「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」

『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』映画チラシ■作品基礎データ
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』
2008年 日本映画
監督:押井守
脚本:伊藤ちひろ
原作:森 博嗣「スカイ・クロラ」シリーズ(中央公論新社刊)
声の出演:加瀬亮
               

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物語は、主人公カンナミ・ユーイチ(声・加瀬亮)が、
欧州の前線基地「兎離洲」ウリスに配属されてくるところから始まる。
ユーイチには、その基地に赴任する以前の記憶がない。
同僚たちは彼を見て意味ありげな表情を浮かべるが、
それ以上、何も語ろうとしない。
ユーイチが知っているのは、自分が《キルドレ》であるということと、
戦闘機の操縦の仕方だけ。
初めて乗るはずの機体は体になじみ、
その優れた戦闘能力は、すぐにユーイチをエースパイロットの座へと押し上げた。

そんなユーイチを、熱いまなざしで見つめるひとりの女性がいた。
基地の司令官であるクサナギ・スイト(声・菊地凛子)。
彼女もかつてはエースとして戦ったキルドレのひとり。
まるでずっと、彼を待ち続けていたかのようなスイトの視線に戸惑いながらも、
ユーイチはスイトに惹かれてゆく。

一方、基地を取り巻く戦況は日増しに厳しくなっていった。
同僚パイロット・ユダガワの死。
ユダガワを墜としたのは、
機首に黒豹のマークが描かれた「ティーチャー」と呼ばれるパイロット。
彼は、絶対に勝てない敵として大空に存在する「大人の男」なのだった。
反撃に向かい、怪我を負って帰還するスイト。
傷ついたスイトが握り締めたユーイチの手。
ふたりは互いに理解を深めあい、激しく求め合ってゆく。

平和な大人たちの求める大規模な攻撃プロジェクトの中で、
仲間が次々に失われていく中、基地に新たなパイロットが増員されてくる。
新任のパイロットが新聞を几帳面に折りたたむのを見たユーイチは、
それが、かつて共に戦ったユダガワの癖だったことに気づく。
蘇ってゆくユーイチの記憶。キルドレが背負った、悲しく、切ない宿命の真実。

「愛しているなら、殺してくれる?」とせがむ、スイトの言葉の意味。
そのすべてが解き明かされたとき、
ユーイチは、自分たちに課せられた運命に立ち向かう決意をするのだった──。


『GHOST  IN THE  SHELL/攻殻機動隊』『イノセンス』の
押井守の新作『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』が公開されました。
原作は著作総発行部数1000万部突破のベストセラー作家・森博嗣の
人気シリーズに描かれる永遠の子供たち《キルドレ》の物語。
思春期の姿のまま成長をやめ、大人にならない彼らに約束された永遠の命。
原作を読んだ押井守の目に映った彼らは、
平和であるが故に生きている実感を持てない今の若者の姿そのものだったといいます。
押井監督は脚本を自らではなく
『世界の中心で、愛をさけぶ』『クローズド・ノート』の新鋭
伊藤ちひろに託しています。
音楽は『デスノート』『デスノート the Last name』『リング』の川井憲次。
アニメーション制作は「プロダクション I.G」。
主人公たちがさまざまな思いに揺れる地上シーンは、
手描きのセルアニメーションで表現。
彼らが命を懸けて戦う空では、最新技術を投入した3DCGによる、
圧倒的な戦闘シーンが繰り広げられます。

ボイスキャストには、『バベル』の菊地凛子。
『それでもボクはやってない』『硫黄島からの手紙』の加瀬亮。
他に栗山千明、谷原章介がキルドレたちを演じています。

「スカイ・クロラ」見ました。
公開されて結構な日数がたつというのに、
休日昼間の上映はほぼ満席。
油断してぎりぎりに入場したら、危うく立ち見になるところでした。
この押井守の新作については、
NHKで、宮崎駿に前後してドキュメントが放送されていますね。
なかなかそちらも見ごたえのある内容で、
事前に見られた上で本編を鑑賞できた事はラッキーでした。

