「トーク・トゥ・ハー」DVD脚本レビュー
★映画基礎データー★「トーク・トゥ・ハー」 2002年 スペイン映画 監督・脚本 ペドロ・アルモドバル 出演 レオノール・ワトリング |
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昏睡状態のアリシア(レオノール・ワトリング)を4年も世話する
看護士のベニグノ(ハビエル・カマラ)。
その彼の務める病院に女闘牛士のリディア(ロサリオ・フローレス)が昏睡状態で運
ばれ、入院する。
彼女の恋人、マルコ(ダリオ・グランディネッティ)を見かけたベニグノは彼を激
励。
同じ境遇のふたりは深い友情で結ばれる。
見る前に私が聞いていた「トーク・トゥ・ハー」の前評判が、
「男二人が傷をなめあう話だ」「変態映画だ」とひどいものでした。
しかし、英語でない作品でアカデミー脚本賞をとるのははじめてだとか。
でも公開時のミニシアター興業ランキングも上位ですし、
ぴあの赤帽調査でも、「満足度第一位」になってます
うーむ、良い作品でした。
アカデミー賞ではこの年は「シカゴ」の圧勝でしたが、
それはアメリカ人の国内映画のための祭典ですので仕方ないです。
言ってはなんですが、
「シカゴ」と「トーク・トゥ・ハー」では大人と子供の喧嘩で、
はなから勝負になりません。
むろん「シカゴ」が子供の方です。
脚本の周到さ細緻さには舌を巻きました。
ひとことの無駄なく、常に前の台詞を裏切る展開が次の台詞に用意されている。
私は最後まで展開を読むことが出来ませんでした。
音楽が良い。
カエターノ・ヴェローゾのギターと歌が良いです。
ハリウッド映画の音楽ばかり聞いてますのでラテン音楽が新鮮と言う事はあります。
冒頭と最後のダンスというかバレーがまた良い。
ピナ・バウシェの「カフェ・ミュラー」「炎のマズルカ」の舞台が出てきます。
冒頭の舞台は、夢遊病のような女がケガをしないように
男は必死になって椅子やテーブルを次々とどけていく、というもののようです。
女は男の献身に決して気がつくことはないまま。
狂言回しをかねる主役のマルコ役のダリオ・グランディネッティが魅力的です。
ぱっと見た目は、目つきの悪いはげオヤジですが。(爆)
アルゼンチン屈指の演技派だそうですが、静かな演技で男を感じさせます。
ハビエル・カマラという人はたいした役者です。
ベニグノという男は、純愛と変質の両方を抱え込んだ男ですが、
当人は自己矛盾がなく、逆に正常人のマルコをなだめてます。
問題なのはあんたの方だよ、てなものですが。
レオノール・ワトリングが演ずるアリシアは植物人間になる前も含めて
全部で10の台詞があるかどうかです。
眠っているところの裸体も含めて実に綺麗です。
このドラマは彼女が魅力的に見えないと成立しない話ですので、
キャストは極めて慎重に組まれたはずです。
初めと最後ではまるで印象の異なるところも良いです。
いずれハリウッドで活躍するのではないでしょうか。
ネタばれ改行です。
ベニグノ「語り掛けてごらん。女の脳というのは神秘的なものなんだよ」
死体安置所の夜警のが、
あまりに美しい女性の亡骸をレイプし、逮捕されたという事件がルーマニアで
実際にあったそうです。
その女性はカタレプシーという病で仮死状態にあり、
強姦の衝撃で息を吹き返しました。
夜警の男は逮捕され裁判を受けますが、
娘の復活に感激した家族が彼に弁護士を雇い、弁護料を払ったそうです。
それとニューヨークの病院で脳死状態の女性が妊娠したという事件。
犯人は清掃人だったようですが、
脳が死んでいても命を宿すことが出来るという神秘。
ペドロ・アルモドバル監督は、これらの事件にインスピレーションを感じて、
オリジナル脚本を書きましたが、
更にもう一人の男ともう一人の植物人間の女を配置し、
ただの不思議な出来事を恋愛心理の不可解に展開しています。
途中で出てくるサイレント映画「縮みゆく恋人」というのがへんてこです。
監督には、広大な女の裸体を闊歩する男のイメージがもともとあったそうですが、
それを映像にするとこんな感じになるんでしょうか???
小さく縮んで頭から女性性器のなかへ潜り込む男の場面は、
もろに胎内回帰願望のように見えます。
あれは恋愛と言えるのでしょうか?
乳房の頂きに立てば、女の裸体がゴルフ場のグリーンさながらに広がっている、
という情景自体、私の貧弱な想像力を超えてしまいます。
女性の目から見て、あの場面は不快感はないのでしょうか??
女性と一緒に見に行かなくて良かったです。
隣でクスクス笑われようなモノなら、こっちが恥ずかしい…。
ベニグノのやったことはどんな言葉で飾ろうと道義に反しますし、犯罪です。
彼は相応の報いを受けてます。
それがこの作品の公平なところで、
ベニグノのしたことを庇い立てなどしていません。
愛することは孤独なことなのですが、
マルコが叱っているとおり、「一人芝居にすぎない」のであり、
結婚するなどと思い込むこと自体、破綻してます。
ちょっと考えたのですが、
ベニグノは人形としての彼女を愛したのであって、
人間として向き合う気があったのかどうか、怪しいです。
強姦するまでもなく、何かの弾みに彼女が蘇生し、
ベニグノを拒絶したら、どういう展開になっていたのでしょうか。
これは通俗的に事件を追いかけようとしたものではないので、
アリシアがベニグノと向き合って言葉を交わす場面というものは
初めから想定されていませんし、
監督は興味もなかったでしょう。
マルコがリディアとの仲で涙するのは、
実は彼女が倒れる前夜に昔の恋人とよりを戻していたことを知ったから。
彼女の最後の涙も、最後の言葉も
マルコに向っておくられたものではなかったことに気付かされて打ちのめされます。
なんという孤独でしょう。
物言わぬ彼女と病室で向き合っていた日々が無意味なものと知って彼は絶望します。
ヨルダンから急ぎ戻ったマルコの前でベニグノは激しく動揺する姿を見せます。
己の行く末より、アリシアと引き離されることの方が打撃なのです。
そして妊娠した命の行く末を案じて取り乱します。
ハビエル・カマラは地元スペインでの試写会の後、
司祭と話し合ったとインタビューで答えています。
道徳的なジレンマについて司祭は、
「ベニグノは良き人間で、良いことを行った。
しかしコミュニケーションがなかったことが不幸だった」
と語ったそうです。
恋愛は相手あってのものですが、
実のところ、愛情はその人、個人のこころのなかに生まれ、育ち、実る、果実です。
愛情ははじめから孤独で傲慢なものです。
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