「連理の枝」

「連理の枝」映画チラシ★映画基礎データー★
「連理の枝」
2006年 韓国映画
監督脚本 キム・ソンジュン
主演 チェ・ジウ

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若き青年実業家ミンス(チョ・ハンソン)は、
女性たちの憧れの的でありながらも、愛をゲームとしか思えず、
しばらく楽しんではすぐ飽きる無意味な出会いを繰り返すだけだった。
今日も二股がばれて女性から詰め寄られるが気にもしていない上に、
運転の最中でも隣の女性ドライバーにアプローチをして、
追突事故を起こしてしまう。
親友のキョンミン(チェ・ソングク)に無理矢理、病院に連れて行かれる途中で、
にわか雨で立ち往生しているヘウォン(チェ・ジウ)と出会う。
水を跳ね上げてしまったお詫びに車で送ることを申し出たミンスは、
早速ヘウォンを口説き始めるが、彼女は目的地の病院でさっさと降りてしまう。
落胆するミンスだったが、
車のシートにヘウォンの忘れていった携帯電話を発見する。

ヘウォンはお茶目さで病院の人気者だ。
今日も厳格な看護士長(ジン・ヒギョン)の名をかたって、
彼女が片想いをしている医者(ソン・ヒョンジュ)への恋心を
ラジオの生番組で訴えていた。
それを聞きつけた看護士長の逆鱗に触れ、
あわてて近くの病室に逃げ込む。
そこはヘウォンを追って検査入院しているミンスの病室だった。
近づく看護士長の足音にあせるヘウォンをからかいながらも、
ミンスは医者と一緒に機転を働かせて、窮地を救う。
ミンスは、ヘウォンの携帯電話をなくしたと嘘をつき、
弁償するために買い物に誘う。
携帯を選びながらころころと表情の変わるヘウォンを楽しげにみつめるミンス。
難癖をつけてきたチンピラから逃げるのさえも楽しそうな二人。
そのままお互いの親友キョンミンとスジン(ソ・ヨンヒ)も呼び出して、
一緒に飲むことになるが、
スジンは思わぬ誤解からキョンミンを痴漢と間違えてしまう。
そんな気の強いスジンにキョンミンは一目ぼれをし、
スジンも不器用ながらも優しいキョンミンに好感を抱く。
そしてミンスもヘウォンの外見からは想像もつかない
飲みっぷりに新鮮な印象を受ける。
検査入院を終えたミンスは、
ドライブインシアターや釣りへとヘウォンを
病院から連れ出してはデートを楽しんでいた。
純粋で明るいヘウォンと会ううちに、ミンスの心の中に、
今まで知らなかった感情が生まれてくる。
それは彼にとってはじめての「恋」だった。

ある雨の日、二人で出かけた動物園でヘウォンが突然倒れる。
緊急治療室に運ばれた彼女を
呆然と見つめるミンスに医者が静かに語りかけた。

チ・ジゥ主演の純愛モノです。
難病モノですが、病気そのものの描写は申し訳程度しかありません。
実在の病気かどうかも怪しいものです。
ある意味、「私の頭の中の消しゴム」の対極にある難病モノじゃないかと
思いますね。
あちらはコンビニで、どしんと衝突するのが出会いで、
こっちは雨の道路で車の雨水を跳ね上げるのが出会い。
男性は土木建築業(無骨無愛想) VS 
ゲーム会社のクリエーター(二枚目でプレーボーイ)。
屋台で飯食ってバッティングセンターでデート、
おしゃれなラウンジで自作のカクテルを振舞う。

こんな風に書いていくと、
「連理の枝」の方はバブルの頃のトレンディドラマみたいです。
プレーボーイが真実の愛に目覚めるという、
古くからある恋愛もののパターンを古く見せないためにいろいろ道具立てを
工夫するからそうなるのでしょう。
そこから難病モノのストーリーへ急転直下するわけですが、
クッション代わりに置かれたキョンミンとスジンの恋愛が
面白いです。
スジンは映画撮影所のメイク担当で、時代劇を撮っている。
スジン会いたさに撮影所にやってきたキョンミンが端役出演する
ことになる。
そんな都合のいい話は無いですが、時代劇撮影所ギャグが結構楽しい。


タイトル『 連理の枝』の由来は、
<白居易「長恨歌」から、男女の契りの深いことのたとえ。
夫婦の仲のむつまじいこと。
「長恨歌」は中国、唐代の長編叙事詩。白居易作。806年完成。
唐の玄宗皇帝と楊貴妃の恋愛を描く。
日本でも古くから愛誦(あいしよう)され、
源氏物語を初め日本文学に大きな影響を与えた。(三省堂国語辞典より)> 

「長恨歌」の終わりの部分は在天願作比翼鳥,在地願爲連理枝。となっており、
「連理枝」=「連理の枝」という語句があります。
(あなたのPCで文字化けしたら御免あそばせぇ。)

天に在りては 願はくは  比翼の鳥と 作(な)り,
地に在りては 願はくは  連理の枝と 爲(な)らん。 と訓読し、
私たち二人は、もし天にあるものならば二羽が互いに翼を並べる鳥のようになろう。
地にあるならば、枝を連ねて離れない連理の枝のようにいつまでも離れないでいよう。
という意味になります。

ドラマ後半のクライマックスで登場する牛島は、
済州島から更に船に乗って行かねばならぬ離島で、撮影は強風と変わりやすい天気に
翻弄され通しだったようです。
出てくる枝が絡まってひとつになってしまった立ち木はオープンセットとして作られた
模造品の木ですが、
撮影後、済州島観光局に寄贈され、いまやアベックの立ち寄る名所になっている模様。
牛島は、ヘウォンの実家のある場所ということになっていて、
父親も登場しますが、ドラマ的に父親は必要だったんでしょうか?
普通の難病モノにしないために、もうひとつどんでん返しがあります。
ネタばれ改行です。







ふたりで一人となったため、片方が死ねば、もう片方も生きてはいけないという、
オチになるわけで、ここで半身が朽ちた木が残り半身も朽ちて倒れ、
<連理の枝>の理屈通りになるわけですが、
すさまじく強引です。
日本でヒットした「世界の中心で愛を叫ぶ」の映画版は、
自分を忘れて、あなたはあなたの人生を生きてほしい、というのが
最後の恋人のメッセージであったことがわかってエンドでしたから、
<連理の枝>とは正反対です。
よもやヘウォンはミンスの死を望んだりはしていませんけど、
彼の死を知りつつ口に出来ぬまま先に死んでしまうというのは、
いかにも無念の最後です。
ラストで<連理の枝>の袂で、ヘウォンの伝言を聞いたミンスは、
いったいどうすればよいのでしょうか?


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