オリジナル作品だと思い込んでいたのですが、
ちゃんと原作があるようですね。
ですが、監督は「甲殻」の時、同様、脚本や絵コンテの段階から徹底的に
練りこんでいで独自の押井ワールドを作りこんでいます。
時間的には「イノセント」から大分たったことは間違いないけど、
アレだけ作りこんだ二部作の後、新しいテーマを探すこと自体、
かなりの苦労だったと思いますね。
押井さんで、そんなに器用な人じゃないでしょ?

“ショーとしての戦争”というコピーにかなり騙されました。
それこそ「ローラー・ボール」のような実況のある戦争中継を
やらされるのかと思ったのですが、
この作品の世界では、
戦争を丸ごと請け負う商社があって、
その商社同士が限定されたルールの上で代理戦争をしている、
という設定になっているらしい。

主人公優一達のいる基地に見学者のツアーが来て、
「皆さんのおかげで、戦争の悲惨を体験せずに済むので感謝している」
という意味のセリフがあります。

商社が負けたら敗戦になるわけだけど、
なんかこう、クライマックスになるはずの大規模空爆も、
なんやらルール上の問題があったらしく、中途で収束。
その意味では、
兵士以外の銃後の戦いがない、異様なマスゲームのように見えます。

携帯電話のない世界、なのだけど、
大モニターに映し出される編隊の様子から、
コンピューターがあるのは明らか。
ヨーロッパ風未来都市なのだけど、
独特の文明発展した世界のようで、
そういうのは嫌いじゃないです。

永遠のこどもキルドレが空中戦を続けることにどんなテーマがあるんだ?
予告編などだけでは、作品のテーマは見えにくいのだけど、
本編はその辺、かなり上手く構成されていて、
割と上手い具合に、テーマの展開についてけました。

しかし、その子供が酒飲んで管巻いたり、娼婦とエッチしたりに
執着するというのは可笑しいですね。
娼婦=大人の女 を嫌悪して手さえ挙げる女司令官の草薙水素(クサナギ・スイツ)が、
ヘビー・スモーカーだったり、妹というのが実は…だったりと、
そういうのは大人のすることでしょうに、何故彼らが?
なんか変じゃん、と思っていたら、なるほど上手いどんでん返しが。
ネタバレ改行です。



スイツさんが妹を眺めながら優一に言うじゃない?
「この子はどんどん大きくなって私に追いつく。
追いつかれて、追い抜かれる。その日を思うとぞっとする」
セリフはかなり違うけど、そういう意味のことを言ってます。
ぐれた子供が、酒やタバコをやって粋がっているような様子が見え隠れします。
そこまでは良いとして、さすがに子作りはまずかった。

原作どおりなのかもしれませんが、あのラストは好きじゃないですね。
あんだけ能書きたれて、
「これは僕の戦いだ」とか叫んで友軍機に手出しさせずに
ティーチャーに斬り込んでいくのは良しとして。
あっけなく撃墜でジ・エンドはないでしょう?
あれでは彼は主義主張ごと敗北したことになってしまう。
いえ、勿論、勝てなくていいんだけど、
私だったら、
かっこつけて飛び込んでいったのにぼこぼこにされて、
基地の端にでも不時着して、
皆が駆けつけると
「ティーチャーめ、今日のところは許してやらぁ」とか悪態ついて、
どっこいおいらは生きてます、みたいなオチにするんだけど。
それじゃ駄目だったんでしょうか?

