「スーパーマン リターンズ」

「スーパーマン リターンズ」映画チラシ★映画基礎データー★
「スーパーマン リターンズ」
2006年 アメリカ映画
監督 ブライアン・シンガー
脚本 マイケル・ドハティ ダン・ハリス
主演 ブランドン・ラウス

mixi(ミクシー)「独身社会人映画ファンコミュニティ」に入ろう!

遥か昔に滅びた惑星で生まれたスーパーマンは、
カンザスの“ケント農場”で養父母に育てられた。
少年カル=エルはケント・クラークという新しい名をもらい、
地球の人間の中で育ったのだが、地球人ではない。
普段は穏やかで控えめなケント・クラークとして生き、
世界に求められるときには、“鋼鉄の男”に変身するのだ。

だが、5年前にスーパーマンは謎の失踪を遂げた。
彼のいないメトロポリスでは犯罪が急増。
さらに、スーパーマンの宿敵レックス・ルーサーが刑務所から出所していた。

デイリー・プラネット紙の花形記者であり、
スーパーマンの生涯の恋人ロイス・レインは、
スーパーマンがひと言も残さずに姿を消してから、過去を振り返らずに生きていた。
署名記事「なぜ世界はスーパーマンを必要としないか」では
ピュリツァー賞まで受賞している。
そして、今の彼女は、編集長の甥との婚約や、幼い息子の養育など、
ほかに重要な問題を抱えていた。

スーパーマンは、はるか故郷の滅亡したクリプトン星の残骸が漂う星域を訪れ、
同胞の生き残りがいないか探す長い旅を終え、ケント農場、
彼が知る唯一の家族のもとに戻る。
「何も無かった。誰もいなかった」
独り待つ養母に悲しい報告をするクラーク。

そして彼の運命はメトロポリスにあった。
民間スペースシャトルがロイスら報道陣を乗せての初飛行で事故を起こして
高高度で炎上する。
落ち行く先はメトロポリス!
スーパーマンは青いケープを靡かせ雄雄しく大空に駆け上がる。


長らく次作が待ち焦がれてきた「スーパーマン」シリーズの第5弾の登場です。
二十年近くたって映画は復活したのでその名も『 スーパーマン リターンズ』。
企画では「SUPERMAN V 」とも知られています。
 スーパーマンのはまり役クリストファー・リーヴが落馬事故・全身不随・死去という
悲しい結果になって、新スーパーマン俳優がずっと模索されてきました。
(「リターンズ」のエンディングに
“クリストファー・リーヴ夫妻に本作を捧ぐ”とあります。)
選ばれたのは新人のブランドン・ラウス。
体格もマスクもデビューの頃のクリストファー・リーヴに似て、美男子の好青年で筋肉質。
ロイス・レインにはケイト・ボスワース
(『ビヨンドtheシー 〜夢見るように歌えば〜』『ブルークラッシュ』)
レックス・ルーサーにはケヴィン・スペイシー
(『アメリカン・ビューティー』(アカデミー賞主演男優賞)、
『ユージュアル・サスペクツ』(同賞助演男優賞))
という豪華メンバーがキャストされています。

監督は、『ユージュアル・サスペクツ』、「X−メン」シリーズの
ブライアン・シンガーです。
子供の頃から「スーパーマン」の熱狂的なファンでもあったシンガーが、
最新の映像技術によって、悲願の「スーパーマン」を時代の先端に甦らせています。
 
脇役達をいま少し紹介すると
「デイリー・プラネット」編集長ペリー・ホワイト役に
『ドラキュラ』『グッドナイト&グッドラック』のフランク・ランジェラ。
地球の母マーサ・ケント役に『波止場』(アカデミー賞主演女優賞)
『北北西に進路を取れ』の往年の名女優エヴァ・マリー・セイント。
新聞社の同僚で親友のジミー・オールセン役に
『デトロイト・ロック・シティ』のサム・ハンティントン。
ほかに『きみに読む物語』のジェームズ・マーズデン、
『ドッグ・ショウ!』のパーカー・ポージーなどが顔を見せています。

