「さくらん」
★映画基礎データー★「さくらん」 2007年 日本映画 監督 蜷川実花 脚本 タナダユキ 原作 安野モヨコ 出演 土屋アンナ |
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男と女の求める全てがあった吉原遊郭。
あまたの廓に数え切れない程の遊女、そして花魁がひしめく中、
のちに伝説となったひとりの花魁がいた。
「なめんじゃねぇよ」と言い放ち、
気に入らない遊女に跳び蹴りを食らわす豪快な遊女"きよ葉"。のちの花魁・日暮である。
桜が満開の季節、大門をくぐり、
女衒のお蘭(小泉今日子)によって吉原<玉菊屋>に連れて来られた、
たった8歳の少女は"きよ葉"と名づけられる。
門外の桜は満開なのに、廓の中の桜は一本も咲いていない。
逃亡して暴れるきよ葉に
「吉原に桜が咲いたら、ここから出してやる」
とたしなめる店番の清次(安藤政信)だったが、
きよ葉はきっぱりと「てめえの足で吉原を出てやらあ」と言い放つ。
口が悪く、誰にもなつこうとしないきよ葉の面倒をみることになったのは、
気位が高く、絶世の美しさと知性を兼ね備えた完璧な高級花魁・粧ひ(菅野美穂)。
女だらけの世界に嫌気がさし、
きよ葉は脱走を図るがあえなく失敗。
厳しい折檻を受けても逃げ出すことをやめようとしないきよ葉。
だが、自分から「吉原一の花魁になってやる」と言ってしまう。
その気にさせたのは粧ひだった。
きよ葉に、相手に自分が思った通りの言動をとらせる"手練手管"を見せ付けたのであった。
そして、粧ひは金持ちの旦那に身請けされ、
全ての遊女が最も夢み、羨望するかたちで吉原を出て行く。
それは吉原の門を出て、遊女が生きられる、唯一の方法。
別れの日にきよ葉は粧ひから、彼女が身につけていたかんざしを受け継ぐ。
やがて、17歳になったきよ葉(土屋アンナ)は
「十年に一度の天女」と楼主が誉めるほどの女に成長し、店に立つ。
きよ葉のはじめての客「突き出し」の相手は玉菊屋一の上客であり、
花魁・高尾(木村佳乃)の馴染であったご隠居(市川左團次)。
鼻っ柱の強さと美貌が気をひき、一躍江戸中の注目の的となる。
そんな、きよ葉も初めて恋に落ちる。
うぶな青年・惣次郎(成宮寛貴)が
きよ葉目当てに玉菊屋を訪れ彼女を求めたとき、
きよ葉はどうしようもなく恋に落ちた。
惣次郎の前では弱さも本音も全て曝け出し、
ただひたすら彼といられることをこの上もなく幸せに感じていた。
遊女は偽りの愛を売る世界に生きるもの。
しかし、惣次郎と過ごす時間だけはきよ葉にとっては本物だったのだ。
そんな折、客の人気も愛する浮世絵師・光信(永瀬正敏)の心も
きよ葉に向きつつあることを知った高尾はある策略に出る。
それによって惣次郎との縁が引き裂かれたきよ葉は激怒し、
高尾と大乱闘になり、玉菊屋は騒然となるが、
店番の清次はなんとかきよ葉をなだめる。
「泣いても負け、勝っても負けだ」。
高尾はその後、光信との久しぶりの時を過ごした後、
愛しているからこそ、壮絶な決意を下すのだった・・・。
18歳になったきよ葉に楼主(石橋蓮司)と女将(夏木マリ)は花魁になることを願い出る。
とまどうきよ葉だが、清次の「お願いします。花魁」という言葉に心が動く。
きよ葉はその名を"日暮"と改め、
ついに玉菊屋を背負って立つ吉原一の花魁となる。
気に入らぬ客はどんなに身分が高くとも相手にしないかと思えば、
自分を本気で慕う男は心から大事に扱う日暮は
江戸中の男女の羨望を浴びるようになっていた。
そんな見事な日暮の花魁道中に心を奪われた男、
倉之助(椎名桔平)が玉菊屋を訪れる。
由緒正しい家柄の武士だ。
力の入る女将をよそに日暮は、
「物入りであろう」と悪気もなく小判を差し出す倉之助に向かって、
「そんなもので自分はなびかぬ」と一掃する。
倉之助は再び日暮を訪れた。
自分の無礼をただ詫びたいと申し出る謙虚な彼に、
素直に自分の非も認める日暮。
その晩から彼は日暮の馴染となった。