押井監督にとっては駄目だったんでしょうね。
エンドタイトルロールが流れた後で、
草薙指令の前に、優一に良く似た次のパイロットが現れ、
前と同じように挨拶し、
明日も昨日の繰り返し地獄、から逃れられない子供達の姿で終わっているんだから。

押井守監督はこの作品の映画化のいきさつを次のように語っています。

――原作を読んだきっかけは?
押井 「映画にしてみないか」と薦められたのが最初。
普段は同時代の作家の小説を読まないから、
原作者の森博嗣さんのこともほとんど知らなかったけど、素直に面白いと思った。
でも、一人称で書かれていたから、映画にするのは無理だという直感が働いた。
映画というのは視点をたくさん必要とするので、一人称だと成立しにくい。
だから、一度はお断りしたんだけど、なぜかずっと気になっていた。
理由を考え続けているうち、次第に「やってみようかな」と思い始めた。
そうしたら、周りがいっぺんに動き出しちゃって(笑)。
だから、僕としてはしばらく半信半疑のままだったよ。

――映画にできるという確信が生まれたのは?
押井 企画書を娘に見せたら、「どういう話?」と身を乗り出してきた。
その顔を見ていたら、この作品には何かあると強く感じた。
そこで、行定勲監督の「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)や
「春の雪」(05年)を手がけた伊藤ちひろさんという若い脚本家と会って、
筋道を探り始めたんだ。
打ち合わせで彼女と話しているうちに、
この作品を若い人たちのために作ることができれば、
映画になるんじゃないかと思った。
「スカイ・クロラ」は、現代の若者の気分を的確にとらえている。
サリンジャーがそうであったように、
その時代の若者に寄り添いつつ、
同時に普遍性を持った小説があると思うけど、まさにそういう作品だと思う。
特に、自分の人生に干渉してほしくない一方で、
他人に介入したがらない気分を描いたという点で、非常に現代的だと感じた。
今の若者は「生きる」ということに確信を持てていない。
生きることは本来、能動的な行為で、
結婚や就職など、他人と積極的に関わって、
初めて生きていると言えるはずなのに、延々と決断せずにいる。
「何者かになる」ということを留保し続ることで、
「大人にならない子供」として存在し続けている。

――なぜそうなってしまったのでしょう。
押井 一言で言えば、社会が成熟してしまったから。
昔は、そもそも他人と関わらないと生きられなかったけど、今は違う。
さまざまな「モノ」から守られた結果として、
傷つくことに慣れていない人間が増えてしまい、
そういう人間をターゲットにした商品もたくさん生まれた。
これは若者のせいというより、大人が原因であることは間違いない。
かといって、僕は若者が一方的に被害者だとは言いたくない。
よく若い人に「どうやったら映画監督になれるでしょうか」と聞かれるけど、
愚問だよ。
だって、本当にやりたければ、まず作ってしまうもの。
自分から溢れ出るものがあれば、
安全な道を探す前に、動き出していなきゃおかしい。
確かに面倒なことも多いけど、そうやっていろんなものを背負わないと、
世の中という大きな現実と接点が持てないし、誰にも届かないはずなんだ。
大人も若者も、辛いのはよく分かる。
だけど、その辛さこそ生きる醍醐味であって、
人生という果実は、おいしいところだけじゃなくて、
丸ごとかじることでしか味わえないはず。
だから、「他人の人生に介入する」ということを、この作品で描きたい。

――今の若い子が一番恐れていることですね。
押井 まずは、人の話を聞けるようにならないと。
相手を認めることなしに、
自分を認めてもらうのは無理があると分かっていない。
自分の主張だけしたいから、芸能人とか社長になりたがるんだよね。
そういう意味では、僕だって、
かつては今の若者と変わらなかったかもしれないけど、
55歳になって、もう一度人生を生き直そうと思い始めている。
それは、不幸になってもいいんだと思えるようになったことが大きい。
だから、常に新しい人間関係を結んでいきたいし、
空手で体も鍛え始めた。
やっぱり、他人と関わるためには、
自分の腹が出ていることを許しちゃいけないんだよ。
冗談に聞こえるかもしれないけど、
腹を引っ込めるということは、生きる自信に繋がるんだ(笑)。