この作品の企画は難航したんです。
ハリウッドの実現不可能企画のトップに挙げられるという不名誉に長年甘んじてきました。
「SUPERMAN V 」製作が1990年代中盤に計画された時には、
ティム・バートを監督に
(ティム・バートンのコープスブライド (2005)』『スリーピー・ホロウ (1999)』等)に、
スーパーマン役にニコラス・ケイジ(『アダプテーション (2002)』等)、
レックス・ルーサー役にはジャック・ニコルソン
(『アバウト・シュミット (2002)』)
ロイス・レイン役にサンドラ・ブロック
(『トゥー・ウィークス・ノーティス (2002)』
『デンジャラス・ビューティー (2001)』等)が考えられていたといいます。
(ニコラス・ケイジが配役されたエピソードはかなり有名なので、
ご存知の方も多いことでしょう。)

“くだびれちゃった中年男スーパーマンの復活”
といったコンセプトで脚本が用意され、
ワーナーブラザーズ幹部もそれ以前の企画より数段優れていた為、
大いに乗り気になっていたのですが、
企画の一部が公表されると、往年のスーパーマン・ファンが猛反発。
署名運動、キャンペーンを張って抵抗。
ワーナーブラザーズも撤退を余儀なくされ、すべてが白紙に戻されました。

そのあとかなり長期の混迷が続くのですが、
やがてブレット・ラトナー(『ダイヤモンド・イン・パラダイス (2004)』
『レッド・ドラゴン (2002) 』等)が監督の有力候補となります。
スーパーマンの父親ジョー=エル役にアンソニー・ホプキンス
(『ハンニバル (2001)』『M:I−2 (2000) 』等)が決まっていたのですが、
この時期のスーパーマン役探しがまた難航を極め、名前がわかっているだけでも、
ジョシュ・ハートネット
(シン・シティ (2005)』『ハリウッド的殺人事件 (2003) 』)
ポール・ウォーカー
(『NOEL ノエル (2004)』『ワイルド・スピードX2 (2003)』)
マシュー・ボーマー (『フライトプラン (2005)』)、
ブレンダン・フレイザー
(『愛の落日 (2002)』『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド (2001) 』)
アシュトン・カッチャー
(『バタフライ・エフェクト (2004)』『ジャスト・マリッジ (2003)』)
イアン・サマーハルダー
(『Uボート 最後の決断 (2004)』『ルールズ・オブ・アトラクション (2002)』)
ジェリー・オコンネル
(『カンガルー・ジャック (2003)』『ミッション・トゥ・マーズ (2000)』
ヘンリー・カヴィル(『モンテ・クリスト伯 (2002) 』)、デヴィッド・ボレアナズ…
と、多くの候補が現れては消えていきました。
ラトナー監督とワーナー幹部の間で妥協点が見出せず、
ラトナー監督が辞めるとアンソニー・ホプキンスもそれに倣って降板しました。
ラトナー監督は最近「X-MEN:ファイナル ディシジョン」の監督を引き受けています。

その後、監督は『チャーリーズ・エンジェル』シリーズで颯爽と映画界にデビューした
マックGに一旦は収まったのですが、
予算とロケ地の点でワーナーブラザーズ幹部と意見が対立します。
ワーナーはオーストラリアを主要ロケ地にしたいと思っていたのですが、
マックGはアメリカ精神を他の大陸で表すのは不適当だと考えていました。
で、結局「X−MEN」シリーズのブライアン・シンガーが監督に。
降板したブレット・ラトナー監督が「X-MEN:ファイナル ディシジョン」を
監督するという入れ替わりの皮肉な結果に。

ライアン・シンガーはロケ地にこだわりは無かったようで
人件費や資機材費の安い
オーストラリアのシドニーの街が小道具や大道具でニューヨーク風に染められ、
実際ロケされています。
ケント夫妻の農場は、オーストラリアの
ニューサウスウェールズ州のタムワースで撮影されました。
撮影スタッフはここでトウモロコシを栽培して12週間後に収穫できたといいます。