そしてある晩、彼は日暮を正式に妻として迎え入れることを申し出る。
だが日暮は「吉原の桜が咲けば、自分はここから出て行くつもり」とつぶやく。
その言葉を叶える為、ある朝、倉之助は本当に吉原を桜でいっぱいにした。
そしてあらためて身請けを申し出るのだが、それを断る日暮。
詰め寄る倉之助に、日暮は妊娠していることを告げる。
誰の子かも分からぬ子を産むということすらも、倉之助は受け入れるのだが・・・。
流産してしまった日暮を助け、励ましたのは、
幼い頃から見守り続けていた店番の男、清次だった。
何度も脱走を試みたときも、大失恋を経験したときも、
初めて客に愛されたときにも、いつも側にいたのは彼であった・・・。
一方清次も、倉之助による身請けが決まり、日暮に対する気持ちの変化を感じていた。
着々と身請け、輿入の準備は進められ、
春を迎えようとしている矢先、日暮にとって最も大事な客、
ご隠居が久しぶりに彼女を訪れた。
最後の客として。何かを見失いはじめていた日暮に、
ご隠居はある言葉を残して息をひきとる。
「咲かぬさくらはないんじゃよ」
その言葉に日暮は気がつくのだった・・・忘れていた一番大事なことを・・・。
そして日暮は自分の人生を生きる。
「てめえの人生、てめえで咲かす」っていう日暮(ひぐらし)の名セリフ、
どこで出てくんのかと待ち構えていましたが、出てきませんでした。
あれって宣伝用のコピーだったんですね。
原作の安野モヨコ。
どういう仕事をしていた人か、今回調べると、あの「働きマン」の作者だった。
「ハッピー・マニア」の方は読んでないけどねえ。
あの人の漫画、登場人物の目ぢから、強すぎんですよね。
さくらんもそう。
花街に生きるヒロインの一代記という意味では、
先行する「SAYURI」と比べると、ハウツウモノとしてのトータルの情報量は
ずっと少ないです。
時代劇なんかで既に知っている花魁さんなんかの日常から、
そう大きくはみ出す事はないです。
蜷川実花監督がフォトグラファーとしてどれほどの人か知ってるわけじゃありませんが、
もう手の出尽くしているであろう花街の色彩美をココまで徹底して見せてくれて
満足です。
美術ボードなどをパンフで見ましたが、良く書き込まれてますね。
アニメ並み。笑
土屋アンナあっての「さくらん」ですね。
アンナは「下妻物語」のインパクトが強すぎますが、
アニメのNANAでブラストが歌うNANAのボーカルは彼女の声です。
シャウトのし過ぎで上手いんだかへたっぴいなんだかロックアーティストとして、
何ぼのもんかわからんです。
蜷川実花監督はとにかくアンナの日暮を実にかっこよく見せてます。
そしてかっこよく見せるためにドラマがあって、映画になっている。
こうしたキャラクター優先主義というのは、劇画の世界だし、
アニメだし、テレビドラマの作法なんですけどね。
映画の掲示板などで、映像美に比べて脚本が弱いといっている人は、
映画的な作法と比較してるんでしょう。
監督はインタビューで答えてます。
「自分ではあまり時代劇を作ったって意識がないんですよね。
原作が安野モヨコさんの漫画で既に現代的なテイストが息づいた作品だから、
原作の空気感を大切にしつつ、
私の出来ることをどんどん足していくって感じでした。
原作に助けられたところは随分ありましたね。」
アンナが時代劇の言葉遣いしてないって事もありますし、
彼女はパンクというか、ロックアーティストそのものの花魁なので、
時代劇の様式美を使いつつもそこからはみ出してます。
映画化にあたり、
当時の遊女たちの生活が描かれた浮世絵を参考にしたと言う。
「浮世絵には遊女たちの姿が沢山残っているんですよ。
彼女たちの生活をリアルに読み取ることが出来て、とても面白いんです。
お客さんからの手紙を花魁が読んでて、
その周りを女の子たちがキャーキャー言いながら覗き込んでいたりとか、
休憩時間に火鉢を囲んでお菓子を食べたりとか、
髪の毛を結い合いっこしてる姿とか。
これって、女子校とかで見かける光景だと思いません?