――現実と虚構の境目を描くことで
「自分を自分たらしめているもの」をあぶり出してきた押井さんの関心が
「腹」に向かっているのは興味深いですね。
押井 「イノセンス」(2004年)で、
人間はサイボーグになったって構わないじゃないかと描いた。
体を鍛えるということは、機械を目指すのとイコールであって、
電源コードを引っ張りまわす煩わしさがなければ、
今でもサイボーグになりたいと思っているよ。
大事なのは、他人を背負い、その視線の中で生きていけるかということ。
この作品を作るのは、今の若者のためでもあるけど、自分のためでもあるんだ。

――製作委員会にも顔を出して、宣伝プランも一緒に話し合っているそうですね。
押井 意外と冷静でしたね。それほど演技らしい演技をしなかったので(笑)。

――ところでこの作品はあまりに「押井映画」なため、
押井監督のファンしか観ない可能性も……。
押井 一人でも多くの人に観てもらいたいと思っているからね。
今までは、作ったらそれで終わりみたいなところがあったけど、
「イノセンス」で、敏ちゃん(スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー)の
やりかたを目の当たりにして、
映画を作る醍醐味は社会的行為を伴った時に生まれるとよく分かった。
だから今回は、逃げも隠れもせず、
作品を届けるところまで付き合おうと思っているよ。

以上は作品製作時のインタビューです。そして完成後、
2008年夏、宮崎駿監督の「崖の上のポニョ」と押井守監督の「スカイ・クロラ」
が同時期公開される事となります。
完成直後、監督の心情はどのように変わったのでしょうか?

――作品を完成させて、その手応えは。
押井 映画は作っているうちにゴールが変わってしまうということがよくあるけど、
今回は一つのテーマというか「問い」で最後まで走りきった作品になった。
ゴールに着いてから「最初からこういう映画が作りたかった」という監督もいるけど、
あれは大抵、ウソ(笑)。でも、それは悪いことじゃない。
作っていくうちに見えてくるものもあるわけだから。
「イノセンス」(2004年)もそういう作品だったしね。
それが「スカイ・クロラ」は見事なまでに一つのテーマで貫くことができた。

――そのテーマとは。
押井 この毎日は生きるに値するか。
その実感をつかむにはどうしたらいいか。
生きることの値打ちを問うことが、今回の映画作りそのものだった。
実生活においてもはつらつとしようと心がけたし、
魅力的な人間であろうと努力した。
空手の稽古にも毎週通って身体も鍛えた。
自分自身が失いかけていたものを取り戻すために、
明日、新しいことをやろうという考えは排除して、
できる限り「今日」やる情熱を持とうとしたんだ。

――「スカイ・クロラ」は、押井さんには珍しいストレートな恋愛映画だそうですね。
押井 確かに直球だね。
でも、今までだって恋愛映画は作ってきたつもり。
そう思われていないようだけど(笑)。
ただ、恋愛映画というのは、それ自体ではなんの値打ちもない。
そこに社会性が入らないと、単なる「暇つぶし」でしかないんだ。

――公開される時代を見越して作品を作るということですか。
押井 社会性と時代性は違う。
そもそも未来を予言するなんて無理だというのが僕の考え。
「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995年)の時には
インターネット社会を予見した作品だと言われたけど、
そんなことを考えながら作ったわけではない。
もちろん、ある種の予感はあるかもしれないし、
それをつかまえることは重要だけど、
構想してから封切りまで3年ぐらいかかるわけだから、
予想するところから始めても意味がない。
あえて言えば、
自分の気分のなかにある普遍的な問いを取り出すことから映画作りは始まるんだ。

――時代性に固執すると映画は失敗する?
押井 マイケル・ムーアを例にとると、
「ボウリング・フォー・コロンバイン」(02年)は一つの時代を捉えながらも、
人間と武器という普遍的なテーマと戦っているよね。
一方で「華氏911」(04年)はアンチ・ブッシュというムードだけで作られている。
映画はよこしまな気持ちを持った瞬間から駄目になる。
プロパガンダにしたらいけないんだ。
「もののけ姫」(97年)のキャッチコピー「生きろ。」がいい例。
あれは僕に言わせればコピーじゃなくてスローガンだよ(笑)。