さて話を戻して、
その後、スーパーマン役候補は
ジェイソン・ベア(『THE JUON/呪怨 (2004)』)
ジャレッド・パダレッキ
(『フライト・オブ・フェニックス (2004)』『ニューヨーク・ミニット (2004)』)
が考えられていました。
ロイス・レイン役にはエリシャ・カスバート(『蝋人形の館 (2005)』)、
クレア・デインズ(『めぐりあう時間たち (2002)』『17歳の処方箋 (2002) 』)
ケリー・ラッセル(『ママが泣いた日 (2005) 』)
ミーシャ・バートン(『シックス・センス (1999) 』『ノッティングヒルの恋人 (1999) 』
キーラ・ナイトレイ
(『ラブ・アクチュアリー (2003) 』『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ)
スカーレット・ヨハンソン
(『ロスト・イン・トランスレーション (2003)』『マッチポイント(2005)』)
らが候補になっています。
脇役ですがカメラマンのジミー・オールセン役には
エリック・クリスチャン・オルセン
(『セルラー (2004)』『パール・ハーバー (2001) 』)
トファー・グレイス(『モナリザ・スマイル (2003)』)
ショーン・アシュモア(『X−MEN』シリーズ)
シア・ラブーフ
(『チャーリーズ・エンジェル/フルスロットル (2003)』『コンスタンティン (2004)』)
が挙がっていました。

どの時期の候補も、その時代を代表する売れっ子ですが、
ケヴィン・スペイシーの前に驚くなかれ、レックス・ルーサー役
とジョー=エル役とにジョニー・デップ
(『チャーリーとチョコレート工場 (2005)』『シークレット・ウインドウ (2004)』等)
まで考えられていたそうです。
(最終的にはジョー=エルは、旧シリーズの映像をデジタル技術で新作に使用し、
言ってみればデジタル・マーロン・ブランドが登場しています。)
ジョニー・デップについては
ルーサーとジョー=エル、どちらかにという話か、
ダブルキャストということなのかは分かっていません。
検討脚本の中で父と敵とは瓜二つという設定だったのかも…。

この時期のスーパーマン役に
ジェームズ・カヴィーゼル(ジム・カヴィーゼル)
(シン・レッド・ライン (1998)』『G.I.ジェーン (1997)』等)が
自ら盛んに売り込みを仕掛けていたとも言います。
ですが、ブライアン・シンガー監督はカヴィーゼルが
『パッション (2004)』で主演してから顔が売れすぎて
新鮮味が無くなったと感じて配役を拒んだそうです。
そして最終的に公開作のキャストに落着しています。

一番初めのニコラス・ケイジ版も結構見てみたかったりします。
ですが、基本的にスーパーマン・ファンは映画ファンの中でも
存外保守的でキャラクターの書換えを良しとしなかったのでしょう。
ネタバレ改行です。





新作の中でジュニアの問題が出てきますね。
ニコラス・ケイジ版の検討以前から、
スーパーマンの息子、についてはアイディアが検討されていたようです。
スーパーマンの本名はカル=エルですが“星の子”という意味になるのだそうです。
子であって大人ではない。カル=エルが大人になったらどうするの?
彼は最後のクリプトン星人なんですよ。
クリプトン星で亡くなった父から、正義・知性・理性のソウル(魂)を受け継ぎ、
ケント農場の養父母より、愛と友情、いつくしみの心を学んだクラーク・ケントが、
そのすべてを次世代に引き継ぐストーリーは、
いろいろな姿で脚本が書かれています。
なかでも多いのが、
非業の死を遂げたスーパーマンは、ロイスの腹の子に、
ソウルを引き継ぐことが出来ず、
超能力のみ持ったジュニアは、むしろ人類の敵となり、
それが自分のルーツを知って自我に目覚めるまでのストーリー
という奴をいろいろなプロセス、エピソードで描くもので、
スーパーマン当人は出番が少ないか、まったく登場せず、
むしろスーパーマン・ジュニアの青春の悩み、葛藤を特撮で見せ、
最後に愛と正義に目覚めたジュニアが父の青いケープを引き継ぎ、
青空高く、力強く、飛んでいく姿でエンド、という
保守的なアメリカ人が大好きな父と息子のドラマに仕立て上げようという企画が
有望視されていました。
それはそれで感動して泣けるでしょう。

