが自滅するという
その違いが納得しがたいです、と思っていたら、
厚生施設に入ったレイが悪戦苦闘。
水の幻覚もわっと出てきて日ごろの悪行の報いを受けます。
おっかさんが出てきて世界がきれいに閉じて幕です。
作劇的には、うまいことまとまっていますが、
予定調和と取れぬこともない。
まあ、伝記ものでしたらこの作品は上出来の部類ですが。
この時からレイは40年間も音楽界の頂点に立ち続け、
グラミー賞を12回受け、世界で最も敬愛されるミュージシャンとなった。
1979年、ジョージア州議会はレイの名誉を回復して帰郷を認め、
「我が心のジョージア」を州歌にしています。
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