「至福のとき」映画製作裏話
★映画基礎データー★公開名「至福のとき」原題「幸福時光」 2002年 監督:チャン・イーモウ 出演:ドン・ジエ チャオ・ベンシャン フー・ピアオ |
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「紅いコーリャン」でコン・リーを、「初恋の来た道」でチャン・ツィイーを発見したチャン・イーモー監督が、
中国全土に呼びかけ、実に五万人の応募者から一万人を面接して選んだという
全中華的究極美少女 ドン・ジエ(董潔) が主演。
このオニのような美少女に、全盲の薄幸の少女を演じさせるという実にヒキョーな作品です。(^^ゞ
人が生きていくうえで、疑ってはならない、笑ってはいけない幾つかの真実のひとつに
「いかなる逆境にあっても人の情けを尊び、生きるよすがとする心意気。」というのがあります。
この「至福のとき」はまさに、それをテーマにしてます。
「この子を探して」で十三歳の代用教員、ウェイ・ミンジが出稼ぎに来た生徒を捜し疲れて、
客の残した麺をすする姿にも涙させられましたが、
ラストで「これが私の人生の至福のときでした」、と語るヒロインに
もう観客は泣くしかありません。
東北地方の都会、現代の大連が舞台です。
いま中国は改革開放の高度成長経済の絶頂にありますが、
その経済成長の恩恵によくすること無き社会の底辺に生きる人々の生活のドラマです。
さえない中年男チャオ(チャオ・ベンジャン「始皇帝暗殺」)は嘘の多い男です。
失業中にもかかわらずしつこく十九回も見合いをして、
どうにか捕まえた太った中年女の気を引きたい一心で、「自分は社長だ」と言ってしまったのが運のつき、
失踪した前の夫の連れ子を押し付けられてしまいます。
失業男が見合いを繰返すと言うのは日本人のセンスでは奇妙ですが、
出てくるチャオの友人達もみな同じ閉鎖された工場の仲間たちで、
そろって失業中。
生活保護とかあって、一応食ってはいけるみたいですし、
中国では別に結婚できないほど深刻な状況ではない(?)みたいです。
チャオは友達のフーさんとともに公園の廃車のバスを手直しして
「至福の間」と称してアベックにラブホテル代わりに提供して小銭を稼ぐという
珍商売をしています。
シリアスドラマでなく、この作品はコメディなので、
ボロバス・ラブホテルが話の中で成立してしまっています。
中国では表だってラブホテルは存在しないことになっているそうですので、
こういうのもニーズありか?
この映画には「紅いコーリャ」のモー・イエンの書いた原作小説があるのですが、
原作小説ではこの「至福の間」に出入りする奇妙な客達の姿がメインのストーリーの様です。
リアリティでなく、現代中国の風刺なのでしょう。
映画でも押しつけられた前の夫の連れ子にここの店番でもやらせようと連れて来るのですが、
役所の依頼をうけた工事業者があっさりバスを撤去してしまい、
そこから先は映画のオリジナルです。
その女の子は十八歳の盲目の少女ウー・イン(ドン・ジエ)。
出てくる義母というのが、シンデレラの義母も逃げ出すようなあきれ果てた女で、
ウー・インを虐待する一方で、肥満で如何にも頭の悪そうなわが子を溺愛している。
チャオはこの義母の方に首ったけで、
当初、閉ざされた物置のような部屋で無表情すごすウー・インのことを
場違いな同居者を見つめる奇妙な目で見ています。
観客の方は別に何の予備知識も無く劇場の客席に身を置いたものでさえ、
すぐさまウー・インの孤立した状況に同情するのですが、
チャオは、女に「仕事を世話してやってくれ」と頼まれて迷惑顔です。
廃車のある公園へ出かけるバスの車内でもウー・インは無愛想に反抗的に振るまい、
チャオと怒鳴りあったりしています。
ウー・インの無表情には理由があって、病気で顔面の麻痺があり、
目が見えなくなったのも、その病気…頭の中に出来た腫瘍のためなのです。
フーさんと一緒にインチキ面接をしたチャオはその話を聞いてたいそう驚きます。
(失明するほどの大きな腫瘍なら、生命に危険はないのでしょうか?