なるほど、こうした脚本があったことを思えば、今度の「リターンズ」の後半の
びみょーな展開が理解できますね。
でもスーパーマン当人を存在しないもの、として描くのは、
ブライアン・シンガー監督の好みではなかったようです。
シャトルをスタジアムに無事、着地させると、
野球を見に来ていた大観衆が、スーパーマンの帰還に熱狂喝采する場面に、
旧作のメインテーマがドドドーーーッと被る場面はそりゃあかっこ良かったです。
監督自身、これが見たかったんでろうなぁ。
リターンズ、帰還、復活。

旧作の第1作ではスーパーマンとケントがロイスの前で、恋の三角関係になってしまう、
というのが出てきて、結構先の話まで引っ張るのですが、
新作ではそれがないです。
ロイスに恋人がいるから。
あー、ちょっと待ってください。そういう人物設定上の都合でなくて、
5年ぶりに戻ってきたスーパーマンは自分の居場所が失われていることに
気がつくのですね。
ロイスがピュリツァー賞を受賞したことになっている著書は、
ヒーロー不要説、あるいはヒーローは死んだという内容ですよね。
スパイダーマンでもバットマンでも、現代のヒーローとは何ぞや、
がテーマになっています。
これをやっぱりスーパーマンでも、“長い不在”というプロセスを生かして、
検討しようとしています。
スタジアムで喝采されたあと、ドラマは小康状態に入ります。
ヒーローは基本的に孤高の人、なんですが他の有名ヒーロー達以上に、
スーパーマンは孤独に弱い奴です。
寂しくて夜の宇宙に飛び出したスーパーマンは、
レーダーみたいな超能力の耳で地上の混乱を耳にしてしまう。
助けを求める声を無視できないみたいです。

マーロン・ブランドが北極の孤独の要塞でしゃべってる内容に注意すると、
「してはならないことーー歴史への干渉」という言葉が出てきます。
彼の超能力を持ってすれば、国際紛争のひとつやふたつ解決できそうですが、
それはしない。
親父さんの教えを守って、地道に災害救助に駆け回ったりしている。
ヒーローは政治を語ったりはしない、
のですが、それよりも、庶民のささやかな幸せを守る為に戦ってこそ
ヒーローなのでしょうか。
少なくとも旧作、新作を通じてスーパーマンは人の情愛を大切にし、
それを脅かすものに主体的に立ち向かっているように見られます。
それと悪人でも警察に引き渡すところで懲罰は終わっています。
また映画としての展開上も悪の死をもって終わるエピソードは無かったものと
記憶しています。
(事故死、自滅もないです。死にそうになるとむしろスーパーマンが助けてしまう。)
彼は、そして製作者達は、悪人の改心に期待しているのでしょうか?
あるいは“目には目を”の無常を感じ取っているのでしょうか?

スーパーマンの願いはリターンズの後半、人々に通じたかに見えます。
彼が倒れた時、メトロポリスの人々は彼を救おうと全力を尽くします。
その正体を知らぬのに、人に対する医療と同じ手当てをしようとするところが、
考証的にはおかしい筈なのにあんまり違和感を感じませんし、
むしろヒーローを痛んで病院を取り囲む群衆にシンパシーを感じます。
人陰から見つめる養母の姿に情を感じます。

見守る父、というスタンツが提示されて新作は終わっています。
正義が不滅であるように、ルーサーもまた懲りた様子がありません。
このふたつの前提で後続編づくりの布石は打たれたわけです。

リターンズで登場のジュニアの活躍がもっと見たかったというブログの書き込み等を
目にしましたが、あまり賛成できません。
せっかく若々しいスーパーマン俳優が見つかったのですから、
父と子の葛藤のドラマはしばらく先のお楽しみで良いのではないでしょうか。
幼きものを見守る守護神のような父、でアメリカ人ウケする続編が作れると思いますよ。


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