――ともに2004年公開だった「イノセンス」と
宮崎監督の「ハウルの動く城」は、方や人形、
方や年齢というフィルター(外見)を通して、
自己と他者の在りようを描くという共通の問題意識があったと思います。
それが今度は、どうやら両者とも「生きる」ということの根底を
描こうとしているようで興味深い。
押井 映画監督というのは、
誰でもある年齢に達すると死を思いながら生を語るもの。
だから、同じテーマになっても不思議はない。
棺おけに片足突っ込むと、生きるということはすべて死生観の裏返しになるんだ。
宮さん(宮崎監督)は、「千と千尋の神隠し」(01年)あたりから
その傾向が顕著になったと思う。
あの作品は、死生観だけで作ったと言ってもいい。
だって、千尋が電車に乗って行く場面というのは、
要するに三途の川を渡るということでしょう。
あそこはすごくワクワクした。その先の展開にはがっかりしちゃったけど(笑)。
でも、死生観と向き合ったことで作品にも色気が出てきた。
やっぱり、死を覗くことで出てくる艶というものがあるんだ。

――押井さんが死生観と向き合って分かったことは?
押井 今の若者にとって、死を思うことは「生きる」ということに
つながるだろうということ。
思春期のまま年をとらないキルドレたちは、
生きている実感をもてない現代の若者そのものなんだ。
だから、「スカイ・クロラ」はSFにせず、
地に足の着いた作品にしなければならないと思った。
SFにすると、結局は「真相の究明」をやらなきゃならないから。
僕が描きたいのは、答えなんかないんだということ。
外見上は年をとらない永遠の子供「キルドレ」の存在を延々と語るんじゃなくて、
彼らの存在が自分のことだと思ってもらえるかどうかが大切。それに尽きる。
映画のコピーにあるように、
こんな時代でももう一度、生まれてきたいと思うことが出来るか。
今の若い人たちの気分に寄り添って映画を作らなければ、
彼らの心の奥底には届かないと思う。

――主人公の兵士・函南優一(カンナミユーイチ)に加瀬亮、
上司の司令官・草薙水素(クサナギスイト)に菊地凛子という声優陣が発表されました。
押井 声に関してはこれまではプロの声優を重視してきたけど、
優一と水素については、演じられる声優がいるのだろうかという疑問があった。
というのも、外見は子供で中身は大人というキルドレには「未熟さ」が必要だったから。
もちろん、声優にお願いすることで確実な点数は取れることは経験上で分かっていたけど、
今回は0点か100点という挑戦をしたかった。
もちろんその分、探す作業は大変だったよ。特に水素は難航した。
そんな折、たまたま菊地さんと対談する機会があり、
「この人なら」と思ったんだ。彼女の演技も見たことがなかったのに、勘が働いた。
もしかしたら画面を見た時に彼女の顔が見えてしまうんじゃないかという不安も
あったけど、結果的にそれはなかった。
水素という人物は、彼女が演じたことで狙い通りの情緒性が出たね。
加瀬君も素晴らしかった。
連続17時間にも及ぶアフレコで、見事に主人公を演じてくれたよ。

――女性を情緒的に描くのはこれまでの押井作品にはなかったことだと思います。
「真・女立喰師列伝」(07年)でずっと憧れだった女優、
ひし美ゆり子さんを主役に据え、正面から向き合ったことが影響しているのでは?
押井 その指摘は初めてだね。間違いなく影響していると思う。
これまでにないくらい女性というものへの関心が高まっているし、ようやく目覚めた。
そういう気持ちは「スカイ・クロラ」に強く出ていると思う。
水素は「攻殻」「イノセンス」の素子と…


以下はネタバレとなるのでmixi独身映画ファンコミュニティ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1299114
にて『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の頁をご覧下さい。



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