江戸の吉原の遊郭の中で閉じ込められて生活している人たちっていうと、
現代に生きる私たちと接点が何もないような気がしますけど、
でもよく考えたら、
年下だけど同じ女性としてそんなに変わらないんじゃないかと。
これまでの吉原を舞台にした映画はどうしても男性の目線から描いているから、
女性にロマンを求めているというか…。
どちらかというと、幸薄い、女の業、恋に溺れて…
みたいなイメージのものが多かったでしょ。
それはそれで素敵だし、私自身好きな作品も沢山あるんだけど、
じゃあ女性の私が吉原を描いたらどうなるかなと…。
そんな風に突き詰めて考えていくと、
彼女たちの等身大の部分をきちんと描きたいなってトコロに行き着いたんです。」
等身大、というのが映画的に魅力があるものかどうかは疑問ですが、
男との話より、女同士のせめぎあいの方が印象に残ってるんです。
その謎は、このインタビューで理由が解けました。
学園ものって言うのは凄い飛躍ですが。笑
椎名桔平はインタビューで監督に対してこう答えています。
「画に対する迷いから、その分、役者の芝居とかに集中できる。
ニコニコして好奇心一杯の目をされて楽しそうに撮ってましたよ」
そして土屋アンナに対しては
「たいした女優さんだと思います。これだけキャリアを積んだ人たちに囲まれて、
それを引っ張っていくんだから。ひるまない自分を作ろうとする。
そういう律し方が強い。でも楽屋で顔をあわせると年相応の可愛い子」
監督はさらにアンナを持ち上げてますね。
「言いたいことをはっきり言って、
誰にも媚びずに好きなように生きているように見えて、
それでいて実はすごく弱くて…。
私ね、強さと弱さって同じだと思うんです。
今の世の中、女性が強くなったって言うけれども、強いだけじゃ成立しない。
同じだけ弱さも併せ持っているんじゃないかなって。
アンナもすごく強そうに見える分、同じくらい弱い部分を持ってたり…。
でも強くありたいと願い、
行動することが“カッコ良さ”につながるんでしょうね。
きよ葉もアンナも、破天荒で自由奔放で強くてカッコイイ女って思われがち。
だけど悩みを抱えていることや脆い部分があることも、
二人の共通項だと思うんですよ。
だからこそ、アンナでこの映画を撮ることが出来て良かったなって思う。」
ううむ、芝居としてはその弱い部分がパターンどおりで、
目を剥いて戦っている部分と比べるとつまんないんですけどねえ。
全部兼ね備えていたら、とっくの昔に主演女優賞を取っていたでしょうけど。
つまりですね、土屋アンナだからこれだけ面白くて、
土屋アンナだから限界が見えちゃったということですね。
初監督でそこまで行けちゃう蜷川監督はそれだけ凄いです。
でも監査業続けられるのでしょうか。
あっさり写真に戻ってしまいそうですが、
邦画界にとっては、是非続けてほしいですね。
日本映画の良さはまず撮影の…
以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
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にて「さくらん」の頁をご覧下さい。
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