作品の中では特にそのあたりについて言及はありませんが、
どうも彼女は長生きできそうな感じではないです。)
廃車を撤去されてやむなく義母のアパートに戻ってくると、
ウー・インの物置部屋は綺麗にペンキを塗られて
家具や玩具の並ぶ馬鹿息子の部屋になっていました。
「戻ってこられても困る。あんた(チャオ)の所で引き取ってくれ」
義母の言葉にウー・インは後先考えずに夜の街へ飛び出していきます。
追いかけるのはチャオのみ。
車の行き交う大通りの真ん中で立ち往生している彼女を自分の安アパートに連れていきます。
が、「ここは私のホテルの従業員の寮だ」とまたしても嘘を。
部屋を彼女に明渡してしまったチャオはいったん外に出て、
こっそり夜具を取りに戻りますが、ウー・インにドアを閉められ部屋から出られなくなり、
小さなベランダで丸くなって寝る羽目に。
チャオは失業者仲間に声をかけて相談、
閉鎖された工場の中に偽物のホテルのマッサージルームをでっち上げ、
そこでウー・インにマッサージ師をやらせるのでした。
チャオがうそをつくたびに、今度は仲間全員が四苦八苦し、
加速度的に窮地に追い込まれていく様子が連続爆笑ものです。
かたくなだったウー・インに表情の変化が見られるようになり、
少しずつ笑顔を取り戻していきます。
いってしまえばこれは人情喜劇の構造で展開するベタな話なのですが、
演出の切れ、カット割の絶妙さなどで上手い具合に観客をのせてくれます。
はじめてカメラの前に立ったドン・ジエは、事前に盲人と二月同居生活をして
リサーチしたそうですが、
チャン・イーモー監督はこの当時19才のこの新人女優に
「上手く行かなくても、それはあなたを選んだ私達の責任」と励まし丹念に演出しています。
チャン・イーモー監督は1950年西安生まれ。
文化大革命時代は下放され、農場で3年、紡績工場で7年働いています。
成績優秀ながら年齢制限オーバーのため入学拒否された北京電影学院撮影科に
文化省の長官に手紙で訴え、78年入学を許可され映画界に進む足がかりを得ています。
革命の荒波にもまれ、先の見通しの無い苦しい下積み時代を経てこられた人です。
監督の作品は大抵、弱者をあるいは社会からはみ出して生きざるを得ぬ人達の姿を追っています。
チャオとウー・インの距離が縮まるのと反対に、カメラは少しずつ二人の傍から離れていきます。
ウー・インはうすうすチャオ達の嘘に気がつき始めるのですが、
街頭でアイスキャンディーを手にして「もっとお金を稼いで目を治したら」
チャオの顔に手で触れて、「1番初めに見たいのが父さんと社長(チャオ)の顔」と
言いきります。
ここはどうやら隠しカメラで撮られた様で、二人の姿は行き交う人々の中に見え隠れしています。
かつてコン・リーが「紅いコーリャ」の中で弱者の抵抗よろしく、
画面中央に仁王立ちになった頃とは、明らかにチャン・イーモーは作風が変わってきています。
新しい主人公達はけして声高に叫ぶのではなく、
何気なく誰にもかえりみられることもなく街角に立っているのです。
「幸せになりたい、せめて人並みに」
ほんのささやかな望みの筈なのに、手に入れるまでの道のなんと遠いことか。
以下、ネタばれ改行です。
そしてラスト。
文字どおり、たったひとりぽっちになってしまったウー・インは
「私は決してくじけない、あきらめない」と大連の町から去っていく姿から、
逆にカメラは離れようとしません。
すべては終わったのかもしれません。
すべてがはじまるのかもしれません。
ここは雑踏の群集に飲み込まれてちいさな点となって消えていくと言う演出もあり得た筈ですが、
カメラは彼女とともにあって、その旅立ちにエールを贈っている様に見えます。
理屈は単純でもっぱら感情に訴える作品です。
笑いや涙は人によって感受性にかなり違いがあります。
「自分はのれなかった」という書き込みが映画関係の掲示板に結構見られたことも
あったのだという事は念の為、申し添えておきます。
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